舞妓時代を綴った投稿が話題となった桐貴清羽さん。声援もあったが、大バッシングを受けることとなった(筆者撮影)
【画像15枚】飲酒を強要され、混浴までさせられそうに…当時16歳だった、舞妓時代の桐貴さん
これまでにないジャンルに根を張って、長年自営で生活している人や組織を経営している人がいる。「会社員ではない」彼ら彼女らはどのように生計を立てているのか。自分で敷いたレールの上にあるマネタイズ方法が知りたい。特殊分野で自営を続けるライター・村田らむが神髄を紡ぐ連載の第118回(前編はこちら)。
舞妓姿で、様々な場所に行って、客の相手をする場合も多い。

「料亭はもちろん、ホテルのラウンジ、バー、スナック、キャバクラ、高級クラブにも行きます。
お客様と一緒にご飯を食べて、そのまま飲みに行ったり、旅行に同行することもあります。舞妓の格好のまま、新幹線に乗って東京に行ったこともあります。
六本木、銀座、浅草、いろんなところを歩きました。一緒に温泉に行ったりもします。少し前まで中学生だった子と、温泉旅行に行くなんてありえないですね」
旅行中は常に舞妓を演じなければならない。舞妓は“子供”を象徴している。うぶで健気でなければならない。
「スカイツリーを見たら、“まぁ、あれがスカイツリーどすか?”みたいに、可愛らしく、子どもっぽく、無垢な女の子を演じ続けないといけない。
これが思ったよりつらかったです。舞台で役を演じてましたけど、舞台を降りたら素に戻れる。舞妓はずっとです。お風呂と寝ているとき以外は自分でいちゃいけないって言われていました」
【画像15枚】飲酒を強要され、混浴までさせられそうに…当時16歳だった、舞妓時代の桐貴さん
素の自分を押し隠し続けるのはとてもストレスだったという。
「特に人間関係ですね。とにかく“本音”を言えない。罪を押し付けられても『すいません』って謝るしかない。『私じゃありません』なんて言おうものなら、『カラスは白いって言われたら白いって言いなさい』って叱られます」
舞妓の世界には、厳格な上下関係がある。姉さん(先輩)、お母さん(店主)、お客さんには、絶対服従をしなければならない。
「“誰よりも先に誰に挨拶するか”とか、“どのお茶屋が上か”とか、“誰と誰が仲が悪いか”まで全部覚えます。
間違えたら、見せしめみたいにみんなの前で怒鳴られます。『しきたり』とか『伝統』って言葉で包んで正当化してますけど、イジメです。
舞妓さんはみんなニコニコしてますけど、みんな失敗を恐れ、噂が広がることを恐れ、ビクビク生きていると思います」
お酒を飲む量は多いし、一日長くて4時間しか眠れなかった。体調を崩すこともあるし、記憶も飛んだ。物を壊したり、忘れ物をしたりしてまた怒られた。
そんな中、楽しかったのは食べることだったという。ただ、そんな息抜きの食事も苦痛になる場合はあった。
「若いからたくさん食べられるでしょって、食事を次々に出されることも多いです。残すと『可愛くない子』って言われるから、無理してでも全部食べます。でも太ったら怒られますから、結局吐くしかありません」
桐貴さんは未成年で舞妓になった。親子ほど年齢が離れているお客さんからセクハラされることはなかったのだろうか?
「めちゃくちゃありました。タクシーに乗ったら手を握ってこようとするし、エレベーターに乗ったらキスしてこようとする。裾に手を突っ込んでくる人も、足を触ってくる人もたくさんいます。
白粉塗ってるからダメですよっていうのに、それを崩してまで触ってくる。舞妓は『純粋で無垢で何も知らない子供』のはずなのに何故か性的な対象にはなるみたいです」
舞妓の奉公期間を過ぎれば、芸妓にステップアップする。そこからは仕事を自分で選べるようになるし、一人暮らしもできるようになる。
しかし芸妓になるには自分で新しい着物を作らなければならないし、1つ100万円以上するかつらを2つ買わなければならない。
つまり金がかかる。そのために借金をする人も少なくない。
「つまり、一度入ったら抜け出せないシステムなんです。辞めようとすると“違約金”の話を出されます。ちゃんとした契約書を交わしていなくても、下手したら数千万円請求されます。
精神的に追い詰められて病んでいく子も多かったですよ。最初は夢いっぱいで入ってきて明るかった子がどんどん無口になって鬱っぽくなっていく。自殺未遂をする子もいました」
桐貴さんは結果的に1年弱で舞妓を辞めている。辞められないシステムの中、どうやって辞められたのだろうか?
