通わせると次の子が産みたくなる――奇跡の保育園として注目されているのが、熊本県にある「やまなみこども園」だ。前編では、子どもと保護者が一体となって、園が「大きな家族」として機能していることを紹介した。後編では子どもの主体性を育む保育の内容に迫る。
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【写真を見る】全身泥まみれで遊ぶ子どもたち 奇跡の保育園の日常とは 保育園の倒産や合併が相次ぐ中で、熊本県にある「やまなみこども園」は、全国の保育園や大学からの視察が絶えず、その豊かな保育方法や環境から、一部の人たちには「奇跡」とさえ言われている。

前回は、保護者たちが園を中心に“大家族”のような関係を築き、子だくさんになっていく姿を見てきた。後編では、その子供たちの姿を追ってみたい。やまなみこども園全力でリズム表現を楽しむ先生たち この日は、梅雨の最中だったこともあって冷たい雨が降っていた。 やまなみこども園では、外での行事が中止になったことから、「くじらほーる」と呼ばれる建物に4学年の子供たちが集まり、「リズム表現」のプログラムが行われた。 創設者・山並道枝(76)=前園長=の明るくテンポのいいピアノに合わせて、子供たちがスキップをしたり、アヒル歩きをしたり、ブリッジをしたりするリズム体操だ。これは「自然界の律動」「集団遊び」「リトミック」を組み合わせたもので、五感を刺激して目覚めさせ、表現力を高めることを目的としている。 室内を子供たちが猛スピードで駆け回り、笑顔のまま驚くような身体表現を次々にする光景は壮観だが、それ以上に印象的だったのが自らも全力でリズム表現を楽しむ先生たちの姿だった。 子供たちはそんな先生たちに触発されて、もっと高くジャンプしようと飛び跳ねたり、格好つけて自己流の表現を組み込んだりする。先生の方も、これを見よ、とばかりに激しく体を動かす。他の園で見られるような、先生が冷静な監督役に徹しているのとは真逆だ。子供以上に好奇心むき出しに リズム表現が終わった後、道枝に話を聞いた。彼女は次のように話す。「職員や親が率先して夢中になってやるから、子供も触発されて、自分もやりたい、もっともっとやりたい、と120%の力で取り組むんです。そうして初めて、子供たちは大人の想像をはるかに上回ることを成し遂げ、成長していく。小学校の授業のように上から誰かが決めたことを教えるのではなく、同じような目線で子供たちの心の奥底にある主体性を刺激するきっかけを与えることが大切です」 晴れた日には午前中に、1~2時間ほどかけて園の名物の一つ「散歩」が行われる。そこでもまた職員が率先して楽しむ姿が見受けられる。 ある日の散歩では、園から500メートルほど離れたところにある水前寺江津湖公園へ行った。同行した筆者が驚いたのが、各年次に2人ずついる担任の先生が目に見えるものや耳に聞こえるものに対して、子供以上に好奇心をむき出しにしていることだ。着替えは毎日3着分 道に生えた花、標識、空き缶の中にまで目を凝らし、面白いものがないかと探す。草むらに小さなカエルがいれば、「見つけた!」と飛び付いて捕まえて子供たちに見せ、木の根にキノコが生えていれば、四つん這いになって形状や匂いを調べる。小川を通りかかった時は、先生が率先してジャージのズボンの裾をたくし上げて水に入っていき、びしょ濡れになって両手でザリガニ捕りをはじめた。 こんな先生を前に、子供たちも負けまいとやる気を漲らせる。公園の湧き水が噴き出る場所に到着すると、「わー」と歓声を上げて服を着たまま水の中に頭から飛び込んでいく。もちろん、先生も一緒だ。 あっという間に子供と先生が入り乱れて相撲をしたり、泥水を口に含んでトンボに向かって吹きつけたり、水草をかき集めて「基地」作りをはじめたりする。着替えは毎日3着分用意させているので、汚れることなどお構いなしだ。基本的自尊感情を育てる 道枝は言う。「大人と子供が一緒になって主体的に全力で何かをした時、子供たちの中に『人生は素晴らしい。生きるに値する世界だ』という気持ちが生まれます。実はこれがとても重要なのです。幼い頃に当たり前のこととしてそうした気持ちを抱くと、いろんなことを前向きに捉えられるようになるのです」 これを聞いて思い出したのが「基本的自尊感情」という言葉だ。