髪の毛を鷲みにされ、引きずられ、奥の和室へと連れて行かれ… 児童相談所の職員が遭遇した“虐待”のリアル から続く
暴行や暴言、育児放棄など、親が子を加害する事件が報道されることは珍しくない。しかし、こうした目に見える虐待とは異なり、見落とされがちな虐待がある。それは「ただ、無関心で共感しない」というものだ。目には見えずわかりにくい虐待に、社会はどのように対処できるのか。
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ここでは、生活保護支援の現場で働いていた植原亮太氏による『ルポ 虐待サバイバー』(集英社新書)の一部を抜粋。女子生徒が抱える心の傷を、実例をもとに紹介する。(全2回の2回目/前編を読む)
※事例に登場する人物名は仮名です。また、個人情報保護の観点から個人が特定されないように書き方を配慮しております
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◆◆◆
中学校の養護教諭である高畑先生から、相談を持ちかけられた。
鈴木香織さん(14歳)という中学2年生の女子生徒のことだった。彼女は、教室に入れないと訴えていて、1日の大半を保健室で過ごしていた。
ある日、授業中の教室に彼女の姿がなかった。探し回ると、女子トイレの個室にこもっていた。数人の教員は、授業に参加したくない彼女のわがままだと考えていた。
どこか心の問題でもあるのだろうと思った高畑先生は、母親に連絡し、児童精神科や思春期外来を受診してみてはどうかと提案した。それに母親は従った。
数日して、母親から「思春期特有の問題って言われました」とだけ報告があった。その電話で違和感を持ったという。
「なんか、子どもに関してどことなく無関心というか……ほかになにか言われませんでしたか? 教室に入れないことは、なんて言われましたか? と聞くと『そのことはお医者さんに言っていないです』って。じゃあ、なんのために病院へ行ったんだと、つい口から出てしまいそうになりました」
いつも高畑先生の勘は鋭い。私も同じような違和感を抱いた。
「ひょっとしたら、被虐かな?」と私がひとりごとのように言ったのを聞き逃さなかった高畑先生は、怪訝な顔をして私を見ていた。そこで私が付けくわえた。「思春期問題とは、ちょっと違うという意味です」
それから、私は実際に彼女と会うことになった。
綺麗に制服を着こなしている香織さんは、面接室に入り、会釈をすると、じっと立ったまま椅子に座ろうとしなかった。私が「どうぞ、お座りください」と促すと、「失礼します」と小さく言いながら、ようやく着席した。
「ええと、今日は、たしか学校のことでご相談があるということでしたね?」
「……」
彼女は、なかなか話そうとしなかった。彼女の意思とは関係なく、一方的に心配した高畑先生が強く相談を勧めたということも考えられる。仕方がなく、高畑先生に従ったのかもしれない。なにか彼女が反応を示しそうな話題はないだろうかと考えながら、部活はなにをやっているのかとか、好きな歌手や芸能人はいるのかとか、そんなことを質問してみたが、どれもぽつりぽつりと答えるくらいで、なかなか話が深まらなかった。
しかし、次の質問で彼女の反応は変わった。
「今日、ここにくることを、お母さんは知っているの?」
「お母さんは、そんな感じじゃないんで」
これまでにないくらいに、はっきりとした口調だった。なにがそんな感じではないのだろうと思って質問すると、
「お母さんとは、親娘っていうより、友達みたいっていうか」「好きなんだけど、あんまり話さない」「なにか話すと『ふーん』で終わっちゃう。で、『あんたは気持ちが弱いから』って言われて。お母さんの言う通りだと思う」
私は、高畑先生から事前に聞いていた、彼女と高畑先生との会話を思いだした。
次は、高畑先生が教えてくれた彼女とのやりとりである。
