創設メンバーが明かす衝撃の事実「『怒羅権』はもう事実上解散」

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「金髪にしたのは心機一転のためです。私ももう50歳なので、好きな色にしてみたかったんですよね」
静かな笑みを浮かべながらそう語るのは、汪楠(ワンナン)氏(50)。伝説の半グレ集団『怒羅権(ドラゴン)』の創設メンバーだ。
今年10月16日、東京・池袋「サンシャインシティ」で起こった大規模乱闘事件が世間の注目を集めている。
「事件が起こったのは同ビル内のフランス料理店です。当日は、半グレ集団『チャイニーズドラゴン』のメンバーら約100人が集まり、幹部の出所祝いとして店を貸し切って宴会を行っていました。そこで突然、乱闘が起きた。しかし、通報を受けた巣鴨署が駆けつけた時にはすでにもぬけの殻。現場には割れたグラスやビール瓶が散乱していました。防犯カメラの映像には『チャイニーズドラゴン』とは別の約20人のグループが店内に入っていく姿が残っており、警察はこのグループが乱闘のきっかけになったと睨み捜査を続けています」(全国紙社会部記者)
その『チャイニーズドラゴン』の源流とされているのが、『怒羅権』だ。’80年代後半、東京・葛西に暮らす中国残留孤児2世、3世を中心にして生まれた暴走族『怒羅権』はやがて半グレ集団へと変貌。’13年には関東連合とともに警察庁から「準暴力団」にも指定された。
汪氏は『チャイニーズドラゴン』と『怒羅権』の関係についてこう話す。
「昔、池袋に文芸坐という映画館がありました。そこでは年に一度、中国映画祭というイベントをやっており、残留孤児の集いの場になっていました。『怒羅権』ができて間もない頃、葛西は30人ほどのチームでしたが、王子にも同じぐらいの規模で『華魂(ドラゴン)』という組織があり、どちらもドラゴンを名乗っていました。文芸坐で鉢合わせた我々は、勝ったほうがドラゴンを名乗る条件で喧嘩となり、葛西が勝った。そこから葛西が本部、王子が支部となった。その後、王子のグループが『チャイニーズドラゴン』へと名前を変えていったんです」
そんな『怒羅権』の現状について、汪氏はこう明かした。
「葛西『怒羅権』は、すでに実質的な解散状態にあります。きっかけは昨年9月、トップだった人物が亡くなったこと。ずっと現役を貫き、多くの後輩からも慕われていた人でした。最近の『怒羅権』のシノギはみかじめ料のみで、それもヤクザとの共存路線としてオーナーが中国人の店に限ったものだった。ただ、トップが亡くなったことで『みかじめ料自体をやめよう』と、私自身が強く進言しました。もちろん、他のメンバーの理解を得た上で出した提案です。実際、去年の12月からみかじめ料は全面中止に。なので葛西本部はトップはおらず、シノギもない。葛西のメンバーは120~130人ほどいますが、今後本部を名乗ることはありません」
汪氏は’21年11月、千葉県市川市のカラオケバーからみかじめ料を脅し取ろうとした疑いで逮捕されている。しかしこれも、トップが亡くなった後のゴタゴタに巻き込まれてのことだったと語る。
「結局、無実で釈放されました。葛西『怒羅権』を継承する可能性がある人物が私を含めて3人いましたが、いずれも身に覚えがない罪で逮捕されている。要するに、警察からのカマシですね。葛西『怒羅権』のメンバーは、それぞれビジネスで成功していて、もう犯罪をする必要がない。後輩からも『先輩、時代が違うね。犯罪はリスク大きいし、リターン小さいよ』と言われます(笑)」
現在は飲食店のオーナーや現場仕事で汗を流す傍ら、受刑者へ本を送るNPO活動にも従事しているという汪氏。今後、『怒羅権』のメンバーが犯罪を行わないよう、汪氏は「これからも働きかけはしていきたい」と語った。
現在も残る『チャイニーズドラゴン』を含め、半グレによる事件がなくなる日が訪れてほしいものだ。
『FRIDAY』2022年11月11日号より

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