「成功者の証」であり「憧れの象徴」でもある別荘。明治以降、西洋風の別荘レジャーは政治家や華族、財閥などの特権階級にだけ許された楽しみだったが、昭和にかけて徐々に一般化していき、1990年代のバブル期には空前の別荘ブームが起こった。
伊豆や軽井沢、那須などの高級別荘地をはじめ全国各地でディベロッパーによる開発が行われ、富裕層のみならずサラリーマンもこぞって別荘を購入するようになる。まさに別荘は不動産バブルを象徴するムーブメントだったのだ。
それから30年。バブル崩壊とともに景気は低迷し、別荘の需要も衰退した。値上がりへの期待も裏切られ、今ではワンコインや1円など信じられない価格で「投げ売り」される別荘が急増しているというのだ。
「憧れの象徴」だったはずの別荘が、破格で売られるようになってしまったのはなぜか――今回の記事では「投げ売りされる別荘」の背景を解説したい。
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将来は子どもの資産になる……はずだった「週末は別荘で家族の時間を楽しんで、老後はそこでセカンドライフを送るのが夢でした。これからも地価が上がると信じていたし、いずれは子どもに資産として遺せると思っていたんです」肩を落として話すのは寺田吾郎さん(仮名・72歳、元商社勤務)。30年ほど前に約2500万円で購入した軽井沢の別荘で一人暮らしをしている。現役時代は都内の誰もが知る大手商社でバリバリ働く企業戦士だった。子どもは30代の娘と息子が1人ずつ。それぞれ所帯をもち、都内で暮らしている。寺田さんがこの別荘を購入したのは1989年、バブル絶頂期だった。「出世コースに乗ることができて、40歳で課長になった頃です。結婚と同時に購入した目白のマイホームのローン返済も、子どもたちの教育費の見通しも立っていたので、別荘を購入したんです。同僚をみても別荘や投資用マンションを買うのが普通だったし、人並み以上に稼いでいる自負もありましたしね。いい買い物だと思いましたよ」1990年前後、バブル景気に押されるように空前の別荘ブームが巻き起こっていた頃だ。軽井沢や伊豆などの高級別荘地はいうまでもなく、北関東や東北の低価格エリアでもディベロッパーによる大掛かりな開発・分譲が続いた。「憧れの象徴」は富裕層だけでなくサラリーマンにとっても手の届くものとなり、寺田さんや同僚もその一人だったのだろう。軽井沢の白糸の滝[Photo by iStock] 「妻は特に喜んでくれました。もともと田舎の生まれで田畑に囲まれて育った彼女は、“東京は便利でいいけれど、子育てが落ち着いたら老後は自然豊かな別荘でのんびり過ごしたいね”と。仕事が忙しくて毎週末の利用は難しかったですが、長期休暇ごとに滞在して、子どもたちとバーベキューやテニスをしたり……買った甲斐があったと鼻高々でした」値上がりへの期待も別荘を購入する寺田さんの背中を押した。「当時、不動産は買えば買うほど値上がりしていきましたからね。将来は心強い資産になると思って、子どものどちらかに相続してもらえたら、と……」後に、実はこれが大誤算だったことがわかる。利益が出る不動産は「富動産」とも呼ばれるが、バブル崩壊後は不動産の評価額が全国的に下がり、特に別荘は維持費の負担が重いため、今の子世代にとっては「負動産」なのだ。退職を機に、念願の別荘ライフがスタートバブルが崩壊した後もエリートサラリーマンとして順調に出世を果たし、寺田さんは60歳で定年退職を迎えた。五大商社の事業部長を務めただけあって退職時の年収は約2500万円。それまでの蓄えと目白のマイホームの売却金、退職金を老後資金として、別荘で快適に暮らせるように水回りをリフォームし、夫婦2人の念願であった別荘でのセカンドライフをスタートさせた。「子どもたちもそれぞれ独立しましたし、これからは自然豊かな環境で“妻孝行”をしたいな、と。庭の一角に菜園とテラス、ピザ窯を作ったんです。採れたてのトマトとルッコラを乗せた自家製ピザは妻の大好物でした。草花が大好きだった妻はフラワーアレンジメントもプロ並みで、近所の奥さん方に教えたりして、ちょっとしたサロンのようでしたね。思い描いていた以上の、夢のような暮らしでした」Photo by iStock 軽井沢の別荘で、妻とともに念願のセカンドライフをスタートさせた寺田さん。しかし予想外の出来事が起こり、別荘を「手放したくとも手放せない」状態に陥ってしまう……。寺田さんを襲った予期せぬ事態については、【後編】『「軽井沢の別荘」を買って家族が「バラバラ」になった、元商社マンの悲しい末路』をご覧いただきたい。
「週末は別荘で家族の時間を楽しんで、老後はそこでセカンドライフを送るのが夢でした。これからも地価が上がると信じていたし、いずれは子どもに資産として遺せると思っていたんです」
肩を落として話すのは寺田吾郎さん(仮名・72歳、元商社勤務)。30年ほど前に約2500万円で購入した軽井沢の別荘で一人暮らしをしている。現役時代は都内の誰もが知る大手商社でバリバリ働く企業戦士だった。子どもは30代の娘と息子が1人ずつ。それぞれ所帯をもち、都内で暮らしている。
寺田さんがこの別荘を購入したのは1989年、バブル絶頂期だった。
