山田拓美さん(81歳)が1968年に創業したラーメン店「ラーメン二郎」は、慶應義塾大学三田キャンパス近くに本店を構える現在まで、グループの加盟店をおよそ45まで増やした。
「二郎系」というカテゴリーを作ったカリスマ。その歩みを30年以上支えてきたのが、ラーメン二郎の顧問弁護士をつとめる金子正志弁護士(70歳)だ。
安くてうまいラーメンをお客さんに提供するために「儲からないフランチャイズ」を作りたいーー。山田さんから受けた常識はずれの依頼を実現するためサポートに尽力した。
パイオニアであるがゆえに、フォロワーである「二郎インスパイア」をめぐるトラブルにも見舞われることになった。最近まで長らく”共存”を黙認してきたが、金儲けに走る動向が目に余るようになってきたことから、訴訟を辞さない考えにシフトしつつあるという。
尊敬する親父さんの「黒子」に徹してきた金子弁護士が語るラーメン二郎の過去と次代。歴史を振り返りながら、顧問弁護士が果たす役割を聞いた。(弁護士ドットコムニュース編集部・塚田賢慎)
ラーメン二郎グループは三田本店を頂点とする形で、44の加盟店を展開している。
グループの方針を決めるのは、創業者の山田さん、息子で三田本店の現経営者・幹男さん、金子弁護士をはじめとした「営業審査委員会」の面々だ。
ラーメン二郎は基本的に取材お断りで、この取材の可否も委員会で議論された。
金子弁護士は「マスコミを頭から否定しているつもりはまったくありません」と説明する。
記事配信や放送翌日に行列が作られ、常連に迷惑がかかるというのが理由だ。2022年に限って放送されたテレビの取材は特例で、複数の誓約書をかわしたという。

金子弁護士は慶應大柔道部OBで、学部を卒業した20代から三田本店に通い、1990年代より顧問の立場にある。
山田さんとは仕事のパートナーとして約30年、学生時代を含めれば約50年の付き合い。
ラーメン1杯が1000円を超えるのも不思議ではなくなった現在、三田本店の「ラーメン小」は700円。それでも他のラーメンの大盛りより多いかもしれない。
「主役は『安くてうまいラーメンをお客さんに提供する』ことで、それ以外の私の仕事はサポートです。弁護士は黒子だと思っています。
親父さん(=山田さん)とは親子でもなく、かといって先輩後輩でもない。『同志』が近い。親父さんの考えは全部理解しているから『みなまで言うな』という関係です。
幹男さん、加盟店の店主さん、みんな人がいい。彼らの姿を見て、私は一肌脱いでしまう。そのような意味でラーメン二郎のみなさんが同志です」

顧問就任のきっかけは90年代にさかのぼる。大学の相撲部OBを通じて山田さんから相談が寄せられた。
ある会社がラーメン二郎の名前を使った商売をしようとしていたという。会社の役員ポストを用意すると持ちかけられていた。
「親父さんは、それを防ぐために『儲からないフランチャイズ』を作りたいと考えていました。ちょっと驚きました。どの文献を引いても、フランチャイズとは本部が儲かるように店舗を拡大する仕組みとしか書かれていません。後にも先にもこんな相談はありませんでした」
山田さんはすでに数人の弁護士に断られ、理解者を探していた。
会社に取り込まれることで、ラーメン二郎を利用したビジネスが野放図に展開されるリスクがあり、山田さんの目指す”最大の目的”とは相容れないものだった。
金子弁護士は会社相手に警告を出した。

「ラーメン二郎の目的とは『安くてうまいラーメンをお客さんに提供する』こと。実現のために「儲からないフランチャイズ契約」の規定を作りました。ラーメン二郎グループの加盟店が、さまざまな誘いや攻撃から守れるような内容となっています」
現在、ラーメン二郎グループの加盟店は、分割払いも可能な「加盟登録料」と、毎月のロイヤリティー(固定)を三田本店に支払う形になっている。
いずれもここで具体的な金額は出せないが、通常のフランチャイズと比較して、「めちゃくちゃ(破格)です」。
「ラーメン二郎で働く人の中には、幼い頃から家族の働き手を担うなどの苦労人が少なくありません。お客さんに喜んでもらうだけではなく、店主にも世間並みかそれ以上の幸せになってほしい。親父さんの考えが反映されています」
そのかわり、店主として独立するためには、三田本店で半年から1年ほどの修行が必要となる。麺、スープ、豚(チャーシュー)を作る工程を経験し、山田さんや幹男さんの働く姿に接しながら、客に喜んでもらうことを学んでいくという。
比較対象として相応しいかは別として、飲食チェーンの中には、2週間ほどの研修を受けた店長が、各地の店舗に配属されてオペレーションに当たることもある。そうしたスタイルではないわけだ。
「修行を受けて店主になろうとする方はこの法律事務所で開業のための面接を受けます。修行に脱落したり、面接で落ちて、お店を開くに至らなかった方は10名ほど。今の店主たちに言わせると、この面接が一番きついようです」

