被告代理人を通じて、松永拓也さん(36)のもとに謝罪の申し入れがあったのは2021年9月下旬のことだった。被告は飯塚幸三受刑者(91、禁錮5年の服役中)と損害保険会社の代表である。(前後編の「後編」)【水谷竹秀/ノンフィクション・ライター】
【写真】家族旅行に七五三…残された写真には最愛の妻子の笑顔がおさめられていた その上申書には、次のように記載されていた。「本件事故につき、直接謝罪する機会を設けさせて頂きたいと考えています。そこで原告(松永さん)らが上記被告飯塚の要望に了承頂けるのであれば、裁判所において下記候補日程で、新たに期日を設定頂きたく上申いたします」
東京地裁に提出された時期は、過失運転致死傷の罪に問われた飯塚受刑者に対する実刑判決が確定した直後だった。アクセルとブレーキを踏み間違え、時速96キロのスピードで事故現場を暴走していたのだ。しかも、近く刑務所に収監される可能性があるとして、謝罪の候補日を3つ指定してきた。松永拓也さんと妻の真菜さん、長女の莉子ちゃん(松永さん提供) この申し出に、松永さんは戸惑いを隠せなかった。 なぜ謝罪をする側が主導権を握って場所と日程を決めてくるのか……。 事故から4年が経過した現在も、当時のやり取りを思い出すと、怒りが沸々と湧き上がってくる。「そもそも事故直後にも謝罪をしたいという話は何度か来ていました。その段階では『事故は車のせいだ』と無罪を主張し続けていたので、断っていたのです。車のせいなら謝る必要がないじゃないですか? だから謝罪については、もう受けなくてもいいと思っていたのです」判決後に再び「謝罪」の申し出 事故直後に行われた複数回の申し出は、飯塚受刑者が起訴された後からぱたりとなくなった。ところが、判決確定後に再び、「謝罪をしたい」と言い出した。しかも、2年以上も無罪を主張していたのが、手のひらを返したようにアクセルとブレーキの踏み間違いを認めたのだ。松永さんが思い返す。「申し出を受けるかどうか寝られないほど悩みました。しかも、刑務所に入る可能性があるからというので、早く決めないといけない。本当は彼の顔も見たくなかった。でも考え抜いた末に、彼が謝罪をすることで、人生において何らかの救いになるのであればと思い、受け入れることにしたのです。友人からは『どこまでお人好しなのか』と言われました」 しかし、条件面で引っかかった点がある。それは謝罪の場が、法廷に指定されていたことだ。「別に法廷じゃなくてもいいですよね? どこか会議室を借りて、そこで謝っていただければいい」 松永さんら原告代理人は、謝罪の場所や日程は原告側が決めることを条件に受け入れると決断し、準備書面で伝えた。すると被告代理人は一転、受けられないと断り、その態度が松永さんの逆鱗に触れた。「あの申し出は何だったんだと。彼に対して大きな心を持って接しようと思った気持ちが踏み躙られました。謝るなら裁判所だろうが会議室だろうが変わらないですよね? つまりそこまでして謝りたいと思ってなかったってことです。その程度の謝罪だったんだなと」“法廷”での謝罪にこだわった理由 飯塚受刑者はなぜ、謝罪の場を法廷にこだわったのか。 松永さんは刑事訴訟と並行して20年10月、総額1億7000万円の損害賠償請求訴訟を東京地裁に起こした。裁判は現在も継続中だ。交通事故の責任をめぐる民事訴訟では、相手が任意保険に加入している場合、実態としては損保会社との間で争われる。 被告の申し出は、この裁判の法廷の場での謝罪である。つまり謝罪の事実が法廷で示されれば、「被告の反省」ととらえられ、原告への賠償額を決める際、被告にとって有利にはたらく可能性がある。過去に起きた交通事故の民事訴訟判例では、事故後の謝罪の有無など加害者の態度や言動が、賠償額算定の基準になっている。 事故直後からの飯塚受刑者による謝罪申し出の経緯を辿っていくと、賠償額を抑えたいがための謝罪と捉えられても仕方がないだろう。