健康教育学を専門とする近藤卓(日本ウェルネススポーツ大学教授)は、自尊感情には「基本的自尊感情」と「社会的自尊感情」があるとしている。 基本的自尊感情は、他者との共有体験を積み上げることによって「自分は生きていていい」「ここが自分の居場所なのだ」と己の存在を肯定的に考えられる感情であり、社会的自尊感情は、スポーツや勉強などでの社会的価値に基く成功体験を通して得られる感情だ。前者が堅固な基盤となり、後者がそこに上乗せされていく。 今の社会ではともすれば後者ばかりが注目されがちだが、この園では基本的自尊感情を育てることに力を入れているのだ。散歩中に採った実や葉を給食に 園が目指している主体性を刺激する保育は、身体活動だけでなく、食事においても一貫している。 食育の一つとして田植えや芋ほりといった行事を年に何度も行うのはもちろん、給食で使用するみそ、梅干し、ふりかけなどはすべて子供たちとともに作った自家製だ。そして日常の中でも頻繁に自然と食を結び付ける取り組みをしている。 たとえば日々の散歩に、給食担当のベテラン職員・池見順子(73)が同行することがある。池見は路上に生えている草木の前で立ち止まり、どの葉や実が食べられて、どう調理するとおいしくなるかを教える。そして、そこで採った葉や実を園に持ち帰り、料理するところを見せ、給食やおやつとして出すのだ。 子供たちは自分が発見して採ったものなので、どんなものでもうれしそうに口に入れる。 池見は言う。「給食ならシソやシロツメクサといった野草を摘んできて天ぷらにして出しますし、デザートならヤマモモを焼いたものを出したりします。うちで提供しているおやつはすべて手作りで、子供たちに作ってもらうこともあります。この前は自分たちでもいだビワを使ったジャムパンを作りました。子供たちは自ら採ったからこそ、自分で調理したがります。スーパーで買った具材を見ても何とも思いませんが、生きている草や実を自分で摘んで持ち帰れば、そういう気持ちになるのです」ジャムやチーズも自家製 食べ物作りは給食以外でもよく行われている。筆者が取材で滞在していた時も、ある先生は子供たちと道で採ってきたヤマモモでジャムを作っていた。また、別の先生は牛乳、塩、レモン汁などを使って自家製チーズを作っていた。後者を味見させてもらったところ、チーズケーキを思わせる風味で、手伝った子供たちも感動してあっという間に食べつくした。 池見は続ける。「うちの子たちは給食で何を出しても好き嫌いを言わずに完食します。毎日たくさん体を動かしているだけでなく、自分たちで採ってきたり、作ったりしたものが出されるので、ちゃんとおいしく食べるのです」 近年、一般の保育園では子供の好き嫌いが激しく残飯が非常に多くなったり、顎の力が弱くかみ砕くことができずに飲み込んで、食事を喉に詰まらせたりすることが多発しているらしい。だが、この園ではそうしたこととは無縁なのだ。「行事が子どもを育てていく」 さらに、園として大切にしているのが、先生方が子供たちと同じ目線で体操や料理を楽しむだけでなく、一段高いレベルの体験を数多くさせることだ。それが園で“ハレの日”と称される行事だ。 代表的なものがキャンプ、おいでいっしょにあそぼう会、演劇、登山、発表会などの年間行事では、職員だけでなく、保護者にも参加してもらいながら、壮大で感動的なものを作り上げていく。また、毎月行われる誕生日会では職員が毎回手のこんだ劇やダンスを準備して子供たちに披露する。 前出の道枝は言う。「うちでは行事が子供を育てていくと考えています。散歩やリズム表現や給食を通して得られることも素晴らしいですが、そこからさらに成長するには行事の中で子供が自分だけではできないことを職員や保護者の力を借りながら実現していくことが必要なのです。高い目標を乗り越えて初めて子供は本物の感動や自由を得られる。園がしなければならないのは、そういう舞台を用意することだと思っています」時には挫折も経験 運動会の入場を例にとろう。入場式があれば、子供はかっこ良く登場したいと思うだろう。しかし、子供にそのアイデアを考案させるだけでは限度がある。そこで職員や保護者と話し合って、本当に素敵だと思うものを考え出す。 