長寿化が進む現代の日本において、介護はもはや一部の人だけの問題ではありません。誰にとっても明日の自分ごとになり得る時代です。「自分に介護が必要になったら、ある程度は子どもに面倒を見てもらいたい。家族だから、それが自然だと思っている」–そう考える人もいるかもしれません。しかし、頼りすぎれば共倒れという厳しい現実が待っています。今回は、一人娘に頼って介護生活を続けてきた高齢の父親の事例を通して、親子の介護問題について考えていきます。
「お父さん、正直、もう無理だよ」……娘の言葉を聞いて、Aさん(78歳)は呆然としたといいます。
10年前に妻を亡くしたAさん。独居暮らしをしていましたが、家事も不慣れなAさんを心配して、一人娘(当時39歳)が実家に戻ってきました。未婚だったこともあり、Aさんの力になりたいと、一緒に暮らすようになったのです。
Aさんは年金暮らし、娘は地元企業の事務員として勤務。父と娘、二人暮らしがスタートしました。子どものころから娘のことを可愛がってきたというAさん。娘との二人暮らしは不思議な感じがしたものの、頼れる家族がいることを喜んだといいます。
そんな日常が崩れたのは、Aさんが72歳の冬。自宅の玄関先で転倒し、右足の大腿骨を骨折。入院・リハビリを余儀なくされました。退院できたものの、歩行に杖が必要になり、階段の昇降や入浴の際には支えがないと不安定な状態に。食事の準備や洗濯といった家事も難しくなり、娘が仕事の合間に世話を焼く日々が始まりました。
3ヵ月後、区の地域包括支援センターを通じて要介護認定を申請すると、結果は「要介護2」。これを受け、訪問介護サービスやデイサービスの利用も検討しましたが、Aさんは「娘がいるし、何かあっても助けてくれる。わざわざ知らない人に迷惑をかける必要なんてない」と拒んだといいます。

Aさんにとって、娘は頼れる存在でした。「かわいい娘のために、自分はすべてを捧げてきた。その恩返しとして介護をしてくれるのは当然」。そんな気持ちも、どこかにあったといいます。
一方の娘は、父の介護のために長く勤めたフルタイムの事務職を辞め、週4日・残業なしのパート勤務に変更。急な休みも取りやすくするための決断でした。
Aさんの年金は月15万円。貯蓄は1,000万円ほどありましたが、バリアフリーのリフォーム費用や介護用品などで徐々に減少していきました。先行きの不安から、娘は外出も控えがちになり、友人と会う機会も激減。「父の世話をしなければ」「お金を無駄遣いしてはいけない」と、自らの人生を切り詰めるような生活が続きました。
そんなある日、お風呂の介助中にAさんが転倒しそうになり、「ちゃんと支えてくれ!」と語気を強めた時に、思わず口をついたのが、「もう無理」という言葉だったのです。
Aさんは、「可愛い娘のためにできることは全部してきた。だから老後の介護は返してもらうのが当たり前」――そんな思いが心のどこかにあったといいます。しかし、娘の疲れた表情と声に、深く反省させられました。
どれほど優しい娘であっても限界はある。悩みながら、必死に支えてくれていたことが伝わったのです。
その証拠に、娘はその後で「私が介護するから大丈夫、さっきの言葉は忘れて」。そうフォローしてくれました。それを聞いて思わず涙したというAさん。
Aさんはようやく現実を受け止め、公的な介護サービスを使うことを決意。年齢と共に身体の不自由さが増し、要介護3に上がったこともあり、最終的には近隣の施設への入居が決まりました。
その後、娘はフルタイムの仕事に復帰。会社帰りや休日には面会に来てくれるといいます。介護が終わったわけではありませんが、それぞれが自立した生活を送れるスタイルに変化したのです。

今、日本では介護が「誰かの問題」ではなく、自分ごととして差し迫る時代に突入しています。
厚生労働省のデータによると、公的介護保険制度における要支援・要介護認定者数は2021年度末時点で約690万人。2000年度には約256万人だったため、20年余りで倍増したことに。高齢化が進む中で、こうした増加は今後も続くと見込まれています。
さらに、介護が家族の暮らしや仕事に与える影響も深刻です。厚労省の「雇用動向調査」によれば、2023年に個人的な事情で仕事を辞めた人は約592万人。そのうち、介護や看護を理由にした離職者は約7万3,000人に上っています。
また、生命保険文化センターの調査によれば、介護期間は平均5年1ヵ月。介護は一時的な物ではなく、長く続くこともめずらしくありません。介護する側の心身の疲労、キャリアや収入の中断など、介護は家族に重くのしかかる課題です。
「家族だから、子どもに介護してもらって当然」という考えは、本人だけでなく家族をも苦しめます。介護サービスの活用、公的支援の相談、第三者の力を借りることは甘えではなく、責任ある選択です。
介護が「地獄」にならないよう、誰もが安心して老後を迎えられる社会のために、今から準備と理解が求められています。