家族を奪われた殺人事件の被害者遺族にとって、そのお金は何を意味するのだろうか……。遺族には国から給付金が支払われることになっているが、金額は個々のケースで異なり、被害者の「命の値段」と指摘されることもある。遺族の声からその問題点に迫る。【水谷竹秀/ノンフィクション・ライター】
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【写真を見る】今も玄関に残る犯人の血痕 証拠保全のため、20年以上も「無人のアパート」を借り続けているという「こんにちは。よろしくお願いします」 11月13日、名古屋市内の商業施設で、スーツ姿の高羽悟さん(67)が、買い物客にチラシを手渡していた。
〈名古屋市西区稲生町5丁目主婦殺人事件 捜査特別報奨金300万円〉現場となったかつての自宅アパートで事件当時を振り返る高羽さん 赤く印字された文言が人目を引く。あの日から今年で24年、妻を殺害された高羽さんは犯人を捜し続けている。「来年こそはこうして(チラシ配りのために)集まらなくていいように警察にお願いしたい」「主婦なので給付金額は370万円」 高羽さんにとっての事件後の記憶――。その一つは今も、日本の犯罪被害者支援の課題としてくすぶっている。 それは取り調べが落ち着き、事件発生からしばらくたった時のことだった。捜査本部がある愛知県警西署の一室で、高羽さんは担当刑事からこう告げられた。「亡くなった奥さんは(専業)主婦なので、法律に照らし合わせると給付金額は370万円になります」 その数字は、犯罪被害給付制度に基づき、遺族に支払われる給付金の額だった。殺人事件の被害者遺族になるとは想像すらしていなかった高羽さんは、制度自体を知らなかったため、その額が妥当かどうか分からない。だが、「主婦なので」という刑事の言葉には、やがて違和感を覚える。「奈美子の命は370万円ぐらいなのか……」「無人のアパート」を20年以上借り続けている理由 1999年11月13日正午ごろ、高羽さんの妻、奈美子さん(32)=当時=が何者かに刺されて死亡した。現場は高羽さん一家三人が住んでいた名古屋市西区のアパートで、奈美子さんはリビング入り口のところでうつぶせに倒れ、台所の食卓では、当時2歳の息子、航平さん(26)がベビーチェアに座っておもちゃをいじっていた。犯人とは目と鼻の先。にもかかわらずけがもなく無事だった。高羽さんが当時を思い返す。「結婚して4年目でした。奈美子の夢だった赤い車を買い、納車されたばかり。家族でディズニーランドへも行き、人生で一番幸せな時に事件が起きたのです」 目撃情報などによると、犯人は女性で、年齢は40~50歳(現在60~70歳)。身長160センチぐらい。 事件後、市内の実家へ移った高羽さんは、心が折れそうになりながらも不動産の仕事に復帰し、両親とともに航平さんを育て上げた。現場となったアパートは解約せず、家賃を現在に至るまで払い続けている。その額は2128万円に上る。なぜ「無人のアパート」を20年以上も借り続けているのか。それは、奈美子さんともみ合いになった時に手をけがした犯人の血痕が、玄関のたたきに残っているからだ。「家賃は年間60万円かかりますので、年金生活者にとっては大変なんです。もう片付けたいとは思っていますが、犯人のDNAが残された、日本で唯一の未解決事件の現場かもしれませんので」 家族の誰かが殺されると、残された遺族には悲しみや犯人への憎悪といった精神的苦痛に加え、経済的負担ものしかかる。それでもいや応なく人生が続いていく被害者遺族は、国からどこまでの支援を受けられるのか。「たまたま働いていない期間を対象に算定するのは不公平」 その一つが、犯罪被害給付制度である。この制度に基づいて遺族に支給される額は、発生前の収入や家族構成によって算定されるため、320万円~2964万円と幅がある。2022年度の平均支給額は743万円だった。 高羽さんが支給された20年以上前の平均額はもっと少なく、現在の水準とは比較できない。それでも奈美子さんは収入がない主婦だから、低く抑えられたのではと、高羽さんは考える。