「長所は興味のあることを徹底して追求することができるところだと思います。言い換えると心惹かれるものに対して、没頭できるということです。例えば、夏の休日に、お昼過ぎから、林の中や池の周りでトンボを観察していますと、気がついたら日が暮れてしまっていたということもよくありました。
【写真】運動会で“綱引き”に参加された小学校2年生の悠仁さま
ただこれは、見方を変えてみますと、短所と捉えることもできます。それは時として、こだわりを持ちすぎてしまうということです」
秋篠宮ご夫妻の長男、悠仁さまは今年3月3日、成年に際しての記者会見で、冷静沈着に自分の長所と短所を分析していた。
悠仁さまの成年式がこの9月6日に行われる。男性皇族の成年式としては、秋篠宮さま以来、実に40年ぶりのこととなる。皇位継承順位第2位の悠仁さまは、伯父にあたる天皇陛下や、父・秋篠宮さまの次世代の皇室を担う立場で、儀式はより重要な意味を持つ。それだけに国民の期待が一層、高まっている。
悠仁さまは昨年9月6日、18歳の誕生日を迎え、成年皇族の仲間入りを果たした。しかし、大学受験を控えていたため、成年式は延期されていた。昨年11月、筑波大学生命環境学群生物学類の推薦入試を受けて合格し、今年4月から大学生活を送っている。
「以前から興味を持っていました分野をはじめ、さまざまな学問の分野を学べることに感謝をしております」
入学式に出席した悠仁さまは、このように喜びを語った。茨城県つくば市にある大学のキャンパスは東京・元赤坂の自宅から遠く離れ、車で片道1時間半から2時間ほどの距離にある。
このため、宮内庁は車通学だけでなく、今後の授業の状況などを見ながら、つくば市内の民間の集合住宅に部屋を借りて、授業などで帰宅が遅くなる日や翌朝、早く大学に行かなければならない日などは、悠仁さまが、そこに宿泊することも検討している。
報道によると、悠仁さまは広いキャンパスを自転車で移動している。バドミントンサークルに入り、友人たちとファミリーレストランや牛丼チェーン店などを訪れることもあるらしく、大学生活をとても楽しんでいる様子だ。
青春を満喫する悠仁さま。その素顔を紹介しよう。
悠仁さまといえばトンボである。その「原点」といえる写真がある。
2008年8月、秋篠宮ご一家が、静養のため栃木県にある那須御用邸に滞在した折の写真で、秋篠宮さまが捕まえたトンボを、姉の小室眞子さんが1歳11か月になる悠仁さまに手渡している。この年の11月、秋篠宮さまの誕生日会見に同席した紀子さまが、こんな話をしている。
「夏ごろからでしょうか、庭にいる小さな虫、バッタやカマキリなどを見つけて上手に捕まえて、手で持ったりまた袖に乗せたりしてよく観察しておりました」
2024年9月、紀子さまが誕生日を迎えた折に宮内庁から発表された文書では、悠仁さまが幼少期からトンボなどの昆虫や植物に興味を持ち、研究を深めていく様子が、母親の視点から、より生き生きと紹介されている。
《小さかった頃、クヌギやコナラの林でカブトムシを探し、その幼虫を育て、烏山椒の葉につくアゲハチョウの幼虫を見つけては観察していました。
(中略)いつしか、自分の指よりも大きいトンボを手にとり、間近で複眼、翅(はね)や肢(あし)の特徴や、放したトンボの飛び方を観察して『これはなんだろう』『なぜだろう』『どうしてだろう』と昆虫の図鑑で調べるようになりました》
子どもらしい素朴な疑問や驚きから出発し、失敗を繰り返しながら、悠仁さまが成長する過程が手に取るようによく理解できる。
2023年、悠仁さまが関わった学術論文「赤坂御用地のトンボ相―多様な環境と人の手による維持管理」が話題となったが、これは、住まいのある赤坂御用地のトンボの多様な生息状況などを粘り強くモニタリング調査し、考察した成果の一つだ。
このように悠仁さまは、トンボ類の生息環境などに強い関心を持ち、「自然誌」を学ぶため、筑波大学への進学を決めた。1歳後半から現在に至るまで、トンボへの情熱はほぼ一貫している。
悠仁さまが小学生のころ、私は、秋篠宮さまとこんなやりとりをしたことがある。
─どうして悠仁さまは虫がお好きなのでしょうか?
