「島の扉はあなたのためにいつでも開いています」。2022年12月、奈良市の石工(いしく)、左野(さの)勝司さん(80)に手紙が届いた。南米チリ領のイースター島の市長からだ。この年10月の山火事で傷ついたモアイ像を調べてほしいという。左野さんは約30年前、今では島を代表する観光スポットになったモアイ像15体を修復したことで知られる。
【モアイ像を調べる左野勝司さん】 「年齢を考えるとこれが最後かも」。左野さんは23年6月、チリ本土から西へ約3700キロ離れた南太平洋の孤島に向かった。島は香川県の小豆島とほぼ同じ約160平方キロで、約8000人(21年現在)が暮らす。モアイ像は10~16世紀ごろ造られたとされる大型の人面石造彫刻で、島内に約1000体あるが製法や目的は謎が多い。

モアイ像は約30年前までバラバラの状態で散乱していた。昔の部族間抗争で倒されたうえ、1960年のチリ地震津波で流されたからだ。日本のテレビ番組がその様子を伝えたのを偶然見たクレーンメーカー、タダノ(高松市)の社員が「うちのクレーンで社会貢献できないか」と思い立った。これをきっかけに、藤ノ木古墳(奈良県斑鳩町)の石棺開封などの実績がある左野さんに声がかかり、奈良文化財研究所も巻き込んだ修復委員会ができた。 チリ大学や欧米の研究者らも協力し、92年から約3年かけて島東南部のアフ・トンガリキの15体のモアイ像(最大で高さ約8メートル、重さ約80トン)を修復。タダノが無償提供したクレーンで散乱した部材を集めて組み立て、元通りに並べた。島は95年、ラパ・ヌイ国立公園として世界遺産に登録され、多くの観光客が訪れるようになった。 左野さんは今回、かつて共に修復を手がけたタダノの多田野宏一会長(69)らと約2週間の日程で訪問。山火事が起きた場所はアフ・トンガリキから北西へ約1キロのラノ・ララクと呼ばれる火山の火口付近だ。山には現地で「モアイ工場」と呼ばれる凝灰岩の石切り場や作業場があり、搬送途中で放置されたらしいモアイ像も見られる。 左野さんによると、山火事は毎年行われている野焼きの火が風にあおられて燃え広がったのが原因。確認できただけで火口周辺では20~30体のモアイ像に火を浴びた痕跡があった。国連教育科学文化機関(ユネスコ)は、約240ヘクタールが焼けて少なくとも177体が被害を受けたと発表している。 左野さんが調べたところ、焼けたモアイ像はすす汚れのほか、表面の細かい粒がはじけ飛んだり、赤黒く変色したりしていた。鼻の部分が白くはげたようになっている像もあった。左野さんは「凝灰岩は火には強いが、熱を受けた後で水をかけると溶けてしまう。消防車が入れないような場所だったことが不幸中の幸いだった」と話した。 また、火災の影響かどうかは不明だが、石の内部から吹き出てきたような白いコケ状の物質が付着したモアイ像も複数あり、今後、専門家に成分を調べてもらう。像全体に繁殖するようなら対処を考える必要がある。全体的には、火を受けた像は「現状のまま手をかけない方がよい」というのが左野さんの判断だ。すす汚れはいずれ自然に落ちるという。 左野さんは、アフ・トンガリキの15体のモアイ像とも「再会」を果たした。石の状態は良好で、95年以降に何度かあった地震にも耐えていた。左野さんは「とにかく無事でほっとした。当時の修復方法は間違っていなかった」。像の近くには今回、かつて日本の協力で修復されたことを記す銘板が設置された。 90年代の修復プロジェクトの際は、「日本人は金に任せて無謀なことをする」「歴史への崇敬の念がない」などと国際的な批判も集まった。しかし、修復の成功で島の観光需要は高まり、ホテルや道路の整備が進んだ。左野さんは「最後まできちんと仕事をしたことが認められた。現地の人たちがモアイ像の修理や保存に向けて努力してくれているのがうれしい。これからも協力は惜しまない」と話した。タダノの担当者は「イースター島の人々の生活やチリの観光・文化の振興に貢献できることは当社の喜びであり、今後も良好な関係を維持していきたい」と話している。【林由紀子】左野勝司(さの・かつじ) 1943年生まれ。中学卒業後、石工の道に入る。唐招提寺(奈良市)の講堂基壇や春日大社(同)の石灯籠(どうろう)の修理に携わったほか、高松塚古墳(奈良県明日香村)の石室解体も手がけた。カンボジアの世界遺産・アンコール遺跡群の石造寺院、西トップ寺院の修復など海外の遺跡保存にも尽力。2007年、文化庁長官表彰、吉川英治文化賞を受賞。