ある年の運動会では、みんなで雲に似せた木製の輿(こし)を作り、それを父親たちが担ぐことにした。輿の上には衣装を身に着けた子供たちが仁王立ちし、好きな曲をバックに数基に分かれて登場する。そして職員がマイクを手にプロの実況さながらに子供たちを紹介することで会場を盛り上げるのだ。 こうしたアイデアを実現するには、それだけ十分な準備が必要になる。その過程で子供たちはたくさんの汗をかき、話し合い、笑い、時には挫折を経験する。そうやって高い目標を達成するからこそ、感動もひとしおで、次はより高いものを目指すのだ。「できそうな範囲のことをやるのは、家にいるのと同じ」 このように、園で行われるたくさんの行事では、子供と職員と保護者が一体になって、子供たちの願望をどんどん高いレベルに引き上げて実現させる。その積み重ねの中で、子供たちの真の成長を促すのである。 近年の保育業界では、子供同士を競わせない保育が主流である。職員が「ゆったり、じっくり、無理をさせない」と、大半のことを子供の気の向くままに任せているのだ。むろん、親が園での活動に積極的にかかわることもない。 その点、やまなみこども園の取り組みは真逆だ。これについてどう思うのか。 道枝は語る。「子供の意思を尊重するといっても、4歳、5歳の子に空間だけ与えて自由にしていいよと言ったところで、自分の知っていて、できそうな範囲のことしかやらないでしょう。そんなのは家にいるのと同じです。家庭でできることは家庭でやっていただき、園は園でしかできないことをする方がいい。園の行事などによって職員や保護者が子供たちと向き合って、一段も二段もレベルの高いことを考えさせ、汗水流して実現させる場を作る。そういう経験のくり返しの中で、子供は大人の想像以上の成長を遂げていくのです」 園は、保護者が多忙や自己実現を理由に子育てを代わりにやってもらうための場であってはならない。むしろ、保護者が園の活動に参加し、家庭でできないことをやることによって、子供たちを空高く羽ばたかせるための場であるべきだ。 ともすれば時流と逆行していると受け取られかねないが、園がその哲学を貫けるのは、それだけ保護者の厚い信頼と高い評価があるからなのだ。2分の1成人式 当然ながら、ここで数年を過ごした子供にとって、やまなみこども園は大きな存在になっている。 一般的には、卒園後に、かつて通っていた保育園や幼稚園を訪れる機会はほとんどないと思う。しかし、ここの卒園生は違う。卒園した後も、彼らは現園長が主宰する児童劇団に入って活動したり、イベントの手伝いに来たりする。園がやっている学童に通う子もいる。保護者がずっと携わっていたいと思って第3子、第4子を作るのと同じように、子供たちも何かしらの形でつながりたいと思うのだ。 道枝は言う。「子供たちは10歳になった時に“2分の1成人式”ということで園に戻って来ます。それ以外にも中学、高校、大学に入る時など節目節目でやって来る。その度に、園では『お帰り、卒園生』という歓迎会を開きます。園の職員の中には私以外にも30年以上働いている人がいるので、いつ帰って来ても誰か知っている人が迎えてくれる。ここはそんな場所なのです」 卒園生の中には、園で働くようになった人もいれば、結婚して生まれた子供を預けに来る人もいる。そしてその人たちがまた新しく入ってくる子供たちを迎え入れ、力を合わせて子育てをする。「保育に大切なのは…」 この園の特殊な人間関係と価値観は、40年以上もの長きにわたってつづけられてきた。 筆者には道枝のこんな言葉が印象に残っている。「子供は体も心も成長したがっているし、大人は子供の成長を目の当たりにすると感動するものなのです。保育に大切なのは、みんながそのことを理解して進んでいくことであって、1から10まで大人が決めるとか、何もしないで放っておくといったことではないと思うのです。子供が幸福感を持って遊び、育っている事例を、みんなで共有し合うことが本当の意味の少子化対策だと思っています」 最近は、「地域ぐるみの子育て」とか「子供が主役」という言葉をよく耳にする。では、本当の意味での地域ぐるみや子供が主役とは何なのか。 やまなみこども園は、そんな問いに対する一つの答えであるような気がする。(敬称略) 前編では、保護者が「第二の青春」を味わうことのできる「やまなみこども園」の魅力をレポートしている。石井光太(いしいこうた)作家。1977年東京都生まれ。日本大学芸術学部文芸学科卒。2005年『物乞う仏陀』でデビュー。『遺体』『浮浪児1945-』『「鬼畜」の家』など著書多数。21年に『こどもホスピスの奇跡』で第20回新潮ドキュメント賞を受賞した。「週刊新潮」2023年11月30日号 掲載
