「進化は再現不可能な一度限りの現象なのか? それとも同じような環境条件では同じような適応が繰り返し発生するのか?」
進化生物学者の間で20世紀から大論争を繰り広げられてきた命題をめぐるサイエンスミステリーの傑作、千葉聡『 進化という迷宮 隠れた「調律者」を追え 』が発売されました。
本記事では、〈進化がどう「調律」されるかは、「祖先」の姿形で決まっていた?…進化学者が発見した「驚きの法則」〉に引き続き、殻の姿形の由来などについてくわしく見ていきます。
※本記事は、千葉聡『 進化という迷宮 隠れた「調律者」を追え 』(講談社現代新書)より抜粋・編集したものです。
では殻の姿形の由来を、さらに歴史を遡って追跡してみよう。本土で、例えば雨上がりに、あなたが目にしたカタツムリを思い出してほしい。彼らの殻は、なぜその形なのか。
カタツムリの殻づくりの基本的な仕組みは、その海の祖先を含む軟体動物の長い歴史で受け継がれてきたものだ。殻を持つ現生の軟体動物はすべて、殻形成の開始を遠い祖先から受け継いだ同じ発生プログラムを用いて行い、その下流で作動する殻形成プログラムが外套膜で働いて、軟体動物の多様な殻が生み出されたと考えられている。
殻を巻く──このカタツムリらしさの証も、遠い祖先の巻貝(腹足類)から引き継がれてきたものだろう。なぜならそれは個体発生のいちばん基礎の部分の性質だからだ。私たちのチームが解明した、殻の巻き方を決める分子遺伝学的な仕組みに基づくと、殻が巻くのは、卵細胞を構成する分子(細胞骨格)の物理的性質の反映と考えられる。
こうした基本ツールをカタツムリが共有するのは、その海にいた祖先がカンブリア爆発後の大量絶滅を運よく生き延びたあと、海からの上陸作戦という進化史上最も壮大な旅に耐えたからだ。巻貝は古生代から新生代までの間に繰り返し、少なくとも30回の海からの上陸を果たしている。なお、そのうちの一回は、小笠原で起きたものである。
それゆえ陸貝は、異なる時代に上陸した異なる系統からなっている。巻貝の場合、上陸しても基本的な身体の構造は変化しない。海にいた祖先の特徴を上陸した子孫がほぼそのまま引き継いでいる。上陸の成否を決めたのは、気候や陸上の先住者の有無、海岸部の植生など環境要因だったという。逆に言えば、海産の多くの系統に上陸のチャンスがあり、たまたま丁度良い歴史のタイミングで、干潟など、境界的な環境にいた系統が、陸上環境への適応を経て、上陸したという話になる。
陸貝の最大派閥は、石炭紀に海から上陸一番乗りを果たしたとされる系統(柄眼目)である。またこれは、白亜紀にたまたま全ゲノム重複を起こした結果、幅広い環境に適応し、多様化を遂げたとされる。その繁栄は、こうした幸運の連鎖ゆえであろう。
さて、この幸運な系統のメンバーのうち、カタマイマイ属や本土のオオベソマイマイ族など、私たちが庭や畑や森でよく見かける、大型で平巻きのカタツムリのほとんどが属しているのが、マイマイ上科という系統である。食用のエスカルゴもこの仲間で、非常に多様性の高い系統である。私たちがイメージする”カタツムリ”の姿は、たいていこの仲間だ。分子系統によれば、マイマイ上科は白亜紀に他の系統から分化し、白亜期末の大量絶滅を運良く生き延びて、新生代初頭に爆発的な多様化を遂げた。
系統的制約のため、同じ科や上科に属するカタツムリは、殻の形や大きさの多様性が、おおむね一定の範囲内に収まるので、もしたまたま大量絶滅を生き延びたのが、マイマイ上科など今の主流派ではなく、別の系統だったなら、その後の地球のカタツムリは、ずいぶん違う姿になっただろう。
