東京は、コーヒーの町である。コーヒー推しの飲食店であるチェーンのカフェはもちろんたくさんあるし、都心を中心に観光地、人気の町などには、こだわりのコーヒーを出す個人のカフェ・喫茶店も多い。
最近は、コーヒー豆専門店もずいぶん増え、カフェがなくてもコーヒー豆専門店はあったりする。専門店以外でも、カルディーコーヒーファームなどコーヒー豆を扱うチェーン店がたくさんある。
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もちろん、地方でもコーヒーを看板にするチェーン店、こだわりの自家焙煎珈琲を出すカフェ・喫茶店、コーヒー豆専門店は多い。ただ、地方に行くと、産地であることもあってよく日本茶を飲む静岡県、外国文化がいち早く入った歴史が長い神戸市を筆頭に、関西地方は紅茶を好む人が多い、ウコン入りのウッチン茶がペットボトルでも売られる沖縄県など、コーヒー以外の嗜好飲料も人気の地域が存在する。しかし、東京ではコーヒーが何度も流行したからか、最近はすっかりコーヒーが人をもてなす際に出す定番の飲料になってきた。訪問先で、急須で淹れた日本茶が出された時代は遠い昔。そしてコーヒー豆を販売する店に事欠かなくなったせいか、この10年ほどでコーヒーをギフトでいただく機会が増えた。人をもてなす際、コーヒーを出す場面は確かに多くなったが、誰もがコーヒーを飲むわけではない。宗教上の理由や体質、好みの問題で飲めない人も、けっこういるのではないだろうか。私はこれまで何人もコーヒーを飲めない人に出会ってきたし、私自身も子どもの頃からお茶党で、日本茶・紅茶・中国茶をよく飲むためか、もともと後味が気になっていたコーヒーを飲むのがますますつらくなってきた。なぜ、苦手な人がいる可能性を考慮しない人が、これほど多くなったのだろうか?新生活を始めた人が多い今だからこそ、改めてコーヒーがデフォルトになった理由を考えてみたい。戦後の「コーヒーブーム」一つは、幕末・明治の開港期以来、コーヒーはその苦さも含めて文明や文化度の高さの象徴だったことだ。コーヒーの日本史をおさらいしてみよう。明治末期、パリのカフェのように芸術家が集える店を、と開業した銀座のカフェープランタンや、青鞜のメンバーが集った新橋のパウリスタが登場。大正時代になると、ミルクホールを含めてカフェブームが起こり、大和和紀の人気漫画『はいからさんが通る』(講談社)でも、主人公の紅緒と婚約者の忍がデートする場面でミルクホールが登場する。自分の欲望に素直な紅緒はアイスクリームを注文するが、ドイツ人とのハーフの華族で運命に従おうと考える忍は、コーヒーを注文する。それは、忍のかっこよさを強調する注文でもあった。Photo by iStock戦後から高度経済成長期にかけても、喫茶店を中心にコーヒーのブームが起こる。ジャズ喫茶、歌声喫茶などのテーマを持った店もあれば、アルコールを出さない純喫茶もあった。その頃、差別化を求めてナポリタンやサンドイッチ、カレーなどの食事メニューを充実させる店が増えた。21世紀になってくり返し起こる昭和の喫茶店ブームのときに、注目されるのがこの形をとどめた喫茶店だ。1960年代後半には、大衆化し始めた大学生たちが喫茶店に集い、コーヒーを片手に仲間と熱く議論を交わし、恋人とデートするようになる。 コーヒー専門店が登場したのもこの頃。『喫茶店と日本人』(赤土亮二、旭屋出版)によれば、店の多数派はサイフォン立てでドリップコーヒーは少数派だった。一方で、1960年の森永製菓の商品を皮切りに、インスタントコーヒーが人気になる。1969年にはUCCが缶入りミルクコーヒーを発売し、カフェ・喫茶店に行かなくても気軽にコーヒーが飲める時代に突入した。オイルショックとそうした手軽さで喫茶店の経営が厳しくなる中、1980年にセルフサービスで安いドトールコーヒーが登場し、全国展開したことで、チェーンのカフェで割安なコーヒーを飲める時代が始まる。