ステージ4のがん患者となったベテラン医療ジャーナリストが読者に伝えたいこととは――。前立腺がんの治療を続けながら執筆を続ける長田昭二氏(57)が、メディアで語られることの少ない、ホルモン治療の過程で生じた「男性らしさ」の変化について赤裸々に綴った。
【画像】ホルモン治療で“本体”が小さくなり包皮に余剰が生じ…
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10月の血液検査では、PSA(前立腺がんの腫瘍マーカーの値)は「17.93」と、前月の「12.63」から5.3ポイントも絶賛急上昇中。
左の肩甲骨に転移したがんは相変わらず存在感を示しており、つねに左肩から左上腕部にかけて鈍痛を発している。
夜寝る前などは痛みも際立つので、思わず「痛えよ~」と声に出して寝返りを打つこともあるのだが、隣で「大丈夫?」と心配してくれる女性はいないので、僕の口を出た「痛えよ~」は、秋の夜長の寝室の闇をむなしく漂うのだった。
主治医から採血を受ける 文藝春秋
早いもので、前立腺がんの骨転移が最初に見つかってから2年と5カ月になる。
その少し前からホルモン治療を続けてきたので、だいぶ体に「変化」が生じてきた。
前立腺がんの患者が受けるホルモン治療とは、男性ホルモンを減らす治療のこと。半年に1回超強力な抗男性ホルモン剤をおなかに注射し、月に1回、骨の転移が進行することを抑える薬(抗男性ホルモン剤の副作用である骨粗しょう症も抑える薬)を肩に注射し、毎日経口の抗男性ホルモン剤を4錠飲む。前立腺がんは男性ホルモンをエサにして増殖するので、男性ホルモンが減ると勢いが鈍るのだ。
しかし、男性の体から男性ホルモンを抜いてしまうと、当然のことながら「男性らしさ」が減退していく。
僕の場合、最初にその変化に気付いたのは「腋毛」だった。
ホルモン治療開始から3~4カ月が過ぎた頃、腋毛が無くなっていることに気付いた。
あまり腋毛に興味がないので、正確にいつごろ無くなったのかはわからない。でも気が付いたら両腋とも毛が1本も生えていなかったのだ。

「もしや!」
と思って慌ててパンツの中を見たら、陰毛はちゃんと生えていた。
そりゃそうだ。女性にだって陰毛はある。体が女性化したからと言って陰毛が無くなる理由はないのだ。
しかし、そんな陰毛にも変化はあった。1本1本の毛が細くなり、全体的な密度も薄くなってきた。結果として「地肌」がハッキリと見えるようになってきたのだ。
「うーむ。そう来たか……」
何がどう来たのか知らないが、僕は腕組みして遠くを睨んだりした。
次に変化を感じたのはその半年ほどあとのこと。
腕組みして遠くを睨んでいるうちに、陰茎が小さくなってきたのだ。
そもそもホルモン治療を始めると性欲が減退するし、僕は前立腺を全摘しているので勃起神経も切っている。発情もしなければ勃起もしない。
当然、女性とどうこうなることもないのであまり気にしていなかったのだが、気付いてからというもの、勢いを増して小さくなってしまった。
陰茎という器官は、本体の周囲に包皮があり、子どものうちは陰茎全体が包皮に覆われているのだが、成長するにつれて本体が大きくなるので包皮から顔を出すようになる。ところが顔を出さない陰茎もあって、これを世間では「包茎」と呼ぶ。包茎自体は病気ではないのだが、世間の評価は芳しくなく、タートルネックで顔を半分隠した人の広告を掲出するクリニックに行って手術をしてもらう人も少なくない。
僕の“一つ目小僧”は一応顔が出ていたので、これをもってうしろ指を指されることはなかったのだが、ホルモン治療によって本体が小さくなったことで包皮に余剰が生じ、結果として包茎になってしまったのだ。
ウルトラ警備隊が所有する地底戦車「マグマライザー」の先端ドリルのようになってしまったわがマイクロペニス1号から、往時の活躍を偲ぶのはもはや困難だ。
このことを主治医の小路医師に相談したことがある。
「将来誰かにシモの世話をしてもらうようになった時、マグマライザーでは恥ずかしいので、タートルネッククリニックに行こうかと思うのですが……」
小路医師は「初めてそのような相談を受けました」と驚き、こう言ってくれた。
「もし必要があれば私が手術しますよ。久しぶりですが」
聞けば仮性包茎の手術は自由診療だが、真性包茎の手術は健康保険が利くという。僕の場合は中身があまりにも小さくなったうえに勃起もしないので、「真性包茎のようなもの」という扱いで、大学病院でも手術ができるというのだ。とても稀なことだそうだが……。
小路医師に手術してもらえるなら安心だ。いますぐに、というわけではないので、その時期が来たらお願いすることになっている。

