「執行部は小西に怒り心頭ですよ。統一地方選挙の重要な時期になんてことをしてくれたんだ、と。彼はプライドが人一倍高く目立ちたがり屋で、とにかく評価されたいというタイプ。そんな小西が政治家として最も注目されたのが、今回の炎上騒ぎだったというのは何とも皮肉です」(立憲民主党の幹部議員)
憲法審査会の毎週開催について「サルのやること」と発言し、さらにフジテレビや産経新聞などのメデイア批判まで繰り広げた小西洋之参議院議員(51)。4月11日、立憲民主党の常任理事会で「幹事長注意」の処分が決まった。
今国会では高市早苗経済安全保障相の放送法文章問題をめぐり、追及の先陣に立つなど小西議員は存在感を放っていた。ところが徐々に雲行きが怪しくなるにつれて焦りが生じたのか、今度は自身の失言で党内から顰蹙を買うこととなった。
野党内では、小西議員に対し「処分が甘すぎる」「彼は反省するような性格じゃない」と厳しい声が飛び交う。立憲民主党のベテラン秘書はこう話す。
「官僚出身議員にありがちなエリート意識があるのか、小西議員はすぐに人を見下しているような態度を取ってしまう。そのため、党内で彼と親しくしている議員は見たことがありません。いつも一人でいることから、『ボッチ君』と呼ぶ人間もいるほどです。党職員や記者ですら彼の話題になると露骨に嫌な顔をするほどで、とにかく人望がない」
小西氏は徳島大学医学部を中退後、東京大学、郵政省(現・総務省)、コロンビア大学院を経て’10年に初当選、現在は3期目を務めている。だが、その華々しいキャリアとは対照的に、党内で十分な評価を受けてきたとは言い難い。
「立憲民主党内で開かれた会議でのことです。ちょうど小西議員が安保法案に関する書籍を出したタイミングだったんですが、彼は突然、会議の前に自分の本を配って宣伝を始めたんです。饒舌に3~4分ほど自身の知識をしゃべりまくったところで、ある幹部から『君は少し黙りなさい』と注意を受けていました。あの時の小西議員のポカンとした表情は忘れられません。
以降小西議員は、自身が不当に低い評価を受けていると感じているようで、『何で俺がこんなに評価されないのか』と周囲に漏らしていました。高市さんの件も少しずつ追及が空回りするようになり、焦りがあったんでしょう。注目を集め、彼自身の気が大きくなっていたことも失言につながったんだと思います」(同前)
小西議員は11日付で参院政策審議会長を辞任。その後、岡田克也幹事長による注意処分が決まり、衆院政調会長代理の役職も解任されている。表向きの処分理由は「サル」発言によるものだが、実際は党内の事情も加味してのものだったと、前出の幹部議員は言う。
「『サル』発言よりも問題視されたのは、小西のメデイア批判と圧力発言でした。総務省の文章問題を追及していた流れから、ブーメランにもなりかねない。千葉5区・山口2区の衆院補選には、岡田幹事長が直々に指示を送るなど党として特に力を入れている。ところが、小西の発言以降、支援者や支持団体からも厳しい意見が飛んだ。そんなタイミングも重なり、メデイアを敵に回したくないという執行部の意向もあった。ある幹部は、『負けたら小西のせいだな』とも漏らしていました」
問題は立憲民主党内だけに留まらない。現在、立憲民主党と国会での“共闘”を行う日本維新の会など野党全体にも、「小西発言」の影響は出ている。日本維新の会の中堅議員が語る。
「『公務員の天下り問題』について、今国会での法案化を目指してウチと立憲さんで話し合いを進めていた。ところが小西議員の発言を受け、馬場伸幸共同代表が激怒したことで、一時的にすべてが止まってしまった。小西議員が参院政策審議会長を辞任しても、それは変わらなかった。あそこまで馬場代表が怒るのは珍しく、『立憲が対応するまでウチは態度を変えない』と頑なでした。『天下り問題』に関する法案はすでに叩き台までできていただけに、本当にいい迷惑ですよ……」
その後、小西議員は馬場共同代表らに個別謝罪をしたが、維新は納得せず。国会での「共闘」再開の条件として、衆院幹事会での謝罪を立憲側に要求したという。これに対して、立憲民主党の杉尾秀哉議員は応じず「維新に言われて、なんで謝罪しなきゃいけないのか」と反発したことで、事態はより混迷している。立憲民主党のベテラン議員は、「これが党の現状ですよ」と嘆息する。
「立憲民主党執行部が進めた維新との共闘については、納得していない議員がかなり多かった。立憲と維新は政策も基本姿勢もまったく違いますからね。『小西発言』がトリガーとなり、共闘に反対していた人間達の動きも活発化しています」
野党同士の溝を深める原因となってしまった小西議員……。「ボッチ化」はますます加速しそうだ。