都内の某保育園で、今年から「ラジオ体操」が禁止になったそうだ。
子どもたちの運動能力が落ちすぎて、ラジオ体操をすることによってケガをする子どもが出るようになったからだという。
ジャンプをした時に足をくじく、上半身を回した時に地面に倒れ込んでしまう、腕を斜めに振った時に肩が外れる……。そのため、より体に負担のかからないソフトな体操に切り替えなければならなくなったらしい。
ラジオ体操は、一日がはじまる前、あるいは体を動かす前に行う「準備体操」のはずだ。それすらできない子どもが増えているとはどういうことなのか。
日本全国の200人の教育関係者にインタビューをし、現代の子どもたちの実態を浮き彫りにした拙著『スマホ育児が子どもを壊す』(新潮社)には、驚くべき子どもたちの生態が描かれている。その中から、今の子どもたちの運動能力について考えていきたい。
現在、小学校では、子どもたちの運動能力にまつわるさまざまな問題が浮かび上がっている。運動以前に、体を動かすことができない子どもが多く、運動会どころか、日常生活の中でさえトラブルが続発しているという。
都内の教員は次のように話す。
「都心の学校に赴任して驚いたのが、全校集会の時などに体育座りが一定時間以上できない子がいることです。体幹が年齢相応に育っていないので、床に座りなさいと言ったら、バランスを取れずダルマのように倒れてしまうか、数十秒で音を上げて横になってしまうかするのです。うちの学校ではそういう子については椅子を持って来て座らせるようにしています」
体の関節が固まっており、正座どころか、あぐらをかくことすらできない子もいるのだという。他に先生たちは、どのようなところで子どもたちの運動能力の低下を懸念しているのか。本書の取材で挙がったのは、次のようなことだった。
・雑巾がけをさせると、顔面から倒れてケガをする。
・肩甲骨が固まっており、両腕を上げてバンザイをすることができない。
・100m走をやらせると、カーブで曲がり切れずに倒れてしまう。
・両腕両足を交互に動かすことができないので、行進やクロールができない。
こうした子どもたちの運動能力を測る指標の一つが「ソフトボール投げ」だという。ボールを投げる動作は全身を使って行う。しかも、日常生活ではやらない動作が多い。そのため、運動能力の差が如実に表れるそうだ。国の統計によれば、2010年あたりから徐々に距離が低下。ちょうどタブレットやスマホが子どもの間に広がった時期と重なっており、その影響を指摘する研究者も少なくない。
似たようなことだと、子どもの視力の低下も同じくらいの時期に低下している。小学生で視力1.0未満の子は、1986年には19.1%だったものの、2022年には37.88%にまで上がっているのだ(「学校保健統計調査」)。
岐阜県の小学校の教員は話す。
「男の子でもボールを投げられない子は多くなっています。いわゆる、女の子投げというんですか? 砲丸投げみたいな形で投げようとしたり、投げる時にジャンプしたり、ひどい子になると投げる動作に入った途端にバランスを崩して倒れたりします。コロナ禍の時に、玉入れをやらせたら、玉を上に投げることができない子が多くてびっくりした記憶があります。コロナ禍のせいも多分にあるでしょうね」
子どもたちの運動能力の低下は懸念すべきことだが、現場の先生方を悩ませているのは、それによって引き起こされる事故やケガだという。
運動能力とは、単に運動をするための能力というだけでなく、体を守る際に必要となる力である。転ばないようにバランスを取ったり、過度な負担をかけずに適切に体を動かしたりするのも運動能力の一つだ。つまり、運動能力に乏しければ、それだけ事故やケガのリスクが高くなる。
それを示すのが、子どもたちの骨折率の高さだ。1970年代と比較すると、今の小中高生の学校における骨折率は2.4倍となっているのである。
現在の学校では運動会を縮小したり、体育から激しい運動を除外したり、事故の予防対策を打ったりと、以前に比べればかなり手厚いケアをしている。にもかかわらず、これだけ骨折率が増えているというのは、数字以上に子どもたちの体がケガをしやすいものになっていると言わざるをえない。
都内の小学校の教員は話す。
「以前は、学校内の骨折事故といえば、休み時間にするプロレスごっことか、友達に足を引っかけられたとか例外的なことがメインでした。でも、今は違います。教室を出ようとして友達とぶつかって骨が折れたとか、荷物を持って歩いていたらふらついて転んで骨折したとか、そういうにわかには信じがたい事故が増えているのです。言葉は悪いですが、学校全体が高齢者施設のようになってしまっていて、子どもがちょっと走っているだけでも、こっちは何か起こるんじゃないかとハラハラしてしまいます」
骨折については統計が出ているが、捻挫、打撲、脱臼といったケガの実態は明らかになっていない。本書に登場する先生方によれば、骨折は氷山の一角であり、骨折より小さなケガのほうが格段に増えているだろうとのことだ。
なぜ、こうしたことが起きているのか。本書の取材で小学校の先生方が語っていたのは、運動の機会の「分断」である。
今の子どもたちは、親が共働きであるために学校が終わっても、そのまま児童館で日が沈むまで過ごすか、家に帰ってオンラインゲームをするというのが一般的だ。放課後に友達で集まって、何時間も外遊びをするという時代ではない。
そのため、親が意識して運動の機会を提供しなければ、子どもの運動能力は育たなくなっているのである。都内の小学校の教員は言う。
「クラスの子を見ていると、運動能力の高い子は、習い事でスポーツをやっていますね。そこで専門知識を持つコーチに指導してもらって心身ともに成長しています。しかし、習い事でスポーツをやっていない子は、私生活において運動する機会がまったくといっていいほどない。それによって、運動のできる子は昔よりずっとできるけど、そうでない子はまったくできないという狷鷆鵬臭瓩起きているのです。中間層が減ったといえるでしょう」
たしかにプロ野球選手にせよ、サッカー選手にせよ、世界へ羽ばたくプレイヤーは増えている。だが、一方で、これまで見たようにソフトボール投げどころか、雑巾掛けや校庭のカーブを曲がることすらできない子も多数出現している。これを二極化といわずして何といおう。
親にしても、今の子どもたちが体を動かす機会がなくなっていることは知っている。だが、もし習い事でスポーツをさせようとすれば、少なくない費用と労力がかかる。
もしスポーツクラブ等で習い事をさせれば、一競技につき1万円前後はかかる。週に3回、2人きょうだいにやらせれば、それだけで6万円前後になる。入会費、用具代、合宿代、交通費などを含めれば、実質的には月10万円近い負担になるだろう。
指導者が無報酬で教える学童野球(少年野球)などなら、費用はもう少し安く済むかもしれない。だが、代わりに親がコーチとして参加する、行き帰りの送迎をする、付き添いや応援をするといったことで、親の負担は大きくなる。
本書はこうした子どもの運動機能にまつわる問題を多数載せているので参考にしてほしい。ただ、重要なのは、こうした問題が小学校に入る前、つまり保育園や幼稚園の段階ですでに深刻化している点だ。【中編:子どもにハイハイさせない親たち】では、幼い子どもたちと運動を取り巻く課題について考えてみたい。
取材・文:石井光太’77年、東京都生まれ。ノンフィクション作家。国内外の文化、歴史、医療などをテーマに取材、執筆活動を行っている。著書に『絶対貧困』『遺体』『「鬼畜」の家』『43回の殺意』『本当の貧困の話をしよう』『格差と分断の社会地図』『ルポ 誰が国語力を殺すのか』などがある。