今や国民の約6割以上が持っているとされるスマートフォン。何か起きればすぐさまカメラを向け、撮影。リアルタイムの情報をSNSで配信できる強みがある。一方で凄惨な事件現場や被害者らを無断で撮影する人も後を絶たない。中には警察が張った規制線を越えてでも現場を撮ろうとする人も――。
前半記事『他人のトラブルでバズりたい!被害者にカメラを向ける「ヤバい人々」の止められない承認欲求』に引き続き、その心理について新潟青陵大学の碓井真史教授に聞いた。
最近では、ただスマホカメラで撮影して、SNSに投稿するだけではなく、リアルタイムで起きていることを中継さながらに配信する人の姿も目立つようになった。埼玉県で起きた立てこもり事件の現場などでも、そうした光景と遭遇するケースが増えてきたと明かすのは事件記者の当山みどり氏。
埼玉県立てこもり事件で被害者の乗った救急車を撮影する人々(写真/週刊現代)
「これまでも凄惨な事件の現場で配信者がカメラを回している、というケースはありました。それはあくまでも生業としている人たちに限られていた。それが今は簡単に配信を行うことができるようになったことから、現場で生配信をしている若者を見かけることも増えました」
中には配信をすることで注目されたり、投げ銭を貰えることに興奮する若者を見かけたこともあるという。その光景は凄惨な現場にも拘わらず、「どこか楽しんでいるような印象を受けた」と前出の当山さんは振り返る。
「人類はスマホ、という強烈な道具を手に入れましたが、その使い方を学んでいないんです。撮影する、という行為にどれだけの社会的責任があるのかを分かってない人が多い。これは本来、ネットコミュニケーションは公の場でのコミュニケーションとされていますが、撮影者にとっては個人的なコミュニケーションの場であるように勘違いしているからです。最近の心理学の研究でも明らかになってきました」
そう説明するのは犯罪心理学に詳しい新潟青陵大学の碓井真史教授だ。
例えるならネットのコミュニケーションというのは駅前で拡声器を使い、情報を拡散する行為。だが、このSNSで起きていることは本来だったら身内に伝えるにとどまったほうがいい話を相手の許可なく撮影し、大声で話している行為にあたるというのだ。
「大半の撮影者は事件現場や被害者にスマホを向けたとしても『悪いことはしていない』と勘違いしているでしょう。しかし、その行為は社会的には一歩間違えれば犯罪にあたり、警察の捜査妨害となる場合もあります。なにより撮影されている側からすればとんでもない数のカメラの暴力、情報の暴力にあたる可能性もあるんです」(前出の碓井氏)
11月5日に起きた歌舞伎町の刺傷事件ではそうした欲求が高まるあまり、警察の引いた規制線のテープをくぐり、内側まで入ってきて、スマホで撮影していた若者もいたという。
人間の本質として、目新しい情報は価値があるとみなす。そのため、次々に新しくて人が知らない情報を手に入れたい、誰かに伝えたい、という欲求は誰しももっているもの。
だが、ひとたびマナーやモラルを忘れてしまえばトラブルにだって発展する。
「近頃では飛び降り事件や人身事故などの現場などでも被害者にスマホカメラを向ける人がいます。道路で倒れていたり、ホームから落ちる様子の動画もSNSで拡散され、タイムラインに流れてきたのを見かけたことがあります。こうした凄惨な映像を意図せず見かけてしまうこともあるんです」(前出の当山さん)
スマホはいまや高性能な小型カメラになった。
『一億総カメラマン』なんて言葉も生まれたほどで、日本人に限らず、世界中の人々が目新しい情報を求めて目を光らせている。
きれいな景色や面白い光景はもちろんのこと、凄惨な事件現場だって同様なのだ。
加害者への怒りや憤りを覚えたり、被害者に同情を覚えるような気持ちを持ち合わせるのではなく、『遭遇すればラッキー』、それくらいの感覚でカメラを向けるのだ。
そのため、碓井氏は「新しいモラルやマナーを学ばなければいけない」と強調する。
「携帯電話もそうでした。かつては電車やお店など所かまわず電話をしていましたが、それがうるさい、迷惑だと苦情が挙げられることになった。その後、通話や着信に関してはルールができ、今ではみんなそれに従っています。スマホカメラでの撮影もそうした方向に進んでいくと思われます」(碓井氏、以下「」も)
