《横浜乳幼児医療過誤死》「顔じゅうの穴から血が出ていました…」致死率0.01%の検査で愛娘を失った父母が選んだ病院との「11年戦争」 から続く
「これから起きるすべての医療事故が、ミトコンドリア異常症にこじつけられてしまう可能性もあるのではないかと危機感を抱きました。それ以上に、なぜ莉奈が亡くなったのかをはっきりさせたかったですし、明らかに容態が悪かった莉奈を放置し続けた病院の体質を問いたいという思いで、提訴に踏み切りました」
【画像】朋美さんが医師に宛てて書いた手紙
こう語るのは、2010年9月に済生会横浜市東部病院で長女の莉奈ちゃんを失った中島邦彰さん・朋美さん(ともに仮名)夫妻だ。莉奈ちゃんは亡くなる直前に、この病院で肝臓の組織を採取する「肝生検」という検査を受けていた。
警察による司法解剖で判明した死因は「肝生検に起因する出血死」。しかし病院や検査を担当した医師は、莉奈ちゃんの死因は世界でも極めて稀な疾患である「ミトコンドリアDNA枯渇症候群」だと主張。肝生検時の過失によるものではないとして、医療過誤を認めなかった。
中島さん夫妻が病院側を相手取って起こした民事裁判は、今年3月に両親側の勝訴に近い和解という形で幕を閉じた。しかしその道のりは、決して平坦なものではなかった。(全2回中の前編を読む)
※インタビューでは中島さん夫妻は病院名を明かしていないが、裁判に関する報道や文春オンラインによる調査等によって済生会横浜市東部病院であることが明らかとなっているため、本記事では病院名を掲載することとした。
夫の邦彰さん(仮名)とともにインタビューを受ける朋美さん(仮名)
◆◆◆
莉奈ちゃんが亡くなった翌年の2011年、中島さん夫妻はカルテなどの資料を集めつつ、弁護士への相談を始めた。そこで夫妻は、医療という専門性の高い分野ならではの壁に突き当たる。
「最初に伺った弁護士さんには『実際に肝臓をスライスしてみないとわからない』と、肝臓が残っていない以上どうしようもないという言い方をされました。次に相談した先は親身になって話を聞いてくれたのですが、協力を頼んだ医師があの病院と関係のある方で……医療の世界は狭いんだなと思いました」(朋美さん)
医療過誤の裁判では、患者側の立証のハードルが高く設定されてしまうことが多い。莉奈ちゃんのケースでは、出血死であることを証明するだけではなく、ミトコンドリアDNA枯渇症候群が死因だったという病院側の主張も崩す必要があった。難病にまつわる訴訟を扱うことを避けようとする弁護士も多く、最終的に中島さん夫妻が現在の代理人弁護士へとたどり着いたのは2013年のことだった。
代理人弁護士はまず、莉奈ちゃんが肝生検を受けた際の電子カルテに目をつけた。医師のカルテには穿刺回数が5回と書かれているのに看護師のカルテには6回分記録されていること、処置の時刻がはっきりしない点などに違和感を覚えたという。
「欠けている資料もあったので、まずは証拠を確保するための証拠保全を横浜地裁に申請しました。裁判官と一緒に病院へ行って電子カルテを確認すると、まだ莉奈ちゃんが生きていた時刻に入力されたことになっているカルテに、莉奈ちゃんが亡くなったことが時刻入りで記載されていたんです。後々の検証で、この病院の当時の電子カルテシステムは、表面的には更新履歴を残さずに書き換えることが可能だったとわかりました」(代理人弁護士)
弁護士からの報告を受け、「やっぱりなと思いました」と朋美さんは語る。
「莉奈が亡くなった直後の説明では穿刺回数は4回と言っていたのに、司法解剖で5~6回と判明したときから、回数が多いと病院側にとって何か不都合があるんじゃないかと思っていました。なので、編集が可能だったと聞いても驚きませんでした」
並行して、警察による医療過誤の捜査も進められた。この頃までには、病院側の資料や警察からの報告により、莉奈ちゃんの穿刺はまず若く経験の浅い研修医のD医師が行なったが上手くいかず、途中でベテランの医師に交代したことが判明していた。検査前に受けた「ベテランの医師が行う」という説明からはかけ離れた実態だった。
莉奈ちゃんの術後管理を担当していた元研修医のB医師への事情聴取が行なわれる際、朋美さんはB医師に宛てた手紙を書いた。
《目の前で苦しそうにしている莉奈に親として大したこともしてあげられず、はがゆい思いでしたが、私たち素人には分からなくても、医師に分かることがあると思い、〇〇医師の言葉に重みを感じ、託すことしかできませんでした》《どうか警察とのお話においては、全て正直にお話していただきたいです。(略)これからの日本の医療、亡くなった莉奈のためにも、どうかありのままをお話していただきたいです》 しかし、B医師からの返事はなく、病院側や医師たちの「莉奈ちゃんの死因はミトコンドリアDNA枯渇症候群であり、肝生検での過失はない」という言い分は変わらないままだった。「莉奈ちゃんの死因が“肝生検に起因する出血死”であったとの裏付けを進めた上で、2016年に病院に対して損害賠償請求の通知を行いました。鑑定意見書を作成していただいた医師は、病院側に過失を認めて謝罪するように促す書簡まで書いてくださったのです。しかしそれでも、病院側の代理人からは『当院医療従事者の診療に不適切なところはないと考えています』と記した紙が1枚、送り返されてきただけでした」(代理人弁護士)病院側は「出血の所見がなかった」と主張 2017年10月、中島さん夫妻は、ついに提訴に踏み切った。莉奈ちゃんの死から約7年後のことだった。「ギリギリまで話し合いで解決を図りたいと思っていましたが、協力医の先生の書簡まで無視されたのが本当にショックで、もう裁判を起こすしかないなと思いました。提訴する以上、とにかく何が起こったのかをはっきりさせてほしいという一心でした」(邦彰さん) 裁判で最大の争点となったのは、莉奈ちゃんの死因だった。原告側は協力医の意見書など、出血死であったことを裏付けるための材料を揃えたものの、病院側は「莉奈ちゃんの容態が悪化した際に行なったエコー検査では、出血の所見がなかった」と主張。議論は平行線をたどった。「肝心のエコー写真は最後まで提出されませんでした。警察が意見を聞いたお医者さんも明らかに出血死だと言う人が大半だったけれど、相手が大きい病院ということもあって、自分の名前を出す必要がある意見書は書けないと言われた、とも聞きました。医者の世界にますます不信感を抱くようになりました」(邦彰さん)『真実を語りたいとずっと悩んできた』E医師が陳述書を提出 ところが、2017年12月に代理人弁護士のもとへ一通のメールが届いたことから事態は一変する。