近年、セクハラ、パワハラにはじまり、さまざまなハラスメントが問題視されるなか、このところ急速に社会問題化したのが「カスハラ」(カスタマーハラスメント)である。周知のとおり、顧客が従業員に対し、威嚇や恫喝など、ひどいいいがかりや理不尽な要求を突きつけることで、国も対策に動き出している。
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セクハラやパワハラと違って、まだ法令で定義されてはいないが、5月13日に行われた自由民主党の作業部会では、企業側に相談体制の整備を義務づける、といった案が検討された。厚生労働省も、従業員を保護する対策を企業に義務づけるよう、法改正を進めることを検討しており、東京都は「カスハラ」を禁じる条例を制定する方針を示している。
実際、サービス関連の産業別労働組合であるUAゼンセンが行ったアンケートでは、回答した3万3,000人の約半数が、直近の2年間にカスハラ被害に遭っていたという。被害が増えているのは事実なのだろう。だから、対策が必要なのは当然だ。しかし、どこか違和感も拭えないのである。
テレビのワイドショーなどでも、連日、カスハラ問題が取り上げられている。そのなかでは、たとえば、こんな事例が紹介されていた。
ラーメン店で、ラーメンを頼んだ客がトッピングを追加で注文しようとしたが、この店では注文後のトッピング追加を禁止していたため、店員がそのことを告げた。すると、客は怒鳴りはじめ、卓上にあったコショウや爪楊枝をすべてラーメンのどんぶりのなかにぶちまけ、一口も食べずに立ち去った――。
あらかじめ断っておくが、この事例を取り上げたことに他意はない。店側が誠心誠意対応したのに、客が一方的に常軌を逸した嫌がらせを働いたのかもしれない。事例はたんに、考える道具として採用したにすぎないことを理解してほしい。
さて、複数のワイドショーでこの事例を取り上げていたが、いずれの番組でも欠けていた視点があった。それは、客が怒鳴り出す前に、店側はどのような対応をしたのか、ということである。
「申し訳ありませんが、トッピングは必ず事前に注文していただくようにお願いしておりまして、うちも人手が足りず、あとからだと対応できず、ほんとうにすみませんが、ご理解いただけないでしょうか」などと、丁重に応対したのか。それとも、「注文後のトッピング追加は禁止だって、ちゃんと書いているだろ!」といった調子で、客の要求をはねつけたのか。
いま挙げたのは両極端な対応で、その間にさまざまなパターンがあると思うが、いずれにせよ、客の「カスハラ」を引き出した店側の対応がどんなものであったか、どの番組でも触れていなかった。むろん、ほかの事例を取り上げる際も同様で、客側が一方的に迷惑行為におよんだかのような報じ方なのである。
日本では長く、顧客にていねいに応対することが美徳だとされてきた。歌手の故・三波春夫の口ぐせ「お客様は神様です」は、客に最高の芸を届けるという趣旨の言葉だったらしいが、このわかりやすいフレーズが、いわゆる「おもてなし」の精神と結びつき、客に尽くすべきだという発想に結びついた面がある。このため、カスハラ対策が遅れたが、遅まきながら、迷惑行為には毅然と対処しよう、というのが現状だ。
それはいい。十分な対策を講じるべきだろう。だが、先に「違和感」と述べたのは、「お客様」が、従業員側の対応は不問のまま、「神様」から「加害者」に転じることについてである。客がひどい威嚇や恫喝、あるいは器物損壊におよんだ場合、その行為について申し開きの余地はない。だが、店側がどのような応対をした結果、そうした行為が引き出されたのかを、一件ごとに検証する必要があるのではないだろうか。
なぜ「カスハラ」の被害に遭ったのか。すべては客の責任なのか。店側には「ハラスメント」まがいの言動はなかったのか。ワイドショーでは、客がどう気をつけるべきかについては、繰り返し述べられていたが、店側がカスハラを未然に防ぐためにどう気をつけるべきかについては、まったく触れられない。
しかし、社会問題としての「カスハラ」に対処するのなら、「カスハラ」を引き出す店側の応対についても検証すべきである。私自身、飲食店でも、鉄道やタクシーなどの交通機関でも、従業員の対応に腹を立てて苦情を申し立てたことがある。その際、苦情が一線を越えて「カスハラ」にならないように、意識をあらたにすべきだと感じるが、同時に、苦情を述べる必要がない応対を求めたい。それがいちばんの「カスハラ」防止策になるのではないだろうか。
日本という国は、なぜか極端から極端に走りやすい。それまで原発一辺倒だったのが、福島第一原発の事故が起きると、再生可能エネルギー一辺倒に転じた、というのは一つの典型だ。しかし、原発にも再生可能エネルギーにも、長所があれば短所もある。だから、それぞれを俯瞰して、長所と短所を総合的に検討する必要があるのに、それができない。昨今の「カスハラ」の取り上げ方にも同様のものを感じる。
「カスハラ」を行う客の推定年齢は、UAゼンセンの調査によれば、60代が29%でもっとも多く、次が50代の27%、70代以上の19%だという。失われた30年において低調な経済状況が続き、加えて新型コロナウイルス禍によって閉塞され、高齢層の欲求不満がたまっているのが一因だ、とする分析がある。一方、昨今の若年層が以前にくらべ、ハラスメントと名づけられるような状況への耐性を失っているということもあるだろう。
そうしたことまで見据えなければ、カスハラ問題は本質的には解決しない。
しかし、短期的には、従業員の側と顧客の側がそれぞれ、巨視的に眺めたときになにが自分にとって最大の利益をもたらすのか、しっかり考えることだろう。すなわち、従業員の側は、ていねいな応対で客に満足してもらう、という姿勢を失ってはいけない。客の側は、一時の感情にまかせて従業員を恫喝すれば、今後、自分自身が受けるサービスの質が低下する可能性があることに、思いを至らしめる必要がある。たとえば、バスやタクシーの運転手のなり手が激減している背景には、「カスハラ」への恐怖感がある。
結局のところ、鍵はそこにある。従業員側と客側。あくまでも双方が認識をあらたにすることからしかはじまらない。
香原斗志(かはら・とし)音楽評論家・歴史評論家。神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。著書に『カラー版 東京で見つける江戸』『教養としての日本の城』(ともに平凡社新書)。音楽、美術、建築などヨーロッパ文化にも精通し、オペラを中心としたクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)など。
デイリー新潮編集部