とはいえ、残虐なシーンや被害者の姿を撮影し、それをネットにあげる行為に対して嫌悪感を持つ人が当然大多数だろう。
しかし、撮影し投稿する人たちは「悪いことをしている」という意識はない。「みんながやっているから悪いことではない」との心理が働くという。そうした人々が増えて行けば「道徳心がない」「人の痛みを考えろ」と訴える声のほうが少数派になってしまう恐れがある。
ただ、その一方で凄惨な写真がSNSなどで投稿されることが「いい場面」もあるのだ。戦場やテロの現場だ。「ウクライナやパレスチナなど、戦場カメラマンやジャーナリストでも入れないような現場で現地の人々が撮影し、ネットに投稿する。そこで起きている凄惨な現状が世界に広がり、反戦運動につながることもあります。ですから、スマホカメラとSNS投稿すべてが一概に悪とは言い切れない。問題なのはその動画に公益性があるか、プライバシーの侵害になっていないか、その区別がついていないことなのです」
さらにそうした問題に拍車をかけるのが過剰な承認欲求だ。
目立ちたい、自分の話を聞いてもらいたい、という欲求は誰しも持っているものだが、それを満たす方法としてSNSが利用されている。
「何気なく上げた動画や写真にすごいアクセスがくる、というケースが増えました。庶民にとって夢物語でしかなかった巨大な承認を得られるということが身近になった。そうなれば私だってできるかもしれない、と期待する人が出てきた。人間だれしもがもともと持っていた承認欲求に火をつけたんでしょう。これまではプロが技術を磨き、機材をそろえなければできなかったものがスマートフォン1台でできてしまう。これはスマホカメラが悪いのではなく、使う側の問題なんです」
撮影したものをSNSに挙げる行為は承認欲求を得ると同時に罪悪感を薄めている、とも碓井氏。
「撮影し、ネットに挙げる行為は正義、だと思っている人もいます。ですから罪悪感というよりも、むしろ正義感がそこに働いてしまっている。それが簡単にできるのも、『匿名』だから、ということも強い。マスコミの場合、どこの社の記者だということがわかり、やり玉に挙げられることがあります。ですが、一般の人の場合、誰もその人のことを知らない。問題になったら知らん顔をしてけすことができる。人間の真理として匿名になると悪いことができてしまうんです」
さらに『匿名』の撮影者が10人、50人と増えていくことでますます罪悪感というのは消えていく。その空気が周囲に伝染するからだ。
それを止めることは厳しい。
「みんなが悪いと思わずにカメラを向けている状況で『やめろ!』というのは度胸がいります。むしろ自分だけが撮影していないことにいたたまれなさも感じてしまう。これは心理学で『同調行動』と呼ばれています。この『同調行動』は非常に強烈なのです」
これは現場でのスマホ撮影に限らない。人間は周囲に合わせるほうが楽、だという心理は日常的に働いている。
「本来でしたら、例えば飛び降り事件の被害者を見るために近づき、カメラを向ける人は少数派です。その感覚としては『大金入りの財布を見つけた』くらいのもの。これを撮ったら話題になる、お金になる、という感覚。それで撮り始めた人が増えれば周囲もマナーやモラルを二の次にしてどんどん同調していく。そうした恐ろしさがあります」
カネや手軽さ、と言ったものが罪の意識やモラルを下げており、ときとしてマナーやルールを無視して被害者の心を踏みにじる。
「ネットはでは現実感が薄れるんです。悪いことをしている、という意識も希薄になる。被害者にもなれば加害者にもなるんです。カメラの、画面の向こう側に人がいる、という感覚が薄れてきているように思います」
さらに昨今はAI動画やディープフェイクなども問題になっている。便利なアプリも開発され、ますます高性能化していくスマートフォン。ここで放っておけばますますひどくなるばかり、だと碓井氏は警鐘を鳴らす。
「スマホカメラでの撮影、SNSへの投稿を含めたネットのリテラシー教育が早急に求められています。そうでもしなければ状況は悪化し続けるでしょう。今、スマートフォンもSNSも、自分たちの欲求を満たすための道具のようになっています。使い方は分かっているけど、その時の心理状態は理解していない。危険性についても同様です」
カメラを向けることで傷つく人々がいる。一度手にしてしまえば手放すことはできない。だからこそ使い方を誤れば多くの人を傷つけることになってしまう。