人生の最終局面、多くの人は幸せな最期でありたいと望むだろうが、それがなかなか難しい。
人生の最期は、親と子供、夫と妻など、その人が築いてきた身近な人たちとの関係性が写し鏡のように反映されることも多いからだ。子供や配偶者に辛くあたってきた父親は、家族から距離を置かれやすい。子供を愛情たっぷりに育てたつもりでも、その愛情の方向性が相手にとって間違っていれば、最期に期待するような親子関係を築くのは難しい。
そして、その関係性がいびつであればあるほど、トラブルも起こりやすい。
「50代「ひきこもり」息子と暮らす78歳母が、末期がんで寝たきりに…「ゴミ屋敷」で迎えた「悲痛な最期」」に続き、看護師・武藤直子さんが紹介するケースは、息子の「ひきこもり」を長年にわたって許容してきた母親、小倉洋子さん(享年78)の話である――。
「ひきこもりの息子さんは、親が死んだあとの自分の将来を気にしてか、母親の老後の資金をできるだけ使わないようにするため、訪問介護を入れず、自分で母親の面倒をみていました。ところがわずか1ヵ月ほどで音を上げ、介護放棄しました。『もう施設に入れて欲しい』と言い出したので、間髪いれず担当のケアマネージャーが動いて施設に入所させる手続きをとりました。その結果、洋子さんは保護され、安堵したのですが…」(武藤さん・以下同)
ところがその2ヵ月後、息子が「母を施設に預けられない。私が引き取る」と言い出したため、洋子さんは再び自宅に戻り、シューズインクローゼットだった場所に寝床を戻ることになったという。
「手のひらを返した理由は“お金の問題”です。施設に入所したことで洋子さんのお金の管理は、息子さんから施設に移りました。親の金以外の手持ちが無かった息子さんは、食うに困って『ちゃんと介護をするから』と言って、母親を戻してしまったのです。はたから見れば許しがたい動機ですが、洋子さんにとっては大切な息子。家に帰ってはダメだと引き止める人もいたようですが、『息子がそう言っているのなら』といって施設を出ました」
繰り返すが、息子が自分の将来のために節約しているお金は、母親である洋子さんが定年まで懸命に働いて、貯めてきた老後の資金と、洋子さん自身の厚生年金や国民年金である。息子はそれをあてにして、末期がんで苦しむ母親にすらお金を使わせない状況だった。ただ、だからといって母への愛情がまったくなかったわけではないという。
「相変わらず訪問介護を入れることを拒否していたようですが、オムツはこまめに変えていたし、衛生管理がどうにもいかなくなったら私たちを呼んで、訪問入浴で綺麗にしようとしていました。何か気づけば『最近、母の顔色が悪いようにみえるのですが大丈夫でしょうか』『お通じが数日ないけどどうしたらいいでしょう』と心配そうにしていることもよくありました。
私たちが入浴後に取り換えるお布団のシーツがボロボロで、『新しいシーツをだすことはできますか?』と頼めば、『探してきます』といって違うシーツを持ってきました。ただ、それもボロボロでしたが…。
息子さんに、母への愛情はあったと思います。ただ母親の死後の生活のことが頭にちらつき、介護がいびつになっていた。だから床ずれを心配し、熱心に予防する方法を聞いてくる反面、低反発のマットや介護ベッドのレンタルを勧めても拒否したり、ヘルパーを入れたほうが安心なのに、節約のために、自分でやろうとしていたように感じます。訪問入浴についても、週2回などの定期的な依頼ではなく、節約に節約を重ねて1ヵ月に1度程度、依頼してくる形をとっていました」
その一方で、息子がネット通販で何かを購入しているようで、居間やキッチン、廊下には新しく届いた工具や家電製品、パソコンの周辺機器が未開封のまま増えていったという。
武藤さんが見ていて胸が締めつけられたのが、洋子さんの食生活だった。1日3食を息子がつくって食べさせていたというが、
「洋子さんはがんの末期で食欲もなくなってきている状態なのに、息子さんがつくる介護食は彼女のことをまるで考えていない献立だったのです。例えば、朝食がトーストとケチャップをかけたスクランブルエッグだったり、晩御飯が焼きウインナーに目玉焼き、キャベツの千切り、おかゆ、麦茶だったりと、まるで独身の不摂生なおかずなのです。
当然、洋子さんはほとんど食べることができません。それをみて息子さんは『母がなかなか食べてくれない』と心配し、私たちに相談してくるのですが、介護食の宅配サービスを提案しても、「それはダメです」と拒否をする。洋子さんのことを考えると、やるせない思いがしました」
もともと末期がんではあったが、結果、洋子さんはみるみるやせ衰えていった。
「ある日、訪問入浴に訪れると、洋子さんの容体は残された時間が少ないと感じるところまできていました。私たちはどうにかして洋子さんに好きなものを食べさせてあげたかった。でも息子さんはそれを嫌います。そんなとき息子さんが二階からおりてきて『母が痩せてしまっている。どうしたらいいですか』と聞いてきたのです。
私たちは洋子さんをお風呂に入れながら、『洋子さんはなにが食べたい?』と聞いて、『そうね…。まぐろのお刺身だったら少しだけ食べられるかも知れない』と言ってもらいました。母親の願いなら聞き入れてくれると思ったのです。でも、それも却下されました。そのときの洋子さんが一瞬みせた、諦めたような顔つきがいまも頭から離れません」
その2週間後、洋子さんはシューズインクローゼットの寝床で旅立った。
中高年のひきこもり問題は、2019年の内閣府の調査結果が社会に大きなインパクトを与えた。半年以上、自宅に閉じこもっている「ひきこもり」の40~64歳が、全国に推定61.3万人いると発表されたからだ。
ひきこもりの解決は難しい。抱えている問題が個別で違ううえ、心の病を抱えていることも多いからだ。さらには両親には、我が子の問題を外に漏らさず抱え込んでしまう傾向もあり、「立ち直るまで静かに見守るしかない」と長年放置して悪循環に陥るケースも目立つ。
「洋子さんは自分が一生をかけて働いて得たお金を、息子さんに出し渋られたのに、文句のひとつも言わずに旅立ちました。ずっと『私さえ我慢すれば』と思って生きてきたのかもしれません。人生の最期は、これまでの関係性が写し鏡のように表れるものです。自分の感情を押し殺すことに慣れてしまった結果、自分が要介護者になったときも同じ状況が作り上げられてしまったのかなと感じます」
洋子さんの死後、しばらく家は残っていたが今はない。息子の所在は「不明」である。
※ プライバシー保護のため、内容の一部を変更しております
(取材・文/『週刊現代』記者 後藤宰人)
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