東京に移住するにあたって、とにかく大変だったのが「家探し」だという(写真:今井康一撮影)
老後の移住というと、リタイア後に都市から地方へ移住するイメージが強いですが、近年、子供のいる東京に地方から移住する人がじわりと増えています(内閣府経済社会総合研究所『高齢者の居住地移動の特徴と変化』より)。
ただ、年を重ねてから初めて東京に住むとなると、子供のそばで暮らせる安心感がある一方、生活に適応できるかといった不安や、住み慣れた街を離れる寂しさなどが立ちはだかり、なかなか決断できるものではありません。
そこで本連載では、その“勇気ある決断”をした経験者たち(もしくはその子)の話を聞き、移住を考えている人の参考になるお話をお届けします。
初回となる今回は、大分から東京に移住を果たした大井さん夫妻と娘さんにお話を聞いた。
(この記事は後編です。前編『62歳で大分から「東京移住」夫婦が決断した理由』)
大分県から東京に移住することを決め、本格的な準備を始めた大井夫妻。だが、移住するまでにはさまざまな問題が浮かび上がった。まず移住に際しての課題となるのが、現在住んでいる家の処分である。大井春美さんが経緯を説明する。
「大分市の家は、土地と建物で300万くらいかと思っていましたが、Uターンを考えている人の目に留まり、結局1150万円で売れました。築32年ほどでしたが、私も妻もリフォームが好きで日頃から家を手入れしていたのが良かったようです。しかも売りに出してから1カ月もしないうちに売れました」
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売るのが思いのほかスムーズだったため、家の片付けも極めて順調だった。
大分の家は4LDKで広さが80屬曚鼻E豕では家賃を考えると2LDKくらいの物件を探すことになり、スペースは相当小さくなる。だが、夫妻は「断捨離」が得意だったことに加え、春美さんはもともと運送業を営んでいたため家具の処分や運搬はお手の物。保有する軽トラで自らゴミ処分場にどんどん運び、結局引っ越し荷物は2トントラック1台分くらいにおさまった。
引っ越しトラックに荷物を載せているところ(写真:大井あゆみさん提供)
しかし、家や家財の処分よりも遙かに大変だったのが、東京での家探しだった。
あゆみさんが住んでいた東京都中野区の周辺をあたったが、夫妻の年齢がネックになって十数件は断られた。当初は反応が良さそうな物件でも、あゆみさんが「両親が住みます」と伝えた途端、不動産業者の方から怪訝な顔をされた。
「病気の両親を東京に呼び寄せると思われたようです。ほとんどの物件へ入居断られたことには、衝撃を受けました。入居者が途中で亡くなる、いわゆる『事故物件化』することを懸念していたのだと思います。シニアが実家じまいして賃貸に移り住むケースが少ないのは、こういう点が背景にあると思います」(あゆみさん)
最終的には、夫妻の移住先は中野区内に決まった。大家さんの人柄もよく、大井さん一家も信用してもらえたという。ただ、そうした契約に至ったケースでも契約はあゆみさん名義とし、保証人は弟さん、住むのが両親という形を取った。
春美さんは言う。「シニアが東京で家を見つけるのはとても大変だとわかりました。東京でも働こうと思っていましたが、家が決まらないと職を探すこともできない」
春美さんは当初東京でガードマンの仕事などに就こうと考えていたが、あゆみさんが個人でやっていた編集プロダクションの事業を法人化することになったため、2人も従業員として働くことになった。
現在も父が経理など、母は文章の校正やテープ起こしなど編集の補助的業務を在宅でやっている。
インタビュー中も大井さん一家の仲の良さが伝わってくる(写真:今井康一撮影)
東京移住のメリットは、意外にも健康面にもあるという。
「東京に来てからはかなり歩くようになりました。大分でゴミ出しすら車でしたが、東京では病院も役所も買い物もほぼ徒歩圏内にあります。美術館や博物館、歴史的スポットなど行きたいところがあちこちにあり、いろいろ回るのも楽しい。電車に乗り遅れてもすぐに来るのも便利ですね」(絹子さん)
