今日は、秋篠宮家の次女・佳子さまが11月に出かけられた南米・ペルーへのご訪問を裏方として支えた宮内庁式部職についてご紹介したいと思う。
【写真を見る】皇族の護衛と警備を担う、皇宮警察と警察犬 今年4月2日付で天皇陛下の様々な相談に乗る宮内庁御用掛に、秋元義孝元駐オーストラリア大使が就任した。同氏は式部職のトップである式部官長を2015年から8年間にわたって務め、天皇陛下にとって気心が知れた元側近であり、順当な人事と言っていいだろう。ご即位後も新型コロナウイルスの感染拡大で外国訪問がなかなか叶わなかったことを踏まえると、陛下も実績ある外務官僚OBに的確な助言を期待されているはずだ。

ご訪問から笑顔で帰国された佳子さま その秋元氏は以前、「斗真は本当にいいヤツなんだ」と語っていた。「斗真」とは性加害問題でゴタゴタが続いた旧ジャニーズ事務所の元所属俳優・生田斗真のことだ。実は秋元氏はフジテレビの元女子アナ・秋元優里氏の父。優里氏は2012年、会社の同僚でアナウンス室の後輩だった、生田さんの弟と結婚した。童顔でミス慶應コンテストの元ファイナリストとしてファンも多かった優里氏だが、不倫疑惑が報じられるなどトラブルが続いて、18年に離婚。現在はアナウンス室を離れ、番組のプロデューサーなどをしている。つまり生田は当時、秋元氏の親戚だったのだ。「礼儀正しく腰も低いし、芸能人らしい振る舞いはなく、本当に気のいい男なんだよな」 と、とにかく生田のことはベタ褒めしていた。 ところで、式部職の「式部」とはもともと、飛鳥時代に始まった律令制度を支える役所「式部省」の略である。式部省は朝廷の儀式などを担当し、法律(律令)で定められた大蔵省(今の財務省)など8つの中央省庁「八省」の1つだった。 生田斗真が、主人公の光源氏を演じた映画「源氏物語 千年の謎」(2011年)で題材にされた小説『源氏物語』の作者・紫式部の名はもちろん本名ではなく、父親が式部省に勤務していたためペンネームに式部という言葉が使われたと言われている。 式部職は幕府による武家政権が終わり朝廷(天皇)による政権が復活した明治時代から皇室関連の事務を行っていた宮内省が、終戦直後の1947~49年の間に宮内府となった時は「式部寮」となり、式部官長は「式部頭」と呼ばれた。式部職の仕事は宮内庁法第7条で「儀式に関すること、交際に関すること、雅楽に関すること」の3つが規定されている。これを大別すれば「儀式」と「外国交際」の2つに収斂される。雅楽は両方にまたがるからだ。 日本古来の音楽は、西洋の洋楽に対して雅楽と呼ばれ、平安時代から1千年以上続く。式部職の楽団「楽部」が中心となって技術を受け継いでいる。楽部の演奏家「楽師」は昔、世襲だった名残で式部職には東儀家など代々家業にしている家系の職員もいる。楽部は雅楽だけでなく洋楽もマスターしており、宮中祭祀などの「皇室神道」関係の宗教儀式や、宮中晩餐会などの外国交際の行事で活躍している。 雅楽は1995年に国の重要無形文化財に指定。吹きもの(管楽器)、弾きもの(絃楽器)、打ちもの(打楽器)が奏でられアンサンブルが構成される。式部職では雅楽のほか、鳥の鵜を使った奈良時代前後からの伝統ある漁法「鵜飼」を長良川(岐阜)で続けており、「鵜匠」に職員の身分を与えて世界各国の大使らに披露させている。また、明治時代に武家政権から朝廷の政権に移行すると、鴨猟も荒々しいハードな鷹狩から叉手網を使用したソフトな手法に主流が移り、この鴨猟も式部職で伝承。千葉の新浜鴨場と埼玉鴨場の2カ所で「鷹匠」と呼ばれる専門の職員が、駐日大使らを接遇している。