保育園の倒産や合併が相次ぐ中で、熊本県にある「やまなみこども園」は、全国の保育園や大学からの視察が絶えず、その豊かな保育方法や環境から、一部の人たちには「奇跡」とさえ言われている。
前回は、保護者たちが園を中心に“大家族”のような関係を築き、子だくさんになっていく姿を見てきた。後編では、その子供たちの姿を追ってみたい。
この日は、梅雨の最中だったこともあって冷たい雨が降っていた。
やまなみこども園では、外での行事が中止になったことから、「くじらほーる」と呼ばれる建物に4学年の子供たちが集まり、「リズム表現」のプログラムが行われた。
創設者・山並道枝(76)=前園長=の明るくテンポのいいピアノに合わせて、子供たちがスキップをしたり、アヒル歩きをしたり、ブリッジをしたりするリズム体操だ。これは「自然界の律動」「集団遊び」「リトミック」を組み合わせたもので、五感を刺激して目覚めさせ、表現力を高めることを目的としている。
室内を子供たちが猛スピードで駆け回り、笑顔のまま驚くような身体表現を次々にする光景は壮観だが、それ以上に印象的だったのが自らも全力でリズム表現を楽しむ先生たちの姿だった。
子供たちはそんな先生たちに触発されて、もっと高くジャンプしようと飛び跳ねたり、格好つけて自己流の表現を組み込んだりする。先生の方も、これを見よ、とばかりに激しく体を動かす。他の園で見られるような、先生が冷静な監督役に徹しているのとは真逆だ。
リズム表現が終わった後、道枝に話を聞いた。彼女は次のように話す。
「職員や親が率先して夢中になってやるから、子供も触発されて、自分もやりたい、もっともっとやりたい、と120%の力で取り組むんです。そうして初めて、子供たちは大人の想像をはるかに上回ることを成し遂げ、成長していく。小学校の授業のように上から誰かが決めたことを教えるのではなく、同じような目線で子供たちの心の奥底にある主体性を刺激するきっかけを与えることが大切です」
晴れた日には午前中に、1~2時間ほどかけて園の名物の一つ「散歩」が行われる。そこでもまた職員が率先して楽しむ姿が見受けられる。
ある日の散歩では、園から500メートルほど離れたところにある水前寺江津湖公園へ行った。同行した筆者が驚いたのが、各年次に2人ずついる担任の先生が目に見えるものや耳に聞こえるものに対して、子供以上に好奇心をむき出しにしていることだ。
道に生えた花、標識、空き缶の中にまで目を凝らし、面白いものがないかと探す。草むらに小さなカエルがいれば、「見つけた!」と飛び付いて捕まえて子供たちに見せ、木の根にキノコが生えていれば、四つん這いになって形状や匂いを調べる。小川を通りかかった時は、先生が率先してジャージのズボンの裾をたくし上げて水に入っていき、びしょ濡れになって両手でザリガニ捕りをはじめた。
こんな先生を前に、子供たちも負けまいとやる気を漲らせる。公園の湧き水が噴き出る場所に到着すると、「わー」と歓声を上げて服を着たまま水の中に頭から飛び込んでいく。もちろん、先生も一緒だ。
あっという間に子供と先生が入り乱れて相撲をしたり、泥水を口に含んでトンボに向かって吹きつけたり、水草をかき集めて「基地」作りをはじめたりする。着替えは毎日3着分用意させているので、汚れることなどお構いなしだ。
道枝は言う。
「大人と子供が一緒になって主体的に全力で何かをした時、子供たちの中に『人生は素晴らしい。生きるに値する世界だ』という気持ちが生まれます。実はこれがとても重要なのです。幼い頃に当たり前のこととしてそうした気持ちを抱くと、いろんなことを前向きに捉えられるようになるのです」
これを聞いて思い出したのが「基本的自尊感情」という言葉だ。健康教育学を専門とする近藤卓(日本ウェルネススポーツ大学教授)は、自尊感情には「基本的自尊感情」と「社会的自尊感情」があるとしている。