メールの差出人は、莉奈ちゃんが亡くなった当時、済生会横浜市東部病院で勤務していたE医師。病院側が出血は確認できなかったとするエコー検査の約1時間後から、莉奈ちゃんの救命処置に加わっていた人物だった。「裁判についての新聞記事を見て、つてをたどって連絡してきたそうです。莉奈ちゃんの救命方針を決めるためにエコー検査をし、その際に大量の出血を確認したというお話でした」(代理人弁護士) 後に裁判の場でE医師が提出した陳述書にはこう記載されている。《私が行ったエコーでは、肝被膜下と腹腔内に、大量の血液貯留を示唆する画像が確認できた(略)その前の急変時のエコーでそれが確認できないはずはないだろうと思ったのです》《私の実施したエコーに先立つ午後4時過ぎのレントゲン写真も確認しました。このレントゲン写真にも肝臓右葉から下縁にかけてくっきりと映っていないという所見があり、それは腹腔内の液体貯留を示唆するものですが、本件の場合、この液体は血液であると見て間違いありません》 中島さん夫妻はE医師から弁護士経由で、手紙も受け取ったという。「『医師として志があるので、真実を語りたいとずっと悩んできた』と書かれていました。病院内でも、莉奈ちゃんの死因は出血死だと訴えてくださっていたそうです。しかし、ミトコンドリア異常症という専門外の難病の名前が出てきたことで、何も言えなくなってしまったということでした。 出血の所見がないという病院側の主張を崩せずにいた中で、エコーを撮って出血を認めた先生からの申し出があったのは心強かったですし、涙が出るほど嬉しかったです」(朋美さん)中島さん夫妻にとって予想外の出来事が しかし、E医師が撮影し、印刷したはずのエコー写真は、病院内で保存されていなかった。さらに病院側は、裁判時には別の病院へと移っていたE医師の説明内容を「信用できない」などと一蹴。言い分を変えることはなかった。「2018年1月に遺族として意見陳述したときのことは忘れられません。娘の大切さや真相究明への強い思いを5分間にわたって話し、法廷もシーンとして聞き入ってくれていたのですが、陳述が終わって私が座るよりも先に、相手の代理人が挙手もなく立ち上がって『結局解剖の写真は持ってるんですか』と言い放ったんです。生々しい話をぶつけてくる挑発的な姿勢がショックで、今でも鮮明に覚えています」(朋美さん) 民事裁判での対立が続く中、刑事手続の方では、2019年11月に肝生検を行なったC医師と術後管理にあたった元研修医のB医師が書類送検された。すると同年12月、中島さん夫妻にとってまたも予想外の出来事が起こる。 B医師が中島さん夫妻への謝罪を申し入れてきたのだ。上級医に逆らうことができなかった B医師の後悔の念「正直、謝罪を受けるかどうかはかなり躊躇しました。手紙を送ってから5年以上も無視されていたのに、書類送検された途端に謝罪だなんて、罪を軽くしたいだけなんだろうと思いましたし、会いたくない気持ちも大きかったです。 でも、民事裁判でも本当のことを言うし、全面協力すると言われて……陳述書はもちろん、法廷に証人尋問で立つ覚悟もしていると。それを聞いて、少しでも裁判が前に進むならという思いで受け入れることにしました」(朋美さん) 設けられた謝罪の場で、B医師は真っ青な顔で頭を下げた。中島さん夫妻はB医師から、当時のありのままの経緯が記された手紙も受け取ったという。「莉奈の様子が回復しないことに焦って、血液検査ぐらいはと上級医に進言していたそうです。でも腹帯を緩めろと言われただけで、様子見の指示は変わらず、研修医の立場でそれ以上判断できる環境ではなかったと。警察からの事情聴取の際も病院側から口止めされ、謝罪も弁護士から止められていたという話でした。本人も苦しんでいたのは伝わりました」(邦彰さん) B医師の手紙には、後悔の念も綴られている。《何かおかしいのではないかとずっと不安でした。本当に経過観察で良いのか、出血の可能性はないのかとも考えました。教科書を開き、感染症や肝不全などの全く的外れな可能性も考えていました。(略)自分の判断に自信がなくて、××先生にさからうのが怖くて、自分で行動できませんでした》《たとえ上級医から経過観察の指示を受けていたとしても、おかしいと思っていたのに、あのとき目の前の自分が判断し行動すれば助かっていたかもしれないのに、何もできず、自分のせいで莉奈様を助けられなかったと思いながらずっと生きてきました。(略)恐怖に押しつぶされ、人として正常な思考ができなくなっていました》横浜地裁は病院側の有責を前提とした和解を勧告 以後、民事裁判では、B医師、E医師による陳述書のほか、司法解剖を実施した医師を含む多数の専門医からの協力が得られ、何通もの鑑定意見書が提出されることとなった。中でもミトコンドリアDNA枯渇症候群については、国内でも第一人者とされる医師からの協力を得ることができたと言う。「遺伝子検査などの結果や精密な分析を踏まえて「可能性は極めて低い」との鑑定意見書が作成されました。典型的な出血死の事案なのに、それをミトコンドリアDNA枯渇症候群に結び付けて責任を否定しようとする病院側の主張に憤りを感じて協力してくださったそうです」(代理人弁護士) 病院側はなおも死因がミトコンドリアDNA枯渇症候群であると主張し続けたが、2021年12月、横浜地裁は「肝生検に起因する出血死であるとの心証を固めた」として、病院側の有責を前提とした和解を勧告した。病院側は最後まで主張を一切曲げず「和解交渉が始まった当初は『すべて公表しないように』という条件を出されました。でも私たちは莉奈の死を無駄にしたくないという思いで裁判を始めたので、事実を隠さないといけないのなら意味がありません。公表することは譲れないと言いました。 そのあとも病院側は、診療行為を非公表にするなど様々な細かい条件を提示してきました。でも『肝生検』という言葉を出せなければ何も伝えられないので、金銭的条件については譲歩しても構わないと代理人に伝え、粘り強く交渉を進めてもらいました」(朋美さん) 最終的には、最初の記者会見でのみすべて公表し、その後は病院名、医師名、診療科名については公表しないという条件で和解が成立した。提訴時の請求額に近い和解金を勝ち取ったものの、ついに病院からの謝罪はなく、中島さん夫妻にとってはぎりぎりまで悩んだ末の結論だった。邦彰さんは記者会見で、その無念を「諦めの和解」という言葉で表現した。「病院側は最後まで主張を一切曲げませんでしたし、これからもその姿勢が変わることはないだろうなと。