原告代理人が準備書面でその可能性を指摘すると、被告代理人は、「謝罪の申し入れは賠償額減額のためなどという意図は全くなかった」と明確に否定した。 結局、謝罪は実現せず、飯塚受刑者は申し入れから約20日後に刑務所に収監された。松永さんはその後に東京地裁に提出した陳述書で、このように結んでいる。「今回の飯塚氏側の立ち振る舞いは、あまりに私たちに配慮がなく、自己中心的でした。専ら『自分たちのためだけの謝罪』の申し出であったとしか思われず、刑事事件が確定したという事実や安堵感が吹っ飛ぶほどの衝撃でした。そのような心情をぜひご理解いただきたいと思います」遺族たちの活動が、芽を出し始めた 以来、1年半近くが経過したが、謝罪の手紙も陳述書に対する返答も届いていない。飯塚受刑者にとって、謝罪とは何を意味していたのだろうか。松永さんが語気を強める。「この申し出には本当に振り回されました。もちろん保険会社も営利目的だから自分たちの有利にしたいのは理解できます。だとしても、やり方がありますよね?」 しかも、交通事故における民事訴訟では、賠償額の減額を狙ったとみられる、保険会社側からのこうした対応による二次被害が相次いでいるという。「事故で愛する人を亡くしたり、歩けなくなったり、あるいは脳に損傷を負ったとか、一生癒えない傷を心にも体にも背負っている人を相手にしていることを、保険会社側は忘れないで欲しい。不必要に人の感情を逆撫でし、追い込んでいないかと問いたいのです。僕は保険会社1社が許せないと世の中に伝えたいわけではありません。業界全体というマクロな視点で、そういう二次被害を起こさないようにして欲しいのです」 このような松永さんの心情に対し、被告代理人は取材にこう答えた。「訴訟継続中なのでコメントは差し控えたい」 松永さんが副代表理事を務める「関東交通犯罪遺族の会(あいの会)」は昨年7月、損害保険会社側からの心ない対応や暴言などの二次被害を防止するため、指導の徹底やガイドライン策定などを求める意見書を金融庁に提出した。これを受けて日本損害保険協会は同年12月、交通事故被害者や家族の心情を解説した36ページの冊子を作り、会員企業に配布した。松永さんたちの活動が、早速芽を出し始めた。「金融庁と損保協会は前向きに取り組んでいると聞いています。飯塚氏はもう正せないので、僕は業界の改善をこれからも訴えていきたいです。真菜と莉子の命を無駄にしないために」 松永さんは6月上旬、民事訴訟の法廷で証言台に立つ。水谷竹秀(みずたにたけひで)ノンフィクション・ライター。1975年生まれ。上智大学外国語学部卒。2011年、『日本を捨てた男たち』で第9回開高健ノンフィクション賞を受賞。10年超のフィリピン滞在歴をもとに「アジアと日本人」について、また事件を含めた現代の世相に関しても幅広く取材。昨年5月上旬までウクライナに滞在していた。デイリー新潮編集部
その上申書には、次のように記載されていた。
「本件事故につき、直接謝罪する機会を設けさせて頂きたいと考えています。そこで原告(松永さん)らが上記被告飯塚の要望に了承頂けるのであれば、裁判所において下記候補日程で、新たに期日を設定頂きたく上申いたします」
東京地裁に提出された時期は、過失運転致死傷の罪に問われた飯塚受刑者に対する実刑判決が確定した直後だった。アクセルとブレーキを踏み間違え、時速96キロのスピードで事故現場を暴走していたのだ。しかも、近く刑務所に収監される可能性があるとして、謝罪の候補日を3つ指定してきた。
この申し出に、松永さんは戸惑いを隠せなかった。
なぜ謝罪をする側が主導権を握って場所と日程を決めてくるのか……。
事故から4年が経過した現在も、当時のやり取りを思い出すと、怒りが沸々と湧き上がってくる。
「そもそも事故直後にも謝罪をしたいという話は何度か来ていました。その段階では『事故は車のせいだ』と無罪を主張し続けていたので、断っていたのです。車のせいなら謝る必要がないじゃないですか? だから謝罪については、もう受けなくてもいいと思っていたのです」
