y山上徹也被告の裁判員裁判が続いている。山上被告や家族らの証言から、旧統一教会への多額の献金が家族の仲を引き裂いていったことが明らかになった。
前編記事『「お母さんの『殺される!』という声で目が覚めた」…!山上徹也被告の妹が法廷で明かした「献金で壊された家族の実像」』に引き続き、追い詰められていった山上家の実態を詳報する。
2022年7月、選挙応援中だった安倍晋三元首相が奈良・大和西大寺駅前で殺害され、死亡した事件。2025年10月28日から奈良地裁で始まった山上徹也被告(45歳)の裁判員裁判は、12月4日に最後の被告人質問が行われた。
11月19日の妹・Mさんの証人尋問では、母親・Yさんが世界平和統一家庭連合(旧統一教会)に入信、多額献金などにより一家が追い詰められていった実態が詳しく語られた。
家族のなかでも、最も弱い立場に置かれていたのが、末っ子のMさんだった。
大学進学を希望した14歳のMさん対し、Yさんはこう言い放ったという。
「おカネないから自分でどうにかして」
さらには「資格が取れる専門学校に行ったほうがいいんじゃないの?」とも告げた。
それでもMさんは、兄や伯父の支えで大学に進学を果たす。Mさんは法廷でこう語った。
「統一教会の返金が始まり、Sもいましたが、徹也が『Mを大学に行かせよう』と(母親を)説得してくれた。それで私は大学に行くことができた。徹也のおかげで大学に行けたんです」
学費は奨学金や親類の援助でまかなわれ、Yさんも受験費用など一部を負担した。Mさんは家族に報いるため、卒業時には成績優秀者として表彰も受けた。
しかしその一方で、Yさんは子どもたちに「カネの無心」を繰り返していた。
「(カネの無心は)多々あります。母がラスベガスに行ったことがあり、その渡航費用はほかの信者に貸してもらいました。その頃、家賃を滞納していて、振り込んでくれと言われた。家賃は2~3ヵ月、滞納していて、必死に頼んできた。断ると私の腕にしがみついてきて、30メートルくらい引きずって歩いた。辛かった。恥ずかしくて惨めだった。
家を出てから母が連絡をしてくるのはカネを無心してくるとき。私には関心はないと思った。その時、親として『払え』って言っていました。あの時に『この人は私の母じゃない』と思った。母の皮を被った統一教会の信者だ。
母親のふりをした、母の形をしているだけ。お金を貸してと言ってきていたが、私は突き放した」
Mさんは2013年ごろに家を出た。すでに山上被告は実家を離れており、実家にはSさんとYさんだけが残された。家族の仲は完全に壊れていた。
そして2015年、Sさんは自ら命を絶った――。
「Sが亡くなったときは私と母と徹也が警察に呼ばれました。何時間か待っていると警察官が遺品を渡してくれました。Sの着ていた服とリュックがありました。徹也はそれを見て、服を取り出し『血で真っ赤じゃないか』と言って慟哭していた。
普段、そんなに感情をうまく表に出すことがない徹也が泣いていたのは祖父が亡くなったとき以来だった」(Mさん)
通夜の夜も、兄の遺体のそばを離れず、「悔しそうに泣いていた」とMさんは語る。
Mさん「亡くなる前にSは電気代をくれと言っていました。私は無視していて、母はSの障害年金の手続きを忘れていたので、『今月はもらえない。来月は入ってくるから』って。母は私からお金を無心していた。『これは神様がくれたおカネだから返さない』と……Sが死んでしまったとき、おカネを貸していれば…後悔しています」
弁護士「電気代を払っていれば?」
Mさん「そうです。暴力が酷くて……もっと優しくすればよかった。すごく後悔しています。こんなに悲しくて……」
後日、山上被告自身も、兄にカネを貸さなかったこと、一緒に暮らす選択肢を取らなかったことを悔いていると法廷で述べている。
葬儀を巡っても旧統一教会と山上被告との間でいさかいがあった。ある公判では次のような供述が山上被告から語られた。
「『帰ってくれ』と言ったが、(教団関係者は)『分かりました』と言いつつ、(統一教会式の葬儀)式を始めた。怒鳴ったり、つまみ出したりしないと止まらないが、棺の前ではばかられた。なんてことをするのか。こういうことをこれまでもしてきたし、これからもしていくのだろうと思った」
さらにこのころのYさんの言葉に深く絶望し、「蓄積していたものが全て爆発した」ことも語られた。山上被告は次のように述べている。
「母の中で、兄は天国で幸せに暮らしていることになっていた。兄が生前苦しんでいたのは『(教団から献金額の一部の)カネを返金させたから』という理解になっていた」
こうして山上被告は、家族や親戚から離れ、孤立を深めていった。Mさんが最後に会ったのは2016年ごろだったという。飼い猫が亡くなり、連絡をしたところ山上被告がMさんの家に来て、一緒に弔ってくれたという。それ以降は、年に1回メールを交わす程度の関係になっていた。
事件直前、2021年末ごろ、兄妹の間に金銭トラブルもあった。検察官とのやり取りで、次のような内容が明らかにされている。
Mさん「『俺が貸したお金を返してほしい』と言っていた」