難産だったご結婚を“援護射撃” 渡り鳥である鴨の猟のオフシーズンに、天皇陛下(当時は皇太子さま)が皇后陛下(当時は小和田雅子さん)に新浜鴨場でプロポーズされたのはあまりにも有名な話だ。結果的に式部職側が、難産に難産を重ねた徳仁天皇のご結婚を“援護射撃”するかたちとなったわけだ。 式部職では雅楽、鵜飼、鴨場といった日本の文化を保護・継承して、国際親善のための外国交際に活用している。式部職はトップの式部官長の下に、補佐する立場のナンバー2「式部副長」が2人いて、担当はそれぞれ儀式と外事。外事は「来日外国人に関すること」を意味しており、要するに外国交際の専任担当者が配置されているのである。 こうしてみても、式部職がいかに国際親善にウエイトを置いたセクションなのかがよく分かる。だから歴代トップには秋元氏のみならず、大物外務官僚OBが名を連ねる。理由はもちろん、天皇陛下のご外遊に同行するには高い語学力と豊富な国際経験が求められるためだ。 平成に入ってからだけでも、ヨルダン大使などを歴任した渡邉允元侍従長(現上皇陛下担当)、イスラエル大使や外務事務次官を歴任した川島裕元侍従長(同)、原口幸市元国連大使、ミャンマー大使だった小田野展丈前侍従長(現天皇陛下担当)、秋元氏の後任で現職の伊原純一元フランス大使らが式部官長のポストに就いている。執事であり側近中の側近である侍従長を10年以上の長きにわたって務めた渡邉氏の曾祖父・千秋氏(伯爵)は明治天皇崩御時の宮内大臣で、父・昭氏は昭和天皇のご学友として知られた。「機密費」の流用で処分も 川島氏は次官時代、「ロジ担」と称されたノンキャリアの外務省事務官による機密費流用事件で責任を問われ、処分される不運に見舞われる。一方、上皇陛下は在位中、魚類の分類を研究する生物学者としての実績が認められ、生物分類学の権威であるリンネの業績を称えて設立されたリンネ協会から名誉会員としてリンネ生誕300年を記念した行事に招待され、2007年5月にリンネ誕生の地・スウェーデンなど欧州5カ国をご歴訪。式部官長として同行した川島氏は、現地で同行記者団を前にして、「(スウェーデン出身の)博物学者・リンネが『分類学の父』として世界的に知られていることは皆さんもよくご存じの通りで、リンネの誕生日に当たる今日(23日)、陛下はウプサラ大聖堂内の墓碑前でグスタフ国王とともにリンネの業績をしのばれ、大変感激されたご様子だった。この旅は陛下にとって本当に有意義なものになると私も確信した」 と、興奮気味に語っていたという。 07年6月に就任した原口氏は09年10月4日午後0時35分ごろ、新潟県糸魚川市の雨飾山(1963メートル)の山頂付近で登山中に倒れ、搬送先の病院で死亡が確認された。死因は急性心臓死だった。原口氏は宮内庁職員6人とふもとの山荘を出発し、同日中に下山する予定だった。就任からわずか2年余というあまりにも短期間での突然の訃報に、心から驚いたものだ。 小田野氏は16年5月に皇太子家を支える東宮職トップの東宮大夫に就任。お代替わりに伴って天皇皇后両陛下の初代侍従長となり、一連の即位関連行事を取り仕切った。 また渡辺氏や秋元氏も外務省時代に務めた儀典長は、プロトコル(国際儀礼)を担当し、皇室の方々のご外遊について宮内庁との調整を担う。皇籍離脱した旧賀陽宮家出身の賀陽正憲氏は天皇陛下のご学友で、宮内庁式部職勤務から儀典長をバックアップする外務省儀典官室勤務に転じた。 ペルーで笑顔を絶やさず交流される様子を、現地メディアに「微笑みのプリンセス」と報じられた佳子さま。その佳子さまが現地住民に歓待されるよう環境を整えてご外遊を成功に導いた重要セクションの先頭に立つ式部官長、これを補佐する式部副長(外事)と儀典長というトライアングルが下支えするからこそ“皇室外交”は成り立っているのである。朝霞保人(あさか・やすひと)皇室ジャーナリスト。主に紙媒体でロイヤルファミリーの記事などを執筆する。デイリー新潮編集部