昭和後期に安さと手軽さを追求し、コーヒーは日常に浸透していった。再びおしゃれアイテムになったのは、スターバックスが1996年に日本へ上陸してから。「ラブコメの女王」と言われたメグ・ライアンとトム・ハンクスの名コンビの恋愛模様を描いた1998年の『ユー・ガット・メール』、2006年の『プラダを着た悪魔』など、ハリウッドの人気映画の主人公たちが、スタバのコーヒーを飲む場面がくり返し描かれ、ますますおしゃれイメージが強まった。『ユー・ガット・メール』は書店、『プラダを着た悪魔』はファッション誌編集部が舞台で、やはりコーヒーは文化と結びついている。2000年代はスタバのあるなしで、町の文化度を測る人々も多かった。スタバは、コーヒー豆も販売する。同じ時代にチェーン展開が広がったカルディーコーヒーファームも、コーヒーが看板商品である。平成は、レギュラーコーヒーを家で気軽に飲めるようになった時代なのだ。Photo by iStock そして2015年、日本の喫茶店のこだわりコーヒーの文化を採り入れたブルーボトルコーヒーが上陸し、サード・ウェーブと呼ばれるブームが広がっていく。コーヒーは気軽に手に入る飲料になったし、おしゃれアイテムにもなったのである。ざっと日本のコーヒー発展史だけを紹介したが、世界に視野を広げればダークサイドを含めた経済と政治、文化が三つ巴になったドラマチックな歴史もある。そうした歴史のロマンを背負っていることも、コーヒーを魅力的にしているのだろう。二つ目の理由は、くり返されるブームの中で、産地や焙煎の仕方、淹れ方などで味や香りが大きく変わる奥深さに目覚めた人が多くなったから。スタバやカルディーコーヒーファームその他、郊外の中核駅周辺には必ずといっていいほど、何らかのこだわりコーヒーが手に入る店が存在する。首都圏には、1999年から展開するコーヒー豆専門店「やなか珈琲店」もある。もちろんドトールでもコーヒーを買えるし、スーパーでもさまざまなブランドのコーヒーが並ぶ。こうした「おいしさ」を売りにするコーヒーの入手しやすさも、流行の要因となっている。コーヒー文化圏に移行した日本人三つ目の理由は、情報が格段に増えたこと。1990年代後半にインターネット時代が始まり、趣味人たちが自分のこだわりを発信しやすくなる。2010年代にSNSが広がると仲間も見つけやすくなる。仲間やファンができると、ますます研究に力が入る。周りにコーヒー好きが集まることで、「誰でもコーヒーは好き」と思い込んでしまうかもしれない。四つ目の理由は、メディアなどで描かれるイメージだ。映画やドラマ、漫画などでは最近、「コーヒーを飲んでホッとする」場面がひんぱんに描かれる。インテリアや暮らしぶりが憧れの対象となって久しい北欧もコーヒー文化圏で、一息入れるデンマーク語の「ヒュッゲ」タイムも、コーヒーを淹れる前提で紹介されている。アジアを描けばお茶が登場し、イギリスを描けば紅茶が登場することもあるのだが、それでも情報が氾濫するコーヒーに、押されっぱなし。日本では、例えば人気ドラマの『相棒』(テレビ朝日系)の主人公、水谷豊演じる杉下右京は紅茶党だが、その設定は「こだわりの強い人」だ。Photo by iStock 紅茶となると、そうした難しそうな描かれ方になり、日本茶は「おばあちゃんが縁側で」というノスタルジーの対象になり勝ち、といった描き方の違いもあるのだろうか。紅茶と言えば、ヌン活と呼ばれるアフタヌーンティーもブームになっているが、盛り上がり過ぎて、すでに紅茶から離れてパーティ料理を楽しむ場となってしまっている。そもそも、提供者側が紅茶を軽視しているように見受けられる店もある。日本茶については、家に急須もない、ティーバッグでしか飲まない、それどころかペットボトルで済ませるといった人が珍しくなくなり、文化として衰退しつつある。番茶が淹れ方にコツがいる煎茶に入れ替わった時点で、その衰退は予知しておくべきだったが……。