「たまたま働いていない期間を対象に算定するのは不公平ですよね。その時は子育てに専念していても、子どもが大きくなったら働きたいと思う女性もいるだろうし。他の事件の給付金額を耳にした時に、奈美子が仕事をしていればもう少しもらえたのかなとは思いました」 給付金額を警察から聞かされた遺族の中には、「命の値段」が低く見積もられたと嘆く人もいる。 2021年12月に大阪市北区の繁華街・北新地にある雑居ビル4階の心療内科クリニックが放火された事件。後に死亡した犯人の他に、院長や患者ら26人が犠牲になったが、その多くは職場復帰を目指して療養中の人たちだった。そのため収入がなく、給付金額は低かった。失望した遺族らは、給付金額を拡充するよう岸田文雄首相に要請する文書を送った。 政府は今年8月、有識者会議を開き、給付金額を大幅に引き上げる方針を決定した。来年5月までには具対策を取りまとめる。「出来損ないの法律」 犯罪被害給付制度は、1974年8月に発生した三菱重工ビル爆破事件を契機に国会やマスコミで必要性の議論が高まり、1981年に導入された。以降、支給対象の拡大や支給額の引き上げを中心とした見直しは何度も行われてきた。それでも現行の遺族給付金の平均額約743万円は、交通事故の自賠責保険で支給される平均額約2500万円より低く、高羽さんはこんな本音も漏らす。「殺人事件は殺意があって人の命が失われる。にもかかわらず、故意ではない交通事故の自賠責保険でそれだけ支給されるのであれば、殺人の被害者遺族はもっともらってもいいのでは」 自賠責保険は、民間の保険会社が支給するため、運転手による掛け金で成り立っている。ゆえに税金を財源とした犯罪被害給付制度と性格は異なるが、高羽さんと同じ気持ちを持つ事件の遺族は多い。 被害者学を専門とする常磐大学元学長の諸澤英道氏は、制度の基になった犯罪被害者等給付金支給法は「出来損ないの法律だ」と批判した上で、その理由をこう説明する。「法案が国会で審議された際、野党などから『本来は加害者が賠償すべきなのに、なぜ国が支給しなければならないのか』という反対意見が挙がりました。そのためか法的性格が『見舞金』と位置付けられました。要するに一時金。そこが根本的な問題です」 一時的な支払いで済ませようとして、被害者や遺族の生活再建に向けた長期的な視点が欠けている、というのだ。政府は「お金は出すけど責任は持ちたくない」 世界的にみると、犯罪被害者に対する補償制度を最初に作ったのはニュージーランドで、1964年だった。これに続いて70年代半ばまでに、欧米約40カ国が競うようにして補償制度を導入した。ところが日本は81年と出遅れた。しかも「補償」ではなく「一時金」だ。諸澤氏が続ける。「日本社会は『補償』という言葉が苦手なのです。責任を伴う感覚があるからでしょう。『お金は出すけど責任は持ちたくない』というのが日本政府の従来からの姿勢。やはり給付金法は廃案にして、あるべき被害者補償法を作った方がいい。今や国際的なスタンダードになっている、被害者や遺族が落ち着いた生活を取り戻すまでの継続的支援に政府や各自治体が責任を負わなければならないのです」 警察庁が2022年度に各国の被害者支援制度を調査した結果によると、被害者支援にかける日本の予算は総額約10億円なのに対し、米国は約380億円と30倍以上の開きがある。英国は約214億円、ドイツが最高の約478億円など各国とも日本とは桁が違う。これは日本の制度が支給対象者を「遺族」、「重傷病」、「障害」の三つに限定し、受給者の人数が著しく少ないためで、被害者1人当たりの平均でみると日本は350万円と最も高い。 では、被害者支援は額の問題なのか。仮に給付金の平均額を自賠責保険と同水準に引き上げさえすれば、遺族は納得するのだろうか。「紙切れ」同然の判決文 その問いを考える上で、忘れてはならない視点がある。それは加害者からの「償い」だ。高羽さんが語気を強める。「給付金を増額すればいいという単純な問題ではない。犯人に求償できないし、それだと反省も謝罪もしない。