きょうだい間の暴力、と聞くと大抵の場合は「ただのきょうだい喧嘩」だと理解されてしまうのだが、実際に家庭内で長期継続的に行われる暴力は、そのような生ぬるいものではなく、想像を絶する苛烈さだ。
【写真】兄から壮絶な家庭内暴力を受けていた吉川ばんび氏写真はイメージ AFLOきょうだい間の虐待では、被害者を保護する法律が存在しない「きょうだい間の虐待」の被害を受けた当事者としてさまざまな場で体験を語っている私の元に昨年、12歳の少女から「助けてほしい」と連絡が届いたことがある。プライバシーに配慮して一部情報を差し替えてはいるが、全体としての概要はほとんど変えないままにしている。以下、被害の状況である。

相談者のAさんは両親と3歳年上の兄の4人家族。幼少の頃から兄の暴力に悩んできたが、兄が中学に上がるころから家庭内暴力が激化。Aさんだけでなく、母親と父親まで兄に殴られるようになった。父親は単身赴任のため基本的に不在で、兄が暴れても助けてもらうことができない。兄が母親の説得に応じて精神科を受診したこともあったが、特に効果は見られず、状況は良くなるどころか日々悪くなっていく。 追い詰められてシェルターや児童相談所に相談をしたこともあるが、子から親への暴力の被害者、きょうだい間の虐待の被害者を保護する法律が今の日本には存在していない。そのため、施設側から「どうすることもできない」と門前払いをされてしまったという。「自分が殴られるより、お母さんが殴られるのを見るのが一番つらいです。逃げたいと親に話したこともありますが、経済的にそれもできず、そもそも母が逃げようとしません。私のことも、家から逃がしてくれません。吉川さんの体験を読んで、私たち以外に同じような経験をしている人がいるんだと、驚いて連絡をしました。私たち家族はもう限界です」髪の毛や歯を抜く癖があり、爪はいつもボロボロだった 19年前、私は12歳だったある日、目から大粒の涙を溢しながら、誰もいない台所で自分の腹に包丁を突き立てていた。手に力を込めると、刃先が皮膚に食い込んでうっすらと血が滲む。頭の中で何度予行練習をくりかえしても、いざとなると包丁を腹に振り下ろすことができない。また今日も死ねなかった。嗚咽が止まらない。腹に残った痛みだけが、私に生きている実感を与えてくれた。まだ幼いとき、小学校に上がるころから続いている習慣だった。 幼い頃から母親と兄から暴力を受けていたためか、「他者は自分を傷つける存在である」と思い込んで生きてきた。子どもの頃は髪の毛や歯を抜く癖があり、爪はいつもボロボロで、つらいときは腕を噛んで気持ちが落ち着くのを待った。母親や兄の前で涙を見せればさらに殴られるか、言葉で傷付けられるため、気が付けば声を押し殺して泣くのが日常になっていた。暴力は、私が20歳を過ぎても続いた。 殴られることに理由などない。ただむしゃくしゃしていたとか、たまたま目に入ったからとか、兄はその程度のことでいつも私を殴ったり蹴ったりした。寝ている時に腹や背中を蹴りあげられることがあるため、いつの間にか体を丸めて、腕を組んで眠るのが癖になった。父親は家庭に関心が全くなく、私たちが殴られようが血を流していようが、ついぞ助けてくれることはなかった。解決の糸口が存在しない「きょうだい間の虐待」 母親を連れて家から逃げることも、兄を警察に通報することも、精神科を受診させることも、何度も何度もくりかえし考えたが、どれもこれも全く現実的ではなかった。うちには逃げるだけの金すらない。警察に突き出しても「きょうだい喧嘩」「家庭の問題は家庭で解決してください」と門前払いを食らってしまうだろうし、運良く兄を拘束してくれたとして、必ず数日かそこらでうちに帰ってくるだろう。 そうすれば、怒り心頭の兄からどんな報復を受けるかわからない。「最悪、誰かが死ぬだろう」とさえ思うほど、当時の状況は酷いものだった。じゃあ、精神科に連れていって治療を受けさせようか? 本人が受診を激しく拒絶しているのに、どうやって? 成人男性と同じだけの体格を持った兄が暴れているのを、誰が、どうやって、合法的に病院まで連行するのだろう。 親から子への虐待であれば、児童相談所や市町村の職員が子どもを保護することが法律で認められている。しかしながら、子から親への、きょうだいからきょうだいへの虐待については、このような法律や制度が存在しないため、行政でも支援団体でも被害者を保護できないのが現状である。つまり、このような被害に遭ったとき、被害者には逃げ道や解決策がまったく用意されていないということになる。 この事実を知った当時、15、6歳以降だろうか、私は毎日のように兄を殺すことを考えていた。母親はというと「いつか、どうにもならなくなったら私があの子をあの世に連れていくから。