今年4月2日付で天皇陛下の様々な相談に乗る宮内庁御用掛に、秋元義孝元駐オーストラリア大使が就任した。同氏は式部職のトップである式部官長を2015年から8年間にわたって務め、天皇陛下にとって気心が知れた元側近であり、順当な人事と言っていいだろう。ご即位後も新型コロナウイルスの感染拡大で外国訪問がなかなか叶わなかったことを踏まえると、陛下も実績ある外務官僚OBに的確な助言を期待されているはずだ。
その秋元氏は以前、「斗真は本当にいいヤツなんだ」と語っていた。
「斗真」とは性加害問題でゴタゴタが続いた旧ジャニーズ事務所の元所属俳優・生田斗真のことだ。実は秋元氏はフジテレビの元女子アナ・秋元優里氏の父。優里氏は2012年、会社の同僚でアナウンス室の後輩だった、生田さんの弟と結婚した。童顔でミス慶應コンテストの元ファイナリストとしてファンも多かった優里氏だが、不倫疑惑が報じられるなどトラブルが続いて、18年に離婚。現在はアナウンス室を離れ、番組のプロデューサーなどをしている。つまり生田は当時、秋元氏の親戚だったのだ。
「礼儀正しく腰も低いし、芸能人らしい振る舞いはなく、本当に気のいい男なんだよな」
と、とにかく生田のことはベタ褒めしていた。
ところで、式部職の「式部」とはもともと、飛鳥時代に始まった律令制度を支える役所「式部省」の略である。式部省は朝廷の儀式などを担当し、法律(律令)で定められた大蔵省(今の財務省)など8つの中央省庁「八省」の1つだった。
生田斗真が、主人公の光源氏を演じた映画「源氏物語 千年の謎」(2011年)で題材にされた小説『源氏物語』の作者・紫式部の名はもちろん本名ではなく、父親が式部省に勤務していたためペンネームに式部という言葉が使われたと言われている。
式部職は幕府による武家政権が終わり朝廷(天皇)による政権が復活した明治時代から皇室関連の事務を行っていた宮内省が、終戦直後の1947~49年の間に宮内府となった時は「式部寮」となり、式部官長は「式部頭」と呼ばれた。式部職の仕事は宮内庁法第7条で「儀式に関すること、交際に関すること、雅楽に関すること」の3つが規定されている。これを大別すれば「儀式」と「外国交際」の2つに収斂される。雅楽は両方にまたがるからだ。
日本古来の音楽は、西洋の洋楽に対して雅楽と呼ばれ、平安時代から1千年以上続く。式部職の楽団「楽部」が中心となって技術を受け継いでいる。楽部の演奏家「楽師」は昔、世襲だった名残で式部職には東儀家など代々家業にしている家系の職員もいる。楽部は雅楽だけでなく洋楽もマスターしており、宮中祭祀などの「皇室神道」関係の宗教儀式や、宮中晩餐会などの外国交際の行事で活躍している。
雅楽は1995年に国の重要無形文化財に指定。吹きもの(管楽器)、弾きもの(絃楽器)、打ちもの(打楽器)が奏でられアンサンブルが構成される。式部職では雅楽のほか、鳥の鵜を使った奈良時代前後からの伝統ある漁法「鵜飼」を長良川(岐阜)で続けており、「鵜匠」に職員の身分を与えて世界各国の大使らに披露させている。また、明治時代に武家政権から朝廷の政権に移行すると、鴨猟も荒々しいハードな鷹狩から叉手網を使用したソフトな手法に主流が移り、この鴨猟も式部職で伝承。千葉の新浜鴨場と埼玉鴨場の2カ所で「鷹匠」と呼ばれる専門の職員が、駐日大使らを接遇している。
渡り鳥である鴨の猟のオフシーズンに、天皇陛下(当時は皇太子さま)が皇后陛下(当時は小和田雅子さん)に新浜鴨場でプロポーズされたのはあまりにも有名な話だ。結果的に式部職側が、難産に難産を重ねた徳仁天皇のご結婚を“援護射撃”するかたちとなったわけだ。