だったら民事裁判で賠償判決を勝ち取り、その支払い責任から逃げられないような制度を作るべきです」 殺人事件の被害者遺族の中には、刑事裁判と並行し、犯人に損害賠償を請求する民事裁判を起こす人が少なくない。彼らが求めているのはお金ではなく、犯人からの誠意や謝罪、あるいは償いだ。しかし賠償判決を勝ち取っても、犯人から「支払い能力がない」と言われれば、裁判所は支払いに応じるような働きかけはしない。その規定がないためだ。原告は判決の強制執行を申し立てることも可能だが、結局は被告に財産がなければ回収できない。 日本弁護士連合会が2018年に実施した調査によると、被害者に支払われた金額は、裁判などで認められた賠償額のうち、殺人事件で平均13・3%だった。 賠償金がほとんど支払われない現実。これでは判決文はただの「紙切れ」同然で、一体、何のための裁判なのか。「『殺した者勝ち』が通じない社会であるべき」 こうした矛盾を回避するため、高羽さんが代表幹事を務める殺人事件被害者遺族の会「宙(そら)の会」など被害者遺族団体は、遺族への賠償を国がいったん立て替えた上で、加害者に請求する「代執行制度」の導入を求めている。 手順としては、裁判所が命じた賠償金額を、国が税金で立て替えて被害者遺族に支払い、後に加害者や親族に請求、あるいは加害者側の土地や財産を差し押さえるという流れだ。スウェーデンなどの北欧では実施されている。 高羽さんはこう訴える。「要は『殺した者勝ち』が通じない社会であるべきなのです。被害者の遺族が、経済的に困窮することもあってはならない。私はどうにか一人息子を大学まで行かせることができましたが、中には厳しい遺族もいるでしょう」事件のせいで困窮する被害者遺族も 実際、事件のせいで困窮生活に追い込まれた被害者遺族は存在する。 白い壁に染みついた血痕、切り裂かれたレースのカーテン、ガラスの破片、至る所に積み上がった段ボール箱や衣類……。千曲川が流れる長野県坂城町にあるその一軒家には、事件発生から3年半が経過した今も、当時の爪痕がくっきり残っていた。遺族であり、また事件直後に現場を目撃した市川武範さん(58)が、玄関口で指をさしながら言った。「玄関のたたきにはまだ娘の血痕がうっすら残っています。あの日、娘はそこでうなだれ、呻き声を上げていました。左の側頭部には銃で撃たれた痕。次男の部屋に入ると、同じく左側頭部を撃たれた次男が倒れており、あたり一面血だまり。そしてリビングには犯人も倒れていたのです」 市川さんの自宅で2020年5月26日深夜、長女の杏菜さん(22)=当時=と次男で高校1年生の直人さん(16)=当時=が、面識のない暴力団組員の男(35)=当時=に拳銃で撃たれて死亡した。男は直後に自殺したとみられる。身を隠すように生きる必要が 発生時、自営業者だった市川さんは職場にいて、杏菜さんから掛かってきた電話で異変を察知した。「杏菜の声は聞こえず、ガチャン、ガチャンというガラスを踏み締めるような音だけが響いていました。これはまずいと思い、車で急いで帰宅しました」 男は金属バットで窓ガラスを割って市川さん宅に侵入し、まず杏菜さんに、続いて直人さんに発砲した。市川さんの妻もその場に居合わせたが、近隣住民に助けを求めて外へ飛び出し、無事だった。 前兆はこの2日前に起きていた。市川さんの長男が男の元妻とコンビニで話をしていたところ、男に暴力を振るわれた。長男と元妻は会社が一緒だったが、たまに話をするだけの関係だった。しかし、それが男の逆鱗に触れ、全く関係のない長女と次男が巻き込まれたのだ。逆恨みを警戒していた長男は警察の保護下に置かれていたため、事件当日は自宅にいなかった。 事件が一斉に報道されると、市川さんはネット上で、次のようなデマに基づく誹謗中傷を浴びた。「元妻を寝取った長男にも原因がある」「そんな時に外出していた父親にも責任がある」 近隣住民からも「近所に謝って歩け!」と怒鳴られ、市川さんは精神を病んだ。妻も側に付いていないと、二人の後を追おうとする。