2022年3月、埼玉県本庄市の民家の床下から腐敗した男児の遺体が発見された。死体遺棄などの罪で逮捕されたのは実母とその同居人の男女だった。8月26日から埼玉地方裁判所で始まった「埼玉・本庄5歳児虐待死事件」の裁判員裁判は、9月1日に結審。前半記事「《ヘッドギアをつけさせて「麻原彰晃みたい」と嘲笑》《「スモウ」と称して虐待》「鬼母」が愛息に行った凄惨すぎる「しつけ」の一部始終」に続き、おぞましい行為のさらなる中身を紹介する。

お母さんとスモウをとったら?柿本歩夢くん(当時5歳)は、母親である知香被告(31歳)とその同居人の丹羽洋樹被告(36歳)、そしてその内縁の妻である石井陽子被告(53歳)の3人から1年もの間、暴力、暴言といった虐待を受け続けていた。歩夢くんと写る知香被告※一部修正(本人のSNSより)そして歩夢くんが亡くなった2022年1月18日を迎える。午後2時すぎ、仕事中だった知香被告の元に複数回石井被告からの連絡があった。「歩夢くんがおしっこを漏らし、そのままご飯を食べているからどうにかしろ」という内容だった。知香被告は「それくらいのことで呼び出すなんて」と思ったそうだが、石井被告の怒りっぷりに、早退して自宅に戻ることになる。帰宅すると1階8畳間にはおしっこまみれの歩夢くん。その傍らには石井被告と丹羽被告が待ち構えていた。石井被告が歩夢くんに対し、「ママが掃除をしているのを見て何も思わない?」と問いても返事はない。石井被告の腹の虫は収まらなかった。「石井さんが『お母さんとスモウをとったら?』と言いました」(知香被告)言われるがままスモウをとった。歩夢くんは投げ飛ばされ、泣きながら立ち上がり、そしてまた投げ飛ばされ――。4、5回繰り返しても返事をしなかったという。そこで石井被告は丹羽被告に「洋樹さんもスモウを取ったら」と指示を出した。「昨夜、午後8時過ぎに眠る小さな神様」丹羽被告は歩夢くんのわきに手を入れて持ち上げると畳へと投げ落とした。後頭部から落ちた歩夢くん。泣きじゃくる歩夢君を丹羽被告が起こし、再び投げ落とした。「歩夢は今まで聞いたことのないようなうめき声をあげていました。目も焦点が合っていない、白目で呼びかけても反応がない。ぜーぜーと苦しそうに痰が絡まったような呼吸をしていて、手もだらんとして危ない状況でした」(知香被告)丹羽被告は「救急車を呼ぼう」と提案するも、石井被告がそれを阻止した。「『なんて説明するの?私たちにも生活があるの』と石井さんが言っていました」そう述べた知香被告だったが、自身も119番はしなかった。「頭が真っ白だった。テンパっていて、その時は勝手に救急車を呼んでいたら石井さんが何をするかわからない。今思えば呼んでいればよかった」(知香被告)「早急に救急車を読んだら助かる可能性はあったと思わないのか」と検察官から問われると知香被告はこう答えた。「そうですね。まさか自分の子どもがなくなるとは思わなくて……意識が戻ると思っていました」歩夢くんは意識が戻ることなく、大好きだった「ママ」の腕の中で息を引き取ることになる。石井被告はこのとき、携帯のメモにこんな文言を残している。〈昨夜、午後8時すぎに眠る小さな神様〉一緒に葬った仮面ライダーのベルトさらに石井被告は歩夢くんの遺体を床下に埋めることを提案し、知香被告もそれを了承した。出頭して火葬になれば夫に歩夢くんの遺骨がとられてしまう、と知香被告が極度に恐れたためだ。1月19日、事件の1階南側和室の畳をはがし、その床下に穴を掘り、歩夢くんの亡骸を横たえた。服は布団圧縮袋に入れ、少し切った髪はジップロックに入れて形見にした。歩夢くんのおなかの上には、大好きだった仮面ライダーの変身ベルトを一緒に置いた。「歩夢が遊んでいたもので一番好きだったベルトを天国にもっていってあげてね。安らかに眠って天国で一緒に遊んで楽しく過ごしてね、という気持ちからです」(知香被告)事件後も、歩夢くんの遺体が埋葬されている上での奇妙な同居生活は続いた。石井被告は知香被告をネイルに誘っておごったり、態度も優しくなったという。事件後、丹羽被告が土下座して「歩夢を殺そうとしたわけではなくて、痛い思いをすればわかるんじゃないかと思った」と謝ったときのことだ。石井被告から「わざとじゃないとわかっているよね。大丈夫だと言ってあげて」と促された知香被告は、こう答えた。「大丈夫です。わかっていますから」母親として弱かった――石井・丹羽両被告の元に身を寄せてから1年近くの時間があった。同居生活中は「楽しいこともあった」「いつも怒っていたわけじゃない」「怒っていなければ(編集部注・歩夢も)石井さんや丹羽さんと仲良くしていた」「苦手なこともできるようになった」などと知香被告は述べていた。