検察「借りたままのおカネがあった?」
Mさん「勘違いでした。返していました」
Sさんの法事での香典の扱いをめぐったいさかいもあったという。
検察「令和3(2021年)年末ごろ、被告人とのメールのやりとりで『内容で不快になった。連絡を取らなくなった』と言っていた?」
Mさん「不快に思ったのは7回忌の時に来なかったから、そのメッセージのときもそう思っていたのかもしれない。今は思い出せない」
検察「(山上被告のメール文章を読み上げ)《あとでぐちゃぐちゃいうなよ。じゃあな》」
Mさん「それで不仲になったのを思い出しました」
このころ、山上被告はすでに手製銃の製造に着手していたとみられる。「貯金がなくなる前に」と実行に踏み切ったとされ、銃の製造などに約200万円を費やしたことも法廷で明らかになっている。
そして事件が起きる。当日の夜、伯父の家でニュースを見ていたMさんは、「『特定の団体に恨みがあって』と言っていました。間違いなく統一教会だと確信しました」と証言した。
弁護士が「被告人が安倍元首相を狙ったことについては?」 と尋ねると、「不思議だと思うことはなかった。安倍首相は統一教会の機関紙の表紙に載っているのを見たことがあった。称賛しているようにも思えた。母の妹も信者なのですが、叔母から選挙のときに『自民党の候補者に(票を)入れてほしい』と言われたことがあります。UPF(教団の関連団体)の動画も『素晴らしいから見て』と言われました」 と述べた。
弁護士「表紙は賛美されているかんじ?」
Mさん「そうです」
弁護士「妹からの支援要請は自民党の候補者?」
Mさん「そうです」
旧統一教会と自民党との関係性を、家族の中で日常的に感じていたことがわかる証言だ。
最後に弁護士から「徹也さんが事件を起こしました。山上家の子どもたちは助けを求めることはできなかったのでしょうか」とMさんに問うた。
「母の統一教会への献金によって家庭は破産しました。(私たち兄妹は)公的に言えば被害者ではなかった。相談先窓口を探しましたが、親が子どもを脱会させたり、献金を取り返そうという被害者のものだった。親が入信して困っている人の窓口は見つからなかった。母は成人で、自らの意思で献金をしていました。私たちには到底口出しはできなかった。合法的には到底解決できない。
絶望と苦労の中で徹也は事件を起こした」
妹の証言を、山上被告は額に手を当て、ジッと聞いていた。
検察から「旧統一教会に復讐を考えていたか」と問われたMさんは、「ありません。復讐するよりも関わりたくなかった。……復讐するなら、していたかもしれない」としたうえで、
検察「どんな復讐をイメージしていましたか?」
Mさん「統一教会を無くす」
検察「そうした活動に取り組む?」
Mさん「そうです」
Mさんは実際に活動はしていないが、今後も献金の返金請求やYさんの脱会に向けて動きたい、との意向を示した。
Mさんは兄・山上被告についてはこう証言している。
「小学校2年のころ、私は荷物が重くて泣いていたら一緒に帰ってくれた。勉強を教えてくれた。(周囲の人が)徹也のことを努力家でまじめな子とほめていて、自慢の兄だった。10代後半の時、自宅に帰りたくなくて家出をしたとき、一晩中探してくれた」
弁護士が「徹也さんは一緒に家をでないか、と誘ってくれた?」 と確認すると、山上被告はたびたび提案していたものの、「家を出る勇気が出なかったこと」とMさんは振り返った。そこには「もし自分が家を出たら母が兄に殺されるんじゃないか」という恐怖心があったことも語られた。2010年ごろのことだ。
裁判官から「母親とのエピソード」を問われると、
「母親らしいことをしてもらったのはケーキを一緒に焼いたこと。私が風邪をひいても宗教活動を優先させたこと。(母は)Sと統一教会のことで頭がいっぱい。私に対して関わりが少なかった」
と述べたうえで、
「子どもなので母親を求めている。母も悪い人間じゃない。(私が)14歳くらいで(祖父が)亡くなってから、『私のこと、どうして愛してくれないの?』と母に聞きました。鼻で笑われました。苦しくて…辛かった」
それでもMさんと山上被告は、Yさんについて「悪い人じゃない」と口にしている。
山上被告は、母親について「多額の献金さえなければ入信したことについては認めていた」とも語った。さらに「(事件によって)非常につらい立場に立たせてしまった。母親の信仰を理由とした事件を起こしてしまい、母親も責任を感じているのだと思う」とYさんを気遣う言葉も述べた。Mさんに対しては「一番傷ついていたのではないかと思った」と兄としての一面をのぞかせた。
11月18日の証人尋問でYさんは「私が加害者」と証言し、山上被告に謝罪する場面もあった。
家族の幸せを願い、入信したはずの信仰が、家族を貧困と暴力に追い込んでしまった。それはやがて、安倍晋三元首相銃撃という凶行へつながっていった――。誰一人、幸せにしないまま、旧統一教会の闇が改めて法廷で浮かび上がっていた。
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