日常生活のあらゆる場面で「損得勘定」をしてしまう人たちがいる。人より得をしないと気が済まない、人を信用しない、人間関係ですら自分にとって得か損かだけで判断するなど、あまりよい意味では使われない「損得勘定」する人たちだが、言われている本人たちは損得勘定ではなく、自分は賢く権利を行使しているだけだと考えているようだが、最近、認知が歪んだ損得勘定をしながら日常生活を送る人たちのために、市民生活の様々な場面でトラブルが起きている。ライターの宮添優氏が、何でもかんでも損得勘定する人たちによって起きる混乱についてレポートする。
【写真】トイペを勝手に持ち帰る
* * * 例えば、筆者が牛丼店に入り500円を払って牛丼を食べていたとする。牛丼に紅生姜をひとつまみ、そして七味唐辛子を2振りして食べていたら、隣席の客は紅生姜を山盛りに、唐辛子は具が見えなくなるまでふりかけているのを目撃する。果たしてこの時、筆者は「損した」と思うだろうか。いや、実際には同じ状況を何度も経験しているわけだが、思ったことはない。本当にそう思うなら、筆者も負けじと紅生姜や七味を山盛りにすればいいのだが、多すぎる薬味は好みではないだけだ。
多くの人たちが筆者と同様の思いを抱くだろう。そうは言いつつも、シチュエーションが多少変われば紅生姜について「損をした」と感じる人は意外と少なくない。都内の牛丼店マネージャー・吉川孝明さん(40代)が苦笑する。
「牛丼一杯のテイクアウトなのに、紅生姜と唐辛子を何十袋も鷲掴みにして帰られるお客様は昔からいらっしゃいますね。おそらく、貰えるのなら多めにとか、唐辛子代が浮くとか、そういったお気持ちだとは思いますよ」(吉川さん)
吉川さんの店では以前「持ち帰り客」が相次いだことから、テイクアウト用のカウンターに置いてある唐辛子や七味、そして箸などについて「おひとりさま一点」の張り紙を出した。それでも、大量の持ち帰り客は後をたたず、結局張り紙は無駄だと感じ、撤去したという。
「過剰にとっていかれては店としては困ります。ですが、必要な分量はお客様によって確かに違う。ですので、大量の持ち帰りを指摘しても無用なトラブルになるだけなんです。正直、生姜や唐辛子をそんなに持っていっても、お客様一人一人にとっては、得も損も微々たるものだと思うんですが。それでも得した、と感じられるのか」(吉川さん)
都内の大手スーパー従業員・佐々木敏子さん(仮名・60代)も、「損はしない」という強い気持ちに駆られた客への対応に四苦八苦していると訴える。
「やはり多いのは、来客用トイレからの、トイレットペーパーの持ち帰りですね。ある日など、各個室にあったストックのものまで根こそぎ10ロール以上持ち去られました。買い物袋が有料になって以降は、無料のポリ袋を大量に持ち帰るお客様がいます。とにかく、必要以上に持っていかれては困るので注意しますが、すいませんと謝罪される人もいれば、必要だから取っているといって反論してくるお客様もいるんです」(佐々木さん)
スーパーマーケットなどでは、購入後の荷物を整理する台にロール式のポリ袋がサービスとして設置してある。購入品の水分などが他の品に付着しないように包むのだが、そういった心配がある品数よりもかなり多めに、ロールをぐるぐる回して袋を持って帰る人たちがいるのだ。それでも、ロールごと持って帰ろうという極端な例をのぞけば、お客様に直接、注意するのは難しいだろう。
だが、トイレットペーパーの持ち帰りなどは「窃盗」にもあたりそうなものだ。ところが、かつて佐々木さんが気付き、声をかけた「トイペ持ち去り客」は次のように無茶苦茶な反論をしてきたという。
「誰でも使っていいものだから持って帰ってもいいとか、よくわからないことを仰られて話になりませんでしたね。他にも、持っていくなとは書いていないとか、たかだか何十円のものに目くじらを立てるなとまで言われました。その”たかだか”をケチっているのがお客様なので自分のことを言っているわけですが、まあ、本音は言えませんよね」(佐々木さん)
客用のトイレだから、設置されたトイレットペーパーを使うのは構わない。しかし、そこにあるから、誰でも使えるものだからと言って、丸ごと持ち去っていいことにはならない。だが、そんな当たり前の思考より、絶対に損をしたくない、人より少しでも得をしたいという気持ちが勝る一部の客たちは、持ち帰りを止めようとしないのだ。
「そういうお客さんって、たとえば友達の家に行ってトイレを借りても、同じようなことをしてるんじゃないかとゾッとします。常識や関係性より、損得勘定が先に出ちゃうんでしょうね」(佐々木さん)
こういった人々がやっていることは、厳密に言えば「窃盗」に当たるだろう。だが、現実的に彼ら、彼女らがポリ袋やトイレットペーパーの窃盗を理由に検挙されることはまずない。おそらく、窃盗した人物だけでなく、被害を受けた側や司法当局も「それくらいなら」と考えているからだろう。しかし「それくらい」を見過ごした結果、とんでもない状況に至っている例もある。関西地方在住の市役所職員・冨田敏明さん(仮名・50代)が明かす。
「市役所の玄関に、市民ボランティアの方が色とりどりの季節の草花を植えてくださっていますが、必ずといっていいほど、根ごと持っていかれるんです。しかも、持っていく人は1人ではない。高齢の方もいれば、若い方もいて、男女だって関係ないんです。一見、普通の市民の方々が、こっそり、サッと持っていかれる」(冨田さん)
もはや完全に「泥棒」と言いたくなるが、何度か持ち去る市民と遭遇したという冨田さんは、その際、驚くような言い訳を聞かされたと振り返る。
「役所の花は税金だから市民が持ち帰ってもいいとか、どうせ(季節ごとに)植え替えるのだからいいでしょうとか、普通の会話が成立しないんです。確かに、お花は皆様の税金で購入されたものですが、植えていただいたり、その後の世話をしていただいているのも市民ボランティアの方。誰のものでもなく市民のもののはずですが、それがなぜ、自分が独占して良いだろう、自分1人が持ち帰っても構わないだろうという結論になるのか。みんながなんでも持ち帰ってしまえば、公共という概念すら崩壊してしまうかもしれません」(冨田さん)
経済停滞が長く続き、日常生活の細やかなシーンにおいて、とにかく他人より得をしたい、一円だって損はしたくない、と考える人が増加するのは致し方ないことかもしれない。だが、善意で提供されているものを、暗黙の了解でゆるされてきた限度を超えて奪うようなことを繰り返せば、そもそもの善意を踏みにじるだけでなく、お互いの信頼で成り立ってきたコミュニティを破壊することになるだろう。皆が自分のことだけ、損得勘定だけを考えて動くようになったら、社会はどんな形になってしまうだろうか。
今はまだ「一部の人」の言動であるかもしれない。だが、こうした当たり前の価値観が共有されなくなると、公共とか、市民とか、国家という概念さえも薄れていくのかもしれない。