祖父母に「宝物」とまで言わせる存在の「孫」。その孫が祖父母を殺害する事件はなにも珍しくはない。2024年10月31日から静岡県で祖父母と兄を殺害した被疑者の男(25歳)の裁判員裁判も始まっている。孫たちはなぜ祖父母に殺意を抱くのだろうか。
前編記事『長澤まさみ主演で映画にもなった「祖父母殺害事件」…孫たちがじいじ・ばあばに殺意を抱く「憎しみの理由」』に引き続き、専門家に聞いた。
「いくら祖父母と孫との関係であっても、適度な距離を保つことが大切です。祖父母と孫との関係性において、過剰に相手に期待したり、依存したりすることがあります。最初は愛情がベースにあっても、それが憎しみに変わることはままあります」
そう説明するのは東京未来大学の出口保行教授。
殺人の大半は面識のある親族間で起きている。だが、数こそ多くないが孫による祖父母殺しも起きている。
例えばこんな時だ。祖父母の介護を両親が孫に強いたことで介護離職したり、進学や結婚を諦めたり。介護を強いられたことが、負の感情を強く抱くきっかけになる場合がある。
さらにしつけと称した虐待や、価値観の違いなど、祖父母と世代間での亀裂を深めていくことも珍しいことではない。
一方、可愛がりすぎることも度を越せば事件のきっかけとなる。孫の要求に応じ、小遣いや欲しいものはなんでも与えたり、わがまま放題にさせている祖父母も要注意。要求が通らなければ孫は「裏切られた」という感情を抱く。ひどい場合は逆恨みする可能性があるからだ。
「些細なことで愛は憎しみに変わります」(前出の出口教授)
中部地方に住む40代の主婦、陽子さん(仮名)は「祖母の死をずっと願っていました」と明かす。もともとおばあちゃん子だった陽子さん。だが、成人してから愛情が憎しみに変わった。
陽子さんは両親と弟、そして父方の祖父母と同居していた。
祖父はやりたい放題。家のことはすべて祖母に任せ、酒にギャンブル、女遊びが激しかった。カネが無くなれば祖母に無心し、気に入らないことがあれば暴力をふるった。だが、父親が成人する直前に病気で死去したという。
「我が家は昔ながらの集落です。祖父が亡くなった後、祖母が一族を束ねてきました」(陽子さん)
祖父の理不尽にも耐え続けた祖母の存在は絶対。「女帝」として、一族の中で長年、君臨し続けてきた。
「祖母にとって私は初孫だったので『可愛がってくれていた』と思っていましたが、今振り返ると、おかしいことがたくさんありました…」(前出の陽子さん、以下「」も)
最初の違和感は小学校入学時の視力検査のことだ。陽子さんは視力が弱く、眼鏡の必要を指摘された。だが、祖母は断固して反対。理由は「女に眼鏡は必要ない」とのことだった。
さすがに授業についていけなくなり、担任の教師から両親に相談されたことでようやく眼鏡を購入できたという。
「髪の毛も肩より伸ばすことは禁止でした。これも小学校1年生の時でしたが、祖母に切れって言われました。でも、私はどうしても髪を伸ばしたかった。すると祖母は裁ちばさみで私の髪をバッサリと切ったんです」
あまりの出来事に号泣する陽子さんに対し、両親は「お前が悪い」と言い放った。家族は誰も味方してくれなかった。
スカートも禁止、ピンクや黄色も禁止。フリルやリボンが付いたかわいらしい洋服を着ることも禁止されていた陽子さん。
「髪の毛もスカートもそうですが、色気付くと不良になるから、って理由でした。あまりにも理不尽ですよね」
弟とのあからさまな差別も陽子さんを苦しめた。
「祖母にとって家を継ぐ長男である弟を一番大切にしていました。欲しいものは何でも買い与えてくれて、要求はすべて飲んでいました。弟を怒ることもなかった。そのため、弟はわがままで、やりたい放題に育ちました」
なにかにつけては「〇〇は跡継ぎだから」「長男だから」と祖母は繰り返した。陽子さんには「いつか嫁に行って家を出ていく。そのためにも必要だ」などと言って、物心つく頃から祖母とともに寝起きさせ、家事全般を手伝わせていたという。
「祖母は厳しかったですが、禁止されていたもの以外は漫画とか、おもちゃとか、欲しいものは買ってもらえました。それに私だけ旅行に連れて行ってくれたこともありました。うちはみんな働いていたし、周囲の家でもお手伝いは子どもの当たり前の仕事だと思っていました」