あの子は私の子どもだから、私が責任を取らなくちゃいけないから」と言いながら、毎日「死にたい」と言いながら、いつもいつも泣いていた。あのときの私たちには、もうそれしか解決策が残されていなかったのだ。「Aさんに同じ地獄を味わわせてはならない」と強く思ったけれど それから年月が経ち、2022年、私は12歳のAさんからの相談を受け取った。「この人はまさに、あのときの自分だ」と思った。 私と母親は、あの家で暴力にただ耐え忍ぶことしかできなかった。結局、誰も兄を止められなかった。助けてくれる誰かが現れるなんてこともなく、地獄のような日々を生き、実家から逃れた今もまだ、毎晩夢の中で兄から殴られ続けている。極度の恐怖で悲鳴をあげながら起きるか、抵抗して腕や足を振り回して起きる日が続く。こんな夢を見続けるくらいなら、もう死んだ方がマシだとすら思う。 心療内科に何年も通い続けて、薬も限界量を処方されているが、快方に向かっているかはわからない。十数年続いているうつ病とPTSDで、日常生活をまともに送ることすらできない。 どうにかして、Aさんを救いたいと思った。この子には、同じ地獄を味わわせてはならないと強く思った。しかし現実はあまりにも残酷で、私が兄を殺そうと密かに考えていた当時から、この国では何ひとつ状況が変わっていなかった。支援団体で身柄保護をしようものなら「誘拐」扱いに… きょうだい間の虐待被害者を守る法律も制度も、支援策もなかった。知人であり、若者支援を行うNPO団体の理事に「どうにか助けられないだろうか」と連絡をしたところ、理事は「Aさんの相談をうちで引き継ぎますよ」と快い返事をくれた。私が「Aさんは今後、どういった支援を受けられるのでしょうか」と尋ねると、彼は心苦しそうに、厳しい現実を教えてくれた。 今の日本では、やはりAさんを保護できるような法律が存在していないこと。暴力を振るっているのが親ではないため、児童相談所や行政でも対応ができないこと。Aさんを家から逃がすつもりが親にないかぎり、下手に支援団体で身柄の保護をしようものなら「誘拐」扱いになりかねないこと。親が承諾しない限り、Aさんを支援する手立てはないこと。この国では、まだ私たちのような境遇に生まれた人間には逃げ道すら用意されていないのだと、改めて突きつけられてしまったように思えた。「親御さんと話し合ったりできるようなら、なんとかできることをやってみます」。そう言ってくれた彼らの団体に支援を引き継いだため、それからAさんと私は連絡のやりとりをしていない。 きょうだい間の暴力、というとほとんどの人が「ただのきょうだい喧嘩」だと理解する。しかし、現実はそうではない。きょうだい間の暴力が深刻化しているケースでは、加害者側が成人とほとんど変わらない体格を有しているうえ、成人しても暴力は終わらない。むしろ激化の一途をたどることもある。それは多くの人が想像するよりもずっと残酷で、凄惨で、深刻な問題なのだ。(吉川 ばんび)
写真はイメージ AFLO
「きょうだい間の虐待」の被害を受けた当事者としてさまざまな場で体験を語っている私の元に昨年、12歳の少女から「助けてほしい」と連絡が届いたことがある。プライバシーに配慮して一部情報を差し替えてはいるが、全体としての概要はほとんど変えないままにしている。以下、被害の状況である。
相談者のAさんは両親と3歳年上の兄の4人家族。幼少の頃から兄の暴力に悩んできたが、兄が中学に上がるころから家庭内暴力が激化。Aさんだけでなく、母親と父親まで兄に殴られるようになった。父親は単身赴任のため基本的に不在で、兄が暴れても助けてもらうことができない。兄が母親の説得に応じて精神科を受診したこともあったが、特に効果は見られず、状況は良くなるどころか日々悪くなっていく。
追い詰められてシェルターや児童相談所に相談をしたこともあるが、子から親への暴力の被害者、きょうだい間の虐待の被害者を保護する法律が今の日本には存在していない。そのため、施設側から「どうすることもできない」と門前払いをされてしまったという。
「自分が殴られるより、お母さんが殴られるのを見るのが一番つらいです。逃げたいと親に話したこともありますが、経済的にそれもできず、そもそも母が逃げようとしません。私のことも、家から逃がしてくれません。吉川さんの体験を読んで、私たち以外に同じような経験をしている人がいるんだと、驚いて連絡をしました。私たち家族はもう限界です」
19年前、私は12歳だったある日、目から大粒の涙を溢しながら、誰もいない台所で自分の腹に包丁を突き立てていた。手に力を込めると、刃先が皮膚に食い込んでうっすらと血が滲む。頭の中で何度予行練習をくりかえしても、いざとなると包丁を腹に振り下ろすことができない。また今日も死ねなかった。嗚咽が止まらない。腹に残った痛みだけが、私に生きている実感を与えてくれた。まだ幼いとき、小学校に上がるころから続いている習慣だった。