色んな嘘と言い訳で自分たちには非がないと11年以上も言い続けてきたわけですし、この病院では再発防止も期待できないと思っています」(邦彰さん)『真実を知りたい』当初からの目的は半分実現したが… 書類送検された2人の医師は、ともに2019年12月に不起訴処分となった。特に肝生検を担当したC医師については、検察審査会で不起訴不当の議決が出たにもかかわらず、2020年8月に再度の不起訴処分が下された。「その経緯も、検察が公訴時効ギリギリになるまで何年も送検を受理しようとせず、やっと受理したかと思えば約1ヶ月で不起訴を決め、不起訴不当となってからも再びたった1ヶ月あまりで不起訴としてしまったわけですから、思うところはたくさんあります。不起訴について説明を受けたときにも、警察が丁寧に調べた資料を、検察官がきちんと読んでいないことが丸わかりでした。 でも、たくさんの協力医の先生の手助けと、当事者の医師のうち一人から謝罪があったことで、『真実を知りたい』『本当の謝罪をしてほしい』という当初からの目的を半分実現できました。ずっと膠着状態が続くんじゃないかと思った日もありましたが、その時々で自分たちにできることをやってきた結果、ようやく一歩踏み出せるところまで来たのかなと」(朋美さん) 裁判を始めた日から、中島さん夫妻の思いは一貫して変わっていない。朋美さんは今後について、「まずは莉奈の事故のことを知ってもらえるように動いていきたい」と語る。「子を失った親としては、事故のこともその後の病院の対応もすべて悲惨な悪夢のような出来事で、詳細に思い出すのは今でも本当に辛いです。でも、医療知識のある者が、知識がない患者を煙に巻くことが許されていいはずがありません。莉奈に何が起きたのか知ってもらうことで、病院の隠蔽体質やパワハラ体質の改善につなげて、再発を防止できるような風土を作る一助としたい。それが莉奈の死を無駄にしないため、今の私たちにできることだと思っています」(「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班))

《目の前で苦しそうにしている莉奈に親として大したこともしてあげられず、はがゆい思いでしたが、私たち素人には分からなくても、医師に分かることがあると思い、〇〇医師の言葉に重みを感じ、託すことしかできませんでした》
《どうか警察とのお話においては、全て正直にお話していただきたいです。(略)これからの日本の医療、亡くなった莉奈のためにも、どうかありのままをお話していただきたいです》
しかし、B医師からの返事はなく、病院側や医師たちの「莉奈ちゃんの死因はミトコンドリアDNA枯渇症候群であり、肝生検での過失はない」という言い分は変わらないままだった。
「莉奈ちゃんの死因が“肝生検に起因する出血死”であったとの裏付けを進めた上で、2016年に病院に対して損害賠償請求の通知を行いました。鑑定意見書を作成していただいた医師は、病院側に過失を認めて謝罪するように促す書簡まで書いてくださったのです。しかしそれでも、病院側の代理人からは『当院医療従事者の診療に不適切なところはないと考えています』と記した紙が1枚、送り返されてきただけでした」(代理人弁護士)病院側は「出血の所見がなかった」と主張 2017年10月、中島さん夫妻は、ついに提訴に踏み切った。莉奈ちゃんの死から約7年後のことだった。「ギリギリまで話し合いで解決を図りたいと思っていましたが、協力医の先生の書簡まで無視されたのが本当にショックで、もう裁判を起こすしかないなと思いました。提訴する以上、とにかく何が起こったのかをはっきりさせてほしいという一心でした」(邦彰さん) 裁判で最大の争点となったのは、莉奈ちゃんの死因だった。原告側は協力医の意見書など、出血死であったことを裏付けるための材料を揃えたものの、病院側は「莉奈ちゃんの容態が悪化した際に行なったエコー検査では、出血の所見がなかった」と主張。議論は平行線をたどった。「肝心のエコー写真は最後まで提出されませんでした。警察が意見を聞いたお医者さんも明らかに出血死だと言う人が大半だったけれど、相手が大きい病院ということもあって、自分の名前を出す必要がある意見書は書けないと言われた、とも聞きました。医者の世界にますます不信感を抱くようになりました」(邦彰さん)『真実を語りたいとずっと悩んできた』E医師が陳述書を提出 ところが、2017年12月に代理人弁護士のもとへ一通のメールが届いたことから事態は一変する。メールの差出人は、莉奈ちゃんが亡くなった当時、済生会横浜市東部病院で勤務していたE医師。病院側が出血は確認できなかったとするエコー検査の約1時間後から、莉奈ちゃんの救命処置に加わっていた人物だった。「裁判についての新聞記事を見て、つてをたどって連絡してきたそうです。莉奈ちゃんの救命方針を決めるためにエコー検査をし、その際に大量の出血を確認したというお話でした」(代理人弁護士) 後に裁判の場でE医師が提出した陳述書にはこう記載されている。《私が行ったエコーでは、肝被膜下と腹腔内に、大量の血液貯留を示唆する画像が確認できた(略)その前の急変時のエコーでそれが確認できないはずはないだろうと思ったのです》《私の実施したエコーに先立つ午後4時過ぎのレントゲン写真も確認しました。このレントゲン写真にも肝臓右葉から下縁にかけてくっきりと映っていないという所見があり、それは腹腔内の液体貯留を示唆するものですが、本件の場合、この液体は血液であると見て間違いありません》 中島さん夫妻はE医師から弁護士経由で、手紙も受け取ったという。「『医師として志があるので、真実を語りたいとずっと悩んできた』と書かれていました。病院内でも、莉奈ちゃんの死因は出血死だと訴えてくださっていたそうです。しかし、ミトコンドリア異常症という専門外の難病の名前が出てきたことで、何も言えなくなってしまったということでした。 出血の所見がないという病院側の主張を崩せずにいた中で、エコーを撮って出血を認めた先生からの申し出があったのは心強かったですし、涙が出るほど嬉しかったです」(朋美さん)中島さん夫妻にとって予想外の出来事が しかし、E医師が撮影し、印刷したはずのエコー写真は、病院内で保存されていなかった。さらに病院側は、裁判時には別の病院へと移っていたE医師の説明内容を「信用できない」などと一蹴。言い分を変えることはなかった。「2018年1月に遺族として意見陳述したときのことは忘れられません。