その姿が見えにくくなっただけで、「部落差別」は今なお、社会に根深く残っている──大阪港湾局の職員2人が部落差別発言を繰り返していた問題からは、そうした実態が浮かび上がってくる。にもかかわらず、なぜメディアは詳細を報じようとせず、自治体は公表に後ろ向きなのか。ノンフィクション作家・広野真嗣氏が真相に迫った。
【写真】横山英幸・大阪市長と吉村洋文・大阪府知事
きっかけは大阪版の新聞に載ったベタ記事だ。
〈大阪市は18日、大阪港湾局設備課の職員2人が、同僚について差別発言を繰り返していたと明らかにした。2人は発言を認めており、市は処分を検討する〉(読売新聞6月19日付・大阪本社版)
人権擁護の牽引役になるべき自治体内部で起きた差別という問題だ。記事はこう続く。
〈2人は3月18日以降、3日間にわたり、設備点検に使う公用車内で、別の同僚を名指しし、被差別部落などに関する差別発言を数十回行った。同乗の上司も助長させる差別発言をしていた。3月末、同局がドライブレコーダーのデータ記録カードの映像を見て発覚した〉(前掲記事)
これまで深刻な部落差別問題が繰り返されてきたなかでの不祥事。全国版の社会面で扱われていいはずが、各紙ともに限られた読者にしか届かない地域版の小さな扱いだ。
また、どの記事も発言の引用がなく、深刻さが伝わらない。NHKのローカルニュース(ウェブ公開は18日20時4分)に至っては「部落」の文字が抜け落ち、何の差別かすらわからない。
そもそも、市の発表が事態を把握してから2か月半も後になったことを記者クラブは厳しく問い詰めなかったのか──。
ある社のベテラン記者が声を潜めてこう言う。
「確かに、速やかな発表がなかったのはもみ消そうとしたからではないかといった追及をしていい案件ですが、社会面のデスクは現場に発破をかけるどころか、地域版に差し戻したそうです。上が腰が引けているから、若手はもう何が差別かわからなくなっていますよ。『部落って差別語ですよね?』と真顔で周囲に尋ねた記者もいたと聞く」
そんな風にマスコミが及び腰になっている間に、“行政のスキャンダル封印”が見逃されていた。
まずは市の発表資料(6月18日)を見てみよう。
〈部落差別を意図する賤称語を数十回にわたり執拗に繰り返し〉たと綴られているが、そもそも「賤称語」などという言葉では役人以外に意味が伝わらないではないか。
発表文や報道を総合すると、車内という密室での「賤称語」発言が判明したのは、職員の1人の「運転が荒い」という情報が寄せられ、別の職員がドラレコを確認したことに端緒がある。
しかも、ドラレコのSDカードが5月末に差し替えられていたことも判明。市は警察に盗難の被害届も出している。
大阪に向かった私は6月25日、大阪港湾局に問い合わせた。「賤称語」の中身を訊いたが、担当者はこんな答え方をする。
「具体的な発言を公表することによって、差別の再拡散につながるということで、この内容(賤称語)に止めています」
もっともらしい言い方だが、これでは何が問題なのかわからない。今後出る処分の妥当性も判断できないではないか。
差別を受けてきた側はどう受け止めているのか。部落解放同盟大阪府連合会を訪ねると、高橋定・書記長がこう答えた。
「市は2人の職員が何を発言したか、ちゃんと公表すべきやと思います」
さらに「再拡散になる」という市側の言い分を伝えると、「そんなことはないわ」と否定して、こう不信感を露わにした。
「こうした事件は社会意識の反映やから、なぜ差別行為をするのかという原因や背景を突き止めないといかんのです。部落問題に対してどんな思いや経験があったのかを聞き取って、そこから処分や職員研修のあり方を考えるのがあるべき姿でしょう」
とりわけ問題視するのは、自治体で差別が繰り返されている点だ。2019年には、50代の大阪市環境局職員が大阪市内の駅のトイレで部落差別に関する落書きを繰り返したとして書類送検された。
「市はまた何か起きたらすぐに報告してくれるという約束でした。それやのに今回の発表は発覚から2か月半も後ですわ。なぜそうなるんか、全く理解できない」(同前)