おまけに犯人の関係者から危害を加えられるかもしれず、身を隠すように生きなければならなかった。「1日1食で衣類は手洗い」 問題は住む場所だ。自宅が犯行現場だったため、事件発生から2週間は警察の宿泊施設に滞在した。その後の避難先として町営住宅への入居を申請すると、町役場から「加害者が暴力団なので他の住民に迷惑をかける可能性がある」と断られた。このためアパート経営をしている知人に頼んで、受け入れてもらった。家族の安全を考え、別々に暮らすことになった長男は会社を辞め、失業保険でしのいだ。 市川さんも仕事を再開できず、現場となった自宅のローンを支払いながら、生活を切り詰めた。「スーパーで値引きされる時間帯に弁当と惣菜を1人分買ってそれを妻と分けて食べました。基本は1日1食。洗濯機を置ける場所もなかったので、衣類は手洗い。携帯電話もWi-Fi専用にして節約しました」「私や妻のように生きる気力を失う人も」 市川さんは体重が10キロ落ちた。事件発生から9カ月がたって支給された給付金額は杏菜さん、直人さんの二人分を合わせて約680万円。杏菜さんは飲食店で働いていたが、新型コロナで休職中。直人さんも高校生で収入がなかったため、これが算定に反映されたとみられる。「額を聞いた時は正直、たったこれだけかと思いました。お金が全てではありませんが、子どもを殺され、傷ついた心を癒やすには時間が必要です。仕事をしながら立ち直る人もいるかもしれませんが、私や妻のように生きる気力を失った人もいる。そういう遺族の生活を再建するためには、見舞金という考え方ではなく、もっと長期的な支援が必要ではないでしょうか」 市川さんは現在、給付金を取り崩しながら、妻に寄り添って人生を立て直そうとしている。だが、その給付金も底が見えてきた。「仕事を早く再開したいけど妻のこともありますし……。自宅の片付けもしないといけない。でもめどが立たないんです」 しかも賠償請求できる相手はもうこの世にいない。事件の被害者遺族でありながら、「命の値段」を勝手にはじき出された上に、住居探しで行政に見放され、経済的困窮に陥るという容赦ない現実。先進国とされる日本で、未だに「殺され損」がまかり通っている。水谷竹秀(みずたにたけひで)ノンフィクション・ライター。1975年生まれ。上智大学外国語学部卒業。2011年、『日本を捨てた男たち』で第9回開高健ノンフィクション賞を受賞。10年超のフィリピン滞在歴をもとに「アジアと日本人」について、また事件を含めた世相に関しても幅広く取材。近著に『ルポ 国際ロマンス詐欺』がある。「週刊新潮」2023年12月7日号 掲載
「こんにちは。よろしくお願いします」
11月13日、名古屋市内の商業施設で、スーツ姿の高羽悟さん(67)が、買い物客にチラシを手渡していた。
〈名古屋市西区稲生町5丁目主婦殺人事件 捜査特別報奨金300万円〉
赤く印字された文言が人目を引く。あの日から今年で24年、妻を殺害された高羽さんは犯人を捜し続けている。
「来年こそはこうして(チラシ配りのために)集まらなくていいように警察にお願いしたい」
高羽さんにとっての事件後の記憶――。その一つは今も、日本の犯罪被害者支援の課題としてくすぶっている。
それは取り調べが落ち着き、事件発生からしばらくたった時のことだった。捜査本部がある愛知県警西署の一室で、高羽さんは担当刑事からこう告げられた。
「亡くなった奥さんは(専業)主婦なので、法律に照らし合わせると給付金額は370万円になります」
その数字は、犯罪被害給付制度に基づき、遺族に支払われる給付金の額だった。殺人事件の被害者遺族になるとは想像すらしていなかった高羽さんは、制度自体を知らなかったため、その額が妥当かどうか分からない。だが、「主婦なので」という刑事の言葉には、やがて違和感を覚える。
「奈美子の命は370万円ぐらいなのか……」
1999年11月13日正午ごろ、高羽さんの妻、奈美子さん(32)=当時=が何者かに刺されて死亡した。現場は高羽さん一家三人が住んでいた名古屋市西区のアパートで、奈美子さんはリビング入り口のところでうつぶせに倒れ、台所の食卓では、当時2歳の息子、航平さん(26)がベビーチェアに座っておもちゃをいじっていた。犯人とは目と鼻の先。にもかかわらずけがもなく無事だった。高羽さんが当時を思い返す。