幼い頃から母親と兄から暴力を受けていたためか、「他者は自分を傷つける存在である」と思い込んで生きてきた。子どもの頃は髪の毛や歯を抜く癖があり、爪はいつもボロボロで、つらいときは腕を噛んで気持ちが落ち着くのを待った。母親や兄の前で涙を見せればさらに殴られるか、言葉で傷付けられるため、気が付けば声を押し殺して泣くのが日常になっていた。暴力は、私が20歳を過ぎても続いた。
殴られることに理由などない。ただむしゃくしゃしていたとか、たまたま目に入ったからとか、兄はその程度のことでいつも私を殴ったり蹴ったりした。寝ている時に腹や背中を蹴りあげられることがあるため、いつの間にか体を丸めて、腕を組んで眠るのが癖になった。父親は家庭に関心が全くなく、私たちが殴られようが血を流していようが、ついぞ助けてくれることはなかった。
母親を連れて家から逃げることも、兄を警察に通報することも、精神科を受診させることも、何度も何度もくりかえし考えたが、どれもこれも全く現実的ではなかった。うちには逃げるだけの金すらない。警察に突き出しても「きょうだい喧嘩」「家庭の問題は家庭で解決してください」と門前払いを食らってしまうだろうし、運良く兄を拘束してくれたとして、必ず数日かそこらでうちに帰ってくるだろう。
そうすれば、怒り心頭の兄からどんな報復を受けるかわからない。「最悪、誰かが死ぬだろう」とさえ思うほど、当時の状況は酷いものだった。じゃあ、精神科に連れていって治療を受けさせようか? 本人が受診を激しく拒絶しているのに、どうやって? 成人男性と同じだけの体格を持った兄が暴れているのを、誰が、どうやって、合法的に病院まで連行するのだろう。
親から子への虐待であれば、児童相談所や市町村の職員が子どもを保護することが法律で認められている。しかしながら、子から親への、きょうだいからきょうだいへの虐待については、このような法律や制度が存在しないため、行政でも支援団体でも被害者を保護できないのが現状である。つまり、このような被害に遭ったとき、被害者には逃げ道や解決策がまったく用意されていないということになる。 この事実を知った当時、15、6歳以降だろうか、私は毎日のように兄を殺すことを考えていた。母親はというと「いつか、どうにもならなくなったら私があの子をあの世に連れていくから。あの子は私の子どもだから、私が責任を取らなくちゃいけないから」と言いながら、毎日「死にたい」と言いながら、いつもいつも泣いていた。あのときの私たちには、もうそれしか解決策が残されていなかったのだ。「Aさんに同じ地獄を味わわせてはならない」と強く思ったけれど それから年月が経ち、2022年、私は12歳のAさんからの相談を受け取った。「この人はまさに、あのときの自分だ」と思った。 私と母親は、あの家で暴力にただ耐え忍ぶことしかできなかった。結局、誰も兄を止められなかった。助けてくれる誰かが現れるなんてこともなく、地獄のような日々を生き、実家から逃れた今もまだ、毎晩夢の中で兄から殴られ続けている。極度の恐怖で悲鳴をあげながら起きるか、抵抗して腕や足を振り回して起きる日が続く。こんな夢を見続けるくらいなら、もう死んだ方がマシだとすら思う。 心療内科に何年も通い続けて、薬も限界量を処方されているが、快方に向かっているかはわからない。十数年続いているうつ病とPTSDで、日常生活をまともに送ることすらできない。 どうにかして、Aさんを救いたいと思った。この子には、同じ地獄を味わわせてはならないと強く思った。しかし現実はあまりにも残酷で、私が兄を殺そうと密かに考えていた当時から、この国では何ひとつ状況が変わっていなかった。支援団体で身柄保護をしようものなら「誘拐」扱いに… きょうだい間の虐待被害者を守る法律も制度も、支援策もなかった。知人であり、若者支援を行うNPO団体の理事に「どうにか助けられないだろうか」と連絡をしたところ、理事は「Aさんの相談をうちで引き継ぎますよ」と快い返事をくれた。私が「Aさんは今後、どういった支援を受けられるのでしょうか」と尋ねると、彼は心苦しそうに、厳しい現実を教えてくれた。 今の日本では、やはりAさんを保護できるような法律が存在していないこと。暴力を振るっているのが親ではないため、児童相談所や行政でも対応ができないこと。Aさんを家から逃がすつもりが親にないかぎり、下手に支援団体で身柄の保護をしようものなら「誘拐」扱いになりかねないこと。親が承諾しない限り、Aさんを支援する手立てはないこと。この国では、まだ私たちのような境遇に生まれた人間には逃げ道すら用意されていないのだと、改めて突きつけられてしまったように思えた。「親御さんと話し合ったりできるようなら、なんとかできることをやってみます」。そう言ってくれた彼らの団体に支援を引き継いだため、それからAさんと私は連絡のやりとりをしていない。 きょうだい間の暴力、というとほとんどの人が「ただのきょうだい喧嘩」だと理解する。しかし、現実はそうではない。きょうだい間の暴力が深刻化しているケースでは、加害者側が成人とほとんど変わらない体格を有しているうえ、成人しても暴力は終わらない。むしろ激化の一途をたどることもある。それは多くの人が想像するよりもずっと残酷で、凄惨で、深刻な問題なのだ。(吉川 ばんび)