「出世コースに乗ることができて、40歳で課長になった頃です。結婚と同時に購入した目白のマイホームのローン返済も、子どもたちの教育費の見通しも立っていたので、別荘を購入したんです。同僚をみても別荘や投資用マンションを買うのが普通だったし、人並み以上に稼いでいる自負もありましたしね。いい買い物だと思いましたよ」
1990年前後、バブル景気に押されるように空前の別荘ブームが巻き起こっていた頃だ。軽井沢や伊豆などの高級別荘地はいうまでもなく、北関東や東北の低価格エリアでもディベロッパーによる大掛かりな開発・分譲が続いた。「憧れの象徴」は富裕層だけでなくサラリーマンにとっても手の届くものとなり、寺田さんや同僚もその一人だったのだろう。
軽井沢の白糸の滝[Photo by iStock]
「妻は特に喜んでくれました。もともと田舎の生まれで田畑に囲まれて育った彼女は、“東京は便利でいいけれど、子育てが落ち着いたら老後は自然豊かな別荘でのんびり過ごしたいね”と。仕事が忙しくて毎週末の利用は難しかったですが、長期休暇ごとに滞在して、子どもたちとバーベキューやテニスをしたり……買った甲斐があったと鼻高々でした」値上がりへの期待も別荘を購入する寺田さんの背中を押した。「当時、不動産は買えば買うほど値上がりしていきましたからね。将来は心強い資産になると思って、子どものどちらかに相続してもらえたら、と……」後に、実はこれが大誤算だったことがわかる。利益が出る不動産は「富動産」とも呼ばれるが、バブル崩壊後は不動産の評価額が全国的に下がり、特に別荘は維持費の負担が重いため、今の子世代にとっては「負動産」なのだ。退職を機に、念願の別荘ライフがスタートバブルが崩壊した後もエリートサラリーマンとして順調に出世を果たし、寺田さんは60歳で定年退職を迎えた。五大商社の事業部長を務めただけあって退職時の年収は約2500万円。それまでの蓄えと目白のマイホームの売却金、退職金を老後資金として、別荘で快適に暮らせるように水回りをリフォームし、夫婦2人の念願であった別荘でのセカンドライフをスタートさせた。「子どもたちもそれぞれ独立しましたし、これからは自然豊かな環境で“妻孝行”をしたいな、と。庭の一角に菜園とテラス、ピザ窯を作ったんです。採れたてのトマトとルッコラを乗せた自家製ピザは妻の大好物でした。草花が大好きだった妻はフラワーアレンジメントもプロ並みで、近所の奥さん方に教えたりして、ちょっとしたサロンのようでしたね。思い描いていた以上の、夢のような暮らしでした」Photo by iStock 軽井沢の別荘で、妻とともに念願のセカンドライフをスタートさせた寺田さん。しかし予想外の出来事が起こり、別荘を「手放したくとも手放せない」状態に陥ってしまう……。寺田さんを襲った予期せぬ事態については、【後編】『「軽井沢の別荘」を買って家族が「バラバラ」になった、元商社マンの悲しい末路』をご覧いただきたい。
「妻は特に喜んでくれました。もともと田舎の生まれで田畑に囲まれて育った彼女は、“東京は便利でいいけれど、子育てが落ち着いたら老後は自然豊かな別荘でのんびり過ごしたいね”と。仕事が忙しくて毎週末の利用は難しかったですが、長期休暇ごとに滞在して、子どもたちとバーベキューやテニスをしたり……買った甲斐があったと鼻高々でした」
値上がりへの期待も別荘を購入する寺田さんの背中を押した。
「当時、不動産は買えば買うほど値上がりしていきましたからね。将来は心強い資産になると思って、子どものどちらかに相続してもらえたら、と……」
後に、実はこれが大誤算だったことがわかる。利益が出る不動産は「富動産」とも呼ばれるが、バブル崩壊後は不動産の評価額が全国的に下がり、特に別荘は維持費の負担が重いため、今の子世代にとっては「負動産」なのだ。
バブルが崩壊した後もエリートサラリーマンとして順調に出世を果たし、寺田さんは60歳で定年退職を迎えた。五大商社の事業部長を務めただけあって退職時の年収は約2500万円。それまでの蓄えと目白のマイホームの売却金、退職金を老後資金として、別荘で快適に暮らせるように水回りをリフォームし、夫婦2人の念願であった別荘でのセカンドライフをスタートさせた。
「子どもたちもそれぞれ独立しましたし、これからは自然豊かな環境で“妻孝行”をしたいな、と。庭の一角に菜園とテラス、ピザ窯を作ったんです。採れたてのトマトとルッコラを乗せた自家製ピザは妻の大好物でした。
草花が大好きだった妻はフラワーアレンジメントもプロ並みで、近所の奥さん方に教えたりして、ちょっとしたサロンのようでしたね。思い描いていた以上の、夢のような暮らしでした」
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軽井沢の別荘で、妻とともに念願のセカンドライフをスタートさせた寺田さん。しかし予想外の出来事が起こり、別荘を「手放したくとも手放せない」状態に陥ってしまう……。寺田さんを襲った予期せぬ事態については、【後編】『「軽井沢の別荘」を買って家族が「バラバラ」になった、元商社マンの悲しい末路』をご覧いただきたい。
軽井沢の別荘で、妻とともに念願のセカンドライフをスタートさせた寺田さん。しかし予想外の出来事が起こり、別荘を「手放したくとも手放せない」状態に陥ってしまう……。寺田さんを襲った予期せぬ事態については、【後編】『「軽井沢の別荘」を買って家族が「バラバラ」になった、元商社マンの悲しい末路』をご覧いただきたい。