写真はイメージです(写真:keikyoto/PIXTA)
小中高生の不登校の子どもの数は40万人を超えるといわれています。自身もわが子の5年(中学1年の3学期から高校まで)に及ぶ不登校に向き合ったランさんは、その後、不登校コンサルタントに転身。子どもの不登校に悩む親と接すると、相談の入り口は子どもや学校に関することであっても、その背景には、さまざまな悩みや人間模様がありました。
本連載では、ランさんが、子どもの不登校を経験した親に話を聞き、問題の本質、そして相談者自身が見つめ直すことになった人生に迫ります。
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「私は自分のことを軽蔑しているんです」
昭子さん(仮名、55歳)から出てきたのは思いがけない一言でした。
昭子さんには高校3年生の娘さんがいます。中学1年生の2学期から学校に行けなくなり、卒業までほとんど欠席。高校受験には合格して、精神的に波はあるものの、学校に通い始め、アルバイトも始めました。不登校が始まってから約5年、専門学校への進学も決まり、前に進もうとしています。
ところが母親の昭子さんの気持ちは沈んだまま。ここ数年、もがいている様子が伝わってきます。そんな昭子さんがぽつりぽつりと自分の生い立ちを話してくださいました。
「私が5歳の頃だったと思います。両親が離婚したんです。ある日、保育園に母親が迎えに来ませんでした。そういえばその日の朝、『これでお母さんとお別れよ』というようなことを言われてすごく泣いたのを覚えています」
昭子さんはその後、父親に引き取られ、祖父母に育てられました。比較的裕福で不自由な思いをしたことはなかったそうです。しかし、寂しさにとらわれた日々を過ごします。
「うまく言えないんですが『自分だけの人がほしい』っていう感覚です。その対象はたとえば赤ちゃんでもいいんです。小学生の頃、近所に赤ちゃんが生まれると『この赤ちゃんうちに来ないかな、私のものにならないかな』って、そんなことを思う子どもでした」
周囲の大人に対しても、幻滅することがありました。
「父のことはいまだに尊敬できません。まともに仕事もせずに、祖父母のお金を使って生きていました。祖母も学校のことはちゃんとしてくれましたが、裏で人の悪口を言うんです。家に人が訪ねて来て、その人が帰ると『あの人はね』と何か一言悪口を添える。子ども心に人には表と裏があることを感じ取っていました」
ご両親の離婚から始まった昭子さんの幼少期は心に複雑な影を落としたようです。
そんな話の中で出たのが冒頭の言葉、「私は自分のことを軽蔑している」です。
「子どもの頃のことを引きずっているのかどうかはわかりませんが、とにかく自分のことが信用できないんです。これは自分には難しいと思ったことは、できなくてもいいやと自分をごまかすのですが、人にはまるでできているかのように見せてしまう。見栄っ張りなんです」
昭子さんは強い言葉で自分を否定します。私は話題を変えて、娘さんが不登校になった頃の様子を聞いてみました。
「心因性のものだと思いますが、中学1年生の2学期に『歩けないくらい足が痛い』と言い出したんです。学校を休み始めてからはインターネットでゲーム三昧。家からはほとんど出ませんでした」
しかし、絵を描くのが好きな娘さんは、デザイン系の高校に進学。調子が悪くなると3、4日続けて休むことはあるものの、補習を受けてなんとか進級しました。
アルバイトでは、人間関係につまずいては辞め、しばらくしてまた再開するというパターンを繰り返しつつも、娘さんなりに頑張っているようです。そんな娘さんに昭子さんはどのように接していたのでしょうか。
「学校に行けなくなった頃は力や言葉で従わせようとしていました。『出て行け!』と言って脅したり、つかみかかろうとしたこともあります。娘が反抗したり言い返すことはありません。小さな頃から自分の感情を出さない子でしたから」
「それでも私は娘を問い詰めていくんです。最悪な母親ですよね。言い訳になりますが、周りと同じようにできる子でいてほしいと思ったんです。それは私自身ができない子だったから。私が後悔してきたことを娘にしてほしくないと努力を強要したんですね」