─香織さんが、ひどく困った顔をして保健室に駆け込んできたことがあった。「どうしたの?」と聞いても、なにも言おうとしない。何度か聞くと、彼女は小さな声で生理用品がほしいと言った。保健室にあるものを渡した。
高畑先生が何気なく、「家にはあるの?」と聞くと、「ないけど、お母さんのものを盗っているから大丈夫。気づかれないし」と言った。
それを不思議に思って細かく聞くと、これまで母親から買い与えてもらったことはないという。母親に買ってほしいと頼むことができないのかと聞くと、彼女は「できない」と小さく言った。
それから、高畑先生は彼女の母親に電話した。母親の返事はこうだ。
「もう、そんな年齢ですっけ? 面倒になりますね」
その口調からは、悪意も悪気も感じられなかったが、親としての娘への気配りや配慮も感じられなかった。高畑先生にも同じ歳くらいの娘がいた。逆に、どうしてそんなに無関心でいられるのかと、不思議だったという。
いつの間にか香織さんの口数が増えて、よく話していた。
「なんかよくわかんないけど、人の目が気になるっていうか……。国語の教科書の音読ならできるけど、『ここの作者の気持ちはなんだと思う?』とか、名指しされてみんなの前で答えるのは無理。笑われるんじゃないかと思う。音楽とか、歌うの無理で、いつも口パク。私は、わがままなんだと思う」
「それは緊張すると思います。ひとりに対しても緊張するのに、教室に入ったら、みんなに対して緊張して困ってしまいますよね。みんなにあわせるのは疲れると思います。大変だよね」
「なんでわかるんですか?」
彼女は目を丸くして、顔をあげた。
「ほかにも、あなたのような人を、たくさん知っているからですよ」
そう言うと、またさらに驚いたような顔をした。
「ほかの人は、どうしているんですか?」
「まあ、無理せずやっていますよ」
彼女のような境遇の子らは、家にいないで外へ出て多くの人と関わっているほうがよい。なぜなら、高畑先生のように、家での親子関係に違和感を抱きながら関わってくれる大人に出会う可能性があるからだ。彼女らは、親以上に自分に対して興味を持ってくれている人がいることに驚く。そして、気持ちを聞いてくれたこと、一緒になって考えてくれたことが、相当な心の支えになる。
だから、学校にきてくれたほうがいい。たとえ、教室に入れなかったとしても。
その後、香織さんは、約2週に一度のカウンセリングに通ってきた。話す内容は学校でのことや、小学生のころに感じた友達とのことだった。
「友達の家に行ったとき、その子とお母さんがすごく仲良しだったんです。その子は、お母さんと一緒に買い物に行ったり、お揃いの物を買ったりするって言ってました。へー、そうなんだと思って不思議でした。私は、そんなことなかったんで。そのあとから、なんかその子のことを羨ましくなってしまって、あんまり遊ばなくなっちゃったんです」
香織さんに限らず、自分の家庭とほかの家庭の違いを認識できるようになるのは、大体は小学生の低学年くらいからである。それまでは、ほかの家庭も自分の家庭と同じだと思っている。しかし、同年代の子どもとの関わりが増え、ほかの家庭の様子も目にするようになり、自分の家庭と比較できるようになると、そこで自分の家庭との違いを感じる。
やがて思春期年齢のころになると、ほかの家庭と自分の家庭との差をはっきりと言葉にして自覚できるようになる。そうしたなかで、香織さんのような境遇の子らは、抱えている生きづらさが家庭環境と関係があるのではないのかと徐々に気づきはじめることもある。
現に、香織さんは気づきはじめているようだった。その証拠に、こう話したことがあった。
「高畑先生は、すごく話を聞いてくれる。先生の娘さんは、いいなと思った。先生も怒ることはあるし、怒ると怖い。だけど、心配してくれているから怒るんだと思う。怒るっていうか、ってくれるっていうか。先生は、娘さんが学校から帰ってくると、学校でなにがあったとか、お友達とはどうしたとか、そういうのを話すって言ってた。
『お母さん』って、あんな感じなのかな……」