「結婚して4年目でした。奈美子の夢だった赤い車を買い、納車されたばかり。家族でディズニーランドへも行き、人生で一番幸せな時に事件が起きたのです」
目撃情報などによると、犯人は女性で、年齢は40~50歳(現在60~70歳)。身長160センチぐらい。
事件後、市内の実家へ移った高羽さんは、心が折れそうになりながらも不動産の仕事に復帰し、両親とともに航平さんを育て上げた。現場となったアパートは解約せず、家賃を現在に至るまで払い続けている。その額は2128万円に上る。なぜ「無人のアパート」を20年以上も借り続けているのか。それは、奈美子さんともみ合いになった時に手をけがした犯人の血痕が、玄関のたたきに残っているからだ。
「家賃は年間60万円かかりますので、年金生活者にとっては大変なんです。もう片付けたいとは思っていますが、犯人のDNAが残された、日本で唯一の未解決事件の現場かもしれませんので」
家族の誰かが殺されると、残された遺族には悲しみや犯人への憎悪といった精神的苦痛に加え、経済的負担ものしかかる。それでもいや応なく人生が続いていく被害者遺族は、国からどこまでの支援を受けられるのか。
その一つが、犯罪被害給付制度である。この制度に基づいて遺族に支給される額は、発生前の収入や家族構成によって算定されるため、320万円~2964万円と幅がある。2022年度の平均支給額は743万円だった。
高羽さんが支給された20年以上前の平均額はもっと少なく、現在の水準とは比較できない。それでも奈美子さんは収入がない主婦だから、低く抑えられたのではと、高羽さんは考える。
「たまたま働いていない期間を対象に算定するのは不公平ですよね。その時は子育てに専念していても、子どもが大きくなったら働きたいと思う女性もいるだろうし。他の事件の給付金額を耳にした時に、奈美子が仕事をしていればもう少しもらえたのかなとは思いました」
給付金額を警察から聞かされた遺族の中には、「命の値段」が低く見積もられたと嘆く人もいる。
2021年12月に大阪市北区の繁華街・北新地にある雑居ビル4階の心療内科クリニックが放火された事件。後に死亡した犯人の他に、院長や患者ら26人が犠牲になったが、その多くは職場復帰を目指して療養中の人たちだった。そのため収入がなく、給付金額は低かった。失望した遺族らは、給付金額を拡充するよう岸田文雄首相に要請する文書を送った。
政府は今年8月、有識者会議を開き、給付金額を大幅に引き上げる方針を決定した。来年5月までには具対策を取りまとめる。
犯罪被害給付制度は、1974年8月に発生した三菱重工ビル爆破事件を契機に国会やマスコミで必要性の議論が高まり、1981年に導入された。以降、支給対象の拡大や支給額の引き上げを中心とした見直しは何度も行われてきた。それでも現行の遺族給付金の平均額約743万円は、交通事故の自賠責保険で支給される平均額約2500万円より低く、高羽さんはこんな本音も漏らす。
「殺人事件は殺意があって人の命が失われる。にもかかわらず、故意ではない交通事故の自賠責保険でそれだけ支給されるのであれば、殺人の被害者遺族はもっともらってもいいのでは」
自賠責保険は、民間の保険会社が支給するため、運転手による掛け金で成り立っている。ゆえに税金を財源とした犯罪被害給付制度と性格は異なるが、高羽さんと同じ気持ちを持つ事件の遺族は多い。
被害者学を専門とする常磐大学元学長の諸澤英道氏は、制度の基になった犯罪被害者等給付金支給法は「出来損ないの法律だ」と批判した上で、その理由をこう説明する。
「法案が国会で審議された際、野党などから『本来は加害者が賠償すべきなのに、なぜ国が支給しなければならないのか』という反対意見が挙がりました。そのためか法的性格が『見舞金』と位置付けられました。要するに一時金。そこが根本的な問題です」
