1983年4月15日にグランドオープンした東京ディズニーランド。今年40周年のアニバーサリーイヤーを迎えます。グランドオープン直前の83年4月1日に、パークの運営会社・オリエンタルランドに入社し、約40年働き続けている地曵睦さん(59)を取材。地曵さんだからこそ知っているパークの変化や、アトラクションオープン当時の秘話を聞きました。■勤続約40年 地曵睦さんの主な経歴・1983年4月1日入社 管理部計算課 配属・1987年7月 管理部購買課へ異動・1989年10月 運営部運営課へ異動 トムソーヤ島いかだ、スプラッシュ・マウンテンなどを担当・1999年 カントリーベア・シアター ユニットマネージャー・2003年4月 スプラッシュ・マウンテン ユニットマネージャー・2007年11月 ファンタジーランド、トゥモローランドマネージャー・2010年7月 ウエストグループ・マネージャー・2012年10月~現在 時間帯運営責任者(パークで各時間帯の運営を統括/管理する責任者)
■当時日本になかったディズニーランド なぜ入社を決意したのか東京にパークが誕生する前は、世界でもアメリカのカリフォルニアとフロリダだけにあったディズニーリゾート。地曵さんは就職先を探していた当時を「ディズニーランドというものをやるっていうのは、どこかで本当かはすごくドキドキはしていたものの、せっかくだから受けに行ってみようかなと。安定している企業とは思えなかったですけど、一緒にチャレンジしてみようかな、面白そうだなっていう軽い感覚でした」と笑顔で振り返ります。■時代が違った…今では想像できない“お叱り”のワケ開園当時は“テーマパーク”という言葉もなく、お客さんはテーマパークに来たことがない人ばかり。慣れていないお客さんを楽しませることに、苦労したこともあったそうです。1992年、落差16mの滝を下る『スプラッシュ・マウンテン』の立ち上げた時には「ゲスト(お客さん)が水にぬれるということに耐性がなかったので、“ぬれ方に対するお叱り”はずいぶん受けましたね」という地曵さん。降り場にドライヤーを持っていって対応し、誠意を見せたこともあったそうで「水にぬれるということが、人によって感覚がこんなに違うんだな、と。当時はまだそういう時代でしたね」と、懐かしそうに明かしました。また、2000年に『プーさんのハニーハント』をオープンした初日には、当時最先端の技術を使っていて操作が難しかったため「動いている時間の方が短いくらい、システム調整の時間が多くなってしまった」といいます。多くのお客さんからの苦情に対応していたそうですが「そのうちのお一人からお手紙をいただいて、謝罪の仕方に対するお褒めの言葉をいただいた。誠意を持って対応すれば理解していただける方がいると感じたし、それはその後の仕事の糧になりましたね。ここまで長く続いた理由の一つです」と、感慨深そうに語りました。■40年見てきたからこそわかる「一番変わったもの」「変わらないもの」40年働き続けてきた地曵さんが感じる“40年で一番変わったこと”を聞くと「ゲストの楽しみ方」だといいます。開園当時はテーマパーク自体を知らない人が多かった中、だんだんと“生まれた時からディズニーランドがある”世代が増えていき「昔はパレードもただ走っていれば喜んでいただけて、アトラクションも乗ればそれでご満足いただけたんですが、今は “参加しに行く”という意識が強い。当時は(振り付けなどを)一緒にやってくださいって言っても、日本はシャイな人が多くて、やらなかった。今はどんどんノッてくれるので、ゲスト自身がショーやアトラクションを盛り上げてくれたり、“参加感”がすごく大きくなった」と分析。一方、“40年変わらないもの”は「キャスト(従業員)のホスピタリティー」。キャストとただ話すことを目的に来るお客さんも多いそうで「キャストにいい対応をしてもらったゲストが、キャストに憧れて、キャストとして戻ってきてくれたりして。ゲストに寄り添っていく対応が好きで入ってくるキャストが増える、その繰り返しが(パークが)長く続いていく秘けつなんじゃないかなと思います」と、見守り続けてきたからこその考えを明かしました。■アニバーサリーイヤーへ 「みなさんと一緒に楽しみたい」今年4月に40周年を迎える東京ディズニーリゾート。今の思いを聞いてみると「まさか40年も続くとは、入った時は考えてなかった」と意外な本音を漏らしつつ「私自身もここで40年勤務してこられたのは、ゲスト・キャスト含めて人と人とのふれあいが大きかったと思います。今後もそれを求めてくるゲストの期待に応えられるパークとして、40周年をみなさんと一緒に楽しみたいと思っています」と抱負を語りました。