「私は、“辞めさせられる”ように仕向けました。反抗的な態度を取って、“こんな子は置いておけない”って思われるようにしました」
そんなことをしたらただでは済まない。怒鳴られ、物を投げられ、
「芸の世界に向いていない! 根性がない!」
と怒鳴られた。
「最後に、お母さん(置屋の女将)に向かって怒鳴ってしまって。それは絶対にNGな行為なので、辞めさせられました。つまりやっと辞めることができました」
元芸妓の姉さんが東京の銀座でクラブのママをしていた。
「うちで働かない?」
と誘われて、東京に行った。
「舞妓は辞めたけれど、まだ習性が残っていて。声をかけてもらってもちろん嬉しい気持ちもあったんですけど、姉さんの言うことは断れなかったんですよ。
小学生のときに被害にあった思い出もあるから、東京に来るのは怖かったですね。加害者はもう出所しているから
『見つかったらどうしよう……』
って不安でした。でも銀座で働くのは良かったですね。舞妓と違って、対等に接してもらえる。ホステスは自分の意見も言えるし、飲まなくてもいい。自由でした」
「舞妓だった頃から東京から来るお客さんは優しかったんですよね。京都のお客さんは、『江戸の野蛮人が』って馬鹿にしてましたけど」
その後、コロナ禍が始まる少し前に銀座のクラブで働いていた同僚と結婚した。
「落ち着いた生活をしようと思っていたんですけど、実際には8カ月で離婚しました。その頃にはもう子供を授かっていて、21歳で出産しました」
そして、その頃例の16歳で酒を浴びるように飲まされ、混浴を強いられそうになったという舞妓の世界の闇を暴く投稿した。投稿はバズりにバズった。
「『2000いいね』くらいつけばいいなという気持ちだったんですけど、一気に拡散されて。炎上のような状態になってしまいました」
かなり攻撃もされたと言う。
「怖かったですね。政治家も大企業の社長もお坊さんも、みんな見てた世界の話ですから。“消されるかもしれない”とも思いました。
元お客さんだと思われる人からの攻撃もありましたよ。裏垢で女性っぽく振る舞ったりしてるんですけど、文章を読んだら大体誰かわかっちゃうんですよね」
怖かったが、桐貴さんは引き下がらなかった。
「批判もされましたけど、もちろん同調してくれる人もいました。“私も同じ目にあった”という声もたくさん届きました」
桐貴さんの発言から、舞妓の世界は変わったのだろうか?
「少しは変わったと思います。以前は舞妓の勤務時間が夜中の1時までだったけど、今は10時までになったって聞きました。あと、バーで接客するのはダメってルールもできたみたいです。ただ根っこの部分は変わっていないでしょうね。見た目を変えただけですね」
このSNSの騒動を経て、桐貴さんも変わったのだろうか?
「今はXやnoteで記事を書いたりしています。元々表現することが好きだったから、何かを作る側、表現する側に関わりたいと思っています。 みんなに
“逃げてもいいよ”
って伝えたいですね。それができなくて私自身傷ついたし、傷ついた人もたくさん見てきたから」
人よりもかなり濃い人生経験をした桐貴さんだが、年齢はまだ20代半ば。これからの活躍に期待したい。
【前編】「16歳で飲酒強要」「混浴も強いられそうに…」と告白して大バッシングされた元舞妓。25歳の現在、彼女が語る本音 では、桐貴さんの生い立ちや、舞妓時代の話を詳しくお伝えしている。
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(村田 らむ : ライター、漫画家、カメラマン、イラストレーター)