娘の大切さや真相究明への強い思いを5分間にわたって話し、法廷もシーンとして聞き入ってくれていたのですが、陳述が終わって私が座るよりも先に、相手の代理人が挙手もなく立ち上がって『結局解剖の写真は持ってるんですか』と言い放ったんです。生々しい話をぶつけてくる挑発的な姿勢がショックで、今でも鮮明に覚えています」(朋美さん) 民事裁判での対立が続く中、刑事手続の方では、2019年11月に肝生検を行なったC医師と術後管理にあたった元研修医のB医師が書類送検された。すると同年12月、中島さん夫妻にとってまたも予想外の出来事が起こる。 B医師が中島さん夫妻への謝罪を申し入れてきたのだ。上級医に逆らうことができなかった B医師の後悔の念「正直、謝罪を受けるかどうかはかなり躊躇しました。手紙を送ってから5年以上も無視されていたのに、書類送検された途端に謝罪だなんて、罪を軽くしたいだけなんだろうと思いましたし、会いたくない気持ちも大きかったです。 でも、民事裁判でも本当のことを言うし、全面協力すると言われて……陳述書はもちろん、法廷に証人尋問で立つ覚悟もしていると。それを聞いて、少しでも裁判が前に進むならという思いで受け入れることにしました」(朋美さん) 設けられた謝罪の場で、B医師は真っ青な顔で頭を下げた。中島さん夫妻はB医師から、当時のありのままの経緯が記された手紙も受け取ったという。「莉奈の様子が回復しないことに焦って、血液検査ぐらいはと上級医に進言していたそうです。でも腹帯を緩めろと言われただけで、様子見の指示は変わらず、研修医の立場でそれ以上判断できる環境ではなかったと。警察からの事情聴取の際も病院側から口止めされ、謝罪も弁護士から止められていたという話でした。本人も苦しんでいたのは伝わりました」(邦彰さん) B医師の手紙には、後悔の念も綴られている。《何かおかしいのではないかとずっと不安でした。本当に経過観察で良いのか、出血の可能性はないのかとも考えました。教科書を開き、感染症や肝不全などの全く的外れな可能性も考えていました。(略)自分の判断に自信がなくて、××先生にさからうのが怖くて、自分で行動できませんでした》《たとえ上級医から経過観察の指示を受けていたとしても、おかしいと思っていたのに、あのとき目の前の自分が判断し行動すれば助かっていたかもしれないのに、何もできず、自分のせいで莉奈様を助けられなかったと思いながらずっと生きてきました。(略)恐怖に押しつぶされ、人として正常な思考ができなくなっていました》横浜地裁は病院側の有責を前提とした和解を勧告 以後、民事裁判では、B医師、E医師による陳述書のほか、司法解剖を実施した医師を含む多数の専門医からの協力が得られ、何通もの鑑定意見書が提出されることとなった。中でもミトコンドリアDNA枯渇症候群については、国内でも第一人者とされる医師からの協力を得ることができたと言う。「遺伝子検査などの結果や精密な分析を踏まえて「可能性は極めて低い」との鑑定意見書が作成されました。典型的な出血死の事案なのに、それをミトコンドリアDNA枯渇症候群に結び付けて責任を否定しようとする病院側の主張に憤りを感じて協力してくださったそうです」(代理人弁護士) 病院側はなおも死因がミトコンドリアDNA枯渇症候群であると主張し続けたが、2021年12月、横浜地裁は「肝生検に起因する出血死であるとの心証を固めた」として、病院側の有責を前提とした和解を勧告した。病院側は最後まで主張を一切曲げず「和解交渉が始まった当初は『すべて公表しないように』という条件を出されました。でも私たちは莉奈の死を無駄にしたくないという思いで裁判を始めたので、事実を隠さないといけないのなら意味がありません。公表することは譲れないと言いました。 そのあとも病院側は、診療行為を非公表にするなど様々な細かい条件を提示してきました。でも『肝生検』という言葉を出せなければ何も伝えられないので、金銭的条件については譲歩しても構わないと代理人に伝え、粘り強く交渉を進めてもらいました」(朋美さん) 最終的には、最初の記者会見でのみすべて公表し、その後は病院名、医師名、診療科名については公表しないという条件で和解が成立した。提訴時の請求額に近い和解金を勝ち取ったものの、ついに病院からの謝罪はなく、中島さん夫妻にとってはぎりぎりまで悩んだ末の結論だった。邦彰さんは記者会見で、その無念を「諦めの和解」という言葉で表現した。「病院側は最後まで主張を一切曲げませんでしたし、これからもその姿勢が変わることはないだろうなと。色んな嘘と言い訳で自分たちには非がないと11年以上も言い続けてきたわけですし、この病院では再発防止も期待できないと思っています」(邦彰さん)『真実を知りたい』当初からの目的は半分実現したが… 書類送検された2人の医師は、ともに2019年12月に不起訴処分となった。特に肝生検を担当したC医師については、検察審査会で不起訴不当の議決が出たにもかかわらず、2020年8月に再度の不起訴処分が下された。「その経緯も、検察が公訴時効ギリギリになるまで何年も送検を受理しようとせず、やっと受理したかと思えば約1ヶ月で不起訴を決め、不起訴不当となってからも再びたった1ヶ月あまりで不起訴としてしまったわけですから、思うところはたくさんあります。不起訴について説明を受けたときにも、警察が丁寧に調べた資料を、検察官がきちんと読んでいないことが丸わかりでした。 でも、たくさんの協力医の先生の手助けと、当事者の医師のうち一人から謝罪があったことで、『真実を知りたい』『本当の謝罪をしてほしい』という当初からの目的を半分実現できました。ずっと膠着状態が続くんじゃないかと思った日もありましたが、その時々で自分たちにできることをやってきた結果、ようやく一歩踏み出せるところまで来たのかなと」(朋美さん) 裁判を始めた日から、中島さん夫妻の思いは一貫して変わっていない。朋美さんは今後について、「まずは莉奈の事故のことを知ってもらえるように動いていきたい」と語る。「子を失った親としては、事故のこともその後の病院の対応もすべて悲惨な悪夢のような出来事で、詳細に思い出すのは今でも本当に辛いです。でも、医療知識のある者が、知識がない患者を煙に巻くことが許されていいはずがありません。莉奈に何が起きたのか知ってもらうことで、病院の隠蔽体質やパワハラ体質の改善につなげて、再発を防止できるような風土を作る一助としたい。それが莉奈の死を無駄にしないため、今の私たちにできることだと思っています」(「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班))