一時的な支払いで済ませようとして、被害者や遺族の生活再建に向けた長期的な視点が欠けている、というのだ。
世界的にみると、犯罪被害者に対する補償制度を最初に作ったのはニュージーランドで、1964年だった。これに続いて70年代半ばまでに、欧米約40カ国が競うようにして補償制度を導入した。ところが日本は81年と出遅れた。しかも「補償」ではなく「一時金」だ。諸澤氏が続ける。
「日本社会は『補償』という言葉が苦手なのです。責任を伴う感覚があるからでしょう。『お金は出すけど責任は持ちたくない』というのが日本政府の従来からの姿勢。やはり給付金法は廃案にして、あるべき被害者補償法を作った方がいい。今や国際的なスタンダードになっている、被害者や遺族が落ち着いた生活を取り戻すまでの継続的支援に政府や各自治体が責任を負わなければならないのです」
警察庁が2022年度に各国の被害者支援制度を調査した結果によると、被害者支援にかける日本の予算は総額約10億円なのに対し、米国は約380億円と30倍以上の開きがある。英国は約214億円、ドイツが最高の約478億円など各国とも日本とは桁が違う。これは日本の制度が支給対象者を「遺族」、「重傷病」、「障害」の三つに限定し、受給者の人数が著しく少ないためで、被害者1人当たりの平均でみると日本は350万円と最も高い。
では、被害者支援は額の問題なのか。仮に給付金の平均額を自賠責保険と同水準に引き上げさえすれば、遺族は納得するのだろうか。
その問いを考える上で、忘れてはならない視点がある。それは加害者からの「償い」だ。高羽さんが語気を強める。
「給付金を増額すればいいという単純な問題ではない。犯人に求償できないし、それだと反省も謝罪もしない。だったら民事裁判で賠償判決を勝ち取り、その支払い責任から逃げられないような制度を作るべきです」
殺人事件の被害者遺族の中には、刑事裁判と並行し、犯人に損害賠償を請求する民事裁判を起こす人が少なくない。彼らが求めているのはお金ではなく、犯人からの誠意や謝罪、あるいは償いだ。しかし賠償判決を勝ち取っても、犯人から「支払い能力がない」と言われれば、裁判所は支払いに応じるような働きかけはしない。その規定がないためだ。原告は判決の強制執行を申し立てることも可能だが、結局は被告に財産がなければ回収できない。
日本弁護士連合会が2018年に実施した調査によると、被害者に支払われた金額は、裁判などで認められた賠償額のうち、殺人事件で平均13・3%だった。
賠償金がほとんど支払われない現実。これでは判決文はただの「紙切れ」同然で、一体、何のための裁判なのか。
こうした矛盾を回避するため、高羽さんが代表幹事を務める殺人事件被害者遺族の会「宙(そら)の会」など被害者遺族団体は、遺族への賠償を国がいったん立て替えた上で、加害者に請求する「代執行制度」の導入を求めている。
手順としては、裁判所が命じた賠償金額を、国が税金で立て替えて被害者遺族に支払い、後に加害者や親族に請求、あるいは加害者側の土地や財産を差し押さえるという流れだ。スウェーデンなどの北欧では実施されている。
高羽さんはこう訴える。
「要は『殺した者勝ち』が通じない社会であるべきなのです。被害者の遺族が、経済的に困窮することもあってはならない。私はどうにか一人息子を大学まで行かせることができましたが、中には厳しい遺族もいるでしょう」
実際、事件のせいで困窮生活に追い込まれた被害者遺族は存在する。
白い壁に染みついた血痕、切り裂かれたレースのカーテン、ガラスの破片、至る所に積み上がった段ボール箱や衣類……。千曲川が流れる長野県坂城町にあるその一軒家には、事件発生から3年半が経過した今も、当時の爪痕がくっきり残っていた。遺族であり、また事件直後に現場を目撃した市川武範さん(58)が、玄関口で指をさしながら言った。
「玄関のたたきにはまだ娘の血痕がうっすら残っています。あの日、娘はそこでうなだれ、呻き声を上げていました。左の側頭部には銃で撃たれた痕。次男の部屋に入ると、同じく左側頭部を撃たれた次男が倒れており、あたり一面血だまり。そしてリビングには犯人も倒れていたのです」
