日本人は世界に類を見ないほどの“お風呂好き”の民族だと言われている。ところが人生の終盤ともなるとそうはいかなくなる。病気も進行し、当たり前だったお風呂に入る体力も無くなり、多くの人たちは死んでいく。死ぬ前にもう一度、お風呂に入りたい――。
そんな患者の願いに、全力で寄り添ってきた看護師がいる。茨城県つくば市で、訪問入浴・湯灌サービスを提供している『ウィズ』の代表看護師、武藤直子さんだ。
彼女はこれまで、末期の間質性肺炎患者や、末期のがん患者、あるいは重度のALS(筋萎縮性側索硬化症)患者など、他の事業者が様々な事情で尻込みしてしまう患者も積極的に受け入れ、1万人以上の「人生最期のお風呂」に立ち会ってきた――。
ただ、関わった全ての方が幸せな最期を遂げたわけではない。人生の最期は、親と子供、夫と妻など、その人が築いてきた身近な人たちとの関係性が写し鏡のように反映されることも多く、関係性がいびつであればあるほど、トラブルも起こりやすいからだ。
今回、武藤さんが紹介するのは、息子の「引きこもり」を長年にわたって許容してきた母親の話である。
※プライバシー保護のため、内容を一部変更しています。
ケアマネージャーを通して訪問入浴の依頼が入ってきた。利用者は小倉洋子さん(仮名・享年78)。この年代には珍しい、定年まで会社勤めを続けた女性だった。終末期のがん患者で、在宅療養を続けているという。夫はずいぶん前に他界しており、50代で無職のひとり息子が在宅介護を続けている状況だった。
「武藤さん、利用者さんのお宅はゴミ屋敷でした。息子さんはひきこもり状態です。かなり汚れていますので、準備をしてから訪問してくださいね」
事前にケアマネージャーに忠告されていたものの、訪問先に建っていたのは、いぶし瓦を使った立派な日本家屋だった。洋子さんと夫が一生懸命働いて建てた邸宅で、地域でも目をひく風情のある外観だったという。
「庭には雑草が生えていましたが、そこまで荒れていなかったので、ケアマネさんの忠告も最初は半信半疑でした。ただ玄関を開けてみると、廊下も部屋も梱包されたペットボトル、封を切っていないプラモデルなどで埋め尽くされ、一階は埃まみれでした」
「訪問入浴の方ですか? こっちにいます…」
振り絞って出すような声が聞こえてきたのは、リビングでも客間でもなく、玄関から入ってすぐにあるシューズインクローゼットのような3~4畳ほどの空間からだった。覗き込むと介護ベッドもなく、その中央にある折り畳みベッドで洋子さんは寝ていた。寝床のまわりにも「何が入っているのか、よくわからない荷物」が積み上げられていた。
「とても大きな家なのに、洋子さんの“部屋”にはクーラーも暖房もなく、廊下と隔てる扉もなく、夏は暑くて冬は寒いことが容易に想像できる場所でした。居間を覗くと、そこの畳の上も息子さんの私物やゴミで埋め尽くされていて、奧には洋子さんのご主人の仏壇がありました。リビングも息子さんの私物に占領されていましたが、テレビがあるのがみえました。

どの部屋にもクーラーがついていて、訪問入浴に必要な浴槽も運びやすかったので寝床の移動を提案すると、『息子に聞いてみないと…』と困った顔をされたので、2階にいる息子さんを呼ぶことにしました」
息子はジャージ姿で降りてきたという。
「息子さんに“洋子さんの寝室を居間かリビングに移したいので、部屋の荷物を片付けて欲しい”と提案しましたが、『それは嫌です』と断られました。『捨てるだけになっている新聞紙の束やペットボトルを片付けるだけでも、お母さんの寝るスペースは作れますよ』と食い下がってみてもダメ。だったら情に訴えようと、『ただでさえ洋子さんはがん末期で苦しい時期です。温度調整もできない場所で寝かせるのはお母さまもお辛いと思います』と説明したのですが、全く取り合ってもらえませんでした」
洋子さんは私と息子さんのやり取りを聞きながら天井をみつめ、黙っていたというが、ウォークインクローゼットでも何とか浴槽のセットはできたため、その日は仕方なく、そこでお風呂に入れたという。
「洋子さんには、ご主人の残したお金と、厚生年金も国民年金もありました。家のローンは完済済みで、本来であれば手厚い在宅医療と在宅介護を受けられる方でした。訪問入浴だって存分に使えたと思います。その気になれば有料老人ホームにも入居できたでしょう。
しかしお金の管理を息子さんに任せていたため、金銭の絡むサービスはすべて息子さんの許可が必要で、その息子さんが『節約のため』と言って拒否してくるんです。親の死後に自分の生活費にあてたかったのだと思います。そのため、息子さんは在宅医療だけ入れて、在宅介護は拒否し、介護ベッドすらレンタルしないで、洋子さんの毎日の食事やおむつ交換など、すべて自分で世話をしていました。介護放棄されるよりはマシですが、しっかりとした介護ではなかったので、見ていて辛いものがありました」
武藤さんらスタッフが洋子さんをお風呂に入れると、尾てい骨の場所に、大きな褥瘡(じょくそう)が見つかったという。洋子さんはスタッフに気づかれるまで黙っていたようだ。丁寧に洗って処置を済ませ、息子が用意した年季の入ったパジャマを着せてから、布団カバーも息子が洗ったボロボロのシーツに取り換えて、寝かせたというが…
「洋子さんは新しいパジャマもシーツも事前に用意していたと思います。それくらいの準備はできる方でしたから…。しかし用意した寝具類は息子の私物とゴミに埋もれて行方不明。せっかくお風呂に入ってさっぱりしたのです。私たちは洋子さんを着心地の良いパジャマに着替えさせて、綺麗なシーツに寝かせてあげたかったのですが叶いませんでした」
洋子さんは「私は息子の世話になっているから」といって愚痴のひとつもこぼさず、久しぶりのお風呂に喜んでいたというが、その息子への「優しさ」が、彼女の「いたたまれない最期」へと繋がっていくことになる――。
「50代「ひきこもり」息子と暮らす末期がんの78歳母親が、「ゴミ屋敷」と化した自宅のクローゼットで亡くなるまで」に続きます。
50代「ひきこもり」息子と暮らす末期がんの78歳母親が、「ゴミ屋敷」と化した自宅のクローゼットで亡くなるまで