基本的自尊感情は、他者との共有体験を積み上げることによって「自分は生きていていい」「ここが自分の居場所なのだ」と己の存在を肯定的に考えられる感情であり、社会的自尊感情は、スポーツや勉強などでの社会的価値に基く成功体験を通して得られる感情だ。前者が堅固な基盤となり、後者がそこに上乗せされていく。
今の社会ではともすれば後者ばかりが注目されがちだが、この園では基本的自尊感情を育てることに力を入れているのだ。
園が目指している主体性を刺激する保育は、身体活動だけでなく、食事においても一貫している。
食育の一つとして田植えや芋ほりといった行事を年に何度も行うのはもちろん、給食で使用するみそ、梅干し、ふりかけなどはすべて子供たちとともに作った自家製だ。そして日常の中でも頻繁に自然と食を結び付ける取り組みをしている。
たとえば日々の散歩に、給食担当のベテラン職員・池見順子(73)が同行することがある。池見は路上に生えている草木の前で立ち止まり、どの葉や実が食べられて、どう調理するとおいしくなるかを教える。そして、そこで採った葉や実を園に持ち帰り、料理するところを見せ、給食やおやつとして出すのだ。
子供たちは自分が発見して採ったものなので、どんなものでもうれしそうに口に入れる。
池見は言う。
「給食ならシソやシロツメクサといった野草を摘んできて天ぷらにして出しますし、デザートならヤマモモを焼いたものを出したりします。うちで提供しているおやつはすべて手作りで、子供たちに作ってもらうこともあります。この前は自分たちでもいだビワを使ったジャムパンを作りました。子供たちは自ら採ったからこそ、自分で調理したがります。スーパーで買った具材を見ても何とも思いませんが、生きている草や実を自分で摘んで持ち帰れば、そういう気持ちになるのです」
食べ物作りは給食以外でもよく行われている。筆者が取材で滞在していた時も、ある先生は子供たちと道で採ってきたヤマモモでジャムを作っていた。また、別の先生は牛乳、塩、レモン汁などを使って自家製チーズを作っていた。後者を味見させてもらったところ、チーズケーキを思わせる風味で、手伝った子供たちも感動してあっという間に食べつくした。
池見は続ける。
「うちの子たちは給食で何を出しても好き嫌いを言わずに完食します。毎日たくさん体を動かしているだけでなく、自分たちで採ってきたり、作ったりしたものが出されるので、ちゃんとおいしく食べるのです」
近年、一般の保育園では子供の好き嫌いが激しく残飯が非常に多くなったり、顎の力が弱くかみ砕くことができずに飲み込んで、食事を喉に詰まらせたりすることが多発しているらしい。だが、この園ではそうしたこととは無縁なのだ。
さらに、園として大切にしているのが、先生方が子供たちと同じ目線で体操や料理を楽しむだけでなく、一段高いレベルの体験を数多くさせることだ。それが園で“ハレの日”と称される行事だ。
代表的なものがキャンプ、おいでいっしょにあそぼう会、演劇、登山、発表会などの年間行事では、職員だけでなく、保護者にも参加してもらいながら、壮大で感動的なものを作り上げていく。また、毎月行われる誕生日会では職員が毎回手のこんだ劇やダンスを準備して子供たちに披露する。
前出の道枝は言う。
「うちでは行事が子供を育てていくと考えています。散歩やリズム表現や給食を通して得られることも素晴らしいですが、そこからさらに成長するには行事の中で子供が自分だけではできないことを職員や保護者の力を借りながら実現していくことが必要なのです。高い目標を乗り越えて初めて子供は本物の感動や自由を得られる。園がしなければならないのは、そういう舞台を用意することだと思っています」
運動会の入場を例にとろう。入場式があれば、子供はかっこ良く登場したいと思うだろう。しかし、子供にそのアイデアを考案させるだけでは限度がある。そこで職員や保護者と話し合って、本当に素敵だと思うものを考え出す。
ある年の運動会では、みんなで雲に似せた木製の輿(こし)を作り、それを父親たちが担ぐことにした。輿の上には衣装を身に着けた子供たちが仁王立ちし、好きな曲をバックに数基に分かれて登場する。そして職員がマイクを手にプロの実況さながらに子供たちを紹介することで会場を盛り上げるのだ。
