―[家族に蝕まれる!]―
毒親育ちは、人生の足枷になる。毒親に育てられた子どもは、およそ“子ども”と呼べる年齢を過ぎてなお、精神的に支配され、懊悩を続けるからだ。 本連載では、毒親に育てられながらも、社会で自分の場所を見つけようともがく市井の人々に焦点を当てる。
歯科衛生士として勤務する岡本浩子氏(仮名・30代)は、数年前に東京に転居してきた。初めての独り暮らしだ。結婚を控えたパートナーもいる。
「県外に出ることは、私にとって大冒険でした。それまでは狭くて暗い檻の中にいたので……」
東京からそう遠くない地域の出身である岡本氏がここまで言うのには、理由があった。
◆母には誰も逆らえなかった
「母子家庭の長女で、下に弟が2人います。母は朝から晩まで働いて、私たちを育ててくれました。有能な女性だったと思います」
何の問題もない、むしろ幸せな家庭に聞こえるが、内実はやや異なっていた。
「母には誰も逆らえませんでした。『誰のおかげで生活できているの?』と激高されると、学生時代は何も言い返せませんよね」
◆「あなたは私の最高傑作」といわれて
子ども3人を背負って働く母親の姿を間近で見ていた岡本氏は、恩義を感じていた。そのため当時は反発を覚えることもなく「確かにそうだ」と言い聞かせていたという。
「ありがたいことに、生活水準も高かったと思います。世間一般で言われる、母子家庭の経済的な苦しさみたいなものも、感じたことはありません。ただやはり、母に素直に甘えられる関係性じゃなかったのは、残念だなと思います。私、反抗期ってなかったんですよ。母と私の間には大きな川が流れているイメージで、お互いにそれを飛び越えて歩み寄るのはきついなって感じでした」
そんな歪な関係性を維持させた、母親の呪いの言葉がある。
「よく言われたのは、『あなたは私の最高傑作』という言葉です。第一子だし、自分よりも磨かれた存在でいてほしいという思いがあったのでしょうね。そういわれるたびに、『ちゃんとしなきゃ』『しっかりしなきゃ』と自分を律しました。弟2人は母親の期待に沿えないことも多かったのに対して、私だけはそんな風になっちゃいけない、というのがあって」
◆「人事評価のような基準」で褒められた
当然、就職先も母親の顔色ひとつで決めた。
「母はキャリアウーマンでしたが、資格のようなものがありませんでした。私が進路を決める際、母もこれからの自分のキャリアを悩んでいたらしく、『女こそ、手に職をつけないと』と呪文のように言われました。結局、歯科衛生士という職業も、家から近い距離に専門学校があって、一生食いっぱぐれない仕事という点で選びました」
母親とは距離感がありながら、実家に暮らし続けた理由を岡本氏はこう話す。
「共依存でしょうね。母は子どもに対して“掛け値なしに可愛い”みたいな感情のない人で、褒めるとか叱るは厳正な基準のもとに行われていたように今になって思います。大げさに言えば、人事評価のような感じで、たとえば授業参観や運動会についても『この点は評価できるけど、あの発言は感心しないわね』とか。指摘は的確だと思うのですが、子どもとしては、もっと純粋に褒めてほしかったというのはありますよね」
◆母は精神を病み、弟は不登校に…
状況が変化し、実家暮らしは義務と化した。

退職してパート勤務になった母親は、これまで岡本氏が家に入れてきた家賃の値上げを要求した。家族間の摩擦を避けたい氏は、それを承諾するしかなかった。
「気が付くと、『今日は勉強会だから』とか嘘をついて、仕事帰りにカフェでひとりコーヒーを飲んだりしていました。そのとき初めて、『家族から逃げたい』という自分の本音に気づいてしまったんですよね」
◆実家を出る条件は「毎月7万円の仕送り」
一度感じた不協和音は、なかなか止まない。岡本氏は勤務する歯科医院の院長に相談し、分院への配属を許可してもらった。
「母はかなり怒っていました。『歯医者なんてそこら中にあるでしょうが! どこでも働けるように資格を取ったのに、本末転倒』と。ただ、私の決意は固かったので、『その歯科医院ではないと学べないことがあるの』で押し切りました。 結局、毎月7万円を仕送りすることで決着しました。お給料は高くないので、手痛い出費です。でも、離れられる喜びの方が大きかったです」
東京で暮らしてすぐに、いい出会いもあった。5つ年上の彼氏だ。1年半の交際ののち、結婚を意識し始めたころ、岡本氏は自分の生い立ちを打ち明けた。
◆婚約者の一言で目が覚める
「彼が最初に言ったのは『それは毒親ってやつじゃないかな』でした。私はびっくりして何も言えませんでした。というのは、毒親というのはもっと日常的に暴力を振るったり暴言を吐いたりするものだと思っていたからです。
しかしいろいろな書籍を読んでみると、どうも母に当てはまることが多く、そのときに初めて『私は毒親育ちだったんだ』と気づいたのです。いつも頭のどこかに母のことが離れなくて、『母ならこの行いを良しとするか』という基準で行動していました。そういう自分の違和感も、植え付けられたものだったんですね」
婚約者は行動力のある人だった。結婚に際して、現在のまま仕送りを維持するのは困難だとはっきり岡本氏に告げたという。
「きちんと将来設計をしてくれるので、安心しました。この人となら生活していけると思いました。同時に、初めて母に『No』と言ってみようと思えたんです」
◆仕送りを止めると、母はまさかの…
岡本氏と彼氏は、婚約の挨拶を行い、その際に仕送りの減額を申し出た。
「話し合いは終始穏やかに進みました。母は彼氏からの言葉にやや戸惑っているようには見えましたが、『そうね、ここ30年くらい給料は横ばいなのに物価は上がっているって、この前ニュースでみたもの。若いふたりで生活するのは大変よね』などと、減額について明言を避けたものの、暗に理解を示すような発言をしていました」
自分の手の中にいた娘が独り立ちし、大切な男性を見つけた。そのことに理解を示したかに思えた母親。だがことはそんな単純ではなかった。
「私はその月から、仕送りを停止しました。連絡もなかったので、特に気にしていませんでした。ある日、結婚式についての連絡をしようと家族のグループLINEを開こうとしたところ、そのグループが消えていることに気づきました。仕方がないので、母に直接LINEをしましたが、数日既読になりません。
弟に電話をかけてみると、けだるそうな声で『え、だってお母さん、お姉ちゃんのことブロックしてるから、届かないの当然でしょ』と言われました。仕送りをしなくなった途端に、この有り様です。“金の切れ目が縁の切れ目”って、他人だけの話かと思っていました。家族でも通用する言葉なんですね」
そういうと岡本氏は力なく笑った。現在はその彼氏と結婚し、第2の家庭を築いた。母親のLINEはいまだ既読がつかない。
<取材・文/黒島暁生>
―[家族に蝕まれる!]―