戦後、遠い異国の地で強制労働など過酷な生活を強いられた海外抑留者たち。そんな先人たちの引き揚げに際し、66万人以上を迎え入れた歴史を持つのが、京都・舞鶴市だ。2月12日、この地を将来の天皇でおられる悠仁さまが訪れた。
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「すでに筑波大学に合格されている悠仁さまは、この日は授業がなく、高校の“受験休み”を利用して、以前から申し出のあった舞鶴市を訪問されました。今年は戦後80年で、そうした節目も意識して戦争に関連する場所を選ばれたのでしょう」(皇室記者)
悠仁さまの単独での地方訪問は2度目。舞鶴では、引き揚げの歴史や資料を展示する記念館、復元された引き揚げ船用の桟橋をご覧になった。
「記念館は『史実の継承』に力を入れており、悠仁さまと同世代の学生が『引き揚げの歴史』の語り部を務めています。悠仁さまは彼らの説明に熱心に耳を傾けていました。また、桟橋をご覧になりながら、高齢の市民から実際に引き揚げ船を迎えたときの様子を聞いて、何度もうなずかれるお姿も印象的でした」(前出・皇室記者)
これまでも先の大戦の歴史に向き合ってこられた悠仁さま。ただ、関係者からは、今回のご訪問のタイミングに疑問の声も漏れる。
「宮内庁は悠仁さまが筑波大学に合格されたと発表した際は、“まだ受験を控えている人たちがいるので、受験生の動揺を誘わないようにしたかった”と仕方なく発表したことを強調して説明していました。しかし、それを言うならいまこそまさに受験シーズン真っ只中。『休みなのに何もやっていない』という批判の声が起きることを気にしたのでしょうが、同級生たちはどう受け止めたのでしょうか……」(宮内庁関係者)
そんな悠仁さまを巡って、いまだ判然としないのが、大学進学後の通学方法だ。日々の警備を担当する警察サイドからは「毎日の車通学はさすがに無理が……」というSOSの声もあがっているという。
「赤坂御用地から筑波大学までの約70kmの道のりは、東京、埼玉、千葉、茨城の4都県にまたがっており、警視庁や各県警の連係が必須です。広域にわたって毎日協力しながらの警備は前例がなく、現場では不安視されていました。そうした事情もあり、進学先の筑波大学は再三、学内の寮での生活を推薦するような発信をしていました。しかし、ここにきて苦肉の策ともいえる新プランが急浮上しているのです」(別の宮内庁関係者)
キーワードは“二刀流”。
「実は、悠仁さまの通学については『車での通い』と一軒家でのひとり暮らしの併用が有力視されています。寮や集合住宅では、警備とプライバシーの観点で折り合いがつかず、学内に近いエリアで警備しやすい一軒家を探すとみられています。
研究で帰りが遅くなった日や、翌日の朝が早い日はその一軒家で過ごし、それ以外の日は赤坂御用地に帰るという形で、臨機応変に対応していくのではないか。さながら“宮邸つくば別館”ですね。学生の皇族が国内でひとり暮らしをするのは皇室でも初のケースで、まさに異例ですね」(前出・宮内庁関係者)
皇族として初めて国立大学へと進学される悠仁さま。その学生生活は、まさに初めて尽くしとなりそうだ。
※女性セブン2025年3月6日号