式部職では雅楽、鵜飼、鴨場といった日本の文化を保護・継承して、国際親善のための外国交際に活用している。式部職はトップの式部官長の下に、補佐する立場のナンバー2「式部副長」が2人いて、担当はそれぞれ儀式と外事。外事は「来日外国人に関すること」を意味しており、要するに外国交際の専任担当者が配置されているのである。
こうしてみても、式部職がいかに国際親善にウエイトを置いたセクションなのかがよく分かる。だから歴代トップには秋元氏のみならず、大物外務官僚OBが名を連ねる。理由はもちろん、天皇陛下のご外遊に同行するには高い語学力と豊富な国際経験が求められるためだ。
平成に入ってからだけでも、ヨルダン大使などを歴任した渡邉允元侍従長(現上皇陛下担当)、イスラエル大使や外務事務次官を歴任した川島裕元侍従長(同)、原口幸市元国連大使、ミャンマー大使だった小田野展丈前侍従長(現天皇陛下担当)、秋元氏の後任で現職の伊原純一元フランス大使らが式部官長のポストに就いている。執事であり側近中の側近である侍従長を10年以上の長きにわたって務めた渡邉氏の曾祖父・千秋氏(伯爵)は明治天皇崩御時の宮内大臣で、父・昭氏は昭和天皇のご学友として知られた。
川島氏は次官時代、「ロジ担」と称されたノンキャリアの外務省事務官による機密費流用事件で責任を問われ、処分される不運に見舞われる。一方、上皇陛下は在位中、魚類の分類を研究する生物学者としての実績が認められ、生物分類学の権威であるリンネの業績を称えて設立されたリンネ協会から名誉会員としてリンネ生誕300年を記念した行事に招待され、2007年5月にリンネ誕生の地・スウェーデンなど欧州5カ国をご歴訪。式部官長として同行した川島氏は、現地で同行記者団を前にして、
「(スウェーデン出身の)博物学者・リンネが『分類学の父』として世界的に知られていることは皆さんもよくご存じの通りで、リンネの誕生日に当たる今日(23日)、陛下はウプサラ大聖堂内の墓碑前でグスタフ国王とともにリンネの業績をしのばれ、大変感激されたご様子だった。この旅は陛下にとって本当に有意義なものになると私も確信した」
と、興奮気味に語っていたという。
07年6月に就任した原口氏は09年10月4日午後0時35分ごろ、新潟県糸魚川市の雨飾山(1963メートル)の山頂付近で登山中に倒れ、搬送先の病院で死亡が確認された。死因は急性心臓死だった。原口氏は宮内庁職員6人とふもとの山荘を出発し、同日中に下山する予定だった。就任からわずか2年余というあまりにも短期間での突然の訃報に、心から驚いたものだ。
小田野氏は16年5月に皇太子家を支える東宮職トップの東宮大夫に就任。お代替わりに伴って天皇皇后両陛下の初代侍従長となり、一連の即位関連行事を取り仕切った。
また渡辺氏や秋元氏も外務省時代に務めた儀典長は、プロトコル(国際儀礼)を担当し、皇室の方々のご外遊について宮内庁との調整を担う。皇籍離脱した旧賀陽宮家出身の賀陽正憲氏は天皇陛下のご学友で、宮内庁式部職勤務から儀典長をバックアップする外務省儀典官室勤務に転じた。
ペルーで笑顔を絶やさず交流される様子を、現地メディアに「微笑みのプリンセス」と報じられた佳子さま。その佳子さまが現地住民に歓待されるよう環境を整えてご外遊を成功に導いた重要セクションの先頭に立つ式部官長、これを補佐する式部副長(外事)と儀典長というトライアングルが下支えするからこそ“皇室外交”は成り立っているのである。
朝霞保人(あさか・やすひと)皇室ジャーナリスト。主に紙媒体でロイヤルファミリーの記事などを執筆する。
デイリー新潮編集部