逆にコーヒーについては、コーヒードリッパーを持っていて家でレギュラーコーヒーをわざわざ淹れて飲む人、コーヒーミルでその都度挽いて飲むこだわりの人が珍しくなくなった。もはや日本は、お茶文化圏というよりコーヒー文化圏なのだ。もてなしの場面で当たり前の行為としてコーヒーを出す、となっても仕方がないのだろう。しかし、何がポピュラーになるにせよ、嗜好飲料は飲みたい人飲みたくない人、飲める人飲めない人が存在する。食べ物のアレルギーや宗教的な禁忌を気にすることは、一般的になりつつあるが、飲料に関しては、アルコール以外はまだそれほど気にされていないのではないか。新生活を始める人が多い今こそ、改めて飲むか飲まないかを確認する文化を育てていくべきではないだろうか。
もちろん、地方でもコーヒーを看板にするチェーン店、こだわりの自家焙煎珈琲を出すカフェ・喫茶店、コーヒー豆専門店は多い。ただ、地方に行くと、産地であることもあってよく日本茶を飲む静岡県、外国文化がいち早く入った歴史が長い神戸市を筆頭に、関西地方は紅茶を好む人が多い、ウコン入りのウッチン茶がペットボトルでも売られる沖縄県など、コーヒー以外の嗜好飲料も人気の地域が存在する。
しかし、東京ではコーヒーが何度も流行したからか、最近はすっかりコーヒーが人をもてなす際に出す定番の飲料になってきた。訪問先で、急須で淹れた日本茶が出された時代は遠い昔。そしてコーヒー豆を販売する店に事欠かなくなったせいか、この10年ほどでコーヒーをギフトでいただく機会が増えた。
人をもてなす際、コーヒーを出す場面は確かに多くなったが、誰もがコーヒーを飲むわけではない。宗教上の理由や体質、好みの問題で飲めない人も、けっこういるのではないだろうか。
私はこれまで何人もコーヒーを飲めない人に出会ってきたし、私自身も子どもの頃からお茶党で、日本茶・紅茶・中国茶をよく飲むためか、もともと後味が気になっていたコーヒーを飲むのがますますつらくなってきた。
なぜ、苦手な人がいる可能性を考慮しない人が、これほど多くなったのだろうか?
新生活を始めた人が多い今だからこそ、改めてコーヒーがデフォルトになった理由を考えてみたい。
一つは、幕末・明治の開港期以来、コーヒーはその苦さも含めて文明や文化度の高さの象徴だったことだ。コーヒーの日本史をおさらいしてみよう。
明治末期、パリのカフェのように芸術家が集える店を、と開業した銀座のカフェープランタンや、青鞜のメンバーが集った新橋のパウリスタが登場。大正時代になると、ミルクホールを含めてカフェブームが起こり、大和和紀の人気漫画『はいからさんが通る』(講談社)でも、主人公の紅緒と婚約者の忍がデートする場面でミルクホールが登場する。
自分の欲望に素直な紅緒はアイスクリームを注文するが、ドイツ人とのハーフの華族で運命に従おうと考える忍は、コーヒーを注文する。それは、忍のかっこよさを強調する注文でもあった。
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戦後から高度経済成長期にかけても、喫茶店を中心にコーヒーのブームが起こる。ジャズ喫茶、歌声喫茶などのテーマを持った店もあれば、アルコールを出さない純喫茶もあった。その頃、差別化を求めてナポリタンやサンドイッチ、カレーなどの食事メニューを充実させる店が増えた。
21世紀になってくり返し起こる昭和の喫茶店ブームのときに、注目されるのがこの形をとどめた喫茶店だ。1960年代後半には、大衆化し始めた大学生たちが喫茶店に集い、コーヒーを片手に仲間と熱く議論を交わし、恋人とデートするようになる。