「莉奈ちゃんの死因が“肝生検に起因する出血死”であったとの裏付けを進めた上で、2016年に病院に対して損害賠償請求の通知を行いました。鑑定意見書を作成していただいた医師は、病院側に過失を認めて謝罪するように促す書簡まで書いてくださったのです。しかしそれでも、病院側の代理人からは『当院医療従事者の診療に不適切なところはないと考えています』と記した紙が1枚、送り返されてきただけでした」(代理人弁護士)
2017年10月、中島さん夫妻は、ついに提訴に踏み切った。莉奈ちゃんの死から約7年後のことだった。
「ギリギリまで話し合いで解決を図りたいと思っていましたが、協力医の先生の書簡まで無視されたのが本当にショックで、もう裁判を起こすしかないなと思いました。提訴する以上、とにかく何が起こったのかをはっきりさせてほしいという一心でした」(邦彰さん)
裁判で最大の争点となったのは、莉奈ちゃんの死因だった。原告側は協力医の意見書など、出血死であったことを裏付けるための材料を揃えたものの、病院側は「莉奈ちゃんの容態が悪化した際に行なったエコー検査では、出血の所見がなかった」と主張。議論は平行線をたどった。
「肝心のエコー写真は最後まで提出されませんでした。警察が意見を聞いたお医者さんも明らかに出血死だと言う人が大半だったけれど、相手が大きい病院ということもあって、自分の名前を出す必要がある意見書は書けないと言われた、とも聞きました。医者の世界にますます不信感を抱くようになりました」(邦彰さん)
ところが、2017年12月に代理人弁護士のもとへ一通のメールが届いたことから事態は一変する。メールの差出人は、莉奈ちゃんが亡くなった当時、済生会横浜市東部病院で勤務していたE医師。病院側が出血は確認できなかったとするエコー検査の約1時間後から、莉奈ちゃんの救命処置に加わっていた人物だった。
「裁判についての新聞記事を見て、つてをたどって連絡してきたそうです。莉奈ちゃんの救命方針を決めるためにエコー検査をし、その際に大量の出血を確認したというお話でした」(代理人弁護士) 後に裁判の場でE医師が提出した陳述書にはこう記載されている。《私が行ったエコーでは、肝被膜下と腹腔内に、大量の血液貯留を示唆する画像が確認できた(略)その前の急変時のエコーでそれが確認できないはずはないだろうと思ったのです》《私の実施したエコーに先立つ午後4時過ぎのレントゲン写真も確認しました。このレントゲン写真にも肝臓右葉から下縁にかけてくっきりと映っていないという所見があり、それは腹腔内の液体貯留を示唆するものですが、本件の場合、この液体は血液であると見て間違いありません》 中島さん夫妻はE医師から弁護士経由で、手紙も受け取ったという。「『医師として志があるので、真実を語りたいとずっと悩んできた』と書かれていました。病院内でも、莉奈ちゃんの死因は出血死だと訴えてくださっていたそうです。しかし、ミトコンドリア異常症という専門外の難病の名前が出てきたことで、何も言えなくなってしまったということでした。 出血の所見がないという病院側の主張を崩せずにいた中で、エコーを撮って出血を認めた先生からの申し出があったのは心強かったですし、涙が出るほど嬉しかったです」(朋美さん)中島さん夫妻にとって予想外の出来事が しかし、E医師が撮影し、印刷したはずのエコー写真は、病院内で保存されていなかった。さらに病院側は、裁判時には別の病院へと移っていたE医師の説明内容を「信用できない」などと一蹴。言い分を変えることはなかった。「2018年1月に遺族として意見陳述したときのことは忘れられません。娘の大切さや真相究明への強い思いを5分間にわたって話し、法廷もシーンとして聞き入ってくれていたのですが、陳述が終わって私が座るよりも先に、相手の代理人が挙手もなく立ち上がって『結局解剖の写真は持ってるんですか』と言い放ったんです。生々しい話をぶつけてくる挑発的な姿勢がショックで、今でも鮮明に覚えています」(朋美さん) 民事裁判での対立が続く中、刑事手続の方では、2019年11月に肝生検を行なったC医師と術後管理にあたった元研修医のB医師が書類送検された。すると同年12月、中島さん夫妻にとってまたも予想外の出来事が起こる。 B医師が中島さん夫妻への謝罪を申し入れてきたのだ。上級医に逆らうことができなかった B医師の後悔の念「正直、謝罪を受けるかどうかはかなり躊躇しました。手紙を送ってから5年以上も無視されていたのに、書類送検された途端に謝罪だなんて、罪を軽くしたいだけなんだろうと思いましたし、会いたくない気持ちも大きかったです。 でも、民事裁判でも本当のことを言うし、全面協力すると言われて……陳述書はもちろん、法廷に証人尋問で立つ覚悟もしていると。それを聞いて、少しでも裁判が前に進むならという思いで受け入れることにしました」(朋美さん) 設けられた謝罪の場で、B医師は真っ青な顔で頭を下げた。中島さん夫妻はB医師から、当時のありのままの経緯が記された手紙も受け取ったという。「莉奈の様子が回復しないことに焦って、血液検査ぐらいはと上級医に進言していたそうです。でも腹帯を緩めろと言われただけで、様子見の指示は変わらず、研修医の立場でそれ以上判断できる環境ではなかったと。警察からの事情聴取の際も病院側から口止めされ、謝罪も弁護士から止められていたという話でした。本人も苦しんでいたのは伝わりました」(邦彰さん) B医師の手紙には、後悔の念も綴られている。《何かおかしいのではないかとずっと不安でした。本当に経過観察で良いのか、出血の可能性はないのかとも考えました。教科書を開き、感染症や肝不全などの全く的外れな可能性も考えていました。(略)自分の判断に自信がなくて、××先生にさからうのが怖くて、自分で行動できませんでした》《たとえ上級医から経過観察の指示を受けていたとしても、おかしいと思っていたのに、あのとき目の前の自分が判断し行動すれば助かっていたかもしれないのに、何もできず、自分のせいで莉奈様を助けられなかったと思いながらずっと生きてきました。(略)恐怖に押しつぶされ、人として正常な思考ができなくなっていました》横浜地裁は病院側の有責を前提とした和解を勧告 以後、民事裁判では、B医師、E医師による陳述書のほか、司法解剖を実施した医師を含む多数の専門医からの協力が得られ、何通もの鑑定意見書が提出されることとなった。中でもミトコンドリアDNA枯渇症候群については、国内でも第一人者とされる医師からの協力を得ることができたと言う。「遺伝子検査などの結果や精密な分析を踏まえて「可能性は極めて低い」との鑑定意見書が作成されました。