昨年7月、北海道札幌市の繁華街ススキノのラブホテルで男性会社員(当時62歳)が殺害され、その頭部が切断された事件。田村瑠奈被告とその両親の3人が殺人、死体遺棄などの罪で逮捕、起訴されている。
瑠奈被告の裁判の争点は刑事責任能力の有無。そのため、弁護側は札幌地裁に対し、2回目の精神鑑定の実施を依頼した。弁護側の意図とは――。
「両親は殺人、死体遺棄などのほう助の罪に問われています。母親の浩子被告は第4回公判まで行われています。浩子被告の起訴状や、証人として出廷した父親の修被告の口から語られたのは、瑠奈被告と両親とのあまりにも歪んだ親子関係でした」(全国紙司法記者、以下「」も)
一家は親子関係を継続していくことが難しかっただけではなく、瑠奈被告自身の精神的な問題により、両親が翻弄されていたことも明らかになった。
「精神科医の修被告は瑠奈被告の精神が不安定にならないように、妄想に対しては肯定も否定もしないスタンスを取っていたといいます。6年ほど前には精神科のクリニックに通っており、その時の診断名は『躁うつ病』。しかし、その後、通院しなくなり、修被告が薬を処方していたそうです」
精神的に不安定になり、取り乱す瑠奈被告を、両親は受診も入院させることもできなかった。
10月1日に開かれた浩子被告の第4回公判では、修被告が録音していた瑠奈被告とのやり取りの音声データが証拠として提出された。
「法廷では泣き叫び、錯乱する瑠奈被告の肉声が初めて流れました。これは修被告が精神科医の診断を受けさせようとスマートフォンで録音していたものの一部です」
公判で次々に語られた瑠奈被告の特異な日常、トラブルのあった被害者を執拗に探し、殺害に至った経緯も述べられ、おぞましい猟奇的な一面に世間は震撼した。
ただし、瑠奈被告の裁判は開始時期の目途すら経っていない。今年9月、弁護側は札幌地裁に対し、精神鑑定を請求。その実施時期や期間についても未定となっている。
「瑠奈被告の裁判員裁判は『刑事責任能力の有無』が争点となるとみられています。札幌地検は起訴前におよそ半年の鑑定留置を行い、『刑事責任を問える』と判断していました。弁護側としては、今回の新たに行われる精神鑑定の結果を元に、弁護側は事件当時の瑠奈被告の責任能力を争い、刑事責任を問うことはできない、または、刑の減軽を主張する意図があるのではないでしょうか」
果たして瑠奈被告が無罪になる可能性はあるのだろうか。
刑事裁判に詳しい元検事で、弁護士法人Authense法律事務所の高橋麻理弁護士に聞いた。
「刑事事件で起訴前に行われている精神鑑定とは別に、新たに精神鑑定が行われることは一般的にもあることです。検察側は、起訴前に行われた精神鑑定を踏まえて刑事責任を問えると判断して起訴しました。弁護側としては、責任能力を争う根拠となる鑑定結果を期待しているものと考えます」
瑠奈被告の場合、事件当時の精神疾患の状態や、事件に与えた精神的な影響の程度などが審理を左右するカギになるという。
「刑事事件の精神鑑定では、必要かつ十分な判断材料が重要になります。犯行態様や犯行動機に関する証拠が提出される必要があるのみならず、犯行当時の日常生活における被告人の言動については被告人の家族や日常的にかかわりのあった人たちから聴取して精神鑑定の判断材料とする必要があるでしょう。
この点において、瑠奈被告の日常生活における言動を明らかにするための判断材料として、修被告、浩子被告の供述も重要になってきます。もっとも、修被告、浩子被告らの供述に関しては、このたびの事件に両名が何らかの形で関わった可能性があること、一般的には、親子間では、親が子の刑事責任を軽減すべく供述する可能性があるといえることなどの事情に鑑みると、判断材料として考慮するにあたっては、その信用性等評価を慎重に行う必要もあるのだと考えます」(高橋弁護士、以下「」も)
さらに2回目の精神鑑定が決定されたことで、瑠奈被告の初公判まではより長い時間を有することになる。
「精神鑑定が終わり、鑑定書が出来上がった後、弁護側も検察側もその内容を確認し、内容の信用性を検討したり、鑑定結果をもとに責任能力の有無、程度について検討する必要があります。私もこれまで何度も鑑定書を読んできましたが、その過程では、通常、多くの時間を要します。記載されている内容を理解、評価するために、専門的な書籍にあたったり、別の専門家の意見を聴いたりすることもありました」
責任能力の判断は3つ。
まず、精神障害の有無、内容。次にそれが当該犯行にいかなる仕方で影響したか。最後に認定される具体的な影響の仕方を前提にすると、弁識、制御能力の欠如や著しい減退があるというべきか、を評価して行うことになる。