新宿二丁目のおかまバーがつぶれる前、ヒゲを生やしたママに「包茎手術を受けるかもしれない」と話したら、
「アハハ。や~だ~。いまさら?」
と笑われた。
「誤解だ。前から包茎だったわけではなく、いま突然包茎になったんだ!」
と弁解しても、
「や~だ~。アハハ!」
と笑うだけ笑い、
「ワインいただくわね」
と、話の内容に関係なく勝手にワインをグラスに注いで飲み干しては、「やだわ~」などと言いながら僕の伝票に「正」の字の線を書き足していく。嫌なのはこっちだ。
人の悩みを笑ったりするといずれ罰が当たるぞ――と思っていたら、ほどなく店は潰れたのだった。
もう一つ、体に大きな変化が起きた。「乳房の女性化」、つまりオッパイが大きくなってきたのだ。
これはホルモン治療の副作用として有名だ。
僕は治療開始から長くその症状に気付くことはなかったのだが、2年を過ぎた今年の夏頃から乳首が大きくなってきたことで判明したのだ。
Tシャツやポロシャツを着ると、妙に乳首がくっきりと浮き上がるようになった。
今年の夏はシャツ1枚で出かけるときは、乳首にバンドエイドを貼って見た目をごまかしたりした。
外出前、乳首にバンドエイドを貼りながら、
「いったい俺は何をしているんだろう……」
と考えると、つくづく情けなくなってきたものだ。
もし今日外を歩いていて心筋梗塞にでもなって倒れたら、AED(自動体外式除細動器)が使われるわけだが、その時に救急隊の人が、
「おや? この人は乳首にバンドエイドを貼ってるぞ。しかも両方の乳首に……」
と不思議に思ってAEDの使用を数秒躊躇したら、その遅れが元で落命するかもしれない。
実際にそんなことで放電を躊躇する救急隊員はいないのだが、それでも、もし心筋梗塞になったらどんなにつらくても救急隊の到着前に乳首のバンドエイドだけは自分で剥がさねば――と思ったりした。
乳房も少し膨らんできた。いまはまだ「上半身を鍛えて胸板が厚くなった人」に見えなくもない程度だが、硬さが無くてぽよんぽよんしている。
それを見て気付いたのだ。
「乳房の女性化」には「乳首の女性化」も含まれるのだ、と。
先日、新宿御苑前の店に再就職を果たしたヒゲを生やしたママにその悩みを話した。
「オッパイが大きくなってきたんだよ。うちはおふくろが巨乳を通り越して爆乳だから、俺もああなっちゃうのかな……」
するとひげを生やしたママは「アハハ。やだ~」などとひとしきり笑った後で、こう言った。
「そんなに大きくならないわよ。いい感じのところで止まるわよ」
「なんで?」
「そういうもんなのよ。おかまはみんな知ってるわ」
ひげを生やしたママの口からは科学的根拠こそ示されなかったものの、そこはかとなく安心感が漂う証言を得ることができた。
このおかまとはもう30年の付き合いになるが、初めて「この人を信じてみよう」と思った。
30年で初めて信用されるとは、ずいぶんな人だな……とも思った。
他にも、前立腺をロボット手術で摘出したため、僕のお腹には6つの穴の痕がある。
真っ白いお腹に6つの干しブドウを点在させたようなその様は、決して美しいものではない。
また、前立腺摘出手術の合併症として起きた左足のリンパ浮腫は手術によって多少細くはなったものの、「気を付け!」の姿勢をするとやはり左右の太ももの太さに差があるのが見て取れる。
しかもリンパ浮腫の影響で左下腹部にできた「膨らみ」については手術をしなかったので、いまも膨らんだままだ。この膨らみは見ようによっては鼠径ヘルニア、つまり「脱腸」に見えないこともないので、当人としてはやはり恥ずかしい。

このように、一連の前立腺がんの治療によって失うものは意外に多い。
がんになってしまったら命を守るためにこうした治療は避けられないが、がんにならないようにするための、早期発見のためのチャンスが多いのも前立腺がんの特長でもある。
腫瘍マーカーであるPSAの値を無視せず、画像診断を受け、必要ならば組織検査も嫌がらずに受ける。
これを早め早めに実践することで、大切な命を守れるだけでなく、僕のようにみじめな思いをせずに済む。
ぜひ真剣に前立腺がんと向き合ってほしい。

さて、これを書き終わると抗がん剤治療だ。
病院に行くのは嫌だが、こうなったら行くしかない。
マグマライザー、発進!

長田昭二氏の本記事全文は、「文藝春秋 電子版」に掲載されています。

■連載「僕の前立腺がんレポート」第1回「医療ジャーナリストのがん闘病記」第2回「がん転移を告知されて一番大変なのは『誰に伝え、誰に隠すか』だった」第3回「抗がん剤を『休薬』したら筆者の身体に何が起きたか?」第4回「“がん抑制遺伝子”が欠損したレアケースと判明…『転院』『治験』を受け入れるべきなのか」第5回「抗がん剤は『演奏会が終るまで待ってほしい』 全身の骨に多発転移しても担当医に懇願した理由」第6回「ホルモン治療の副作用で変化した「腋毛・乳房・陰部」のリアル」第7回「恐い。吐き気は嫌だ……いよいよ始まった抗がん剤治療の『想定外の驚き』」第8回「痛くもかゆくも熱くもない〈放射線治療〉のリアル「照射台には僕の体の形に合わせて作られた『型』が…」
(長田 昭二/文藝春秋 電子版オリジナル)