「なぜ、好きなのか理由はわかりません。子どもは昆虫が好きでしょう」(秋篠宮さま)
2010年春、悠仁さまは、東京都文京区にある3年保育のお茶の水女子大学附属幼稚園に入園した。園庭に出て、虫を探したり、砂遊びをしたり、雨の日は室内で木製の線路をつなげて電車ごっこをするなど、とても活発だった。
このころ、悠仁さまは家族の間では「ゆうちゃん」、姉の眞子さんや佳子さまからは「ゆっぴー」と呼ばれて可愛がられていた。
ちなみに、秋篠宮さまは「ゆうゆう」と呼んでいたという。
「かつてはよく怒る父親でございましたけれども、最近はすっかり丸くなっております」。このように眞子さんは記者会見で話したことがあるが、2人の姉との接し方と比べると、秋篠宮さまは悠仁さまをあまり叱らなかったらしい。
悠仁さまが幼稚園に入園した翌年だったと思う。私は、秋篠宮邸の庭が見える部屋で秋篠宮さまと歓談していた。しばらくすると、紀子さまが悠仁さまを連れて部屋に入ってきた。
悠仁さまは元気いっぱいだった。イスやテーブルの脇をすり抜けて部屋の中を駆け回り、少しもじっとしていなかった。しかし、秋篠宮さまは、走り回る悠仁さまを目で追うだけで、眞子さんの言葉どおり、少しも叱らなかった。父親の目元はゆるみ、その光景を楽しんでいるようにも見えた。
ついに紀子さまが抱きとめ、「よおく、考えてみましょうね」と諭した。しかし、悠仁さまは一度はおとなしくなったものの、しばらくするとまた母親の手をすり抜け、室内を走り出した。
「どんなときに、悠仁さまが大きくなったなと感じますか?」。同じころ、私は秋篠宮さまにこう尋ねたことがある。秋篠宮さまからは、笑顔でこんな答えが返ってきた。
「抱っこしたときですね。ずしりと重い手応えを感じた瞬間に、成長したなと感じます」「私は息子の頭やほっぺたをなでるのが、とても好きなんです」
悠仁さまは、秋篠宮さまが40歳のときに生まれた。それだけに姉たちとは違い、悠仁さまの子育てに余裕を持って臨んでいたと思われる。
2013年4月、悠仁さまはお茶の水女子大学附属小学校に入学した。小学校2年生のときの会見で紀子さまは、寒い季節、校庭で子どもたちが元気に遊んでいる。その中に、半袖、半ズボン姿の悠仁さまを見つけて、「頼もしく感じました」と、話したことがある。
小学校3年生のときからは秋篠宮邸の庭でコメ作りを始めた。悠仁さまは、地面の掘り起こしや、畦塗り、田植えなどを手伝ったという。
そもそも水田づくりは、「生き物が集まる環境をつくりたい」との悠仁さまの発案でスタートし、水田にはメダカやヤゴを放し、水路の手入れなども悠仁さまが自分で取り組んだという。
2016年11月に行われた秋篠宮さまの誕生日会見で、同席した紀子さまは、このあたりの事情について次のように紹介している。
「この春には、『今度の休みの日に田植えをするから、9時半ごろに来てね』と、誘ってくれました。当日、9時半ごろ、そこに行きますと長男は準備をして待っていてくれました。(略)『田んぼに、ヤゴがいたよ』と、うれしそうに教えてくれたり、『もうじき稲の収穫時期だから、そのときにまた手伝ってね』と声をかけてくれました(略)」
悠仁さまは、野菜作りにも精を出していた。2014年11月の秋篠宮さまの誕生日会見で、同席した紀子さまはその様子を明かしている。
「(略)今は土壌を整え、種をまいたり、苗を植えたり、水をやったり、雑草を取ったり、このような野菜畑での作業、野菜を育てることから収穫することまで、その一連の過程に積極的に携わるようになってきました。
家族の会話でも、よく今はどのような野菜が実っているか、これからもう少しすると取れるよというような話もあります。例えば、『ちょっと畑に行って野菜を見てこよう』とか、『今度、何の野菜を植えようかなぁ』などと言葉にしながらうれしそうにしています」
御用地内の畑ではニンジンやブロッコリー、トマト、オクラなどを栽培している。自然豊かな赤坂御用地という環境が悠仁さまを、トンボなどの昆虫や植物、稲作、野菜作りなどが大好きなナチュラリストに育て上げたようだ。
「(悠仁さまが)お弁当を友達と一緒に作る機会がありました。授業で学んだ料理やほかにもいろいろな料理を作ってくれることが多くなりました。私たちも素直に、『とってもおいしい』、『これはどうやって作ったのかしら』と話しますと、長男は本当にうれしそうに、この食材とこの調味料を使って作ったんだよと……」
実は、悠仁さまは“料理男子”でもあるのだ。お茶の水女子大学附属小学校6年生の2018年11月に行われた秋篠宮さまの誕生日会見で、同席した紀子さまはこのように紹介している。
また、前述の成年会見では、姉たちと一緒に御料牧場でイチゴを摘み、パフェを作ったエピソードを披露した。トンボに稲作、それに野菜作りと料理自慢、悠仁さまは多彩な顔を持っている。
「日本は本当に各地にさまざまな文化があります。そういうものを若いうちに実際にその場所を訪ねて、そこでそういうものにじかにふれるということは、将来的にも非常に大事なことなのではないかなと思っております」
