小学3年生の時、実の父親から性虐待が始まった。小学6年生になると、ついにレイプされた。隣には母親が座っていたが、笑っているだけで助けてくれることはなかった――。
【動画を見る】「性教育のためにやっている」と父親は言い張った…9歳から続いた性虐待と“黙認した母親”への複雑な思い《覚悟の実名告発》
2023年11月、文藝春秋電子版に掲載された塚原たえさんの実名告発記事は、2日間で閲覧回数1000万回を超える大きな反響を呼んだ。ジャーナリスト・秋山千佳さんが執筆して今年7月に出版された『沈黙を破る「男子の性被害」の告発者たち』(文藝春秋)では、その体験が詳細に綴られている。(全2回の1回目/続きを読む)
(初出:「文藝春秋PLUS」2025年8月3日配信)
塚原さんが初めて父親から性的な行為をされたのは9歳、小学3年生の時だった。
お風呂での出来事だった。
「体を洗ってあげるふりをしながら、『こう洗うんだぞ』と言って膣に指を入れてきたり、鉛筆を入れられたり……そういうことから始まりました」
左から塚原たえさん、秋山千佳さん
「父親から『下着を脱いで足を広げろ』と言われた時、父親の隣に弟も座らされました。私も弟も嫌がっていましたが、そのまま2人に見られるかたちで続けさせられて」
その時、母親が部屋に入ってきて「何やってんの」と声をかけたが、父親は「性教育のためにやっている。学校で教わる前に俺が教えてやってるんだ」と言い張った。母親はそれを聞くと、助けることなく別の部屋に行ってしまった。

虐待はエスカレートしていく。全身裸にされ、手首を紐で縛られて鴨居に吊り下げられ、洗濯ホースや革ベルトで殴られる。お酢や醤油を傷口にかけられる激痛も味わった。
「今思えば、父親の中ではSMとかそういう類だったのかなと思っています」
現在でも、ホースやベルト、お酢や醤油といった日常的なものを見るだけでフラッシュバックが起きる。主婦として普段から使わざるを得ない調味料を見るたびに思い出すのは、「正直やっぱり辛い」と塚原さんは語る。
小学校6年生の時、ついに父親から挿入を伴うレイプの被害にあった。その時も隣に母親が座っていたが、笑っているだけだった。
「よく『母親はずっと一緒にいるんでしょ』『どうして助けてくれなかったの』と聞かれますが、母親は家出と蒸発を繰り返していたので、常にいるわけではありませんでした。それでも母親は現状を知っていたのに、助けてくれなかった」

母親もDVを受けており、「助けると自分がやられちゃう」と思っていたのかもしれない、と塚原さんは分析する。現在も母親とLINEでやり取りはできるが、「許したくない気持ちと、母親の状況ではしょうがなかったと許したい気持ちと、いまだに葛藤があります」。
中学3年生の受験の頃には、父親と母親が性交渉している場に呼ばれ、「服を脱げ」「母親の上にのっかれ」「母親の胸をなめろ」と指示された。嫌だと言っても強制され、この時も母親は笑ってごまかすだけだった。
「いろんな媒体でお話しさせてもらっていますが、よく『どうして笑って喋れるの』と指摘されます」と塚原さんは言う。
「暴力を受けることが継続していると、笑うことが防衛本能になるんです。感情の出し方がすごく下手くそになって、笑っちゃいけない場面でも笑ってしまったりする。母親も多分そういう類だったんじゃないかと思います」

被害者は泣いていなきゃいけない、暗くなくてはいけないという固定観念があるが、「被害者だって笑いもするし、冗談だって言う。そういうことが、どうしてしちゃいけないの」と塚原さんは訴える。
山口から東京に引っ越した後、塚原さんは警視庁に駆け込んだ。しかし警察は「お父さんは逮捕できても3年で出てきちゃうけど、仕返しとか大丈夫?」と聞いてきた。塚原さんが「怖いです」と答えると、父親は性虐待を認めたにも関わらず逮捕されなかった。
自立援助ホームに入った後も、父親はホームに連れ戻しに来る。車中泊をしながら施設の前で待機していた。本来守ってくれるはずの児童相談所の担当者が、塚原さんが居場所を教えないでほしいと警察に答申書を出していたにも関わらず、父親に教えてしまった。
「子供って、助けを求める時は『これが最後のチャンス』と思いながら助けを求めるんです。そこで加害者をしっかり逮捕なり隔離なりして子供の身を守るのが警察や施設の役目だと思います。じゃないと子供は諦めてしまう」
結婚後も父親からの追い回しは続いた。塚原さんの夫が仕事で外出している間に、父親にラブホテルに連れて行かれレイプされることもあった。夫は仕事を辞め、24時間塚原さんと一緒にいることを選んだ。

住所を移すたびに見つかり、引っ越しを繰り返す生活。閲覧制限をかけても見つけ出される。夫は定職に就いても、また引っ越さなければならない状況が続いた。
最も許せないのは、塚原さんの長女が小学6年生になった時のことだった。
「娘が学校から帰る時、父親が学校の正門のところに娘を迎えに行って、車に乗せて連れて行こうとしたんです。娘が『目が怖かった』『なんか嫌な感じがした』と言って友達と走って帰ってきて、ピンと来ました。『もう孫も狙ってる』って」
現在も父親は生きており、SNSで塚原さんへの誹謗中傷を続けている。警察に被害届を出したが、現在の法律では対応できる範囲が限られているのが現実だ。

2023年11月の記事公開から、塚原さんの人生は大きく変わった。LINEのプロフィールには「始まりの日」として記事が出た日を記している。現在は一般社団法人を設立し、子どもが助けを求めやすい環境作りに取り組んでいる。
「声を上げないことが悪いことでもないし、上げられなくなったとしても悪いことじゃない。上げられる人が上げられるタイミングで、上げたい時に上げればいい」
加害者が野放しにされ続ける現実の中で、塚原さんは今日も声を上げ続けている。
〈「後ろ手に縛られ口中に…」父親の性虐待と日常的暴力の末に、29歳で弟は自殺した《姉が実名告発》〉へ続く
(「文春オンライン」編集部)