取材を続けるなか、7月1日、大阪市が「追加発表」を行なった。表向きは、事件を受けて市の全部署を調べた結果、〈同様の事案はない〉とするものだが、発表資料の下段に〈事案の概要等〉と題して、〈えたなどの部落差別を意図する賤称語を数十回以上にわたり執拗に繰り返しつつ誹謗中傷〉したとした上で、今回の差別発言の内容を次のように記載した。
〈子どもが結婚するときはシビアになる〉〈生まれ変わっても血は変わらない〉〈皮をなめして暮らしている〉〈部落地名総鑑で調べる〉
ただ、これは発言の引用ではなく、市がわざわざ文脈を削って表現を整えたものだ。ここにきて情報を追加した理由を市に聞くと、「より一層の市民への説明責任を果たすため」と答えた。
この追加発表についての報道は、〈子どもが結婚するときはシビアになる〉という文言のみを入れ、読売と毎日、NHKがローカルで報じたにとどまった。
さらなる取材を通じ、私は、市の内部資料を入手した。ドライブレコーダーに残された職員2人の会話を大阪港湾局がテープ起こししたものだ。
その会話は、3月18日に1分間、同21日に計4分間、同28日に17分間、職員Aとその上司にあたる職員Bの間で交わされている。2人とも定年退職が近い年齢の人物だ。
全9枚にわたるその記録は、差別意識丸出しのグロテスクなものだった。
例えば市公表の「結婚するときはシビアになる」はこんな文脈だ。
〈A:差別大好きーやもんね(中略)だってそういう風に育ってきてんもん僕ら B:なあ、会社はさることながら、ほんま、子供が結婚する時はちょっとなあ シビアになるわな〉(3月28日、引用部以下同)
また、市の追加発表であった〈皮をなめして暮らしている〉という発言は、次のような文脈だ。
〈A:皮舐めて暮らしとけ B:人権研修受けなあかんで我々〉
差別表現は認識不足が原因であることも多いが、この2人の会話は、差別を問題として知りながら悪びれることなく肯定していることがわかる。
〈生まれ変わっても血は変わらない〉と発言したとされるくだりで、Aが口にしたのは〈どえったはどえったや なんぼ生まれ変わっても、どえったの血はどえったの血や〉という言葉。これだけでもおぞましい表現だが、その先も延々と、被差別部落出身者の尊厳を傷つける言葉が並ぶ。
〈部落地名総鑑で調べる〉に連なるやり取りでは、〈A:かたや○○(地名)のどえた、かたや○○(地名)のどえた〉など、地名をあげた発言が続く箇所もある。
Aの発言が酷いのは当然だが、指導する立場のBも「無茶苦茶言うわ」と、いなすだけでブレーキを踏まない。ゆえにAが暴走していくのだ。
言うまでもないが、ここに登場する「どえった(えた・えった)」は被差別部落出身者に対する「賤称語」だ。Aはこの3日間・計22分の間に75回もその言葉を発した。1分間に3回以上の頻度だ。
市に資料の確認を求めたが、テープ起こしの資料を作成した事実は認めたものの、私が入手した資料とそれが一致するかについては「お答えしかねる」とするのみ。
では、この2人はなぜこんな会話を繰り返すのか。聴取結果について聞くと、市は次のような趣旨の文書回答をした。
「職員Aは、同僚職員への悪口として(中略)職員Bは、職員Aの職場状況から、自分しか話を聞いてあげる者はいないと考え、職員Aの差別発言を指導・注意せず、自身も助長する差別発言を行ったものです」
孤立した職員の憤懣が平然と差別と結びつく。これは個人だけの問題か。職場に原因はないのか。
市が追加発表を行なった翌2日、今度は部落解放同盟大阪府連合会が「断固抗議する声明」を発表した。
声明で解放同盟は前日の市の追加発表を引用しつつ、〈他の職員への不満や発言者本人が孤立している職場環境への憤りに対して、相手を攻撃する材料に部落問題を持ち出し、自分を理解しないのは、「どエッタ」だからだとする身勝手で傲慢な思い込みこそ、深刻な差別意識のあらわれ〉〈二人の会話は日常会話として毎回のように交わされている会話だと推測され、差別発言が日常化していた事は、火を見るよりも明らか〉と断じ、真相究明の徹底を求めた。
