20歳~49歳の既婚女性1,000名を対象にしたある調査では、じつに85%の女性が「夫からモラハラを受けたことがある」と答えている。しかしこのモラハラ、一昔前なら「愛情ゆえの束縛」だった可能性もある。
〈夫の「高圧的な態度」にも「私が悪いのかな」と思ってしまう…46歳妻が明かす「巧みなモラハラ」の実態〉で紹介したカホリさん(46歳・仮名=以下同)は、6歳上の夫による過剰な束縛、高圧的な言動、さらには義母による「監視」に長年悩まされてきた。ときには甘い言葉もかけてくる夫を完全に拒絶することもできぬうちに、カホリさんは第一子を妊娠したのだが……。
はたして、夫のそれは「愛情」といえるのか? 彼女へのインタビューを通じて考えていく。
元気な男の子が生まれ、彼女は子どもにかかりきりになった。忙しくなったのに、義母はたまにしか来なくなっていた。助けが必要なときには来ないのだ。その翌年には女の子が、そして28歳のときに次女が産まれた。
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「4年間で3度の出産をして、私は疲労困憊でした。夫は自分の性欲をコントロールできない人で、まだダメだと言っているのに襲われたこともあります。無理矢理、口で処理させられたこともある。
そんなときに限って翌日、義母がやってきて、『子どものことだけじゃなくて、うちの息子も大事にしてよね。あなたと子どもたちが生活できなくなったら困るでしょ。夫は大事にしないといけないの。ご主人様ですからね』って。義母が義父に冷たくしているのは知っていたから、何を言ってるんだろうと思っていましたけど……」
それでも子どもたちが大きくなっていくのは何よりも楽しかった。夫も子どもたちが立ったりしゃべったりするようになると、早く帰るようになり、週末のゴルフも一時期は封印していた。
「これで普通の家庭が作れると思っていたんですが、一方で夫の束縛は強くなっていきました。子どもの幼稚園の送迎や、上の子が学校に入ると行事などが多々あるのに、私の外出先は事前に伝えておかなければならない。
急にママ友に呼び出されたときも、当時、携帯メールで知らせてから出かけなくてはいけないんです。もちろん急なときは出かけながらメールを打ったりしていましたが、『事前に教えてくれよ』と泣き落としのような脅迫をされる。そうですね、そのころ、夫からのメールはすべて脅迫だと私は受け取っていました」
授業参観で出かけて帰宅すると、夫が帰宅していたことがあった。午後から急な出張で家に戻ったのだという。授業参観であることは伝えていたが、夫は『なんだ、そのかっこうは』と嫌な顔をした。
「スカートが短い、派手だと言われて。膝下のスカートに黄色っぽいニットを着ていただけですよ。しかもそれは独身時代のもの。夫は家計を管理していましたから、私に自分の洋服を買うようなお金はなかった。今後は黒とグレーと白以外着ないようにと言われました。バカバカしいでしょ」
カホリさんだって、ママ友ができて社会が広がっているところだった。世の中にはいろいろな夫婦がいることもわかっていた。自分の夫がかなり束縛型であることも認識するようになった。
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ママ友の夫たちを見ると、フランクで明るい人が多い。カホリさんの夫も外では明るいいい夫として振る舞っていたから、他の家もそうなのかなと思ったこともある。
「仲良くなったエリコさんと話していたら、『うちの夫は子どもより子どもなのよ』と愚痴られて。気が楽になったので、うちはこうだと話したら、『それ、ちょっとひどいかもよ』って。
移動するたび知らせなくてはいけないとか、自分の自由になるお金がまったくないとか、買い物したら必ずレシートをチェックされるとか。そんなのよく黙ってさせているわねと言われました。やっぱり変なんだなと、ようやく実感するようになった」
それでも夫は変わらずに彼女を性的に求めてくる。彼女にとっては「我慢の時間」なのだが、世の中ではレスとともに愛情もなくなっていくと言われている。だから彼女は、自分が求められることが愛情の証なのだと思っていた。
「すぐに背を向けて寝ちゃうのは変わりなかったし、自分勝手でとても愛情を感じられるような行為ではなかったけど、それを愛情だと思いたい自分がいたんでしょうね」
上の子が中学に入ってすぐのころ、義母が脳出血で倒れた。すでに定年退職になっていた義父だが、これ幸いと思ったのか、家に帰ってこなくなったようで、退院後はカホリさんが通ってめんどうをみることになった。
「義母は半身に麻痺が残っていて、リハビリ病院にいてほしかったのですが、どうしても家に帰ると言い張って。入れ替わりに義父は家を留守にするようになった。『カホリしかいないんだ、頼むよ』と夫に涙ぐまれて、つい引き受けてしまったんです。