精神的な主柱(山田さん)と実務担当(幹男さん)の法的なバックアップが弁護士の役割だ。仕事は多岐にわたる。
開業における賃貸借契約のチェックもその一つだ。訴訟になることもある。
「親父さんと息子さんが視察してOKが出た店舗を私が確認します。ラーメン二郎の知名度が全国的になったこともあり、賃料を過剰に高く取ろうとしてくる場合もあります。
立ち退きの問題など訴訟になった案件もあります。話し合いによる解決を目指しますが、難しければ裁判で主張すべきことを主張していきます。その関係で負けたことはありません」
また、客とのトラブルなどをめぐり、加盟店から個別の法律相談にも応じている。
店内で動画撮影のトラブルも目立つようになり、店舗によっては警告の張り紙を出すような対応もしている。
グループでは年に1回の「店主会議」の場で、店主の面談も実施。
「店舗の数が増えていくと、1人の勝手な行動が他の店主に影響を与えていきます。そうならないように、危ない店主がいれば、ここは考え直したほうがいいよと注意を伝えます」

二郎人気にあやかりたいと商品化の要望は複数のメーカーから寄せられてきた。法務部とのやりとりは弁護士の仕事になる。
「お客様にご迷惑がかからないかという観点で考えます。我々が品質管理できないことも考えられます。メーカー側に従うだけになってしまうことも考えられます。
ラーメン二郎である。それはつまり、ボリュームがあって、脂があって、安くて美味しい。そのようなラーメンが提供できなくなるのでお断りしています」
海外進出の話も断ってきたという。
ラーメン二郎が語られる際に、そのフォロワーである「二郎系」や「インスパイア」にも話が及ぶことがある。グループとの違いについて、ひと呼吸おいて語り始めた。
「何度も言いますが『安くてうまいラーメンを提供してお客様に喜んでいただく』。そこが大きく違います。
ラーメン二郎は人の褌で相撲を取ることはしていません。必ず1年ほど修行して、親父さんたちの背中を見て、仕事とお客さんにどう喜んでいただくかを学んでいきます。
多店舗展開して、店長さんに給料を払って、(現場を)人に任せて、自分では麺を作らずに経営だけしていくと、お客さんの声が聞こえてきません。
それはラーメン二郎が望んでいる営業スタイルではないので、インスパイアのお店とは違うと思います」
取材前日、三田本店の厨房に立って客と笑い合う山田さんの姿が思い起こされた。

山田さんたちからは、昨今のインスパイア系が金儲けに走っているように見えているようだ。
「かつてのインスパイアは、ラーメン二郎があって自分たちがあるという感謝や、お客さんへの気持ちもマネしなければいけないという尊敬がありました。今は、他人の褌でどうしたら儲かるか、です。ひどい人になると、本当は修行してないのに、三田の本店で修行しているとお客さんに話している店まであります。
以前のインスパイア店はモノマネしているくせに、胸を張ってインスパイアだと言っている人はいませんでした。
『モノマネの店ができて困っている』と加盟店から相談されて見に行くと、加盟店の営業が終わるのを待って遠慮するように営業を始めるインスパイア店もありました。
それがよいと言いたいわけではありませんが、インスパイア側には遠慮もあったし、ラーメン二郎に対する尊敬もあったのです。今は口先だけで、似たようなものを作って、お客さんから高額なお金を取って、実際のところはお客さんが喜んでいるかわかりません。
何回も言いますが『安く上手いラーメンをお客さんに提供する』という基本的なところを誤っている方が多いのかなと思います」
話は「山田さんの哲学」に及んだ。
「食材は本部一括購入のほうが安いと言われますが、お客さんに喜んでもらえるラーメンを作るために、野菜や豚は地元の業者さんを使ってくださいと各店主にお願いしています。
その土地の出店によって、地元業者さんの売上が上がり、一緒に仕事できて良かったとなれば、味方をしてくれます。店舗に材料を入れてくれると、決まったところに置いてくれるし、肉なら必ず冷蔵庫に入れてくれるんです。店主がいい加減なやつだと、業者さんは肉を冷蔵庫に入れてくれないことがあります。
我が振りを考えるときに、業者さんの対応を見れば自分のこともわかるだろうというのが、親父さんの哲学です」
2000年代後半ころには、取り組みのひどさが目に余るインスパイア店に対して、不正競争防止法に違反しているとして、民事訴訟を起こしたこともあった。
「不正競争防止法の裁判も勝訴的和解になっています。その店には営業をやめてもらいました。今は他の名前で続けているんじゃないかと思います」
「親父さんも最初は『インスパイアも頑張ってるからいいでしょ』と言っていましたが、しかし、最近はちょっと酷すぎます。ラーメン二郎系とかインスパイアとか、『二郎をリスペクトしています』という言葉だけで、お客さんはおいといて、客が来るからやっちゃうというのは道義的にどうなのか。
どこかでぷつんと糸が切れたら、訴訟等の対応になってくるのかなと思います。過去の裁判の結果なども使って、どうにかできないかと考えているところです」
81歳の今でも「俺はアルバイトだ」と冗談めかしながら厨房に立ち続ける山田さんは、二郎の象徴的存在だ。
いつまでも現役のように思えるが、金子弁護士は冷静に行く末に目線を向ける。