このうち精神障害の有無と内容、それが犯行にいかなる仕方で影響したのか、に関しては、精神鑑定の領分となる。最後の項目については精神医学の領分ではなく、事実の法的概念へのあてはめなので、最終的には裁判官が判断すべきこととなるのだ。
瑠奈被告の裁判の争点は事件当時の責任能力の有無だが、その精神状態は日に日に悪化していることを修被告自身が証言している。時間が空くことで、瑠奈被告に精神状態の変化が出る可能性がある。
一般論としては、精神状態を理由に裁判自体が開かれないことも考えられる。これは刑事訴訟法314条には、「被告人が心神喪失の状態に在るときは、検察官及び弁護人の意見を聴き、決定で、その状態の続いている間公判手続きを停止しなければならない」と定められているからだ。瑠奈被告の事件が該当するかどうかは別として、一般論でいえば、この条文に該当する事態となれば公判手続きを停止することになりえるというのだ。
「刑事責任能力は、犯罪の実行行為当時に、事物の是非善悪を弁識する能力またはその弁識に従って行動を制御する能力があったかという問題であるのに対し、訴訟能力は、裁判の時点で自分の置かれた状況を理解し、適切に防御権を行使することができる能力があるかという問題です。責任能力と訴訟能力とでは、同じく被告人の『能力』を問題としていても、何に関する能力が問題となるかが異なっているのです」
では、もし仮に瑠奈被告に刑事責任能力がないと判断された場合はどうなるのだろうか。
「心神喪失であると判断されれば無罪となりますし、心神耗弱であると判断されれば刑が減軽されることになります。医療観察法に、責任能力が理由となって刑事責任を問えない状態で重大な他害行為を行った人に対する制度が定められています。
心神喪失又は心神耗弱の状態で重大な他害行為を行い、不起訴処分となるか無罪等が確定した人に対しては、検察官が、医療観察法による医療及び観察を受けさせるべきかどうかを地方裁判所に申立てを行います。
検察官からの申立てがなされると、医療機関で入院等なされながら鑑定が行われ、裁判官と専門家らによる審判で、対応が必要か、具体的にどのような対応が必要かを判断することになります。
その結果、入院の決定を受けた人に対しては、指定された医療機関で、専門的な医療の提供が行われるとともに、退院後の生活環境の調整が実施されます。
入院でなく、通院による医療の決定を受けた人や退院を許可された人については、保護観察所の社会復帰調整官が中心となって作成する計画に基づいて、原則として3年間、地域で、指定された医療機関よる医療を受けることになるのです」
このような法制度となっている以上はやむを得ないものがあるのかもしれない。
刑事責任を問えないと判断されながらも医療観察法による措置をとることもできない。または完了した者が早々に社会で生活を再開する可能性について地域住民らが不安を感じることもあるだろう。なにより、被害者、遺族の心情を思うと、いたたまれないものがある。
自分自身や家族を傷つけた被告が、刑事責任が認められず、不起訴や無罪になったら、遺族の怒りは収まらないだろう。
「責任能力の有無を判断するということはとても難しいことだと思います。いかなる精神疾患があったのか、またそれが行為にどのように影響したかという点に対する評価が、鑑定医によって異なることもありますし、鑑定結果に対する裁判官の評価も一審と控訴審で異なることもあるのです」
責任能力を争うという事例が増えているように見受けられるが、実際にそのような傾向があるのだろうか。
「裁判員裁判の開始を機に、公判の前に争点を整理しておく必要性が生じ、精神鑑定が行われるケースは増えていると考えます。ただ、結論として、責任能力を理由として不起訴処分となったり、無罪判決が言い渡されたりするケースというのはそう多いとはいえません。」
『令和5年版 犯罪白書』によると令和4年に検察庁において心神喪失を理由に不起訴処分になった被疑者は146617人中370人。起訴されたものの心神喪失を理由に無罪になったものは4人だった。
11月5日の浩子被告の第5回公判では検察側、弁護側双方による証拠調べが行われた。
次々に明らかになってくる瑠奈被告の特異的な日常と両親との歪んだ関係。パソコンやスマートフォンでは事件に関わるような内容を検索していたことが証拠として提出された。次回の浩子被告の公判では検察による修被告の尋問が行われる予定だ。
また修被告の裁判員裁判も2025年1月から行われる予定で、3月には判決が出るとみられる。
事件の全容解明にはまだ時間がかかりそうだ。
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