コーヒー専門店が登場したのもこの頃。『喫茶店と日本人』(赤土亮二、旭屋出版)によれば、店の多数派はサイフォン立てでドリップコーヒーは少数派だった。一方で、1960年の森永製菓の商品を皮切りに、インスタントコーヒーが人気になる。1969年にはUCCが缶入りミルクコーヒーを発売し、カフェ・喫茶店に行かなくても気軽にコーヒーが飲める時代に突入した。オイルショックとそうした手軽さで喫茶店の経営が厳しくなる中、1980年にセルフサービスで安いドトールコーヒーが登場し、全国展開したことで、チェーンのカフェで割安なコーヒーを飲める時代が始まる。昭和後期に安さと手軽さを追求し、コーヒーは日常に浸透していった。再びおしゃれアイテムになったのは、スターバックスが1996年に日本へ上陸してから。「ラブコメの女王」と言われたメグ・ライアンとトム・ハンクスの名コンビの恋愛模様を描いた1998年の『ユー・ガット・メール』、2006年の『プラダを着た悪魔』など、ハリウッドの人気映画の主人公たちが、スタバのコーヒーを飲む場面がくり返し描かれ、ますますおしゃれイメージが強まった。『ユー・ガット・メール』は書店、『プラダを着た悪魔』はファッション誌編集部が舞台で、やはりコーヒーは文化と結びついている。2000年代はスタバのあるなしで、町の文化度を測る人々も多かった。スタバは、コーヒー豆も販売する。同じ時代にチェーン展開が広がったカルディーコーヒーファームも、コーヒーが看板商品である。平成は、レギュラーコーヒーを家で気軽に飲めるようになった時代なのだ。Photo by iStock そして2015年、日本の喫茶店のこだわりコーヒーの文化を採り入れたブルーボトルコーヒーが上陸し、サード・ウェーブと呼ばれるブームが広がっていく。コーヒーは気軽に手に入る飲料になったし、おしゃれアイテムにもなったのである。ざっと日本のコーヒー発展史だけを紹介したが、世界に視野を広げればダークサイドを含めた経済と政治、文化が三つ巴になったドラマチックな歴史もある。そうした歴史のロマンを背負っていることも、コーヒーを魅力的にしているのだろう。二つ目の理由は、くり返されるブームの中で、産地や焙煎の仕方、淹れ方などで味や香りが大きく変わる奥深さに目覚めた人が多くなったから。スタバやカルディーコーヒーファームその他、郊外の中核駅周辺には必ずといっていいほど、何らかのこだわりコーヒーが手に入る店が存在する。首都圏には、1999年から展開するコーヒー豆専門店「やなか珈琲店」もある。もちろんドトールでもコーヒーを買えるし、スーパーでもさまざまなブランドのコーヒーが並ぶ。こうした「おいしさ」を売りにするコーヒーの入手しやすさも、流行の要因となっている。コーヒー文化圏に移行した日本人三つ目の理由は、情報が格段に増えたこと。1990年代後半にインターネット時代が始まり、趣味人たちが自分のこだわりを発信しやすくなる。2010年代にSNSが広がると仲間も見つけやすくなる。仲間やファンができると、ますます研究に力が入る。周りにコーヒー好きが集まることで、「誰でもコーヒーは好き」と思い込んでしまうかもしれない。四つ目の理由は、メディアなどで描かれるイメージだ。映画やドラマ、漫画などでは最近、「コーヒーを飲んでホッとする」場面がひんぱんに描かれる。インテリアや暮らしぶりが憧れの対象となって久しい北欧もコーヒー文化圏で、一息入れるデンマーク語の「ヒュッゲ」タイムも、コーヒーを淹れる前提で紹介されている。アジアを描けばお茶が登場し、イギリスを描けば紅茶が登場することもあるのだが、それでも情報が氾濫するコーヒーに、押されっぱなし。日本では、例えば人気ドラマの『相棒』(テレビ朝日系)の主人公、水谷豊演じる杉下右京は紅茶党だが、その設定は「こだわりの強い人」だ。Photo by iStock 紅茶となると、そうした難しそうな描かれ方になり、日本茶は「おばあちゃんが縁側で」というノスタルジーの対象になり勝ち、といった描き方の違いもあるのだろうか。紅茶と言えば、ヌン活と呼ばれるアフタヌーンティーもブームになっているが、盛り上がり過ぎて、すでに紅茶から離れてパーティ料理を楽しむ場となってしまっている。そもそも、提供者側が紅茶を軽視しているように見受けられる店もある。