「いまは興味のない仕事に就いていると思うかもしれないけど、3年も働けば希望している部署に異動できるだろうから、一緒にがんばろう!」
4月に新卒で中堅システム会社に就職した伊藤康介さん(22歳・仮名)は、上司との面談でそう言われて「絶望」した。
まずは石の上にも三年―当たり前のことのようにも思えるが、いまの若者たちは、その3年をムダな時間としか考えない。たとえ興味のない仕事であっても、とりあえずやってみれば何か得るものがある。そう考えて仕事に邁進してきた日本人の価値観に、大転換が起きているのだ。
伊藤さんの話に戻ろう。伊藤さんは、本来は開発部門での仕事を希望していたが「最初は営業」という慣習のため営業部署に配属された。上司との面談ではひたすら励まされるだけ。「このままここにいてはダメだ……」そう思っていた時に、ネットで見つけた「退職代行」を使うことにしたという。
まだ何の仕事も成し遂げていないのに、「やりたくない」というだけで会社を辞める。昭和生まれの大人からすれば、それだけで小さからぬ違和感を抱くが、令和の新入社員はそれにとどまらない。「退職」という人生の一大事さえ、他人任せにしてしまうのだ。
退職代行とは、本人の代わりに会社に退職の意思を伝え、これまで面倒を見てくれた会社や上司と一切の連絡を断つ、いわば”縁切り請負業者”だ。まるでネットショッピングで買ったものを返品するかのように「やっぱり辞めます」というのは、不義理にも思えるが、いまこの退職代行への依頼件数はうなぎ上りである。
退職代行には、「モームリ」「やめたらええねん」「OITOMA」など、いくつかの業者がある。基本的にはLINEのみでやり取りが完了し、登録から30分もあれば、「退職」できてしまう。
「即日退職OK!」「勤務先情報を入力すれば、すぐに退職通知をします!」―実際に、記者が業者のLINEに登録すると、こんなメッセージが送られてきた。「正社員かどうか」「いつ退職したいのか」「会社からの貸与物はあるか」などの質問に回答し、会社名、所属部署、退職を伝える上司の名前などを記載する。最後にクレジットカードか銀行振込などで、二万数千円の依頼費を払ったら、退職代行業者が会社に電話をかけて退職完了だ。この間、誰かと話すことはない。
退職代行大手「モームリ」代表の谷本慎二氏はこう語る。
「弊社ではこれまで1万人以上の退職を代行してきました。いままでは月に200~700人程度の依頼数でしたが、この4月は約1400人と、以前の倍以上に急増しています。さらに、5月に入ってからは五月病もあってか、ゴールデンウィーク明けの段階で1000人を超えました」
もちろん、利用者は前出の伊藤さんのように、「なんとなく辞めたい」という若者だけではない。理不尽な激務・薄給に苦しんでいる人や、病気などのっぴきならない事情を抱えた人もいる。
「たとえばきついノルマや上司からのパワハラに苦しんでいたり、あるいは看護師や介護士などの方で、勤務時間や夜勤が多すぎる、などの理由で辞める方もいらっしゃいます」(谷本氏)
だが中には、「辞める理由がはっきりしない人もいるのが実情」だという。
退職代行業者がこれほど盛況となっているのは、上司、つまり昭和世代と、若者たちの間に「絶望的なまでの価値観のズレ」が生じているためだ。
金沢大学教授で『静かに退職する若者たち』(PHP研究所)などの著書がある金間大介氏が言う。
「そもそも今の若者は上司等とのコミュニケーションを『コスト』と捉えています。ましてや、『まずは3年』と言ってきかない上司に『あなたの考えは、私には合っていません』と伝える労力はムダでしかない。
どうせ辞めるのなら、退職を伝える時に発生する説得や説教をあらかじめ回避したほうが、お互い時間を失わなくて済むじゃないか。そういうふうにも考えるのです」
かつては、就職とは人生を会社に預けることと同義だった。一生を捧げる代わりに、一生面倒を見てもらう―。ところが、日本が経済大国の座から滑り落ちつつあるいまはそうではない。若者たちは安月給で会社に尽くすことも、上司にへつらうことも、「割に合わないバカバカしい行為」としか思っていない。だからこそ、顔も合わせず退職できる代行業者をこぞって利用しているのだ。
だが彼らは、知らず知らず大きなリスクを背負っていることに気づいていない。佐藤みのり法律事務所代表弁護士の佐藤みのり氏はこう警告する。
「依頼者の退職の意思を会社に通知するだけであれば問題ないのですが、退職日の確定や引き継ぎ、退職金の支払い、残業代、有給の消化など、会社とやり取りが発生する場合は『交渉』にあたります。これを弁護士ではない人がやると『弁護士法第72条』が禁止している『非弁行為』に該当し、2年以下の懲役または300万円以下の罰金となります」
依頼者に罰則はないものの、会社が退職代行業者を非弁行為で訴えた場合、退職通知は無効となることも。そうなると、退職できないまま非弁行為を巡る争いの結果を待つこととなり、いつまでも会社を辞められない。
「さらに、会社貸与のパソコンを家に持ち帰ったままだったり、重要な書類を自宅に保管したりした状態で退職代行を使って退職してしまうと、後に損害賠償請求の対象となり、会社から訴えられる可能性もあります」
いくら時代が変わっても、世の中そんなに甘くはない。お客様気分で会社を「返品」したがる若者に明るい未来が待っているとは思えないのだが。
「週刊現代」2024年6月1日号より
心ない人に「マウンティング」されたら使いたい…相手をビビらせる「言い返し」フレーズ