実は、このパラレルワールドがどんなものかを観察できる「進化のパーツ」がある。第八章のニュージーランドのカタツムリだ。白亜期末にはすでに他の大陸から分離していたニュージーランド(本島)には、マイマイ上科がいない。他の主流派もいない。代わりに幅を利かせているのは、ヌリツヤマイマイ上科のような、ゴンドワナ起源の系統である。
ニュージーランドのカタツムリ相は世界有数の種多様性をもつが、その殻の大きさや形の構成は、ユーラシアや北米のものとは全く異なる。ヌリツヤマイマイ類のような巨大種がいる一方、小型種の比率が著しく高い。また大半の種が極端に扁平な殻を持ち、塔形の種が非常に少ない(第八章)。この特異な形態のパターンは、含まれる上科や科レベルの特徴、つまり系統的制約を反映しており、その生息環境とは関係が薄いという。
このようにマイマイ上科とその殻の特徴が、私たちにとって身近な存在なのは、いくつもの出来事が、たまたまそのように起きたせいなのである。そして彼らの生き方は、かなりの程度まで、祖先から受け継いだ殻の性質に制限されていると考えられる。
ではもし、殻の制限がなかったらどうなるだろう。
小笠原には、胴体(軟体部)だけならカタマイマイ属より大きくなる在来の大型陸貝がいる。いや陸貝と言うより魔物と言ったほうが良いだろう。それはヤマナメクジの一種である。谷沿いのガレ場で、何となく岩をひっくり返していると、岩の裏に禍々しく張り付いた真っ黒なこいつに出くわし、あまりの恐ろしさに思わず絶叫することがある。
幸いカタマイマイ属が高密度で生息する場所には少なく、あまり目にしないですむ。彼らが小笠原に到達したのが比較的新しい時代だったため、ちょうどニュージーランドの先住者のモアと新参者のキウイの関係(第八章)のように、先住者のカタマイマイ属などが占めているニッチ(生息場所)に入れないのかもしれない。逆に考えると、もしこのヤマナメクジの祖先のほうが、たまたま先に小笠原に渡来していたら、ニッチを先取したこいつらが、島中に満ち溢れる忌まわしき事態になっていたかもしれない。
カタツムリが魔物化──ナメクジ化する過程でどのような遺伝的変化が起きたのかは不明である。さまざまな中間段階の殻を持つ”亜ナメクジ”が存在する点から考えて、多数の遺伝子が関わる連続的な進化だった可能性がある。しかし数回の突然変異で殻を失う進化が起きた可能性もゼロではない。人為的な操作で巻貝をナメクジ化できるからである。
淡水に住むリンゴガイ科の一種の胚を、重金属のプラチナイオンにさらすと、殻の形成が阻害され、小さな殻が完全に軟体部の内側に入り込んだ状態になり、見た目がナメクジの状態へと成長する。飼育の条件を変えると、自然界の”亜ナメクジ”とよく似た、中途半端な殻が背中にできる。この人為的なナメクジ化はDNAの変化で生じたものではないが、もし発生初期に起きる一連の殻の発達過程を制御する遺伝子があれば、それらの変化でも同じような現象が引き起こされるかもしれない。
カタツムリのナメクジ化は稀とはいえ複数の系統で独立に繰り返された進化なのに対し、ナメクジのカタツムリ化は起きていない。無くすのは簡単だが、無くしたものをもう一度創り出すのが至難の業なのは、インフラ、科学技術、伝統文化、愛情、信頼などがそうであるのと似ている。そのもうひとつの理由は、そもそもナメクジになると、殻が持つ機能を必要としなくなる可能性があることだ。
オオコウラナメクジ科の一種のゲノム解析で、外部からのダメージ、放射線、水分喪失に対する耐性を高める体表組織、化学成分を持つよう自然選択が作用したことが推定されている。殻が持つ防護の機能を、皮膚がある程度果たせるようになるのだ。これに加えて、殻の制約から脱すれば、殻が持つ機能的なトレードオフの制約からも解放され、運動性が向上し、狭いスペースにも体が収まるので捕食者を回避できるメリットもある。
