「私は維新を見限ることにしました」
前回の東京・世田谷区議選でトップ当選を果たした稗島(ひえしま)進氏は都知事選の直前、8年にわたって所属した日本維新の会から離党した。本人がその真意を明かす。
「維新というのは、もとは創設者の橋下徹さんが『地域主権』を掲げてできた政党です。大阪は大阪で、東京は東京で、それぞれの地域で自立して活動をする政党でした。それが近年はすっかり変わってしまった。
結局、維新は大阪中心の政党で、それ以外の地域は大阪維新の植民地のような扱いになったのです。東京維新の柳ヶ瀬裕文代表や音喜多駿幹事長も党の幹部になったので、大阪の党本部にしょっちゅう行くようになる。そうなると、大阪での維新の強さを改めて実感し、『大阪脳』になって帰ってくる。つまり、維新にとって大阪こそが一番で、大阪のための政党という意識が強くなってしまったのです」
日本維新の会の党勢が急激に失速している。4月に行われた衆院3補選では、候補者を立てた2選挙区で立憲民主党に完敗。東京都議補選でも2選挙区で全敗した。かつての勢いはどこへやら。泡沫の候補者しか立てられない地方政党に成り下がりつつある。都知事選にいたっては候補者すら立てられなかった。
「都知事選で維新は『静観』という態度を取りました。東京で選出された維新議員のことを考えれば、候補者を擁立するべきでした。たとえ負けたとしても、チャレンジすることで党勢を拡大していくのが本来の維新です。しかし、大阪から見たら維新の候補が惨敗することはマイナスになると考えて、『静観』した。もう維新の未来はないと思いました」(稗島氏)
ロシアを訪問したことが問題視され、維新を自ら離党した参議院議員の鈴木宗男氏も「叱咤激励の意味をこめて、言いたいことがある」と話す。
「今回の都知事選に音喜多さんは出るべきでしたよ。参院から鞍替えして、次の衆院選で勝負をするのですから、小池百合子都知事と対峙して、維新の考えを訴えるべきでした。たとえ負けたとしても、東京の維新支持が根付いていったと思います。本当にもったいないことをしましたね」
日本維新の会は、橋下元大阪市長と松井一郎元大阪府知事の2枚看板で「身を切る改革」を旗印に、「維新旋風」を巻き起こしてきた。橋下、松井両氏が引退した後も、関西を地盤に勢力を拡大してきた。同党総務会長の柳ヶ瀬氏が述懐する。
「関西では支持が根付いているのに、東日本では党勢拡大ができていないと言われることもあります。実際には、’23年の統一地方選前には20名くらいだった(関西以外の)地方議員が70名にまで増えているんです」
こうして選ばれた地方議員は、実は生活苦に直面している。関西以外のある地方議員が明かす。
「『身を切る改革』で、議員報酬の2割を被災地などに寄付するよう定められています。国会議員は報酬が高いからまだいいですが、市区町村議員は報酬がそんなに高くありません。年収が800万円なら、640万円になってしまう。政治活動にもおカネがかかるわけですから、家庭をもって子育てをするという生活が成り立たないレベルです。党はもう少し地方議員の実態を考えてほしい」
さらに維新が政治手腕の未熟さを露呈させたのが、政治資金規正法の改正をめぐる迷走だ。維新が目指す調査研究広報滞在費(旧文書通信交通滞在費)の使途公開などについて馬場伸幸代表と岸田文雄総理が合意文書を交わし、自民党の改正案に衆院で賛成。ところが、自民党が通常国会での旧文通費の改革を見送ると、維新は「嘘つき内閣」と批判に転じ、参院で反対に回った。
後編記事『金城湯池だったはずの地元・大阪でも異変!「日本維新の会」に訪れた「終わりの始まり」』へ続く。
「週刊現代」2024年7月20・27日合併号より
金城湯池だったはずの地元・大阪でも異変!「日本維新の会」に訪れた「終わりの始まり」