日本茶については、家に急須もない、ティーバッグでしか飲まない、それどころかペットボトルで済ませるといった人が珍しくなくなり、文化として衰退しつつある。番茶が淹れ方にコツがいる煎茶に入れ替わった時点で、その衰退は予知しておくべきだったが……。逆にコーヒーについては、コーヒードリッパーを持っていて家でレギュラーコーヒーをわざわざ淹れて飲む人、コーヒーミルでその都度挽いて飲むこだわりの人が珍しくなくなった。もはや日本は、お茶文化圏というよりコーヒー文化圏なのだ。もてなしの場面で当たり前の行為としてコーヒーを出す、となっても仕方がないのだろう。しかし、何がポピュラーになるにせよ、嗜好飲料は飲みたい人飲みたくない人、飲める人飲めない人が存在する。食べ物のアレルギーや宗教的な禁忌を気にすることは、一般的になりつつあるが、飲料に関しては、アルコール以外はまだそれほど気にされていないのではないか。新生活を始める人が多い今こそ、改めて飲むか飲まないかを確認する文化を育てていくべきではないだろうか。
コーヒー専門店が登場したのもこの頃。『喫茶店と日本人』(赤土亮二、旭屋出版)によれば、店の多数派はサイフォン立てでドリップコーヒーは少数派だった。一方で、1960年の森永製菓の商品を皮切りに、インスタントコーヒーが人気になる。1969年にはUCCが缶入りミルクコーヒーを発売し、カフェ・喫茶店に行かなくても気軽にコーヒーが飲める時代に突入した。
オイルショックとそうした手軽さで喫茶店の経営が厳しくなる中、1980年にセルフサービスで安いドトールコーヒーが登場し、全国展開したことで、チェーンのカフェで割安なコーヒーを飲める時代が始まる。昭和後期に安さと手軽さを追求し、コーヒーは日常に浸透していった。
再びおしゃれアイテムになったのは、スターバックスが1996年に日本へ上陸してから。「ラブコメの女王」と言われたメグ・ライアンとトム・ハンクスの名コンビの恋愛模様を描いた1998年の『ユー・ガット・メール』、2006年の『プラダを着た悪魔』など、ハリウッドの人気映画の主人公たちが、スタバのコーヒーを飲む場面がくり返し描かれ、ますますおしゃれイメージが強まった。
『ユー・ガット・メール』は書店、『プラダを着た悪魔』はファッション誌編集部が舞台で、やはりコーヒーは文化と結びついている。2000年代はスタバのあるなしで、町の文化度を測る人々も多かった。スタバは、コーヒー豆も販売する。同じ時代にチェーン展開が広がったカルディーコーヒーファームも、コーヒーが看板商品である。平成は、レギュラーコーヒーを家で気軽に飲めるようになった時代なのだ。
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そして2015年、日本の喫茶店のこだわりコーヒーの文化を採り入れたブルーボトルコーヒーが上陸し、サード・ウェーブと呼ばれるブームが広がっていく。コーヒーは気軽に手に入る飲料になったし、おしゃれアイテムにもなったのである。ざっと日本のコーヒー発展史だけを紹介したが、世界に視野を広げればダークサイドを含めた経済と政治、文化が三つ巴になったドラマチックな歴史もある。そうした歴史のロマンを背負っていることも、コーヒーを魅力的にしているのだろう。二つ目の理由は、くり返されるブームの中で、産地や焙煎の仕方、淹れ方などで味や香りが大きく変わる奥深さに目覚めた人が多くなったから。スタバやカルディーコーヒーファームその他、郊外の中核駅周辺には必ずといっていいほど、何らかのこだわりコーヒーが手に入る店が存在する。首都圏には、1999年から展開するコーヒー豆専門店「やなか珈琲店」もある。もちろんドトールでもコーヒーを買えるし、スーパーでもさまざまなブランドのコーヒーが並ぶ。こうした「おいしさ」を売りにするコーヒーの入手しやすさも、流行の要因となっている。