ところで、カタツムリなら殻に存在する「調律者」は、殻のないナメクジにはいない。いや、”殻が無い”ことに関わっているはずだが、それがどんな役目を果たしているかは分からない。少なくともカタツムリとは違う。そのためナメクジの暮らし方は、殻に暮らし方を制約されたカタツムリとは、全く異なるタイプの多様性を進化させる可能性がある。
ではその多様性とはどのようなものだろう。考えただけでぞっとする問いである。
幸い日本のナメクジの大半はチャコウラナメクジなどの外来生物で、在来種はヤマナメクジなど数種しかいないとされてきた。日本はヨーロッパ等と比べてはるかにナメクジ多様性の乏しい、私のような者にとっては、すこぶる快適な土地なのだ。
だから研究室のとある大学院生が、よりによって日本の在来ナメクジの進化を研究したいと言い出した時には、お前、正気か?と思った。
ところがその学生は、他の学生たちやスタッフや研究室の出身者の協力を得て、日本中からナメクジ試料を集め出した。海洋生物の共生関係を研究していた学生も加勢し、二人で効率的に時間と労力を配分しつつ採集の旅を続けた。彼らは過去に、SNSを駆使して多数の一般市民が参加する市民科学研究を着想して成功させたことがあり、その経験とスキルを使って、多くの協力者から支援を取りつけ、試料を譲り受けた。
私も何度か邪悪な瘴気を発する試料の運び屋を任されたり、研究室で受け取った荷物の箱をうっかり開けて禍々しい中身を見てしまい、そのたびに背筋の凍る恐怖を味わった。
北海道から与那国島に至る日本全国に加え、中国、台湾、韓国、ベトナムなど約200ヵ所から集めた試料を使い、学生は遺伝的な多様性を網羅的に調べあげた。その結果、日本の在来ナメクジは信じがたいほど大きな遺伝的分化を遂げていたことが分かった。遺伝的な差や系統関係に基づくと、驚くべきことに日本のヤマナメクジだけで数10から100種を含むという。一躍日本は、世界有数のナメクジ王国の一つに躍り出てしまったのだ。
よくやった、と顔を引き攣らせつつ褒める以外ないのだが、まさかの展開は進化学ではつき物だ。これだから進化の研究はやめられない。それはともかく、ヤマナメクジ類は日本の生物相の価値を高める尊い自然の宝物だったわけである。ただし進化的に重要な点は正確に何種いるかではない。それは種の定義次第で変わるものだからだ。重要な「進化のパーツ」は、ヤマナメクジ類が数百万年前に分化した多数の固有の系統からなること、そして複数種が共存するにもかかわらず、形や暮らし方ではほとんど分類できないことだ。
個体変異が大きく、同じ種や系統でも色や大きさは場所によってかなり違うが(最大で体長20cm)、落ち葉の上にも石の下にも、木の上にも住んでいる。いずれ解剖学的な特徴の精査が進めば、ある程度形態的な分類が可能になるかもしれないが、色や大きさの著しい多様性にもかかわらず、今のところ遺伝子を使わずに種を区別するのは難しい。
ヤマナメクジ類は小笠原のほか、伊豆諸島、トカラ列島、大東諸島などにも在来種が分布するが、暮らし方や住み場所の分化は見られない。これだけ系統の多様性が高いので、種間で何らかの住み場所の分化は起きているはずだが、少なくともそれは殻の制約を受けるカタツムリの場合とかなり違う。これは、もし小笠原にヤマナメクジが先に辿り着いていたら、どんな進化が起きていたかを仄めかしている。

さらに〈進化学者が無人島で目撃した「進化の現場」…「悪夢のような世界」をつくりだした「魔物の正体」〉では、「進化のパーツ」を探す旅のはじまりを見ていきます。
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