典型的な出血死の事案なのに、それをミトコンドリアDNA枯渇症候群に結び付けて責任を否定しようとする病院側の主張に憤りを感じて協力してくださったそうです」(代理人弁護士) 病院側はなおも死因がミトコンドリアDNA枯渇症候群であると主張し続けたが、2021年12月、横浜地裁は「肝生検に起因する出血死であるとの心証を固めた」として、病院側の有責を前提とした和解を勧告した。病院側は最後まで主張を一切曲げず「和解交渉が始まった当初は『すべて公表しないように』という条件を出されました。でも私たちは莉奈の死を無駄にしたくないという思いで裁判を始めたので、事実を隠さないといけないのなら意味がありません。公表することは譲れないと言いました。 そのあとも病院側は、診療行為を非公表にするなど様々な細かい条件を提示してきました。でも『肝生検』という言葉を出せなければ何も伝えられないので、金銭的条件については譲歩しても構わないと代理人に伝え、粘り強く交渉を進めてもらいました」(朋美さん) 最終的には、最初の記者会見でのみすべて公表し、その後は病院名、医師名、診療科名については公表しないという条件で和解が成立した。提訴時の請求額に近い和解金を勝ち取ったものの、ついに病院からの謝罪はなく、中島さん夫妻にとってはぎりぎりまで悩んだ末の結論だった。邦彰さんは記者会見で、その無念を「諦めの和解」という言葉で表現した。「病院側は最後まで主張を一切曲げませんでしたし、これからもその姿勢が変わることはないだろうなと。色んな嘘と言い訳で自分たちには非がないと11年以上も言い続けてきたわけですし、この病院では再発防止も期待できないと思っています」(邦彰さん)『真実を知りたい』当初からの目的は半分実現したが… 書類送検された2人の医師は、ともに2019年12月に不起訴処分となった。特に肝生検を担当したC医師については、検察審査会で不起訴不当の議決が出たにもかかわらず、2020年8月に再度の不起訴処分が下された。「その経緯も、検察が公訴時効ギリギリになるまで何年も送検を受理しようとせず、やっと受理したかと思えば約1ヶ月で不起訴を決め、不起訴不当となってからも再びたった1ヶ月あまりで不起訴としてしまったわけですから、思うところはたくさんあります。不起訴について説明を受けたときにも、警察が丁寧に調べた資料を、検察官がきちんと読んでいないことが丸わかりでした。 でも、たくさんの協力医の先生の手助けと、当事者の医師のうち一人から謝罪があったことで、『真実を知りたい』『本当の謝罪をしてほしい』という当初からの目的を半分実現できました。ずっと膠着状態が続くんじゃないかと思った日もありましたが、その時々で自分たちにできることをやってきた結果、ようやく一歩踏み出せるところまで来たのかなと」(朋美さん) 裁判を始めた日から、中島さん夫妻の思いは一貫して変わっていない。朋美さんは今後について、「まずは莉奈の事故のことを知ってもらえるように動いていきたい」と語る。「子を失った親としては、事故のこともその後の病院の対応もすべて悲惨な悪夢のような出来事で、詳細に思い出すのは今でも本当に辛いです。でも、医療知識のある者が、知識がない患者を煙に巻くことが許されていいはずがありません。莉奈に何が起きたのか知ってもらうことで、病院の隠蔽体質やパワハラ体質の改善につなげて、再発を防止できるような風土を作る一助としたい。それが莉奈の死を無駄にしないため、今の私たちにできることだと思っています」(「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班))
「裁判についての新聞記事を見て、つてをたどって連絡してきたそうです。莉奈ちゃんの救命方針を決めるためにエコー検査をし、その際に大量の出血を確認したというお話でした」(代理人弁護士)
後に裁判の場でE医師が提出した陳述書にはこう記載されている。
《私が行ったエコーでは、肝被膜下と腹腔内に、大量の血液貯留を示唆する画像が確認できた(略)その前の急変時のエコーでそれが確認できないはずはないだろうと思ったのです》
《私の実施したエコーに先立つ午後4時過ぎのレントゲン写真も確認しました。このレントゲン写真にも肝臓右葉から下縁にかけてくっきりと映っていないという所見があり、それは腹腔内の液体貯留を示唆するものですが、本件の場合、この液体は血液であると見て間違いありません》
中島さん夫妻はE医師から弁護士経由で、手紙も受け取ったという。
「『医師として志があるので、真実を語りたいとずっと悩んできた』と書かれていました。病院内でも、莉奈ちゃんの死因は出血死だと訴えてくださっていたそうです。しかし、ミトコンドリア異常症という専門外の難病の名前が出てきたことで、何も言えなくなってしまったということでした。
出血の所見がないという病院側の主張を崩せずにいた中で、エコーを撮って出血を認めた先生からの申し出があったのは心強かったですし、涙が出るほど嬉しかったです」(朋美さん)
中島さん夫妻にとって予想外の出来事が しかし、E医師が撮影し、印刷したはずのエコー写真は、病院内で保存されていなかった。さらに病院側は、裁判時には別の病院へと移っていたE医師の説明内容を「信用できない」などと一蹴。言い分を変えることはなかった。「2018年1月に遺族として意見陳述したときのことは忘れられません。娘の大切さや真相究明への強い思いを5分間にわたって話し、法廷もシーンとして聞き入ってくれていたのですが、陳述が終わって私が座るよりも先に、相手の代理人が挙手もなく立ち上がって『結局解剖の写真は持ってるんですか』と言い放ったんです。生々しい話をぶつけてくる挑発的な姿勢がショックで、今でも鮮明に覚えています」(朋美さん) 民事裁判での対立が続く中、刑事手続の方では、2019年11月に肝生検を行なったC医師と術後管理にあたった元研修医のB医師が書類送検された。すると同年12月、中島さん夫妻にとってまたも予想外の出来事が起こる。 B医師が中島さん夫妻への謝罪を申し入れてきたのだ。上級医に逆らうことができなかった B医師の後悔の念「正直、謝罪を受けるかどうかはかなり躊躇しました。手紙を送ってから5年以上も無視されていたのに、書類送検された途端に謝罪だなんて、罪を軽くしたいだけなんだろうと思いましたし、会いたくない気持ちも大きかったです。 でも、民事裁判でも本当のことを言うし、全面協力すると言われて……陳述書はもちろん、法廷に証人尋問で立つ覚悟もしていると。