【秋田道夫】行きすぎた節約に警鐘…60歳以上は「無駄遣い」をするべきだといえる「納得の理由」

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

人生100年時代。60歳を越え、定年を迎えたり働き方を変えたりすると、大半の方は現役時代より収入が減る。すると、とたんにお金にかんする考え方を硬直化させる人が多い。一方、節約ばかりでは人生がつまらないものになるという悩みも……。いったいどうすればいいのか――。
日々を機嫌よく過ごすための考え方が注目され、SNSのフォロワーは10万人を突破。このたび、書籍『60歳からの人生デザイン』を上梓した秋田道夫氏が、60歳からの人生をより豊かに過ごすためのお金の使い方を語る。
*本記事は秋田道夫『60歳からの人生デザイン』から抜粋・再編集したものです。
節約は、生きていくうえでとても大切です。無駄なお金は、使わないに越したことはありません。わたしも、節約は徹底するほうです。
特に節約しやすいのは、トイレットペーパーなどの日用品でしょう。底値を把握したり、安いお店を把握したりしています。
ただ、一つ気をつけていることがあります。それは「節約に奔走する姿を人様に見せない」ということです。
生活感が滲み出てしまうと、誘われなくなったり、心配をされたり。人が遠ざかることもあるからです。余裕のなさが伝わるのでしょうね。
「あの人、スーパーで値下げのシールが貼られるのをいつも待っているでしょう」
こんな風にご近所で噂されたら、困ってしまいます。
また、わたしが憂慮するのは「暮らしにさして困っていないのに、将来への不安から節約志向になっている人」が意外と多いのではないか、という点です。
退職金や、持ち家があるのなら。その上に年金もあるのなら。そんな場合、自分のためにどんどん使ったほうが健康にもよいかと思います。
我慢をし続けると、心が小さくなって、本当に必要なものを取り込めなくなりがちです。
また「お金を使うのがこわいのでタンス預金をしている」などの話を、見聞きすることもあります。
「お金を使うのがこわい人」は「すべてのことについてもこわい人」といえるかもしれません。まずはタンスを処分するところから始めてみてはいかがでしょうか。
また、節約に意識をもっていかれると余裕がなくなるせいか、人も寄りつかなくなります。つまり生活の“手段”であるはずの「節約」が、人生の“目的”になってしまっている……。そんな方もけっして珍しくないようです。
ポイ活(買い物などでポイントを集める活動)もそうですね。「ポイントを集めること」が日々の行動指針になるわけです。するといつしか「ポイントを集めること」が人生の目的になっていく……というのは大げさでしょうか。ポイント集め以外の楽しみや喜びを、忘れてはいないでしょうか。
節約も、ポイ活も、行きすぎると「上機嫌で過ごすこと」を忘れかねません。また、寿命を縮めてしまうような気もします。
節約の本質とは「自分たちだけが安泰な状態」を目指すことではないでしょう。節約をしたお金で自分自身を楽しませたり、他人を喜ばせたり、というところにあると思います。
節約にも節度あり。「きれいに貯める、そしてきれいに使う」という姿勢が、理想的なのではないでしょうか。
追って詳細はご説明しますが、「無駄遣いは、人付き合い」でもあると思うのです。
どんなものにもグラデーションがあります。わたしは、その幅の広さをよく面白がっています。
たとえば食事の場合。名店のうな重をいただくこともあれば、スーパーで値引きされた弁当を食べることもよくあります。
海外で宿を予約する場合。清水の舞台から飛び降りるつもりで一流ホテルを取ることもあれば、ユースホステルや木賃宿に泊めてもらうのも大好きです。
撮影する場合。名機ライカに挑戦することもあれば、iPhoneで手堅く撮ることもあります。
このように、高いほうもリーズナブルなほうも、どちらも体験して初めて、その対象をよくとらえられる気がしています。両極端に挟まれたグラデーションの中に、すべてが詰まっていますから。
要は視座の高さを、可動域の中で最大限に動かして、物事を広く見ることです。視座の高さを定めると、見える世界も一定になってしまうでしょう。だから意図的に変えることを楽しんでいるのです。どちらか片方の世界だけじゃ、息が詰まってしまいますから。いわばサンドイッチ流とでもいいましょうか。
大事なのは、「高いほう」をいつでも気軽に体験できるようにしておくこと。カジュアルなジーンズスタイルでも「きちんと感」があれば、銀座和光で買い物ができます。いつ誘われても銀座にすぐ行けるくらい、フットワーク軽く、小綺麗でいることです。
わたしはお金の「貯め方」に関してはけっしてうまいとは言えないので書けませんが、お金の使い方というか「諦め方」には多少の自信というかノウハウはあります。
それは「何に使ってもかまわないお金」を毎月一定額、用意しておくことです。
「1万円」でも「10万円」でもかまいません。このいくばくかの余裕というか「予金」が結構重要です。なぜなら日々「思いもよらないことが起きる」からです。
たとえばある時、キーボードの「M」が突然打てなくなったことがあります。
すぐにメルカリで中古品のキーボードを探して、手配しました。
またある時、プリンターが急に印刷できなくなりました。この時もメルカリで同等のものを探して買ったら、元よりも印字やインクの持ちが良くなりました。
要は、生きていれば「不意に何かしらアクシデントが起きる」のは避けられないわけです。でも、そのリカバリーにかかったお金も「予金の枠のうち」と思えば、悔しい思いは飛んでいきます。
逆に、そんな事態を「無駄遣いした」「余計な費用がかかってしまった」とマイナスに受け止めると「自分の気持ち」を消耗してしまいます。それが実は一番の「無駄遣い」なのです。ちょっとでも気持ちが落ち込むと、有限なリソース(資源)である「気力」が目減りしますからね。
そんな“些事”に頓着しないですむために「もともと無かったかのような予金」の用意は必要なんです。
予金の使い道は「アクシデントの回復料」だけにとどまりません。
何に使ってもかまわないわけですから、「自分を楽しませるための必要経費」もここに含んでよいのです。
たとえばお酒好きな方にとっては、モチベーションを保ち続けるための晩酌用の酒代などもそう。わたしの場合は、服や靴、トートバッグなどのファッション代も、ある種の“必要経費”ととらえ、予金から捻出しています。
「それは必要経費ではなく“無駄遣い”なのでは?」そんな見方もあるでしょう。でも限度を決めた中での“無駄遣い”は、心を健やかに保つことに大きく貢献してくれる気がしています。言葉遊びに聞こえるかもしれませんが、そういった意味で“無駄遣い”は非常に有益です。
たとえば、行きつけのショップに定期的にお金を落としているから、店員さんとの会話が弾んだり、よい情報も入ってくる。わたしの場合、そんな側面は否めません。
くり返しになりますが「無駄遣いは、人付き合い」。「無駄遣い」によって、コミュニケーションが、より豊かに、より広がるわけなのです。
「そんなに自由にお金を使っていたら、もったいなくはないでしょうか」
疑問の声も聞こえてきそうです。でも安心してください。数か月も経てば「自由になるお金」を使うことにも慣れ、やがて“飽きて”きます。極端な浪費に走り過ぎることはありません。
また若い世代の減少が危惧されている今、「自分たちの世代がお金を使ってお役に立つ」。そんな気概があってもよい気がしています。
先入観が覆された…ゲートボール場で耳にした、おばあちゃんたちの「衝撃の会話内容」

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

SNSでもご購読できます。