誕生日会見で秋篠宮さまは、このように述べているが、この考えどおり、悠仁さまはいろいろな場所を旅している。
2015年の7月、小学校3年の夏休みを利用して、秋篠宮ご夫妻と悠仁さまは、山形県を訪れている。鳥海山の麓にある遊佐町の神社で、鎌倉時代のころから伝承される神楽「杉沢比山」を鑑賞した。
神楽終了後、保存会のメンバーが太鼓を使って曲の一節を披露した。秋篠宮さまが太鼓の演奏に挑戦したが、うまくできず、悠仁さまが「そうじゃないよ」と代わって、見事に演奏した。周囲から拍手が起きたという。
小学校5年の夏休みには、紀子さまと一緒に5日間、小笠原諸島を旅行した。小笠原海洋センターでは、水槽で飼育しているウミガメを観察し、野菜を与え、近くの浜辺で、センターの人と一緒に標識をつけた子ガメを放し、子ガメが海に入っていく姿を見送った。また、父島や母島で暮らす人々との交流を楽しんだ。
今年は戦後80年の大きな節目にあたる。7月に悠仁さまは、家族と一緒に原子爆弾投下後の広島市内の惨状などを写した写真展を見学しているが、小学校6年の夏、悠仁さまは自分から希望して紀子さまとともに、被爆地・広島を初めて訪れた。両親は、長男の成長に目を細めた。その年の記者会見で、秋篠宮さまはこう話している。
「本人自身がぜひ広島に行きたいという希望を持って、それで、家内と一緒に行ったわけですね。そのように、かなり自主的に動くということをするようになってきたと思いますし、自分の意見もはっきり言うようになったなという印象は私にもあります」
「人のことを思いやる気持ちというのは、以前よりも増してきたなと思います」
記者会見で秋篠宮さまは、次のようなことを繰り返し述べている。
「長男にはできるだけ日本のさまざまな地域に自分で行ってみて、それでその土地、土地の文化であったりとか、生活の習慣であったりとか、そういうものを実際に見て、そしてその土地の人から話を聞いて、理解を深めてもらいたいなと思っています」
「もちろん機会があれば海外にも行って、そこからまた日本を見るということも大事だと思いますし、日本との違いであったり、また、非常に近い、似ているところであったり、そういう機会も持つことができればいいのではないかと思っております」
日本各地を回り、人々と肌でふれ合う。外国に出かけ、海外から日本を見る。そして、両者の違いに気づき、日本のよさを再発見することがとても大切だ。このように、秋篠宮さまは盛んに息子にすすめている。
2019年4月、悠仁さまはお茶の水女子大学附属中学校に入学したが、その年の8月、夏休みを利用して、秋篠宮ご夫妻とともにブータンを私的に訪問している。悠仁さまにとっては、初めての海外体験だった。
3人は首都ティンプーでワンチュク国王夫妻を表敬訪問した。その後、国立弓技場で悠仁さまと秋篠宮さまは、ブータン式弓術を体験し、悠仁さまは弓を持ち、見事に矢を遠くまで飛ばした。
また、ご一家はラバ(ミュー)に乗って、標高3500メートルの高地に登った。悠仁さまは報道陣に対し、滞在中、楽しかったこととして、「ミューに乗って山に上がったこと」を挙げた。
「木とか草とか、(日本と)すごく似ている感じがします」。このように、悠仁さまは感想を述べている。
2020年、新型コロナウイルスが世界的な規模で感染拡大した。この年4月、悠仁さまはお茶の水女子大学附属中学校2年生に進級したが、学校は2月下旬から6月下旬まで休校、自宅学習となった。
その間、悠仁さまはオンライン授業を受け、読書や自主研究にも取り組んだ。コロナ禍の影響を受けた中学校生活だったが、クラブ活動では卓球部に所属し、大会にも出場した。
2022年2月、宮内庁は、悠仁さまが東京都文京区にある国立の筑波大学附属高等学校の入学試験合格を発表した。
4月、同校に入学した悠仁さまはバドミントン部に入り、トレーニングに励んだ。2023年9月には高校の文化祭「桐陰祭」が開かれ、友達と一緒にたこ焼きやベビーカステラを食べる姿が保護者たちに目撃されている。
関係者によれば、秋篠宮さまは、東京以外の国立大学も視野に入れていた。秋篠宮邸から通学が難しければ、ひとり暮らしでもかまわないという考えで、海外留学の可能性についても否定的ではなかったという。ただ、決して親の意見や希望を悠仁さまに押しつけたりはしなかった。それは、
「大学については本人が一番よく理解している」「本人に任せておけば間違いない」という、悠仁さまに厚い信頼を寄せていたからであろう。
かつて秋篠宮さまがしみじみとこう振り返ったことがあった。
「両親と一緒に暮らすことで、親の姿を見て自然に自分の立ち位置を学ぶことができ、とてもよかったと思います」
きっと、悠仁さまは仕事に打ち込む両親の姿勢から、大切な多くのことを学ぶに違いない。そして、悠仁さまは、成年皇族として大きく羽ばたくであろう。成年式は、そのスタートラインでもある。
特別寄稿/江森敬治