いま日本では、選択的に「子供を持たない」と決める夫婦が増えているそうだ。30代を迎えたばかりのライター・月岡ツキ氏も、どうしても「子供を持つ気にはなれない」当事者の1人だ。一方で20代後半を迎えた頃から、周りの知人は出産ラッシュを迎え、SNSは「子育て一色」に。そんな友人たちと“なんとなく違うかな”と距離を取ってしまう月岡氏だったが、彼女たちと接するうちに気付けたこともあって――。
(前後編の後編)
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※この記事は『産む気もないのに生理かよ!』(月岡ツキ著、飛鳥新社)の内容をもとに、一部を抜粋/編集してお伝えしています。
【写真を見る】自身も「産みたくない」当事者である、ライターの月岡ツキ氏
子供を産んだ知人のSNSが子供の投稿一色になる。久々に会った女友達が子育ての話しかしなくなる。20代後半から徐々にそういう出来事に遭遇しはじめ、しっかり戸惑った時期もあったけれど、30代になってだいぶ慣れた。
しっかり戸惑っていた頃は、しょっちゅう一緒に深夜残業して鬼のように働いていた先輩が出産を機に会社を辞めて、子供と夫のためにアイシングクッキーを焼いてインスタに上げるようになったのを見て、かっこよかった先輩が「あっち側」に「なってしまった」と感じた。
羨望や焦りの感情とは少し違う。戦場で一緒に身一つで闘う戦士だと思っていた人が、他者のために献身して生きるようになってしまったのだという、寂しさのような感情だった。実際先輩がどんな気持ちで働き、どんな気持ちで会社を辞めたのかは知らない。クッキーを焼いている姿が本当の先輩だったのかもしれないし、仕事に燃えていた頃のほうが楽しかったのかもしれないし、何も分からない。
いつも私は、どんどん母になる友人知人を見て、「私も早く産まなきゃ」という気持ちよりも、「私の知っている彼女たちがどこかへ行ってしまう」という寂しさのほうが勝つ。子供を産んだ女友達と勝手に距離を置いたこともある。向こうは子育てに忙しくて、私に距離を置かれたことなど気づかなかっただろうが、なんとなく「違うかな」と思って離れた。
SNSの子育て投稿にリアクションしなかったし、連絡も控えた。会っても子育ての話になるだろうし、そうなったら私に言えることはあまりないし、なにより「母になって変わってしまった彼女」に会うのが嫌だったのである。
もう昔のあの子ではないのだなあと実感して寂しくなるのが嫌で、必要以上に接触しないようにした。年を追うごとに子供を持つ女友達も増え、彼女たちの「母になっても変わらない部分」をちゃんと認識できるようになり、また彼女たちも「自分の母になる前の部分を知っていてくれる女友達」の存在を喜んでくれるということを知って、自分の中の「子供を持った女友達への心理的距離」はかなり縮まった。
あの先輩は「あっち側」に「なってしまった」のではなく、戦場が変わっただけなのだ。私たちは子供を産んだか産まないかで分断されるべきではない。そう気づけたのは大きな収穫だったのだけど、私の中の「母になったら人は変わらざるを得ない」という認識が、30代になって強固になったのも、また一方で明らかだった。
どうしたって出産と子育ては人生の一大事なのだから人格に影響があって当然なのだが、問題はそこではない。常に他者をケアしながら生きる暮らしは、メンタル的にもフィジカル的にも自分の「個」の部分が削られていくものなのだと、母になった人たちとかかわる中で理解した。
子供の前では絶えず「母」として振る舞っているので、本来の自分に戻れる時間がない。自分が母になる前、何が好きでどんな人間だったのか忘れてしまった。いつの間にか「役割」が自分の存在を凌駕し、家族や子供の都合を取っ払ったときに自分がどうしたいのかが分からない。これが「幸せ」なのかもしれないけど、なぜかずっとつらい。そんな話をさまざまな場所で耳にした。
一昔前に『名前をなくした女神』という、ママ友同士の人間関係を題材にしたドラマがあったが、今でもそのタイトルをずっと覚えている。母になると自分の「個」としての名前は失われ、「母」としての役割がアイデンティティになっていくという現象をよく表しているタイトルだったからだ。
母になって得たであろう幸せだってたしかに大きく、代え難いものなのだと思うけれど、それとこれとは別の場所に、彼女たちが「個」を失っていく悲しみもある。それは「大きな幸せを得たのだから、その分何かを失うのは仕方ないこと」と簡単に切って捨てられるものではないと思う。
