2025年1月、厚生労働省は企業に対し「熱中症対策の強化」を義務化する。6月1日に「改正労働安全衛生規則」が施行され、熱中症の重篤化を防止するため、「体制整備」、「手順作成」、「関係者への周知」が事業者に義務付けられるのだ。
その背景には、4月の時点で最高気温が25度以上の夏日が観測され、2025年もすでに全国で数人が熱中症で搬送されているという状況がある。気象庁によると、5月も夏日が続くと予想されている。
2024年は、全国各地で猛暑日最多記録を更新し、2023年と並び「過去最も暑い夏」になった。5月から9月にかけての熱中症による救急搬送患者は9万7578人で、2008年の調査開始以降「最も多い搬送人員数」を記録した。死亡者は120名、重症者(3週間以上の入院)は2178名と被害は深刻だ。
高齢者だけでなく成人(18歳以上65歳未満)の熱中症も多く、全体の33.0%を占める。若くて健康な人でも条件が揃えば「誰でもかかる病気」熱中症。しかし、正しい知識と備えさえあれば防ぐことはできる。
そこで、2024年夏に公開した、熱中症で命の危機を感じたという35歳の女性に取材をした記事を再編集してお届けする。彼女の体験を元に、前・帝京大学医学部附属病院 高度救命救急センター センター長 三宅康史医師が、勘違いしやすい「熱中症になった背景」と「熱中症の症状」について伝える。
●三宅康史
前・帝京大学医学部附属病院高度救命救急センター センター長。2022年より、一般社団法人 臨床教育開発推進機構 理事を務めている。
専門分野は救急医学、集中治療医学、脳神経外科、外傷学、災害医学、医学教育。編著に『医療者のための熱中症対策Q&A』『現場で使う!! 熱中症ポケットマニュアル』などがあり、日本救急医学会「熱中症に関する委員会」委員長を務めたこともある。
35歳の久美子さん(仮名)は、2022年9月に熱中症で救急搬送された。当時、離婚から半年が過ぎた頃で、仕事や遊びに夢中になっていた最中だったという。
「結婚していた2年間は、夫の束縛が激しくて、家賃や電気代の心配をする生活でした。やはり自由には変え難い。正直、その時期は服役しているような状態だったので、一人暮らしが始まってからは毎日が天国でした」
仕事もすぐに見つかった。ベンチャーのWeb制作会社の正社員になった。15人いる社員の平均年齢は30歳、家族のような関係の居心地の良さは現在も続いているという。
「年下の社長は大手IT会社を辞めて会社を立ち上げたやり手。私は制作現場の進行管理担当だったのですが、見ようみまねでデザインをいじったり、動画の編集などの仕事をやるようになりました」
充実した仕事を続け、季節はあっという間に夏になる。週末に社員同士で海に行ったり、花火大会に出かけたりと、充実していた。
「疲れを感じても、行きたいという気持ちがあるから、“イエーィ!”って感じで出ていく。それまで、学校では陰キャだったし短大を出て結婚するまでは非正規雇用でどこにも居場所がなかった。そんな30代の私が20代半ばの同僚と“仲間”になって、遊びに行くのが楽しくて仕方がなかったんです。でも無理があったんですよね」
休むよりも遊びたいという気持ちが先に出続ける日々の先に熱中症はあった。久美子さんは担当しているイベントの仕事の最中に倒れたのだ。
「私は受付をしていたのですが、突然、体がだるくなって、頭が痛くなって目眩がして、その場にうずくまってしまった。疲れが出たのかもしれないと、バックヤードでしばらく休んでいたのですが症状がおさまらずそのままタクシーで帰宅しました。屋外にいましたが、さほど暑さを感じないので、その時は熱中症だとは思わなかったんです。水はほとんど飲んでいませんでした」
長年熱中症と対峙してきた三宅康史医師は、「倦怠感、頭痛、吐き気、消化管の症状、手足の痺れ(末梢神経障害や血行障害など)は熱中症のメジャーな症状です」という。