それを聞いて、少しでも裁判が前に進むならという思いで受け入れることにしました」(朋美さん) 設けられた謝罪の場で、B医師は真っ青な顔で頭を下げた。中島さん夫妻はB医師から、当時のありのままの経緯が記された手紙も受け取ったという。「莉奈の様子が回復しないことに焦って、血液検査ぐらいはと上級医に進言していたそうです。でも腹帯を緩めろと言われただけで、様子見の指示は変わらず、研修医の立場でそれ以上判断できる環境ではなかったと。警察からの事情聴取の際も病院側から口止めされ、謝罪も弁護士から止められていたという話でした。本人も苦しんでいたのは伝わりました」(邦彰さん) B医師の手紙には、後悔の念も綴られている。《何かおかしいのではないかとずっと不安でした。本当に経過観察で良いのか、出血の可能性はないのかとも考えました。教科書を開き、感染症や肝不全などの全く的外れな可能性も考えていました。(略)自分の判断に自信がなくて、××先生にさからうのが怖くて、自分で行動できませんでした》《たとえ上級医から経過観察の指示を受けていたとしても、おかしいと思っていたのに、あのとき目の前の自分が判断し行動すれば助かっていたかもしれないのに、何もできず、自分のせいで莉奈様を助けられなかったと思いながらずっと生きてきました。(略)恐怖に押しつぶされ、人として正常な思考ができなくなっていました》横浜地裁は病院側の有責を前提とした和解を勧告 以後、民事裁判では、B医師、E医師による陳述書のほか、司法解剖を実施した医師を含む多数の専門医からの協力が得られ、何通もの鑑定意見書が提出されることとなった。中でもミトコンドリアDNA枯渇症候群については、国内でも第一人者とされる医師からの協力を得ることができたと言う。「遺伝子検査などの結果や精密な分析を踏まえて「可能性は極めて低い」との鑑定意見書が作成されました。典型的な出血死の事案なのに、それをミトコンドリアDNA枯渇症候群に結び付けて責任を否定しようとする病院側の主張に憤りを感じて協力してくださったそうです」(代理人弁護士) 病院側はなおも死因がミトコンドリアDNA枯渇症候群であると主張し続けたが、2021年12月、横浜地裁は「肝生検に起因する出血死であるとの心証を固めた」として、病院側の有責を前提とした和解を勧告した。病院側は最後まで主張を一切曲げず「和解交渉が始まった当初は『すべて公表しないように』という条件を出されました。でも私たちは莉奈の死を無駄にしたくないという思いで裁判を始めたので、事実を隠さないといけないのなら意味がありません。公表することは譲れないと言いました。 そのあとも病院側は、診療行為を非公表にするなど様々な細かい条件を提示してきました。でも『肝生検』という言葉を出せなければ何も伝えられないので、金銭的条件については譲歩しても構わないと代理人に伝え、粘り強く交渉を進めてもらいました」(朋美さん) 最終的には、最初の記者会見でのみすべて公表し、その後は病院名、医師名、診療科名については公表しないという条件で和解が成立した。提訴時の請求額に近い和解金を勝ち取ったものの、ついに病院からの謝罪はなく、中島さん夫妻にとってはぎりぎりまで悩んだ末の結論だった。邦彰さんは記者会見で、その無念を「諦めの和解」という言葉で表現した。「病院側は最後まで主張を一切曲げませんでしたし、これからもその姿勢が変わることはないだろうなと。色んな嘘と言い訳で自分たちには非がないと11年以上も言い続けてきたわけですし、この病院では再発防止も期待できないと思っています」(邦彰さん)『真実を知りたい』当初からの目的は半分実現したが… 書類送検された2人の医師は、ともに2019年12月に不起訴処分となった。特に肝生検を担当したC医師については、検察審査会で不起訴不当の議決が出たにもかかわらず、2020年8月に再度の不起訴処分が下された。「その経緯も、検察が公訴時効ギリギリになるまで何年も送検を受理しようとせず、やっと受理したかと思えば約1ヶ月で不起訴を決め、不起訴不当となってからも再びたった1ヶ月あまりで不起訴としてしまったわけですから、思うところはたくさんあります。不起訴について説明を受けたときにも、警察が丁寧に調べた資料を、検察官がきちんと読んでいないことが丸わかりでした。 でも、たくさんの協力医の先生の手助けと、当事者の医師のうち一人から謝罪があったことで、『真実を知りたい』『本当の謝罪をしてほしい』という当初からの目的を半分実現できました。ずっと膠着状態が続くんじゃないかと思った日もありましたが、その時々で自分たちにできることをやってきた結果、ようやく一歩踏み出せるところまで来たのかなと」(朋美さん) 裁判を始めた日から、中島さん夫妻の思いは一貫して変わっていない。朋美さんは今後について、「まずは莉奈の事故のことを知ってもらえるように動いていきたい」と語る。「子を失った親としては、事故のこともその後の病院の対応もすべて悲惨な悪夢のような出来事で、詳細に思い出すのは今でも本当に辛いです。でも、医療知識のある者が、知識がない患者を煙に巻くことが許されていいはずがありません。莉奈に何が起きたのか知ってもらうことで、病院の隠蔽体質やパワハラ体質の改善につなげて、再発を防止できるような風土を作る一助としたい。それが莉奈の死を無駄にしないため、今の私たちにできることだと思っています」(「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班))
しかし、E医師が撮影し、印刷したはずのエコー写真は、病院内で保存されていなかった。さらに病院側は、裁判時には別の病院へと移っていたE医師の説明内容を「信用できない」などと一蹴。言い分を変えることはなかった。
「2018年1月に遺族として意見陳述したときのことは忘れられません。娘の大切さや真相究明への強い思いを5分間にわたって話し、法廷もシーンとして聞き入ってくれていたのですが、陳述が終わって私が座るよりも先に、相手の代理人が挙手もなく立ち上がって『結局解剖の写真は持ってるんですか』と言い放ったんです。生々しい話をぶつけてくる挑発的な姿勢がショックで、今でも鮮明に覚えています」(朋美さん)
民事裁判での対立が続く中、刑事手続の方では、2019年11月に肝生検を行なったC医師と術後管理にあたった元研修医のB医師が書類送検された。すると同年12月、中島さん夫妻にとってまたも予想外の出来事が起こる。
B医師が中島さん夫妻への謝罪を申し入れてきたのだ。