「怖かった」と明かしていた石井被告と丹羽被告に逆らわなければ、悪い生活ではない。むしろ、虐待をすることで、褒められたり、応援されたり。知香被告自身も虐待に加担することで自己肯定感を高めていったのではないだろうか。つまり、知香被告自身が石井被告や丹羽被告にとって「いい子」で居続ければ、路頭に迷うこともなく生活できると考えたのではないか、と推測する。そのため、歩夢くんを守るために2人の元から逃げたり、親に頭を下げて実家に戻る選択肢をとるのではなく、暴力も「しつけ」と疑わず、むしろ一緒になって傷つけ続けることができたのではないか。「自分の意思が弱かった。母親として弱かった。後悔することばかりでした」(知香被告)歩夢くんのことを一番に考えられなかった理由を検察官に尋ねられると、「そうですね……なんでもっと考えてあげられなかったんだろう」と淡々と答えていた。一番大切なのは歩夢ですさらに検察官とはこんなやり取りもあった。――母からも、大人3人から手を出されて誰も守ってくれない。どんな気持ちだったと思うか?知香「つらかっただろうな。そこは申し訳ないと思っている」――当時はそう思わなかったのか?知香「気づいてあげられなかった。というか考えてあげていればと思います」とはいえ、度重なる虐待、暴力で死ぬ可能性がないと考えなかったのか。「一度も亡くなることがあるとは思ったことがない。けがもなかったし、畳だから大丈夫かなという思いがあった。まさか亡くなるとは思わなかった」(知香被告)被告質問で知香被告は「私が弱かった」と何度も繰り返していた。何がどう弱かったのか。「意思というか心の弱さ。母親として子どもを守れなかった弱さ」(知香被告)そして弁護士から「一番大切なのは誰か」と尋ねられた知香被告。「歩夢ですね。救急車を呼んでいればよかった。強い人に流されて一番大切な人を失ってしまい、今は気づいて反省しかないです。守ってあげられなくてごめんねという思いです」言葉を詰まらせながらも、抑揚の乏しい声でそう答えていた。本当に大切だったのは「自分自身」だったのではないだろうか。9月1日、検察は知香被告に懲役12年(弁護側懲役4年)、丹羽被告に懲役15年(弁護側懲役8年)相当をそれぞれ求刑した。判決は9月8日に言い渡される。・・・・・さらに関連記事『【慟哭ルポ】ベトナム人少女・リンちゃん9歳はなぜ顔見知りの保護者会長に殺されたのか《千葉小3女児殺人事件》』では、大手メディアが報じない“事件のその後”について詳報しています。
2022年3月、埼玉県本庄市の民家の床下から腐敗した男児の遺体が発見された。死体遺棄などの罪で逮捕されたのは実母とその同居人の男女だった。8月26日から埼玉地方裁判所で始まった「埼玉・本庄5歳児虐待死事件」の裁判員裁判は、9月1日に結審。
前半記事「《ヘッドギアをつけさせて「麻原彰晃みたい」と嘲笑》《「スモウ」と称して虐待》「鬼母」が愛息に行った凄惨すぎる「しつけ」の一部始終」に続き、おぞましい行為のさらなる中身を紹介する。
柿本歩夢くん(当時5歳)は、母親である知香被告(31歳)とその同居人の丹羽洋樹被告(36歳)、そしてその内縁の妻である石井陽子被告(53歳)の3人から1年もの間、暴力、暴言といった虐待を受け続けていた。
歩夢くんと写る知香被告※一部修正(本人のSNSより)
そして歩夢くんが亡くなった2022年1月18日を迎える。午後2時すぎ、仕事中だった知香被告の元に複数回石井被告からの連絡があった。
「歩夢くんがおしっこを漏らし、そのままご飯を食べているからどうにかしろ」という内容だった。
知香被告は「それくらいのことで呼び出すなんて」と思ったそうだが、石井被告の怒りっぷりに、早退して自宅に戻ることになる。
帰宅すると1階8畳間にはおしっこまみれの歩夢くん。その傍らには石井被告と丹羽被告が待ち構えていた。
石井被告が歩夢くんに対し、「ママが掃除をしているのを見て何も思わない?」と問いても返事はない。石井被告の腹の虫は収まらなかった。
「石井さんが『お母さんとスモウをとったら?』と言いました」(知香被告)
言われるがままスモウをとった。歩夢くんは投げ飛ばされ、泣きながら立ち上がり、そしてまた投げ飛ばされ――。4、5回繰り返しても返事をしなかったという。
そこで石井被告は丹羽被告に「洋樹さんもスモウを取ったら」と指示を出した。
丹羽被告は歩夢くんのわきに手を入れて持ち上げると畳へと投げ落とした。後頭部から落ちた歩夢くん。泣きじゃくる歩夢君を丹羽被告が起こし、再び投げ落とした。
「歩夢は今まで聞いたことのないようなうめき声をあげていました。目も焦点が合っていない、白目で呼びかけても反応がない。ぜーぜーと苦しそうに痰が絡まったような呼吸をしていて、手もだらんとして危ない状況でした」(知香被告)