こうしたアイデアを実現するには、それだけ十分な準備が必要になる。その過程で子供たちはたくさんの汗をかき、話し合い、笑い、時には挫折を経験する。そうやって高い目標を達成するからこそ、感動もひとしおで、次はより高いものを目指すのだ。
このように、園で行われるたくさんの行事では、子供と職員と保護者が一体になって、子供たちの願望をどんどん高いレベルに引き上げて実現させる。その積み重ねの中で、子供たちの真の成長を促すのである。
近年の保育業界では、子供同士を競わせない保育が主流である。職員が「ゆったり、じっくり、無理をさせない」と、大半のことを子供の気の向くままに任せているのだ。むろん、親が園での活動に積極的にかかわることもない。
その点、やまなみこども園の取り組みは真逆だ。これについてどう思うのか。
道枝は語る。
「子供の意思を尊重するといっても、4歳、5歳の子に空間だけ与えて自由にしていいよと言ったところで、自分の知っていて、できそうな範囲のことしかやらないでしょう。そんなのは家にいるのと同じです。家庭でできることは家庭でやっていただき、園は園でしかできないことをする方がいい。園の行事などによって職員や保護者が子供たちと向き合って、一段も二段もレベルの高いことを考えさせ、汗水流して実現させる場を作る。そういう経験のくり返しの中で、子供は大人の想像以上の成長を遂げていくのです」
園は、保護者が多忙や自己実現を理由に子育てを代わりにやってもらうための場であってはならない。むしろ、保護者が園の活動に参加し、家庭でできないことをやることによって、子供たちを空高く羽ばたかせるための場であるべきだ。
ともすれば時流と逆行していると受け取られかねないが、園がその哲学を貫けるのは、それだけ保護者の厚い信頼と高い評価があるからなのだ。
当然ながら、ここで数年を過ごした子供にとって、やまなみこども園は大きな存在になっている。
一般的には、卒園後に、かつて通っていた保育園や幼稚園を訪れる機会はほとんどないと思う。しかし、ここの卒園生は違う。卒園した後も、彼らは現園長が主宰する児童劇団に入って活動したり、イベントの手伝いに来たりする。園がやっている学童に通う子もいる。保護者がずっと携わっていたいと思って第3子、第4子を作るのと同じように、子供たちも何かしらの形でつながりたいと思うのだ。
道枝は言う。
「子供たちは10歳になった時に“2分の1成人式”ということで園に戻って来ます。それ以外にも中学、高校、大学に入る時など節目節目でやって来る。その度に、園では『お帰り、卒園生』という歓迎会を開きます。園の職員の中には私以外にも30年以上働いている人がいるので、いつ帰って来ても誰か知っている人が迎えてくれる。ここはそんな場所なのです」
卒園生の中には、園で働くようになった人もいれば、結婚して生まれた子供を預けに来る人もいる。そしてその人たちがまた新しく入ってくる子供たちを迎え入れ、力を合わせて子育てをする。
この園の特殊な人間関係と価値観は、40年以上もの長きにわたってつづけられてきた。
筆者には道枝のこんな言葉が印象に残っている。
「子供は体も心も成長したがっているし、大人は子供の成長を目の当たりにすると感動するものなのです。保育に大切なのは、みんながそのことを理解して進んでいくことであって、1から10まで大人が決めるとか、何もしないで放っておくといったことではないと思うのです。子供が幸福感を持って遊び、育っている事例を、みんなで共有し合うことが本当の意味の少子化対策だと思っています」
最近は、「地域ぐるみの子育て」とか「子供が主役」という言葉をよく耳にする。では、本当の意味での地域ぐるみや子供が主役とは何なのか。
やまなみこども園は、そんな問いに対する一つの答えであるような気がする。
(敬称略)
前編では、保護者が「第二の青春」を味わうことのできる「やまなみこども園」の魅力をレポートしている。
石井光太(いしいこうた)作家。1977年東京都生まれ。日本大学芸術学部文芸学科卒。2005年『物乞う仏陀』でデビュー。『遺体』『浮浪児1945-』『「鬼畜」の家』など著書多数。21年に『こどもホスピスの奇跡』で第20回新潮ドキュメント賞を受賞した。
「週刊新潮」2023年11月30日号 掲載