コーヒー文化圏に移行した日本人三つ目の理由は、情報が格段に増えたこと。1990年代後半にインターネット時代が始まり、趣味人たちが自分のこだわりを発信しやすくなる。2010年代にSNSが広がると仲間も見つけやすくなる。仲間やファンができると、ますます研究に力が入る。周りにコーヒー好きが集まることで、「誰でもコーヒーは好き」と思い込んでしまうかもしれない。四つ目の理由は、メディアなどで描かれるイメージだ。映画やドラマ、漫画などでは最近、「コーヒーを飲んでホッとする」場面がひんぱんに描かれる。インテリアや暮らしぶりが憧れの対象となって久しい北欧もコーヒー文化圏で、一息入れるデンマーク語の「ヒュッゲ」タイムも、コーヒーを淹れる前提で紹介されている。アジアを描けばお茶が登場し、イギリスを描けば紅茶が登場することもあるのだが、それでも情報が氾濫するコーヒーに、押されっぱなし。日本では、例えば人気ドラマの『相棒』(テレビ朝日系)の主人公、水谷豊演じる杉下右京は紅茶党だが、その設定は「こだわりの強い人」だ。Photo by iStock 紅茶となると、そうした難しそうな描かれ方になり、日本茶は「おばあちゃんが縁側で」というノスタルジーの対象になり勝ち、といった描き方の違いもあるのだろうか。紅茶と言えば、ヌン活と呼ばれるアフタヌーンティーもブームになっているが、盛り上がり過ぎて、すでに紅茶から離れてパーティ料理を楽しむ場となってしまっている。そもそも、提供者側が紅茶を軽視しているように見受けられる店もある。日本茶については、家に急須もない、ティーバッグでしか飲まない、それどころかペットボトルで済ませるといった人が珍しくなくなり、文化として衰退しつつある。番茶が淹れ方にコツがいる煎茶に入れ替わった時点で、その衰退は予知しておくべきだったが……。逆にコーヒーについては、コーヒードリッパーを持っていて家でレギュラーコーヒーをわざわざ淹れて飲む人、コーヒーミルでその都度挽いて飲むこだわりの人が珍しくなくなった。もはや日本は、お茶文化圏というよりコーヒー文化圏なのだ。もてなしの場面で当たり前の行為としてコーヒーを出す、となっても仕方がないのだろう。しかし、何がポピュラーになるにせよ、嗜好飲料は飲みたい人飲みたくない人、飲める人飲めない人が存在する。食べ物のアレルギーや宗教的な禁忌を気にすることは、一般的になりつつあるが、飲料に関しては、アルコール以外はまだそれほど気にされていないのではないか。新生活を始める人が多い今こそ、改めて飲むか飲まないかを確認する文化を育てていくべきではないだろうか。
そして2015年、日本の喫茶店のこだわりコーヒーの文化を採り入れたブルーボトルコーヒーが上陸し、サード・ウェーブと呼ばれるブームが広がっていく。コーヒーは気軽に手に入る飲料になったし、おしゃれアイテムにもなったのである。
ざっと日本のコーヒー発展史だけを紹介したが、世界に視野を広げればダークサイドを含めた経済と政治、文化が三つ巴になったドラマチックな歴史もある。そうした歴史のロマンを背負っていることも、コーヒーを魅力的にしているのだろう。
二つ目の理由は、くり返されるブームの中で、産地や焙煎の仕方、淹れ方などで味や香りが大きく変わる奥深さに目覚めた人が多くなったから。スタバやカルディーコーヒーファームその他、郊外の中核駅周辺には必ずといっていいほど、何らかのこだわりコーヒーが手に入る店が存在する。
首都圏には、1999年から展開するコーヒー豆専門店「やなか珈琲店」もある。もちろんドトールでもコーヒーを買えるし、スーパーでもさまざまなブランドのコーヒーが並ぶ。こうした「おいしさ」を売りにするコーヒーの入手しやすさも、流行の要因となっている。
三つ目の理由は、情報が格段に増えたこと。1990年代後半にインターネット時代が始まり、趣味人たちが自分のこだわりを発信しやすくなる。2010年代にSNSが広がると仲間も見つけやすくなる。仲間やファンができると、ますます研究に力が入る。周りにコーヒー好きが集まることで、「誰でもコーヒーは好き」と思い込んでしまうかもしれない。