親から子への虐待であれば、児童相談所や市町村の職員が子どもを保護することが法律で認められている。しかしながら、子から親への、きょうだいからきょうだいへの虐待については、このような法律や制度が存在しないため、行政でも支援団体でも被害者を保護できないのが現状である。つまり、このような被害に遭ったとき、被害者には逃げ道や解決策がまったく用意されていないということになる。
この事実を知った当時、15、6歳以降だろうか、私は毎日のように兄を殺すことを考えていた。母親はというと「いつか、どうにもならなくなったら私があの子をあの世に連れていくから。あの子は私の子どもだから、私が責任を取らなくちゃいけないから」と言いながら、毎日「死にたい」と言いながら、いつもいつも泣いていた。あのときの私たちには、もうそれしか解決策が残されていなかったのだ。
それから年月が経ち、2022年、私は12歳のAさんからの相談を受け取った。「この人はまさに、あのときの自分だ」と思った。
私と母親は、あの家で暴力にただ耐え忍ぶことしかできなかった。結局、誰も兄を止められなかった。助けてくれる誰かが現れるなんてこともなく、地獄のような日々を生き、実家から逃れた今もまだ、毎晩夢の中で兄から殴られ続けている。極度の恐怖で悲鳴をあげながら起きるか、抵抗して腕や足を振り回して起きる日が続く。こんな夢を見続けるくらいなら、もう死んだ方がマシだとすら思う。
心療内科に何年も通い続けて、薬も限界量を処方されているが、快方に向かっているかはわからない。十数年続いているうつ病とPTSDで、日常生活をまともに送ることすらできない。
どうにかして、Aさんを救いたいと思った。この子には、同じ地獄を味わわせてはならないと強く思った。しかし現実はあまりにも残酷で、私が兄を殺そうと密かに考えていた当時から、この国では何ひとつ状況が変わっていなかった。
きょうだい間の虐待被害者を守る法律も制度も、支援策もなかった。知人であり、若者支援を行うNPO団体の理事に「どうにか助けられないだろうか」と連絡をしたところ、理事は「Aさんの相談をうちで引き継ぎますよ」と快い返事をくれた。私が「Aさんは今後、どういった支援を受けられるのでしょうか」と尋ねると、彼は心苦しそうに、厳しい現実を教えてくれた。
今の日本では、やはりAさんを保護できるような法律が存在していないこと。暴力を振るっているのが親ではないため、児童相談所や行政でも対応ができないこと。Aさんを家から逃がすつもりが親にないかぎり、下手に支援団体で身柄の保護をしようものなら「誘拐」扱いになりかねないこと。親が承諾しない限り、Aさんを支援する手立てはないこと。この国では、まだ私たちのような境遇に生まれた人間には逃げ道すら用意されていないのだと、改めて突きつけられてしまったように思えた。
「親御さんと話し合ったりできるようなら、なんとかできることをやってみます」。そう言ってくれた彼らの団体に支援を引き継いだため、それからAさんと私は連絡のやりとりをしていない。 きょうだい間の暴力、というとほとんどの人が「ただのきょうだい喧嘩」だと理解する。しかし、現実はそうではない。きょうだい間の暴力が深刻化しているケースでは、加害者側が成人とほとんど変わらない体格を有しているうえ、成人しても暴力は終わらない。むしろ激化の一途をたどることもある。それは多くの人が想像するよりもずっと残酷で、凄惨で、深刻な問題なのだ。(吉川 ばんび)
「親御さんと話し合ったりできるようなら、なんとかできることをやってみます」。そう言ってくれた彼らの団体に支援を引き継いだため、それからAさんと私は連絡のやりとりをしていない。
きょうだい間の暴力、というとほとんどの人が「ただのきょうだい喧嘩」だと理解する。しかし、現実はそうではない。きょうだい間の暴力が深刻化しているケースでは、加害者側が成人とほとんど変わらない体格を有しているうえ、成人しても暴力は終わらない。むしろ激化の一途をたどることもある。それは多くの人が想像するよりもずっと残酷で、凄惨で、深刻な問題なのだ。
(吉川 ばんび)