「歩くようになったことに加え、今は歯医者にも健康診断にも行くようになった。これまでは痛まないと行くことはなかったので、東京に来てからの方が健康です」(春美さん)
さらに、健康面で移住してよかったと思える出来事が昨年起きた。絹子さんの入院だ。
あゆみさんがそのときのことを振り返る。
「2024年に母がコロナにかかり、症状が重く入院することになりました。近くに大きな病院があったので無事治療もできました。このコロナのときほど、家族が近くにいてよかったと思ったことはありません。やはり近くにいると日々の状況が分かり、サポートしやすいことは安心にもつながりました」
インタビューに答える春美さん(左)と絹子さん(右)(写真:今井康一撮影)
東京移住後はほぼ理想的な生活が送れている大井さん一家だが、東京での暮らしで戸惑ったこともあった。
「今までマンションに住んだことがありませんでしたが、声が大きいと上の階の住民に苦情を言われたことには戸惑いました。
私たちは2人ともおしゃべりなので普通に話しているつもりでも、うるさいと感じたようです。あとは、田舎の感覚で夏は窓を開けっぱなしだったのもよくなかったのかもしれません。
大家さんは私たちに問題があるとは考えず理解してくれましたが、掃除や洗濯の時間を気にして過ごす生活になりました」(絹子さん)
また、気を遣う相手は他人だけではない。仲のいい大井家であっても、あゆみさん・弟さんそれぞれの家庭との距離感はつねに難しい問題である。
あゆみさんは夫と2人ぐらしで、夫と大井さん夫妻との関係は良好だ。それでも、家庭によって価値観が異なる部分があるのは避けられない。
「板挟みというほどではないけれど、うちにはうちのライフスタイルがあるので、なんでも一緒というわけにはいかない。弟にも家族がいますし、会う頻度や孫の教育方針など適度な距離感は必要だと思います」(あゆみさん)
絹子さんも同様の思いがある。「以前、弟が留守中に家の前を通ったとき、玄関先を勝手に掃除してしまったことがあったのですが、そのときは怒られました。いくら仲がよくても、一定の距離感は必要だと気づきました。息子には『もう少し頼ってくれても』と思いもしますが、息子家族の考えを尊重するようにしています」
大井夫妻は2021年、あゆみさんが夫の仕事の都合で東京都から神奈川県川崎市に引っ越すのにあわせ、夫妻も同じ駅に引っ越した。
「中野区には結局4年ほど住みました。中野の家は2LDK、60屬らいでしたが、川崎の家は2LDK、50屬らいです。家は狭くなりましたが、今も定期的に模様替えなどして住みやすいようにしています」(春美さん)夫妻の家とあゆみさんの家は直線距離で200メートルほど。弟家族も同じタイミングでたまたま隣の駅に引っ越すことになり、大井さん一家の距離はより縮まることとなった。
大井さん一家が東京に移住してもうすぐ8年。
今まで元気で過ごしてきた春美さん、絹子さんとも2025年には70歳の節目の年齢となり、いよいよ身体にも不安を感じがちな年代に入る。
あゆみさんは両親の介護についてどのように考えているのだろうか。
「2人とも今は元気ですが、これから突然何が起きるかわかりません。いつから始まるのか、どっちから始まるのかわかりませんが、今はまず生命保険の内容を教えてもらうことなどから始めています。離れていると、いきなりその話はしにくいですが、普段の会話の中でこうしたことを確認できるのも近くにいる利点です」(あゆみさん)
春美さん、絹子さんも先のことを十分に見据えている。
「施設のことを調べたり、もっと先の埋葬方法を調べたり。わたしたちは樹木葬や散骨でもいいと思っているのですが、子供と前もってそういう話ができるのがとてもいいと思っています」(絹子さん)
とはいえ、まだまだ元気な2人。楽しめるうちに楽しい時間を過ごそうと決めている。
3月下旬には大谷翔平選手、山本由伸選手、佐々木朗希選手が所属するメジャーリーグ、ドジャースの日本での開幕戦に家族で行くことになっている。野球好きの春美さんは大喜びだといい、あゆみさんは「大きな親孝行ができます」と笑顔をみせる。
仲睦まじい大井一家の姿からは、高齢者の暮らし、家族の関係における新たなかたちが浮かび上がってきた。
(岩崎 貴行 : ジャーナリスト・文筆家)