現在、日本の小中高で起きている暴力行為の発生件数は、約9万5000件で過去最多となっている。
30年くらい前まで、校内暴力といえば、ヤンキーと呼ばれる不良グループが教師に手を上げたり、校舎の窓ガラスを破壊したりといった行為だった。だが、近年はそうしたあからさまな暴力を振るう子どもの数は激減した。
にもかかわらず、どうして子どもたちの間で暴力行為が多発するようになったのか。都内の小学校の校長は次のように話す。
「以前の校内暴力は、中高校など年齢が上の子によって行われるものでした。しかし、今はむしろ、小学校のほうが深刻なのです。年齢の低い子であればあるほど暴力行為が目立つようになっているのです」
子どもたちに一体何が起きているのか。
近著『ルポ スマホ育児が子どもを壊す』(新潮社)は、保育園から大学まで、現場の教育関係者200人以上にインタビューをし、子どもたちが抱えている問題を浮き彫りにしたノンフィクションだ。そこから引用する形で、【前編:学校いじめ件数過去最多「衝撃の背景」ルポ】につづき今の子どもたちの乱暴な行為に光を当てて考えてみたい。
日本の小中高での校内暴力はどれだけ増えているのだろう。20年前と比べると、発生件数だけみても2.8倍という数になっている。少子化によって子どもの数が減少していることを踏まえれば、数字以上に暴力行為が増加しているのがわかるだろう。
中でも顕著なのが、小学生の暴力行為だ。高校生が減少し、中学生が波こそあれさほど変わっていないのに対し、小学生だけが毎年のように大幅に増加しているのである。
都内の小学校に勤める先生は次のように話す。
「授業中も普通に子どもたちの間でケンカが起きますね。それなりの理由があればまだしも、衝突の原因は本当に些細でどうでもいいことばかりなのです。隣の席の子どもが消しゴムを貸してくれなかったとか、上履きを踏まれて汚されたとか、間違った発言をしたことを友達に笑われた気がしたとかいうことです。
学校にいればそうしたことくらい普通にあるだろうというような些細なことに引っかかって、いきなり相手を叩いたり、物を壊したりするんです。一々、それくらいでキレていたら身がもたないだろうにと思うほどです」
近年の小学生の暴力行為には一つの傾向がある。前出の校長が言うように、学年が低ければ低いほど、暴力行為が多くなりやすいのだ。
なぜ、先の先生が言うようにつまらないことで一々キレて暴力沙汰にまで発展するのだろうか。兵庫県の小学校に勤める先生は話す。
「クラスで問題を起こす子って、感情を抑えられないのと同時に、何でもかんでも自分の思い通りにいくと考えていることが多いのです。そしてこういうタイプの子が年々増えてきています。周りが全部、自分にとって都合の良いことをしてくれるだろうという前提で生きている。
こういう子たちは、自分の思い通りにならないと驚くほど簡単に逆上します。現実を受け入れられないのです。だから、ちょっとしたことでも興奮して相手をひどい言葉で罵って、手を上げる。教員に対してもちゅうちょなく暴力を振るってきます」
先生が言うには、このタイプの子どもが増えている背景には、「親による過剰な甘やかし」が影響しているそうだ。
親は、子どもを信用して自由にいろんなことをやらせるより、あらゆることを先回りして用意して決まったことをさせる傾向にあるらしい。未就学児の段階からトラブルになりそうな子を遠ざけ、保護下で大人が用意したことをさせては「偉いね」「すごいね」と過剰に賞賛し、失敗や挫折体験をできるだけ排除していく。
そのため、子どもたちは小学校に上がる頃には、物事のすべてが思い通りにいってホメてもらえると考えるようになり、そうならなければ激昂して暴れるか、簡単に心が折れてしまうかする。それが低学年の校内暴力の増加を引き起こしているというのである。
先生はつづける。
「子どもにとって失敗や挫折の体験は経験値として必要なんです。それがあるから初めて、世の中が思い通りにいかないことを知るし、多少のことがあっても、踏ん張って乗り越えようとしたり、相手の多面性を受け入れたりする。でも、その経験がなければ、キレて関係性を壊すか、学校に来なくなるだけなのです。保育園、幼稚園の段階で、ある程度この力をつけてもらわなければ、小学校ではなかなかうまくいきません」
小学1、2年の段階で暴力行為が多発しているのならば、未就学児の段階で感情をコントロールする力を習得させておく必要がある。入学時点で、まったくそれがない状態では手遅れなのだ。
暴力行為が増加しているその他の要因として、先生は次のように話す。
「校内暴力の増加の要因としてもう一つあるのは、発達特性の強い子どもがトラブルを起こすケースです。学校で発達特性のある子が増えていることは周知の事実です。今は、時代的に、そういう子が教室で暴れたとしても、『特性を認めてあげよう』ということになっていて、教員は力で押さえることができません。押さえ込めば、その子の特性を抑圧している、踏みにじっていると批判されかねない。そのため放置することしかできないのです。
すると、そういう子はますますトラブルを起こすようになります。また、発達特性のない子まで真似をして好き勝手をしはじめる。一度こうした負の連鎖がはじまると、止めようがなく、あっという間に学級崩壊にいたります」
発達特性の強い子が必ずしもトラブルを起こすわけではない。むしろ、おとなしい子のほうが多いだろう。ただ、感情をコントロールできない、空気を読むことができないといった特性から、クラスの環境によっては他者と衝突することもある。
現在の学校では、先生はこういう生徒を押さえつけるより、特性を認めることが良いとされている。発達特性は押さえ込んでも改善されるものではないので、基本的なアプローチとしては間違いではない。
しかし、大半の先生は「認める」ということがどのような行為を示すのかがわかっていない。認めようと言われれば、その子の言動を放置すると受け止める先生が多いのだ。そうなれば、当然、その子はいろんなところで同級生とぶつかってしまうだろう。
先生はつづける。
「発達特性を認めようというのは簡単です。でも、教員の立場からすれば『認めるってどうすればいいの?』って聞きたいです。教育委員会からも国からも、それに対する答えを出してもらえないので、クラスがどんどん荒れてしまう現実があるのです」
こうした事態に学校はどう対処しているのか。詳しくは『ルポ スマホ育児が子どもを壊す』を参考にしてほしい。
ここで言えるのは、学校だけでは、校内暴力の増加を食い止めるのは難しいということだ。保護者も含めて、社会全体が学校で起きている現実を把握する必要がある。その上で、子どもたちに感情をコントロールする力を与えるには何をするべきかを明確にしなければならない。それができるかどうかが、校内暴力の行方を担っているといえるだろう。
取材・文:石井光太’77年、東京都生まれ。ノンフィクション作家。国内外の文化、歴史、医療などをテーマに取材、執筆活動を行っている。著書に『絶対貧困』『遺体』『「鬼畜」の家』『43回の殺意』『本当の貧困の話をしよう』『格差と分断の社会地図』『ルポ 誰が国語力を殺すのか』などがある。