成長するにつれ反発することはあっても、祖母へは愛情をもって接していた、という陽子さん。だが、祖母が陽子さんを気にかけたのは「従順な孫を育てるためだったのではないか」と推測している。
それに気が付いたのは、祖母の介護を強要されたときのことだ。
「私が短大を卒業し、就職してしばらくすると祖母は倒れてほぼ寝たきりになりました。当時は近くにデイサービスもなかったですし、そもそも福祉サービスを使うこと自体、『恥ずかしい』って言われていました。家族での介護が当たり前。弟は大学進学で県外に出ているし、両親も仕事がある。家族で祖母の介護ができるのは私だけでした」
そのため、念願だった保育士の仕事も辞めさせられた。団体職員をしていた父親は母親にも祖母にも頭が上がらずいつも言いなりになっていた。陽子さんの母親は、といえば祖父母との折り合いが悪く、祖父の死後は祖母とほとんど口をきかなくなっていたという。
「母親は家事も嫌いだったので、結局は家事も介護も私が全部やるしかなかったんです。夢も自分の自由な時間も全部、祖母に全部奪われました。そのために私を育てたのか、って気づいたときに『祖母さえいなければ』と何度思ったかわかりません。…包丁を握って祖母の枕元に立ったこともあります」
そんな陽子さんを思いとどまらせたのは、おなかに宿った新しい命だった。当時、交際中だった現在の夫との間に子どもを身ごもっていたことがわかった。
「祖母は『世間体が悪い』『堕ろせ』と大激怒していました。結婚することを伝えると、『二度とうちの敷居は跨がせない』と言っていました」
そのため陽子さんは結婚後、ほとんど自宅には寄り付かなくなったという。陽子さんが家を出てしばらくすると、祖母は遠方に住む父親の妹が引き取り、晩年は故郷の老人ホームで過ごした。
「叔母さんが介護できるならもっと早くにやってほしかったし、老人ホームに入れるならもっと早くに入れてもらいたかった。今、思い出しても悔しいです」
陽子さん一家の場合、家の結びつきをあまりにも重視するあまり、祖母は孫を所有物として扱ったことが根本的な原因だろう。
もっとも、孫たちが成長してから祖父母と同居する場合にも、また違った注意が必要だ。ある程度、物心がついてから同居した場合、祖父母と孫との間に亀裂を作ることがあるからだ。
うまくいかない同居は、事件へと発展する恐れがあると前出の出口教授は危惧する。
「祖父母世代と孫世代での“適度な距離”が取れないことが原因です。以前のような大家族時代には、それぞれに役割分担がありました。ですが、核家族化が進んでいる昨今、家族の中の力関係が変わると、軋轢が生じやすいんです」
祖父母世代は親子ほど責任が伴わないことから、甘やかしすぎたり、反対に厳しすぎたり。孫も祖父母も、お互いに関係があいまいになってしまう。
「祖父母と孫、相手とのかかわり方がそれぞれに過度になりすぎてしまう。親は相応の責任を感じて子どもと向き合いますが、一世代離れていることにより、祖父母となるとそれが異なる場合があります。
とりわけ祖父母との関係の中では、甘やかすだけ甘やかしたり、またはその逆に厳しくしたり、また依存することもあるでしょう。そうやって祖父母たちは孫たちをコントロールしようとする。一方の孫たちも祖父母との関わりで自分の思い通りにならないことに不満を持ち、いつしかそれが殺意に変わっていく」
では、祖父母が孫に殺されないためにはどうしたらいいのだろうか。
「適度な距離間を常に持っているかの確認、点検をすることです。私たちには確証バイアスといって、自分に都合のいい情報は取り入れ、都合の悪い情報は捨て去る傾向があります。つまり、自分を見失いやすい。定期的に見直していくことがとても大切なのです」
「孫だから……」とその関係を過信するのではなく、当然だが、一人の人間として付き合う必要がある。
多様化する価値観、良くも悪くも自分中心、そして忍耐力がない――そんな孫世代と、競争意識が強く、努力は必ず報われると考える団塊世代の祖父母たちがうまくやっていくためには、「スープが冷めない距離」より、もっと長い距離をとる必要があるのかもしれない。
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