昭子さんが私と出会ったのはちょうどその頃でした。同じ境遇の他のお母さん方との交流を通じて、自分のことを少し客観的に見るようになります。
「不登校について学ぶうちに娘のことを受け入れるしかないと感じました。自分の歪んだ価値観にも気づきました。私は自分を認めていなかったんだなって。でも、頭ではわかっていても感情がついていきません。過去の自分を癒やそうとしたり、今の自分を肯定しようと思っても、どうしても悪い自分が顔を出すんです。自分を認めるって簡単じゃない」
「娘は高校に入って学校に行くようになりましたが、体調不良で休みが続くと私ががまんできなくなるんです。『定期代がいくらかかってると思ってるの?』『もうすぐ学費を払う時期だけど学校をやめるつもりなら払いたくないんだけど』『夜中はゲームして元気なくせに朝になると体調が悪くなるんだね』などと吐き捨ててしまう。娘は黙って泣いています。自分でもひどいことを言っているとわかっています。でも、直せないんです」
深い苦悩の中にいる昭子さん。そんな時、普段何も言わない娘さんが意を決したように伝えてきたそうです。「私は人とは違う。発達障害だと思う。クラスにいると自分が人と違うのがわかってつらい」と。
その後2人は思春期外来に行きましたが、はっきりとした診断は出ませんでした。医師からは「娘さんはストレスが強い。親子関係の影響が大きいのでは?」と言われたようです。
「私に問題があるのはわかっています。私は最終的に自分のことが信用できません。だから娘のことも信用できない。私の娘だからだらしない大人になってしまうんじゃないかと焦りが出て、いろいろ言ってしまうんです」
その話しぶりから、昭子さんはまだご自身の問題にどっぷりと浸かっていると感じました。一方で、彼女は最後に少し俯瞰した視点から気持ちを吐露してくださいました。
「私は娘の人格を認めていなかったんでしょうね。小学生の頃は私の言うことをしぶしぶでも聞いていたのに、中学生になったら聞かなくなった。それが悔しくて、娘をひとりの人間として見ていなかったのだと思います」
「娘というより、私自身が発達障害なのかもしれません。当時は発達障害という言葉がありませんでしたが、保育園の頃から私は人と同じことができませんでした」
「私には、もっとかわいがられたかった、愛されたかったという感情が心の奥底にあるんです。そしてすごく僻みっぽい。それを表に出すことが恥ずかしいとも思っています。満たされるような子ども時代を送りたかったです」
ランの視点
問題を抱えている親の子どもが不登校になっているケースは多いです。
子どもの不登校を機に発達障害について知り、「自分がそうかも?」と思い始める例は少なくありません。自分を肯定できない理由のなかに、生まれ持った特性に気づかず、できないことをできないと認められないまま大人になってしまった経緯があるのも事実です。
また、親自身の育った環境やその親から得た価値観は子育てに影響を与えています。しかし、多くの親はそれに気づかず、気づいたとしても簡単には認められません。
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昭子さんのお話の中に「自分だけの人がほしい」という幼少期のエピソードが出ましたが、もしかしたら昭子さんは娘さんのことを無意識に自分だけのものとして所有、支配しようとしたのかもしれません。
不登校はそれまで何も言い返さず育ってきた娘さんの無言の自己主張ともいえます。それをきっかけに昭子さんは自分を見つめることに意識を向け始めました。それでも幼少期に抱えたネガティブな感情からは一足飛びには抜け出せないのでしょう。
昭子さんは娘さんの不登校を通じて自分を見つめ、苦しみながらも一歩一歩前に進まれています。
子どもが不登校になったとき、自分の課題に気づいて、怖れずに取り組むことがその後の人生を、より幸せに豊かにすると私は思います。
(ラン : 不登校コンサルタント、ブロガー)