1983年4月15日にグランドオープンした東京ディズニーランド。今年40周年のアニバーサリーイヤーを迎えます。グランドオープン直前の83年4月1日に、パークの運営会社・オリエンタルランドに入社し、約40年働き続けている地曵睦さん(59)を取材。地曵さんだからこそ知っているパークの変化や、アトラクションオープン当時の秘話を聞きました。
・1983年4月1日入社 管理部計算課 配属・1987年7月 管理部購買課へ異動・1989年10月 運営部運営課へ異動 トムソーヤ島いかだ、スプラッシュ・マウンテンなどを担当・1999年 カントリーベア・シアター ユニットマネージャー・2003年4月 スプラッシュ・マウンテン ユニットマネージャー・2007年11月 ファンタジーランド、トゥモローランドマネージャー・2010年7月 ウエストグループ・マネージャー・2012年10月~現在 時間帯運営責任者(パークで各時間帯の運営を統括/管理する責任者)
東京にパークが誕生する前は、世界でもアメリカのカリフォルニアとフロリダだけにあったディズニーリゾート。地曵さんは就職先を探していた当時を「ディズニーランドというものをやるっていうのは、どこかで本当かはすごくドキドキはしていたものの、せっかくだから受けに行ってみようかなと。安定している企業とは思えなかったですけど、一緒にチャレンジしてみようかな、面白そうだなっていう軽い感覚でした」と笑顔で振り返ります。
開園当時は“テーマパーク”という言葉もなく、お客さんはテーマパークに来たことがない人ばかり。慣れていないお客さんを楽しませることに、苦労したこともあったそうです。1992年、落差16mの滝を下る『スプラッシュ・マウンテン』の立ち上げた時には「ゲスト(お客さん)が水にぬれるということに耐性がなかったので、“ぬれ方に対するお叱り”はずいぶん受けましたね」という地曵さん。降り場にドライヤーを持っていって対応し、誠意を見せたこともあったそうで「水にぬれるということが、人によって感覚がこんなに違うんだな、と。当時はまだそういう時代でしたね」と、懐かしそうに明かしました。
また、2000年に『プーさんのハニーハント』をオープンした初日には、当時最先端の技術を使っていて操作が難しかったため「動いている時間の方が短いくらい、システム調整の時間が多くなってしまった」といいます。多くのお客さんからの苦情に対応していたそうですが「そのうちのお一人からお手紙をいただいて、謝罪の仕方に対するお褒めの言葉をいただいた。誠意を持って対応すれば理解していただける方がいると感じたし、それはその後の仕事の糧になりましたね。ここまで長く続いた理由の一つです」と、感慨深そうに語りました。
40年働き続けてきた地曵さんが感じる“40年で一番変わったこと”を聞くと「ゲストの楽しみ方」だといいます。開園当時はテーマパーク自体を知らない人が多かった中、だんだんと“生まれた時からディズニーランドがある”世代が増えていき「昔はパレードもただ走っていれば喜んでいただけて、アトラクションも乗ればそれでご満足いただけたんですが、今は “参加しに行く”という意識が強い。当時は(振り付けなどを)一緒にやってくださいって言っても、日本はシャイな人が多くて、やらなかった。今はどんどんノッてくれるので、ゲスト自身がショーやアトラクションを盛り上げてくれたり、“参加感”がすごく大きくなった」と分析。
今年4月に40周年を迎える東京ディズニーリゾート。今の思いを聞いてみると「まさか40年も続くとは、入った時は考えてなかった」と意外な本音を漏らしつつ「私自身もここで40年勤務してこられたのは、ゲスト・キャスト含めて人と人とのふれあいが大きかったと思います。今後もそれを求めてくるゲストの期待に応えられるパークとして、40周年をみなさんと一緒に楽しみたいと思っています」と抱負を語りました。