ヘルパーさんも頼みましたが、なかなか完璧な介護はできなくて、義母に物を投げつけられたりしましたね。内心、復讐のチャンスだと思ったけど、実際に体の利かない人を前にしたらかわいそうで復讐なんてできなかった」
たまたま戻ってきた義父とバッタリ会ったとき、カホリさんは夜だけはちゃんとめんどうを見てほしいと頼んだ。おむつして放っておけばいいんだろと義父は言った。
「『あんただってさんざん嫌な目にあったんだから、放っておけばいいんだよ』と義父は言いました。気持ちはわかるけど、私にはそれはできそうにないですと言うと、『人がいいね、あんたは』と苦笑されました。
義父には長年、女性がいたようです。『おかあさんが倒れて、ようやく僕は人として幸せを感じている』って。義父も苦しかったのかもしれません」
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5年間、介護をしたあとカホリさんが倒れた。子どもたちは父親に抗議し、夫はついに母親を施設に預けた。それが3年前のことだ。
「子どもたちともゆっくり話す時間がとれない5年間だったけど、みんな自分のことは自分で考えて進路を決めてくれました。今は上ふたりが大学生、末っ子が今度受験です。ようやくここまできたなと思ったら、最近、すっかり疲れ果ててしまって。
夫には『40代には見えない。少しは見た目に気を配ったほうがいいよ』と言われてしまいました。誰のためにこんなふうになったのか」
さすがに最近は夫の監視も薄れてきたが、それでも毎日、「今日は何していたの?」は帰宅の挨拶代わりに投げかけられる。いいかげん、私を解放してほしい。そんな言葉が心の中で渦巻くこともある。
「子どもたちが、『おかあさん、今後どうするつもり?』と言ってきたんですよ。上の子は就職が決まっていてこの家を離れます。長女もきっと社会人になったら出ていくでしょう。本当にふたりきりで暮らしていけるのかと、子どもたちがせっつくんです。
末っ子には先日、『おかあさんの人生、幸せだった?』と聞かれました。あなたたちがいるから幸せよと答えましたが、『子どもだって他人だよ』と言われてドキッとしたんです。
子どもたちが親から巣立っていくということは、親も子どもを手放すということなんだと、そんなわかりきったことを改めて感じました。この先、私は夫に尽くしながら、相変わらず家の中で生きていくだけなのか……」
その後、今度は実の両親の体調がすぐれないと連絡があった。彼女の両親は、彼女が知らない間に離婚していた。親とは縁を切ったつもりだったから、親戚から報せを聞いたときも放置しておいたのだが、父は再婚、母はひとりで暮らしていると知った。その母が調子が悪いらしい。
「今さらですよね。私は両親が私をどう思っていたのか、まったくわからない。ひとりっ子なのにかわいいと思わなかったんでしょうか。しかたがなく母の元へ行くと、母はすっかり丸くなっていました。『カホリちゃん、会いたかったのよ』と甘えた声を出して」
また介護の日々が始まった。夫には言えないままだ。何もかもひとりで背負っているのに、親戚からはもっとめんどうを見ろと文句を言われる。
「自由を謳歌するのは私には向いていないのかもしれません。このまま一生を終えるしかないのかなと思いつつ、一方で子どもたちが言うように自分の人生を今からでも固めてみたい気もする。自信がないんですよね、自分に」
いくつになっても遅くはないよと子どもたちから言われている。夫の「愛情」の矛盾も子どもたちに指摘された。わかっていながら目を背けてきたことばかりだった。
「自分が風邪気味だと『おまえから移された』と大騒ぎするくせに、私が風邪をひくと『たるんでいるからだ』と平気で言う夫を、子どもたちは見ていたんですね。
私は言われ慣れているから、なんとも思わなくなっていたけど、それはやはりおかしいよと子どもたちは言う。きちんと人生を検証してみないといけないなと思い始めてはいます」
半世紀生きたところで、自分の身の振り方を具体的に決めようとカホリさんは考えている。そのときまだ母に介護が必要なら、施設に入ってもらうおうとも思っているそうだ。
「少しずつ、自分の荷物を下ろしていきたい。ようやくそんなふうに思うようになってきました」
揺れながら悩みながら、それでもカホリさんの人生はまだまだ続く。
* * *
離婚経験者100名を対象にしたある調査では、回答者の半数が「離婚を迷った理由」として「子どもへの影響を考えたため」と答えたという。
しかし、カホリさんの子どもが言ったように「子どもだって他人」、ましてや「夫こそ他人」だろう。
「愛情」という衣をまとったモラハラを我慢すればするほど、「自分の人生」を謳歌することから遠ざかる。カホリさんも内心そのことに気づいているのかもしれない。