ドジャース大谷翔平(29)の元通訳・水原一平容疑者(39)。次々と明らかになるその過去は、これまでの“頼れる相棒”のイメージとはかけ離れたものだった。彼は何者だったのか──交流のあったノンフィクションライターの水谷竹秀氏が、現地・ロサンゼルスに飛び、その半生に迫った。(文中敬称略)【前後編の前編】
【写真】出廷前、居留守状態の玄関前には「お~いお茶」の段ボールが。他、抹消されていた「マリファナ所持」の裁判資料写真、目がうつろだった解雇前日の水原氏など
* * * 黒いスーツ姿の門番が手にする受話器から、低い男性の声が漏れる。
流暢な英語で「セキュリティー……」と話すくぐもった発音に、聞き覚えがあった。大谷から1600万ドル(約24億5000万円)を詐取したとして銀行詐欺罪で訴追された元通訳、水原一平である。水原が裁判所に出廷する数日前、私は彼が住む高級マンションを訪れていた。門番は受話器を置くと、私にこう言った。「住人はあなたに会いたくないと言っている」──。
私が水原と出会ったのは昨年5月、米カリフォルニア州アナハイムを拠点にするエンゼルスのスタジアムだった。大谷と親しいチームメイトや監督に取材をしていたところ、広報を通して水原から「会いたい」と申し出てきたのだ。
実際に会うと口数が少なく、こちらの話に相槌を打つばかりだった。彼の口からはタバコの匂いがした。
インタビューを申し込むと「大谷選手の登板の翌日なら」と提案してくれたが、実現することはなかった。「電話でなら」と言われその後計5回メールを送ったが、いずれも梨の礫だった。
次に彼を見たのは、ドジャースとパドレスの開幕戦が開かれた今年3月下旬。場所は韓国・ソウルのホテルである。試合前、ロビーを歩く大谷に続いてホテルを後にしたが、なぜか水原だけがロビーに戻ってきた。関係者と会話をする合間、スマホを片手に通話し、キョロキョロと周囲を見ていたのが印象的だった。試合後、大谷と真美子夫人は笑顔でホテルへ戻ってきたが、そこに水原の姿はなかった。
その翌朝、違法賭博疑惑が報じられ、ドジャースを解雇されたのだ。
北海道苫小牧市出身の水原は6歳の頃に両親とともに米国へ移住。一人っ子だったという。その後、バイリンガルとして育った彼の人生に何があったのか。私はルーツを探るため、ロサンゼルスへ飛び立った。
ロサンゼルスの中心部から東に約40キロ。「ダイヤモンドバー」と呼ばれる都市に1990年頃、水原家は移り住んだ。アジア系住民が5割を占める地域で、なかでも中国、韓国の出身者が多く、日本人は少ない。移動手段には車が欠かせず、日本の地方都市のようだ。その住宅地に建つ平屋を借りて、一家は生活を始めた。
水原の父、英政(64)は当時、知人の紹介で、ニューポートビーチにある日本料理店で働いていた。同僚だった日本料理店「古都」の店長、松木保雄(75)が振り返る。
「1991年から一平ちゃんのお父さんと一緒に働いていました。お父さんは和食の調理を担当。一平ちゃんは6歳ぐらいの頃から、お店に遊びに来ていました」
地域の教育機関によると、水原は自宅近くのウォルナットバレーという地域にある小学校に入学したという。その後はシャパラル中学、ダイヤモンドバー高校へ通った。
中学の卒業アルバムには、当時の水原の写真が載っている。白い歯を見せて微笑む、あどけない少年。髪型は当時から変わっていない。部活のメンバー写真にその姿はなく、帰宅部だったようだ。
中学・高校と同級生で、現在もその地域に住む米国人男性のタイラー(38)が語る。
「中学生の時はよく4~5人のグループで遊んでいました。彼はゲームが好きで、学校帰りに僕の家でゾンビやレスリングのテレビゲームをやっていました。夕方になると、父親が車で迎えに来ていましたね」
そのゲームで遊んでいる最中のこと。水原がタイラーのベッドに向かって勢いよくジャンプしたところ、ベッドの骨組みが壊れた。
「仲間内で遊ぶとやんちゃなところもありましたが、学校のクラスではおとなしかった。僕らが騒いだり冗談を飛ばしているのを、そばで見ているタイプの少年でした」
高校卒業後は連絡を取っていないため、進路についてはわからないという。卒業から10年後に同窓会が開かれたが、水原は参加しなかった。
タイラーが水原のその後を知ったのは、大谷が2018年にエンゼルスへ移籍して以降。一緒にゲームで遊んだ同級生の1人から、水原の写真がスマホに届いた。
「大谷の通訳をやっていると聞いて驚きました。父親は『あのベッドを壊した少年? 今だったらベッドを買ってもらえるくらい稼いでいるよね』と冗談を言っていた」
ダイヤモンドバー高校の教師、ケンプ(57)は、サッカー部に所属していた水原のことをうっすらと覚えていた。
「4年生の時に1年間だけ部に所属していたんだ。ゴールキーパーだったけど3番手。2~3試合に5分ほど使った程度の印象しか残っていない。英語のクラスも担当したけど、あまり目立たない生徒でした。卒業後は連絡を取っていないんです」
同校の同じ学年には当時、水原を含む日本人が5人在籍していたという。そのうちの1人は、取材にこう語った。
「水原君を除く日本人4人は仲良かったのですが、水原君とは学生時代、接点がありませんでした。だから印象が弱いです」
同級生たちが語る水原の素顔は、とにかくおとなしく、影の薄い存在だった。特にスポーツに打ち込んでいたわけでもない彼はその後なぜ、野球の世界に飛び込むことになったのか。
(後編に続く)
【プロフィール】水谷竹秀(みずたに・たけひで)/1975年、三重県生まれ。上智大学外国語学部卒。新聞記者、カメラマンを経てフリーに。2004~2017年にフィリピンを中心にアジアで活動し、現在は日本を拠点にしている。2011年に『日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」』で開高健ノンフィクション賞を受賞。近著に『ルポ 国際ロマンス詐欺』(小学館新書)。
※週刊ポスト2024年5月3・10日号