事件や事故、災害現場などでスマホカメラを向ける人々が増えている。中には救助を手伝うこともなく苦しむ被害者を撮影したり、自らの危険も顧みないケースも少なくないという。撮影者たちはいったい何を考え、レンズを向けるのだろうか――。犯罪心理学に詳しい新潟青陵大学の碓井真史教授に聞いた。
《私が必死に、動画とか撮影やめて!って言ってるのに、笑いながら撮られたの泣きたくなった。》
11月5日未明、新宿・歌舞伎町で発生した殺人未遂事件。交際相手の20代男性をカッターナイフで切りつけたとして、20代の女が逮捕された。冒頭の言葉はこの男性を救護した女性、A子さんが自身のSNSに投稿したものの一部だ。
歌舞伎町で起きた飛び降り事件では横たわる被害者にカメラを向けていた人も(写真はイメージ/Photo by Gettyimages)
現場にいた人々は男性を救護しているA子さんにスマホカメラを向け、SNSに投稿、インフルエンサーらが取り上げるとまたたくまに拡散された。その日撮影された動画や写真には刺した女を止めることもせず、救護をすることもなく、無表情でスマホをただじっと向ける撮影者たちの姿も映し出されていたのだ。
だが、こうした現象はこの事件に限らない。何か起きた時にとっさにスマートフォンのカメラを向ける光景は日常的になっている。そうした映像は日夜、SNSで流れ、時に『万バズ』と言った状態になり、ニュース番組などで紹介されることも珍しくはない。
「事件にはかぎりません。芸能人やスポーツ選手らを見かけると黙って撮影し、中にはSNSに投稿する人も増えています。勝手に撮影されたり、注意してもスマホカメラを向けられ続けたことを訴える著名人もいますが、止まりません」(事件記者の当山みどり氏)
断りもなくカメラを向けて撮影する人々に対し、「ひどいことをする」「何を考えているんだ」などと腹をたてることもあるだろう。
犯罪心理学に詳しい新潟青陵大学の碓井真史教授に曰く、「撮影者は特別に悪者、というわけではないんです」と述べる。
いったいどういうことだろうか。
「道を歩いていて、いつもと何か違うことが起きたとき、人は立ち止まりますよね。交通事故と遭遇したとき、『何が起きたのか』とその状況を見ようとする。これはなにも悪いことではなく、人として自然な行動なんです」(碓井氏、以下「」も)
これは突然起きた出来事に関心が向くということ。だが、その先の行動が問題との分かれ道となる。
立ち去る人、救助する人、その様子をやじ馬根性丸出して面白がる人、自分が有名になるチャンスだと期待する人……といったように居合わせた人々の心理状態は分かれる。
「事故や火事、事件が起きればわざわざそこまで見に行く人はいますよね。道徳的な問題として指摘されることはありますが、こうした行為は『火事見物』として、江戸時代やその前の時代でもたくさんいた。そのため、行為自体は今に始まったことではないんです」
これまでやじ馬に対して、嫌悪感を露わにする人はいたものの、別段責めることはなかった。その潮目が変わったのは「スマホカメラ」と「SNS」の登場だ。
スマホカメラがなかった時代は、やじ馬をして見聞きしたものを家族や友人らに話すだけで終わっていた。だが、登場したスマホカメラによって、その様子は簡単に撮影ができ、SNSを通じて不特定多数に広がり、後世まで残り続ける。
何よりレンズを向けられた側は、ただ立ってそこにいる人々よりもその行為に対し、非常に強い不快感を覚えるのだ。
「ただ立ってその様子を見ている10人、20人のやじ馬よりも、カメラを向けている数人のほうが不快なんです。カメラを通じて、“見られている”という感覚を強めます。そして撮影される、ということは記憶だけではなく、記録に残ることに不安を覚えるのです」
では、撮影者は何を思い、カメラを向けるのだろうか。
「まずは言葉で伝えるよりも、動画で見せることで臨場感も伝わり、第三者により関心を持ってもらえる。『承認欲求』を満たし、高揚します。さらにそれをSNSで投稿することで更なる反響も得られ、ますます気持ちが満たされていく」
さらに「お金」につながることもあるのだ。注目を集める動画ばかりを投稿してアクセス数を稼ぎ、対価を得るカースも増えている。
珍しいものを投稿して、バズることで承認欲求を満たし、さらには金銭の授受までもプラスされる。そのため、多くの撮影者たちはまるでハンターのように目の前で起きた凄惨な出来事にカメラを向け、SNSに我先に、と投稿をするのだ。そのため、目をそらしたくなるような場面でもまずは積極的にスマホを掲げる人たちが増えつつある。
「先日、埼玉県で起きた立てこもり事件の現場でもそうでした。報道陣とともに多くのやじ馬が集まり、現場に動きがあると一斉にスマホを掲げていました。その様子を生配信したり、現場の建物に近づこうとスマホ片手に住宅街を歩く若者の姿もあった」(前出の当山さん)
とはいえ、昔から日常的にカメラを持ち歩いている人はいた。だが、それは『カメラ小僧』などと言われるようなマニアや報道カメラマン、記者らに限られていた。
「最近では報道関係者の間でも関係者のプライバシーを十分に配慮する方針が取られるケースも増えています。顔や撮影したものの掲載を控えることも、当然ある。スマホ撮影者らと異なるのは、覚悟を持って撮影していることでしょう。報道のため、国民の知る権利に応えるために必要な写真だから、と現場の写真を撮影するんです。時には泣いている被害者やその家族を撮ることもあります。そのため、『マスゴミ』などと批判されることも日常的ですし、時には訴えられることもあります。その覚悟を持ってやるんです。ですが、スマホ撮影者たちにはそうした覚悟や意識はありません」
碓井氏はそう指摘する。
スマホ撮影者の多くは報道関係者のような意識もマナー、そしてモラルも持ち合わせず、自分の欲求を満たすため、ごくごく気軽にカメラを向けているのだ。
当然、レンズの向こうにいる誰かを傷つけている、という意識は持ち合わせてはいない――。
「人間の心の中には冷たい部分があって、何か凄惨な出来事が起きた時に同情する気持ちと同時に好奇心があるんですよ」
まさに「人の不幸は蜜の味」と言ったところだろうか。配慮もせずに暴走する撮影者たちはときに被害者のプライバシーをも晒すことにもなる。
後編記事『「カメラを向けるな!」過激な動画をスマホで撮影してアップ!被害者の心を踏みにじる撮影者たち』ではスマホカメラを向ける人々の真理をさらに深堀りしていく。