四つ目の理由は、メディアなどで描かれるイメージだ。映画やドラマ、漫画などでは最近、「コーヒーを飲んでホッとする」場面がひんぱんに描かれる。インテリアや暮らしぶりが憧れの対象となって久しい北欧もコーヒー文化圏で、一息入れるデンマーク語の「ヒュッゲ」タイムも、コーヒーを淹れる前提で紹介されている。
アジアを描けばお茶が登場し、イギリスを描けば紅茶が登場することもあるのだが、それでも情報が氾濫するコーヒーに、押されっぱなし。日本では、例えば人気ドラマの『相棒』(テレビ朝日系)の主人公、水谷豊演じる杉下右京は紅茶党だが、その設定は「こだわりの強い人」だ。
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紅茶となると、そうした難しそうな描かれ方になり、日本茶は「おばあちゃんが縁側で」というノスタルジーの対象になり勝ち、といった描き方の違いもあるのだろうか。紅茶と言えば、ヌン活と呼ばれるアフタヌーンティーもブームになっているが、盛り上がり過ぎて、すでに紅茶から離れてパーティ料理を楽しむ場となってしまっている。そもそも、提供者側が紅茶を軽視しているように見受けられる店もある。日本茶については、家に急須もない、ティーバッグでしか飲まない、それどころかペットボトルで済ませるといった人が珍しくなくなり、文化として衰退しつつある。番茶が淹れ方にコツがいる煎茶に入れ替わった時点で、その衰退は予知しておくべきだったが……。逆にコーヒーについては、コーヒードリッパーを持っていて家でレギュラーコーヒーをわざわざ淹れて飲む人、コーヒーミルでその都度挽いて飲むこだわりの人が珍しくなくなった。もはや日本は、お茶文化圏というよりコーヒー文化圏なのだ。もてなしの場面で当たり前の行為としてコーヒーを出す、となっても仕方がないのだろう。しかし、何がポピュラーになるにせよ、嗜好飲料は飲みたい人飲みたくない人、飲める人飲めない人が存在する。食べ物のアレルギーや宗教的な禁忌を気にすることは、一般的になりつつあるが、飲料に関しては、アルコール以外はまだそれほど気にされていないのではないか。新生活を始める人が多い今こそ、改めて飲むか飲まないかを確認する文化を育てていくべきではないだろうか。
紅茶となると、そうした難しそうな描かれ方になり、日本茶は「おばあちゃんが縁側で」というノスタルジーの対象になり勝ち、といった描き方の違いもあるのだろうか。
紅茶と言えば、ヌン活と呼ばれるアフタヌーンティーもブームになっているが、盛り上がり過ぎて、すでに紅茶から離れてパーティ料理を楽しむ場となってしまっている。
そもそも、提供者側が紅茶を軽視しているように見受けられる店もある。日本茶については、家に急須もない、ティーバッグでしか飲まない、それどころかペットボトルで済ませるといった人が珍しくなくなり、文化として衰退しつつある。番茶が淹れ方にコツがいる煎茶に入れ替わった時点で、その衰退は予知しておくべきだったが……。
逆にコーヒーについては、コーヒードリッパーを持っていて家でレギュラーコーヒーをわざわざ淹れて飲む人、コーヒーミルでその都度挽いて飲むこだわりの人が珍しくなくなった。もはや日本は、お茶文化圏というよりコーヒー文化圏なのだ。もてなしの場面で当たり前の行為としてコーヒーを出す、となっても仕方がないのだろう。
しかし、何がポピュラーになるにせよ、嗜好飲料は飲みたい人飲みたくない人、飲める人飲めない人が存在する。食べ物のアレルギーや宗教的な禁忌を気にすることは、一般的になりつつあるが、飲料に関しては、アルコール以外はまだそれほど気にされていないのではないか。
新生活を始める人が多い今こそ、改めて飲むか飲まないかを確認する文化を育てていくべきではないだろうか。