ここまで紹介してきた事例は、いずれもとても静かで、穏やかで、一見しただけではわかりにくい情緒的ネグレクトというものだった。衣食住、必要な医療や教育も最低限は提供されている。だから、目に見える形で家庭のなかの異常があきらかになることは、ほとんどない。
だが、子どもの心には確実に傷をつくる。それは大人になっても残り続ける。
もうひとつ事例を紹介する。 子どものころに母親が、自分の気持ちに対して反応してくれなかったという心の痛みと孤立感を話してくれた30歳の女性がいた。「お母さんは、やさしかったです。いつも笑っていたので。だけど、ときどき虚しい気持ちになることがありました。暖簾に腕押しというか、手応えがないというか。私のことをどう思っているのか、わからないというか……。 小学生のころ、家の前の通りで、ひとりで遊んでいたんです。そこに、スピードをだした車が通ろうとしていました。なんだかわからないんですけど、もし私が轢かれたら、お母さんが心配してくれると思ったんです。それで、自分から轢かれに行きました。車が急ブレーキで避けてくれたので大事にはなりませんでしたけど、転んで膝をかなり擦りむきました。変ですけど、たくさん血が出ているのを見てうれしかったんです。そのまま走って玄関に行き、お母さんを呼んで、車に轢かれたと言いました。居間から出てきたお母さんは、『そうだと思った。だって、すごい音がしたもん』と言って、また居間に戻ってテレビを観ていました。私は、ひとり、お風呂場で自分の膝の血を洗い流しました。 ちゃんとご飯はあったし、洋服もあったし、だから、虐待ではないと思うんです……」 このように、すーっと気持ちが肩透かしを食うような無関心が主体の虐待は、子どもの心に静かに傷をつくり、そして奇妙な矛盾を抱かせる。 ちゃんと、ご飯も洋服も住む家もあった。大人になるまで育ててもらった。だから、「お母さんは、やさしい」と彼らは「翻訳」する。心配してくれない母親がやさしいわけがないのだが。──これは、孤立で折れそうな彼らの心を支えるのに必要な説明である。 しかし、裏を返せば、こう言うこともできるだろう。 ご飯と洋服と住む家しかなかったのである。(植原 亮太)
もうひとつ事例を紹介する。
子どものころに母親が、自分の気持ちに対して反応してくれなかったという心の痛みと孤立感を話してくれた30歳の女性がいた。
「お母さんは、やさしかったです。いつも笑っていたので。だけど、ときどき虚しい気持ちになることがありました。暖簾に腕押しというか、手応えがないというか。私のことをどう思っているのか、わからないというか……。
小学生のころ、家の前の通りで、ひとりで遊んでいたんです。そこに、スピードをだした車が通ろうとしていました。なんだかわからないんですけど、もし私が轢かれたら、お母さんが心配してくれると思ったんです。それで、自分から轢かれに行きました。車が急ブレーキで避けてくれたので大事にはなりませんでしたけど、転んで膝をかなり擦りむきました。変ですけど、たくさん血が出ているのを見てうれしかったんです。そのまま走って玄関に行き、お母さんを呼んで、車に轢かれたと言いました。居間から出てきたお母さんは、『そうだと思った。だって、すごい音がしたもん』と言って、また居間に戻ってテレビを観ていました。私は、ひとり、お風呂場で自分の膝の血を洗い流しました。
ちゃんとご飯はあったし、洋服もあったし、だから、虐待ではないと思うんです……」
このように、すーっと気持ちが肩透かしを食うような無関心が主体の虐待は、子どもの心に静かに傷をつくり、そして奇妙な矛盾を抱かせる。
ちゃんと、ご飯も洋服も住む家もあった。大人になるまで育ててもらった。だから、「お母さんは、やさしい」と彼らは「翻訳」する。心配してくれない母親がやさしいわけがないのだが。
──これは、孤立で折れそうな彼らの心を支えるのに必要な説明である。
しかし、裏を返せば、こう言うこともできるだろう。
ご飯と洋服と住む家しかなかったのである。
(植原 亮太)