具体的な発言の公表を渋る市の姿勢について改めて見解を問うと、前出・高橋氏はこう語った。
「当初よりは一定の前進はあったものの全く不十分な発表だと思います。本来ならば、どんな文脈で語られたのか、なぜこんな発言が行なわれたのかがわかるよう、最初の段階からきちんと発表すべきなのですから」
より厳しく批判する見解もある。部落解放同盟中央本部で差別問題に取り組み、差別表現・差別報道をめぐる著書が複数ある小林健治氏(にんげん出版代表)は今回の発言を「ヘイトスピーチ」と言い切って続ける。
「差別語を隠すというのは、その言葉が持つ差別性を見えなくすることなんです。逆に差別と戦うには差別語が持っている差別性を前面に出して、それを批判すべき。だからどんな発言がなされたのか、すべて公表すべきなのです。『どえった』と言われて差別された、その言葉にこそ憎しみと怒り悲しみがこもっているわけで、その言葉を明らかにすることで、日本の深いところで差別が厳然と残っていることが炙り出され、差別解消の一歩につながるのです」
確かに、前出・3月28日の発言記録には、問題の根深さを感じさせる次のような記述もある。
〈A:どえった嫌いや B:改めて言うわ、十分知ってるて〉
2人のこうした会話は、以前から常態化していた可能性もあるのだ。
貝塚市議を経て2003年に解放同盟の組織内候補として府議に当選した元府議会議長の今井豊氏に話を聞いた。2010年には松井一郎氏(当時は大阪府議)らと大阪維新の会を創設したメンバーの1人だ。
「橋下徹が突破口を開けたとはいえ、大阪市役所は問題に蓋をしたがる体質がきついねん。“寝た子を起こさないよう黙っとく”という考え方じゃなしに、こんな考えの人間が、まして税金で飯を食う行政マンにまだおるということを徹底的に明らかにせんと」
常習的であるということは、職員個人の責任というより、職場環境を整える市のガバナンスの欠陥が疑われる。生々しい記述を避けるのは、「差別助長」を盾に市の失策を“隠蔽する”ことにつながるのではないか。
かつての大阪では激しい差別に抗する運動の力も強靭だった。それが施設整備や税の減免など優遇策を同和対策事業として引き出す力にもなり、一部では行き過ぎて、不祥事も誘発した。
2002年に同和対策事業特別措置法が失効するが、以降、2005年の大阪府同和建設協会談合事件(※大阪市が発注した街路樹維持管理業務を巡る不正入札事件。大阪市側が、大阪府同和建設協会に加盟する業者だけが同業務を落札できるように選定していた)や2006年の飛鳥会事件(※財団法人「飛鳥会」理事長で部落解放同盟大阪府連合会飛鳥支部長が、大阪市側が管理を委託していた駐車場収入の一部を着服していた事件)など、市や解放同盟幹部が絡んだ不正の摘発が相次ぎ、同和行政が大幅に整理縮小される流れが強まった。
そして法の失効後に、市の同和対策部は「市民局人権室」に、2013年には「ダイバーシティ推進室」に改組。同和問題は多様性のなかの一つとして扱われるようになった。
だが、差別は現に存在する。2020年の法務省の意識調査によれば、「部落差別を経験や見聞きしたことがあるか」という質問に「ある」とした答えが、近畿や中国、四国ではいずれも25%強に上る。
インターネット上に被差別部落の地名を記すなど、差別を“おもちゃ”にするような勢力まで登場するなか、差別への抵抗力の衰えは深刻な危機だ。そんな現状について横山英幸市長に聞くと、「未だ、今回のような差別発言をおこなう職員がいることは非常に遺憾であり、より実効性を高める取組を検討するよう担当所属に指示した」という文書回答だった。
ただ、対策の前に真相究明が先だ。発言を明らかにするよう市を問い詰めないメディアの罪も重い。緊張感の欠落は、それ自体が差別を助長する要因になりかねないからだ。
【プロフィール】広野真嗣(ひろの・しんじ)/ノンフィクション作家。神戸新聞記者、猪瀬直樹事務所スタッフを経て、フリーに。2017年、『消された信仰』(小学館文庫)で小学館ノンフィクション大賞受賞。近著に『奔流 コロナ「専門家」はなぜ消されたのか』(講談社)。
※週刊ポスト2024年7月19・26日号