「そくいおめでとうございます」。
令和の時代が幕を開けた2019年5月、脳性まひのある少女が天皇、皇后両陛下に4日かけて一通の手紙を書いた。1か月後。両陛下が少女の滞在する施設を訪れた。「お手紙ありがとう」。その言葉に少女は思った。「がんばれば、願いはかなう」。それから5年。少女は自分や両陛下の節目に約20通の便りを送り、2月に「再会」を果たした。(大塚美智子)
19年5月4日。皇居で陛下の即位を祝う一般参賀が行われた。当時7歳だった愛知県豊橋市の中学1年小林咲貴さん(12)は、入院していた「三河青い鳥医療療育センター」(同県岡崎市)の病室でテレビに映る両陛下の姿を見つめていた。
母・智子さん(46)は皇后さまの大ファン。「あそこでお祝いしたかったね」とつぶやくと、咲貴さんは「お祝いするにはお手紙を書けばいいよ」と言い、折り紙の裏に文字を書き始めた。股関節の手術をしたばかりで痛みが残り、4日かけて書き上げた。
「そくいおめでとうございます。わたしはリハビリがんばっています」
まもなく全国植樹祭で来県する両陛下の同センター訪問が発表された。「娘が不自由な手で書いた手紙です」。智子さんはそう書き添えて宮内庁に手紙を送ったが内心は困っていた。娘は手紙を送れば必ず届くと思っていたからだ。

当日の6月2日。皇后さまは「小林咲貴ちゃんですか」と声をかけ手紙への感謝を述べられた。陛下も「うれしかったですよ」とほほ笑まれた。写真を同封した兄や飼い犬のことにも触れられた。
咲貴さんは「奇跡が起きた!」と喜び、両陛下に手紙を書くようになった。訪問のお礼に続き、9月には、7月末の退院報告を送った。テレビで両陛下を見たり、手紙を書いたりすると、リハビリも頑張れた。11月の即位パレードは家族と東京・赤坂の沿道で見守った。
だが、翌20年からは新型コロナウイルスの感染拡大で、両陛下が国民と直接ふれ合われる行事は相次いで中止になってしまった。咲貴さんの父・将貴(まさたか)さん(43)は医療従事者のため、家族も感染に気を使い、外出もままならなかった。
「医療に携わる皆さんが、日夜献身的に医療活動に力を尽くしてこられていることに深い敬意と感謝の意を表します」。21年元日に公開された陛下のビデオメッセージに、一家は救われる思いがした。咲貴さんは手紙を書いた。
「ビデオメッセージ見ました。お父さんががんばろうと言っていました」

両陛下に会う方法はないか。咲貴さんは22年夏、翌年1月に開かれる「歌会始の儀」への応募を思いついた。初めて和歌を作り、毛筆にも挑戦した。入選すれば皇居に招かれるからだ。
「車いす おす友の手が あたたかい 秋風にのり 笑顔広がる」
コロナ禍で気分が沈む中、車いすを押してくれる友人と過ごすことで笑顔になれるうれしい気持ちを詠んだ。残念ながら選に漏れ、23年に行われた2度の一般参賀も抽選に外れてしまった。
ようやく「再会」が実現したのは今年2月23日だった。陛下の64歳を祝う一般参賀は抽選なしで実施された。当日は午前6時半過ぎに家族と自宅を出て、冷たい雨が降るなか最前列の中央付近でその時を待った。
咲貴さんは車いすの上から日の丸の小旗を勢いよく振った。ほほ笑む陛下の横で手を振られていた皇后さまと目が合った。「こっちを見てるよ!」。咲貴さんは感動して声を上げた。
咲貴さんは4月に中学生になった。「両陛下に会えてまた元気をもらえた」と勉強に励んでいる。両陛下から返事はない。でも「絶対読んでくれている」と信じている。智子さんは言う。「両陛下への手紙が届いたことで、娘は頑張れば良いことがあると思えるようになった。無条件で寄り添ってくださる両陛下は、娘にも我が家にもたくさんの元気をくださる源です」