そして私はやはり「個」をある程度失うことを覚悟してでも子供を持とう、とは思えないのだった。「母」をやりながら「個」を失わないよう奮闘する人もいる。「母」の面と「個」の面を上手く使い分けて、自分の時間を確保して、趣味や仕事や自己研鑽に励んでいる人。昨今はそういう人が「すべてを手に入れている人」として羨望される。
しかしながらそういう人は「めちゃくちゃお金がある」か、「めちゃくちゃ馬力がある」か、「実家などのなんらかの手厚いサポートがある」か、はたまた「子供が丈夫だったり利発だったりして手がかからない」のどれか、もしくはそれらをいくつも持っていたりするので、誰にでも再現性があるとは言えない。
「この人、お子さんを育てているのにいつも身綺麗で、仕事もガンガンして、語学学習もして、すごいなあ。もしかしたら仕事と育児と趣味の両立って、言うほど難しくなくできるもんなのかな?」と思ったら、毎朝4時に起きても元気でいられる体力の持ち主だったり、何かのタスクを外注する金銭的余裕があったりする人だった、ということがよくある。
そういう人だって最初からそういう仕上がりだったわけではなく、努力の末に手にしたものだとは思うのだけれど、ここまで条件が整わないと「母」をやりながら「個」を守るということはできないのか……と、やはり気が遠くなる思いがするのだ。
私が母になったとしても、「すべてを手に入れた人」になるには相当な根性を要するだろうなあと思う。母になって、「役割ができた」ということに救われるという気持ちも分からなくはない。自分の「個」の面だけで、仕事での成果や自己実現を追い求めて生きるということも、時にしんどいのだ。自分個人の可能性を信じられなくなったときに行き詰まりを感じたりもする。
子供を持つことで、子供という他者を育てることを生き甲斐にしてしまえば、「自分の可能性一本で進むゲーム」から降りられる。しかし、やはり子供は他者なので、他者を育てているとしても自分の人生の操舵者は自分なのである。
母という「役割」に全ベットし、子供に多くを託しすぎてしまうことは、自分にとっても子供にとっても危険だ。母になっても「個」の面は守っておく必要がある。どんなに「母」という役割が「個」を侵食してきたとしても。「個」の面を守るということは、別に仕事や自己実現に励むことでなくてもよいと思うのだ。ただ自分が個人として、自分の名前で呼ばれる場所を守れれば。母親になる前に好きだったものごと、考えていたことを思い出せるような、役割から解放される時間があったらいい。
それは趣味に打ち込むことかもしれないし、好きなときに友達と飲みに行くことかもしれないし、いろんなやり方がある。昔から「父」には許されてきたことだ。私は母にはならないかもしれないが、「母」になった女友達を名前で呼ぶ存在であり続けたいと思う。彼女たちが母になる前からどんな人間か知っている。その人が母になったかどうかは私にとってはさして重要なことではないのだ、本当は。
母じゃない彼女たちと友達になったのであり、友達になった部分は「母」になったあとも彼女たちから消えてなくなったりはしない。彼女たちを「母」という役割が侵食してきたとしても、私は「ママ」や「お母さん」になる前の名前で彼女たちを呼び、好きなドラマや仕事の愚痴や、ダイエットや美容医療なんかの話をし続けるつもりでいる。
子育ての愚痴も、役に立つか分からないけどできる範囲で聞くし、私の「子なしは肩身が狭い」という愚痴も聞いてほしい。あなたの「個」の面を、私はちゃんと覚えているよ。あなたは本当はこういう人だったんだよ、ということを、たまに思い出してもらうために、「ママ友」じゃない「女友達」でいたいと思うのだった。
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この記事の前編では、同じく『産む気もないのに生理かよ!』(飛鳥新社)の内容より、「産みたくない女性」の当事者でもあるライター・月岡ツキ氏のエッセイをお届けする。「子供を持つ・持たない問題」を日々、自問自答する中、「親子の継承」がテーマでもある『進撃の巨人』の最終回を見た同氏は、寂しさを感じてしまう。その理由とは――。
【著者の紹介】月岡ツキ(つきおか・つき) ライター・コラムニスト 1993年生まれ。大学卒業後、webメディア編集やネット番組企画制作に従事。現在はライター・コラムニストとしてエッセイやインタビュー執筆などを行う。働き方、地方移住などのテーマのほか、既婚・DINKs(仮)として子供を持たない選択について発信している。既婚子育て中の同僚と、Podcast番組『となりの芝生はソーブルー』を配信中。マイナビウーマンにて「母にならない私たち」を連載。創作大賞2024にてエッセイ入選。 X(旧Twitter):@olunnun
デイリー新潮編集部