市川さんの自宅で2020年5月26日深夜、長女の杏菜さん(22)=当時=と次男で高校1年生の直人さん(16)=当時=が、面識のない暴力団組員の男(35)=当時=に拳銃で撃たれて死亡した。男は直後に自殺したとみられる。
発生時、自営業者だった市川さんは職場にいて、杏菜さんから掛かってきた電話で異変を察知した。
「杏菜の声は聞こえず、ガチャン、ガチャンというガラスを踏み締めるような音だけが響いていました。これはまずいと思い、車で急いで帰宅しました」
男は金属バットで窓ガラスを割って市川さん宅に侵入し、まず杏菜さんに、続いて直人さんに発砲した。市川さんの妻もその場に居合わせたが、近隣住民に助けを求めて外へ飛び出し、無事だった。
前兆はこの2日前に起きていた。市川さんの長男が男の元妻とコンビニで話をしていたところ、男に暴力を振るわれた。長男と元妻は会社が一緒だったが、たまに話をするだけの関係だった。しかし、それが男の逆鱗に触れ、全く関係のない長女と次男が巻き込まれたのだ。逆恨みを警戒していた長男は警察の保護下に置かれていたため、事件当日は自宅にいなかった。
事件が一斉に報道されると、市川さんはネット上で、次のようなデマに基づく誹謗中傷を浴びた。
「元妻を寝取った長男にも原因がある」
「そんな時に外出していた父親にも責任がある」
近隣住民からも「近所に謝って歩け!」と怒鳴られ、市川さんは精神を病んだ。妻も側に付いていないと、二人の後を追おうとする。おまけに犯人の関係者から危害を加えられるかもしれず、身を隠すように生きなければならなかった。
問題は住む場所だ。自宅が犯行現場だったため、事件発生から2週間は警察の宿泊施設に滞在した。その後の避難先として町営住宅への入居を申請すると、町役場から「加害者が暴力団なので他の住民に迷惑をかける可能性がある」と断られた。このためアパート経営をしている知人に頼んで、受け入れてもらった。家族の安全を考え、別々に暮らすことになった長男は会社を辞め、失業保険でしのいだ。
市川さんも仕事を再開できず、現場となった自宅のローンを支払いながら、生活を切り詰めた。
「スーパーで値引きされる時間帯に弁当と惣菜を1人分買ってそれを妻と分けて食べました。基本は1日1食。洗濯機を置ける場所もなかったので、衣類は手洗い。携帯電話もWi-Fi専用にして節約しました」
市川さんは体重が10キロ落ちた。事件発生から9カ月がたって支給された給付金額は杏菜さん、直人さんの二人分を合わせて約680万円。杏菜さんは飲食店で働いていたが、新型コロナで休職中。直人さんも高校生で収入がなかったため、これが算定に反映されたとみられる。
「額を聞いた時は正直、たったこれだけかと思いました。お金が全てではありませんが、子どもを殺され、傷ついた心を癒やすには時間が必要です。仕事をしながら立ち直る人もいるかもしれませんが、私や妻のように生きる気力を失った人もいる。そういう遺族の生活を再建するためには、見舞金という考え方ではなく、もっと長期的な支援が必要ではないでしょうか」
市川さんは現在、給付金を取り崩しながら、妻に寄り添って人生を立て直そうとしている。だが、その給付金も底が見えてきた。
「仕事を早く再開したいけど妻のこともありますし……。自宅の片付けもしないといけない。でもめどが立たないんです」
しかも賠償請求できる相手はもうこの世にいない。事件の被害者遺族でありながら、「命の値段」を勝手にはじき出された上に、住居探しで行政に見放され、経済的困窮に陥るという容赦ない現実。先進国とされる日本で、未だに「殺され損」がまかり通っている。
水谷竹秀(みずたにたけひで)ノンフィクション・ライター。1975年生まれ。上智大学外国語学部卒業。2011年、『日本を捨てた男たち』で第9回開高健ノンフィクション賞を受賞。10年超のフィリピン滞在歴をもとに「アジアと日本人」について、また事件を含めた世相に関しても幅広く取材。近著に『ルポ 国際ロマンス詐欺』がある。
「週刊新潮」2023年12月7日号 掲載