今年1月、宮城県石巻市の成人式の会場前で、振袖を着た女性を描いた絵があった。紺と白の振袖で、その表情は微笑んでいる。
東日本大震災で亡くなった佐藤愛梨ちゃん(当時6歳)が20歳になった姿を想像して、愛知県の画家が描いた。
愛梨ちゃんは生きていれば、今年の成人式に出るはずだった。(ライター・渋井哲也)
「せめて絵の中だけでも、愛梨と会いたいと思っていました。成人式の当日に届けてくれたんです。会場では、幼稚園のときの同級生が一緒に写真を撮ってくれて、泣きそうになりました」(愛梨ちゃんの母、美香さん)
14年前の2011年3月11日、愛梨ちゃんが通っていた私立「日和幼稚園」の送迎バスが津波に巻き込まれた。
日和幼稚園は、日和山(61.3メートル)の中腹にあった。地震発生時、園内に待機するか、避難するとしても日和山の山頂へ向かっていれば・・・。しかし、津波警報が出ている中、送迎バスは園児を乗せて海側に向かった。
バスは津波に津波に襲われて横転。九死に一生を得て運転手は園に戻ってきたが、その後、園による救助活動はおこなわれず、愛梨ちゃんを含む園児5人と添乗員(運転手の妻)が、その後に発生した火災で亡くなった。
毎年3月11日、美香さんの過ごし方は決まっている。午前中は、愛梨ちゃんの友だちが家に来て、午後は寺に行く。
「お寺では、愛梨に宛てた手紙を預けて、お炊き上げをしてもらいます。
毎年、手紙を書いていますが、(取材時点では)今年はまだ書いていません。成人式があったので、そのことを書こうと思います。
ただ、亡くなった当時6歳の娘に宛てるのか、生きて過ごしていた場合の年齢の娘に宛てるのか、いつも葛藤します。
だいたい近況報告を書いていますが、漢字が入ったら、必ずふりがなも書くようにしています。もし6歳の娘だったら読めませんから」(美香さん)
東日本大震災の発生時刻である14時46分には、寺を離れるという。
「お寺では、その時間にお経をあげることになっていますが、日和幼稚園で亡くなった子どもたちの慰霊碑ができてからは、私はそちらで過ごすようにしています」(美香さん)
日和幼稚園の遺族有志は、震災から8年経つ前日の2019年3月10日、慰霊碑完成の除幕式をおこなった。
場所は、被災現場の近くである石巻市門脇町の沿岸から50メートルほど離れている。復興計画のために、被災現場に建てることが難しくなったためだ。
慰霊碑に賛同した遺族が、亡くなった園児の名前を入れた詩を作り、刻んでいる。
あの日、地震が発生したあと津波が来るかもしれないという中で、幼稚園の送迎バスは海側に向かって出発。途中、複数の園児を降ろした。
避難のために「バスを上げろ」(バスを戻すの意味)という園長の指示を受けた幼稚園の教諭2人が、門脇小学校近くで停車していたバスに追いついた。教諭たちは運転手に指示は伝えたが、バスは園児を乗せたまま発進した。
一方、このとき、指定避難場所だった市立門脇小学校の児童約230人は、一次避難した校庭から日和山に避難していた。日ごろの避難訓練通りだった。小学校に避難してきた地域住民も多かったが、職員が避難誘導した。
しかし、津波警報が発令される中で、避難する多くの人たちに逆行するように、運転手は海側に向かい、そして津波に襲われた。横転したバスに園児5人と添乗員が残されたが、園による救助活動はされず、数時間後の火災によって、命が奪われた。
愛梨ちゃんの遺体は、3日後の3月14日に見つかった。送迎バスが転がり、その近くの瓦礫の下に3人の園児が抱き合うように倒れていた。
愛梨ちゃんの遺体は下半身とひじから先がなかった。ただ、朝に美香さんが着せた白いジャンパーの切れ端が残っていた。
「被災現場から少し移動させたのですが、愛梨は崩れてしまいそうでした。だから、抱きしめることができませんでした」(美香さん)
避難をめぐって、遺族は、園を運営する法人を相手に裁判を起こした。仙台地裁は、安全配慮義務違反や使用者責任による不法行為を認めて、園に損害賠償の支払いを命じた。
園側は控訴したが、仙台高裁は、遺族と園との和解を成立させた。和解文には、次のような前文がついていた。
「当裁判所は、私立日和幼稚園側が被災園児らの死亡について、地裁判決で認められた内容の法的責任を負うことは免れ難いと考える。
被災園児らの尊い命が失われ、両親や家族に筆舌に尽くし難い深い悲しみを与えたことに思いを致し、この重大な結果を風化させてはならない。
今後このような悲劇が二度と繰り返されることのないよう、被災園児らの犠牲が教訓として長く記憶にとどめられ、後世の防災対策に生かされるべきだと考える」
こうした和解でありながらも、その後の園の対応について、佐藤さんは今でも納得がいっていない。
「園側は一度も遺族に対して謝罪をしていないんです。謝罪がほしかったです。今から考えれば、最高裁まで戦っていればよかったと思うほどです。
和解後、市内で偶然、理事長に遭ったことがありました。そのとき、子どもたちへの謝罪をどうするのかを聞いたんです。
すると、理事長は『謝罪する気はありません』と答えたんです。『裁判も終わりましたし、やることをやっているんです。高野山に行っているんです』と言っていました。
頭が真っ白になり、謝罪を求めても無理だと思いました。和解したのは、裁判を終わらせたいだけだったんだと。あの裁判はなんだったのかと思ってしまいます」(美香さん)
愛梨ちゃんたち園児たちが亡くなったことを教訓として、美香さんは、災害時の幼稚園・保育園の子どもたちの安全を守るための活動を宮城県多賀城市で続けている。
「多賀城市は、県内でも積極的に取り組んでいるほうだと思います。保育園、幼稚園での犠牲はなかったのに、子どもたちを守ろうとする意識が強いです。
園の避難訓練を手伝っていますが、本番前には、事前に避難ルートを教えてもらって下見をします。危険な場所がないかをチェックするんです。
防災士の資格を持っている人が多い郵便局員にも参加してもらうことがあります。園の先生たちも実際に怖いんです。いざとなったら、自分たちだけで逃さないといけないから」
避難訓練では、避難先に段ボールベッドを用意して、実際に組み立てるという。さらに簡易トイレも用意したり、非常食も食べてみたりする。
「ここまでやっている行政はなかなかないと思います。子どもたちを中心におくことで、こうした避難訓練も広がっています。全国にも波及してほしいです」