丹羽被告は「救急車を呼ぼう」と提案するも、石井被告がそれを阻止した。
「『なんて説明するの?私たちにも生活があるの』と石井さんが言っていました」
そう述べた知香被告だったが、自身も119番はしなかった。
「頭が真っ白だった。テンパっていて、その時は勝手に救急車を呼んでいたら石井さんが何をするかわからない。今思えば呼んでいればよかった」(知香被告)
「早急に救急車を読んだら助かる可能性はあったと思わないのか」と検察官から問われると知香被告はこう答えた。
「そうですね。まさか自分の子どもがなくなるとは思わなくて……意識が戻ると思っていました」
歩夢くんは意識が戻ることなく、大好きだった「ママ」の腕の中で息を引き取ることになる。
石井被告はこのとき、携帯のメモにこんな文言を残している。
〈昨夜、午後8時すぎに眠る小さな神様〉
さらに石井被告は歩夢くんの遺体を床下に埋めることを提案し、知香被告もそれを了承した。出頭して火葬になれば夫に歩夢くんの遺骨がとられてしまう、と知香被告が極度に恐れたためだ。
1月19日、事件の1階南側和室の畳をはがし、その床下に穴を掘り、歩夢くんの亡骸を横たえた。服は布団圧縮袋に入れ、少し切った髪はジップロックに入れて形見にした。
歩夢くんのおなかの上には、大好きだった仮面ライダーの変身ベルトを一緒に置いた。
「歩夢が遊んでいたもので一番好きだったベルトを天国にもっていってあげてね。安らかに眠って天国で一緒に遊んで楽しく過ごしてね、という気持ちからです」(知香被告)
事件後も、歩夢くんの遺体が埋葬されている上での奇妙な同居生活は続いた。石井被告は知香被告をネイルに誘っておごったり、態度も優しくなったという。
事件後、丹羽被告が土下座して「歩夢を殺そうとしたわけではなくて、痛い思いをすればわかるんじゃないかと思った」と謝ったときのことだ。
石井被告から「わざとじゃないとわかっているよね。大丈夫だと言ってあげて」と促された知香被告は、こう答えた。
「大丈夫です。わかっていますから」
石井・丹羽両被告の元に身を寄せてから1年近くの時間があった。同居生活中は「楽しいこともあった」「いつも怒っていたわけじゃない」「怒っていなければ(編集部注・歩夢も)石井さんや丹羽さんと仲良くしていた」「苦手なこともできるようになった」などと知香被告は述べていた。
「怖かった」と明かしていた石井被告と丹羽被告に逆らわなければ、悪い生活ではない。むしろ、虐待をすることで、褒められたり、応援されたり。知香被告自身も虐待に加担することで自己肯定感を高めていったのではないだろうか。
そのため、歩夢くんを守るために2人の元から逃げたり、親に頭を下げて実家に戻る選択肢をとるのではなく、暴力も「しつけ」と疑わず、むしろ一緒になって傷つけ続けることができたのではないか。
「自分の意思が弱かった。母親として弱かった。後悔することばかりでした」(知香被告)
歩夢くんのことを一番に考えられなかった理由を検察官に尋ねられると、「そうですね……なんでもっと考えてあげられなかったんだろう」と淡々と答えていた。
さらに検察官とはこんなやり取りもあった。
――母からも、大人3人から手を出されて誰も守ってくれない。どんな気持ちだったと思うか?
知香「つらかっただろうな。そこは申し訳ないと思っている」
――当時はそう思わなかったのか?
知香「気づいてあげられなかった。というか考えてあげていればと思います」
とはいえ、度重なる虐待、暴力で死ぬ可能性がないと考えなかったのか。
「一度も亡くなることがあるとは思ったことがない。けがもなかったし、畳だから大丈夫かなという思いがあった。まさか亡くなるとは思わなかった」(知香被告)
被告質問で知香被告は「私が弱かった」と何度も繰り返していた。何がどう弱かったのか。
「意思というか心の弱さ。母親として子どもを守れなかった弱さ」(知香被告)
そして弁護士から「一番大切なのは誰か」と尋ねられた知香被告。
「歩夢ですね。救急車を呼んでいればよかった。強い人に流されて一番大切な人を失ってしまい、今は気づいて反省しかないです。守ってあげられなくてごめんねという思いです」
言葉を詰まらせながらも、抑揚の乏しい声でそう答えていた。
本当に大切だったのは「自分自身」だったのではないだろうか。
9月1日、検察は知香被告に懲役12年(弁護側懲役4年)、丹羽被告に懲役15年(弁護側懲役8年)相当をそれぞれ求刑した。
判決は9月8日に言い渡される。
・・・・・
さらに関連記事『【慟哭ルポ】ベトナム人少女・リンちゃん9歳はなぜ顔見知りの保護者会長に殺されたのか《千葉小3女児殺人事件》』では、大手メディアが報じない“事件のその後”について詳報しています。