圧倒的な存在感を発揮した創業者の引退によって、飲食業界では店舗やグループが分裂・崩壊することがある。
「飲食業界に広げるまでもなく、ラーメン業界の有名な店でも、内部分裂しているところがあるので、そうならないようにしなければと考えています」
創業者の引退による内部分裂の大きな原因は「一言で言うと、金儲け」と指摘する。
長い目で見れば、儲からないフランチャイズが要になってくるのではないか。
「親父さんの思想、それを継いだ息子さんの思想を各店主が理解した上で商売することで、世間並み、世間並み以上の生活ができることに感謝していれば、分裂は起きないと思う。もうちょっと店舗を増やそうとすればいろいろなことを誤っちゃうのかなと思います。そこは法的に目を光らせながら対応していく」
加盟店でも、世代交代の際にはやはり三田本店での「修行」が求められる。
こうした内容はフランチャイズ契約の規定には入っていないが、グループ内の認識は統一されていると話す。
「親父さんから息子さんへうまくバトンタッチできたのかなと思います。加盟店の目黒店をはじめ、先輩方がそれを支えています。いいスクラムが組めているのかと思います」
金子弁護士が山田さんと出会うきっかけにもなった慶應義塾大学への進学は、高校3年間打ち込んだ柔道を体育会系の部活で続けるためだった。
レギュラーとして東京、全日本の柔道大会で活躍。早慶戦で優秀選手賞を得ながらも、柔道の世界には上がいた。「私は一流の下か二流の上くらいなんです。一流になりきれませんでした」
柔道で完全燃焼できなかった悔しさをバネに、自らの力を試す場を司法試験に求め、創部百十数年の歴史で初めて司法試験に合格した。
今では二郎の顧問だけでなく、企業法務にも注力し、京王電鉄の社外役員をつとめる。弁護士として民暴対策に30年以上取り組み続け、暴力団の被害救済活動に汗を流してきた。
こうした弁護士の活動にも、ラーメン二郎顧問弁護士として得た経験が生かされているという。
「問題解決のスタンスとしては、どちらか一方が正しく、一方が悪いということはなかなかありません。こちらの痛みもわかれば、相手方の弱みもわかる。弱みがわかれば、どういう調整が必要かわかる。これはラーメン二郎の仕事で学んだと思います」

70歳になった今も二郎を食べ続けている。弁護士仲間らと「ラーメン二郎を食べる会」を年に3回ほど主催しているそうだ。
「食べ切れないので、小盛より小さいものを出してもらっています。でも、親父さんは私が学生として出入りしていた頃の記憶が強い。今でも勝手に大豚ダブルの野菜マシを出そうとしてきます。年齢を考えてほしいです(笑)」
金子弁護士が慶應義塾の大学院で学ぶ中で、後輩が三田本店でやらかした”粗相”を収める形で、山田さんと知り合った。このような形で「同志」を得られた弁護士も珍しいのかもしれない。
【取材協力弁護士】金子 正志(かねこ・まさし)弁護士慶應義塾大学院法学研究科修士課程修了、1986年4月弁護士登録、東京弁護士会所属。職務適正化委員会の委員長として弁護士の不祥事にも目を光らせている。事務所名:金子正志法律事務所