「年齢を考えるとこれが最後かも」。左野さんは23年6月、チリ本土から西へ約3700キロ離れた南太平洋の孤島に向かった。島は香川県の小豆島とほぼ同じ約160平方キロで、約8000人(21年現在)が暮らす。モアイ像は10~16世紀ごろ造られたとされる大型の人面石造彫刻で、島内に約1000体あるが製法や目的は謎が多い。
モアイ像は約30年前までバラバラの状態で散乱していた。昔の部族間抗争で倒されたうえ、1960年のチリ地震津波で流されたからだ。日本のテレビ番組がその様子を伝えたのを偶然見たクレーンメーカー、タダノ(高松市)の社員が「うちのクレーンで社会貢献できないか」と思い立った。これをきっかけに、藤ノ木古墳(奈良県斑鳩町)の石棺開封などの実績がある左野さんに声がかかり、奈良文化財研究所も巻き込んだ修復委員会ができた。
チリ大学や欧米の研究者らも協力し、92年から約3年かけて島東南部のアフ・トンガリキの15体のモアイ像(最大で高さ約8メートル、重さ約80トン)を修復。タダノが無償提供したクレーンで散乱した部材を集めて組み立て、元通りに並べた。島は95年、ラパ・ヌイ国立公園として世界遺産に登録され、多くの観光客が訪れるようになった。
左野さんは今回、かつて共に修復を手がけたタダノの多田野宏一会長(69)らと約2週間の日程で訪問。山火事が起きた場所はアフ・トンガリキから北西へ約1キロのラノ・ララクと呼ばれる火山の火口付近だ。山には現地で「モアイ工場」と呼ばれる凝灰岩の石切り場や作業場があり、搬送途中で放置されたらしいモアイ像も見られる。
左野さんによると、山火事は毎年行われている野焼きの火が風にあおられて燃え広がったのが原因。確認できただけで火口周辺では20~30体のモアイ像に火を浴びた痕跡があった。国連教育科学文化機関(ユネスコ)は、約240ヘクタールが焼けて少なくとも177体が被害を受けたと発表している。
左野さんが調べたところ、焼けたモアイ像はすす汚れのほか、表面の細かい粒がはじけ飛んだり、赤黒く変色したりしていた。鼻の部分が白くはげたようになっている像もあった。左野さんは「凝灰岩は火には強いが、熱を受けた後で水をかけると溶けてしまう。消防車が入れないような場所だったことが不幸中の幸いだった」と話した。
また、火災の影響かどうかは不明だが、石の内部から吹き出てきたような白いコケ状の物質が付着したモアイ像も複数あり、今後、専門家に成分を調べてもらう。像全体に繁殖するようなら対処を考える必要がある。全体的には、火を受けた像は「現状のまま手をかけない方がよい」というのが左野さんの判断だ。すす汚れはいずれ自然に落ちるという。
左野さんは、アフ・トンガリキの15体のモアイ像とも「再会」を果たした。石の状態は良好で、95年以降に何度かあった地震にも耐えていた。左野さんは「とにかく無事でほっとした。当時の修復方法は間違っていなかった」。像の近くには今回、かつて日本の協力で修復されたことを記す銘板が設置された。
90年代の修復プロジェクトの際は、「日本人は金に任せて無謀なことをする」「歴史への崇敬の念がない」などと国際的な批判も集まった。しかし、修復の成功で島の観光需要は高まり、ホテルや道路の整備が進んだ。左野さんは「最後まできちんと仕事をしたことが認められた。現地の人たちがモアイ像の修理や保存に向けて努力してくれているのがうれしい。これからも協力は惜しまない」と話した。タダノの担当者は「イースター島の人々の生活やチリの観光・文化の振興に貢献できることは当社の喜びであり、今後も良好な関係を維持していきたい」と話している。【林由紀子】
左野勝司(さの・かつじ)
1943年生まれ。中学卒業後、石工の道に入る。唐招提寺(奈良市)の講堂基壇や春日大社(同)の石灯籠(どうろう)の修理に携わったほか、高松塚古墳(奈良県明日香村)の石室解体も手がけた。カンボジアの世界遺産・アンコール遺跡群の石造寺院、西トップ寺院の修復など海外の遺跡保存にも尽力。2007年、文化庁長官表彰、吉川英治文化賞を受賞。