「正直、謝罪を受けるかどうかはかなり躊躇しました。手紙を送ってから5年以上も無視されていたのに、書類送検された途端に謝罪だなんて、罪を軽くしたいだけなんだろうと思いましたし、会いたくない気持ちも大きかったです。
でも、民事裁判でも本当のことを言うし、全面協力すると言われて……陳述書はもちろん、法廷に証人尋問で立つ覚悟もしていると。それを聞いて、少しでも裁判が前に進むならという思いで受け入れることにしました」(朋美さん)
設けられた謝罪の場で、B医師は真っ青な顔で頭を下げた。中島さん夫妻はB医師から、当時のありのままの経緯が記された手紙も受け取ったという。
「莉奈の様子が回復しないことに焦って、血液検査ぐらいはと上級医に進言していたそうです。でも腹帯を緩めろと言われただけで、様子見の指示は変わらず、研修医の立場でそれ以上判断できる環境ではなかったと。警察からの事情聴取の際も病院側から口止めされ、謝罪も弁護士から止められていたという話でした。本人も苦しんでいたのは伝わりました」(邦彰さん)
B医師の手紙には、後悔の念も綴られている。
《何かおかしいのではないかとずっと不安でした。本当に経過観察で良いのか、出血の可能性はないのかとも考えました。教科書を開き、感染症や肝不全などの全く的外れな可能性も考えていました。(略)自分の判断に自信がなくて、××先生にさからうのが怖くて、自分で行動できませんでした》
《たとえ上級医から経過観察の指示を受けていたとしても、おかしいと思っていたのに、あのとき目の前の自分が判断し行動すれば助かっていたかもしれないのに、何もできず、自分のせいで莉奈様を助けられなかったと思いながらずっと生きてきました。(略)恐怖に押しつぶされ、人として正常な思考ができなくなっていました》
以後、民事裁判では、B医師、E医師による陳述書のほか、司法解剖を実施した医師を含む多数の専門医からの協力が得られ、何通もの鑑定意見書が提出されることとなった。中でもミトコンドリアDNA枯渇症候群については、国内でも第一人者とされる医師からの協力を得ることができたと言う。
「遺伝子検査などの結果や精密な分析を踏まえて「可能性は極めて低い」との鑑定意見書が作成されました。典型的な出血死の事案なのに、それをミトコンドリアDNA枯渇症候群に結び付けて責任を否定しようとする病院側の主張に憤りを感じて協力してくださったそうです」(代理人弁護士)
病院側はなおも死因がミトコンドリアDNA枯渇症候群であると主張し続けたが、2021年12月、横浜地裁は「肝生検に起因する出血死であるとの心証を固めた」として、病院側の有責を前提とした和解を勧告した。
「和解交渉が始まった当初は『すべて公表しないように』という条件を出されました。でも私たちは莉奈の死を無駄にしたくないという思いで裁判を始めたので、事実を隠さないといけないのなら意味がありません。公表することは譲れないと言いました。
そのあとも病院側は、診療行為を非公表にするなど様々な細かい条件を提示してきました。でも『肝生検』という言葉を出せなければ何も伝えられないので、金銭的条件については譲歩しても構わないと代理人に伝え、粘り強く交渉を進めてもらいました」(朋美さん)
最終的には、最初の記者会見でのみすべて公表し、その後は病院名、医師名、診療科名については公表しないという条件で和解が成立した。提訴時の請求額に近い和解金を勝ち取ったものの、ついに病院からの謝罪はなく、中島さん夫妻にとってはぎりぎりまで悩んだ末の結論だった。邦彰さんは記者会見で、その無念を「諦めの和解」という言葉で表現した。
「病院側は最後まで主張を一切曲げませんでしたし、これからもその姿勢が変わることはないだろうなと。色んな嘘と言い訳で自分たちには非がないと11年以上も言い続けてきたわけですし、この病院では再発防止も期待できないと思っています」(邦彰さん)
書類送検された2人の医師は、ともに2019年12月に不起訴処分となった。特に肝生検を担当したC医師については、検察審査会で不起訴不当の議決が出たにもかかわらず、2020年8月に再度の不起訴処分が下された。
「その経緯も、検察が公訴時効ギリギリになるまで何年も送検を受理しようとせず、やっと受理したかと思えば約1ヶ月で不起訴を決め、不起訴不当となってからも再びたった1ヶ月あまりで不起訴としてしまったわけですから、思うところはたくさんあります。不起訴について説明を受けたときにも、警察が丁寧に調べた資料を、検察官がきちんと読んでいないことが丸わかりでした。
でも、たくさんの協力医の先生の手助けと、当事者の医師のうち一人から謝罪があったことで、『真実を知りたい』『本当の謝罪をしてほしい』という当初からの目的を半分実現できました。ずっと膠着状態が続くんじゃないかと思った日もありましたが、その時々で自分たちにできることをやってきた結果、ようやく一歩踏み出せるところまで来たのかなと」(朋美さん)
裁判を始めた日から、中島さん夫妻の思いは一貫して変わっていない。朋美さんは今後について、「まずは莉奈の事故のことを知ってもらえるように動いていきたい」と語る。「子を失った親としては、事故のこともその後の病院の対応もすべて悲惨な悪夢のような出来事で、詳細に思い出すのは今でも本当に辛いです。でも、医療知識のある者が、知識がない患者を煙に巻くことが許されていいはずがありません。莉奈に何が起きたのか知ってもらうことで、病院の隠蔽体質やパワハラ体質の改善につなげて、再発を防止できるような風土を作る一助としたい。それが莉奈の死を無駄にしないため、今の私たちにできることだと思っています」(「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班))
裁判を始めた日から、中島さん夫妻の思いは一貫して変わっていない。朋美さんは今後について、「まずは莉奈の事故のことを知ってもらえるように動いていきたい」と語る。
「子を失った親としては、事故のこともその後の病院の対応もすべて悲惨な悪夢のような出来事で、詳細に思い出すのは今でも本当に辛いです。でも、医療知識のある者が、知識がない患者を煙に巻くことが許されていいはずがありません。莉奈に何が起きたのか知ってもらうことで、病院の隠蔽体質やパワハラ体質の改善につなげて、再発を防止できるような風土を作る一助としたい。それが莉奈の死を無駄にしないため、今の私たちにできることだと思っています」
(「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班))