「熱中症は主に2つの要因が重なって起こります。一つは体が脱水状態になること。もう一つは体の深部体温が上がり、臓器や脳の機能が低下することです。人間の体は内臓の働きを守るため、中心部が37℃程度に保たれています。この温度が高いほど熱中症が重篤化する傾向が高くなります。熱中症の重症患者には、人工的に血液中の余分な水分や老廃物を取り除く人工透析をしたり、血液を入れ替える血漿交換、最悪の場合には肝移植をするケースもあります」(三宅医師)
久美子さんのような場合は、「蓄積型」が疑われると言う。
「日中の外出、エアコンがない空間で時間を過ごすことを繰り返していると、熱が体を蝕みます。夜も暑いと、なかなか眠れず睡眠不足になりますよね。すると 臓器の疲労(ダメージ)が蓄積していき、気付かないうちに機能低下が進んでしまう 。そして、身体が耐えられなくなって倒れてしまうのです」
この蓄積型には高齢者が多く、死亡率が高いのも特徴の一つだ。
「高齢者の方の死亡率が高い理由は、暑さに気付きにくいために長い間暑い環境にいてしまうことや持病があること以外に、二つあります。一つは暑さで体が弱っているから。そして、もう一つは一人暮らしで発見が遅れるから。社会との関わりが少ないほど、発見が遅れる危険があります」
単身世帯の数は増え続けている。2024年4月発表した、国立社会保障・人口問題研究所は『日本の世帯数の将来推計(全国推計)』(令和6(2024)年推計)では、単身世帯の数は、1980年に19.8%だったが、2020年に38%になった。2050年には44.3%に達すると予想している。
仕事中に熱中症で倒れた久美子さんも「多分、一人だったら死んでいた」と振り返る。めまいと吐き気で倒れたイベント会場から帰宅した後も、体に力が入らず横になっていたという。
「家に帰宅し、冷たい水を飲んだら、ものすごい吐き気がおそってきて、一気に嘔吐。立てなくなりました。その後、水をちびちび飲んでも、舌が口の外に勝手に伸びて、吐き出してしまうような感じ。あれは苦しかったです。頭も割れるように痛くなり、寒気がおそってきました」
そんな状態になっても、最初は救急車は呼ばなかったという。「若くて元気な私が救急車を使ってしまったことにより、他の人が搬送できなくなったら困る」と本気で思っていたという。
やがて視界が狭くなり、吐き気も激しくなってくる。寒いのでエアコンを止めたが、歯がガチガチいうほどの寒くなったという。
「自分でも“これはあかんやつ”と思ったんですが、どうしていいかわからなくなる。あまりにも辛くて、コロナか内臓系の病気かと思いました。結局、後で熱中症だとわかるんですが、思い込んでいた症状と、実際に発症してみると全然違うということを学びました」
吐き気が止まらず、寒気が起こり、視野が狭くなり、頭痛が激しくなる。
「水をちびっと飲み、吐くを繰り返していたら、ドアがドンドンと叩かれ、“姐さん、入るよ”と会社の女性の同僚が入ってきた。涙を流しながら口からよだれを垂らし、横になっている私の様子を見て、すぐに救急車を呼んでくれました」
このあと久美子さんは同僚が呼んでくれた救急車で救急搬送されたのち、実際は「熱中症」という診断を受けたのだった。
久美子さんの体験から見た「熱中症」診断
【原因と思われること】
〇日中の外出、エアコンがない空間で時間を過ごすことを繰り返していた(そこまで暑くないので大丈夫と思っていた)
〇イベント仕事中、水を飲んでいなかった
【症状】
〇倦怠感
〇頭痛
〇吐き気
〇消化管の症状
〇手足の痺れ(末梢神経障害や血行障害など)
◇楽しくテンション高く遊んだり仕事をしていたのに熱中症になる。その現実を久美子さんの症例は教えてくれる。「この程度で熱中症になりうるのか」と思わず、原因につながることを認識することがとても重要なのだ。
【後編】「脳」は熱に弱い…涙とよだれを垂らして入院・熱中症で倒れた35歳女性が知った“後遺症”