事故直後に行われた複数回の申し出は、飯塚受刑者が起訴された後からぱたりとなくなった。ところが、判決確定後に再び、「謝罪をしたい」と言い出した。しかも、2年以上も無罪を主張していたのが、手のひらを返したようにアクセルとブレーキの踏み間違いを認めたのだ。松永さんが思い返す。
「申し出を受けるかどうか寝られないほど悩みました。しかも、刑務所に入る可能性があるからというので、早く決めないといけない。本当は彼の顔も見たくなかった。でも考え抜いた末に、彼が謝罪をすることで、人生において何らかの救いになるのであればと思い、受け入れることにしたのです。友人からは『どこまでお人好しなのか』と言われました」
しかし、条件面で引っかかった点がある。それは謝罪の場が、法廷に指定されていたことだ。
「別に法廷じゃなくてもいいですよね? どこか会議室を借りて、そこで謝っていただければいい」
松永さんら原告代理人は、謝罪の場所や日程は原告側が決めることを条件に受け入れると決断し、準備書面で伝えた。すると被告代理人は一転、受けられないと断り、その態度が松永さんの逆鱗に触れた。
「あの申し出は何だったんだと。彼に対して大きな心を持って接しようと思った気持ちが踏み躙られました。謝るなら裁判所だろうが会議室だろうが変わらないですよね? つまりそこまでして謝りたいと思ってなかったってことです。その程度の謝罪だったんだなと」
飯塚受刑者はなぜ、謝罪の場を法廷にこだわったのか。
松永さんは刑事訴訟と並行して20年10月、総額1億7000万円の損害賠償請求訴訟を東京地裁に起こした。裁判は現在も継続中だ。交通事故の責任をめぐる民事訴訟では、相手が任意保険に加入している場合、実態としては損保会社との間で争われる。
被告の申し出は、この裁判の法廷の場での謝罪である。つまり謝罪の事実が法廷で示されれば、「被告の反省」ととらえられ、原告への賠償額を決める際、被告にとって有利にはたらく可能性がある。過去に起きた交通事故の民事訴訟判例では、事故後の謝罪の有無など加害者の態度や言動が、賠償額算定の基準になっている。
事故直後からの飯塚受刑者による謝罪申し出の経緯を辿っていくと、賠償額を抑えたいがための謝罪と捉えられても仕方がないだろう。原告代理人が準備書面でその可能性を指摘すると、被告代理人は、「謝罪の申し入れは賠償額減額のためなどという意図は全くなかった」と明確に否定した。
結局、謝罪は実現せず、飯塚受刑者は申し入れから約20日後に刑務所に収監された。松永さんはその後に東京地裁に提出した陳述書で、このように結んでいる。
「今回の飯塚氏側の立ち振る舞いは、あまりに私たちに配慮がなく、自己中心的でした。専ら『自分たちのためだけの謝罪』の申し出であったとしか思われず、刑事事件が確定したという事実や安堵感が吹っ飛ぶほどの衝撃でした。そのような心情をぜひご理解いただきたいと思います」
以来、1年半近くが経過したが、謝罪の手紙も陳述書に対する返答も届いていない。飯塚受刑者にとって、謝罪とは何を意味していたのだろうか。松永さんが語気を強める。
「この申し出には本当に振り回されました。もちろん保険会社も営利目的だから自分たちの有利にしたいのは理解できます。だとしても、やり方がありますよね?」
しかも、交通事故における民事訴訟では、賠償額の減額を狙ったとみられる、保険会社側からのこうした対応による二次被害が相次いでいるという。
「事故で愛する人を亡くしたり、歩けなくなったり、あるいは脳に損傷を負ったとか、一生癒えない傷を心にも体にも背負っている人を相手にしていることを、保険会社側は忘れないで欲しい。不必要に人の感情を逆撫でし、追い込んでいないかと問いたいのです。僕は保険会社1社が許せないと世の中に伝えたいわけではありません。業界全体というマクロな視点で、そういう二次被害を起こさないようにして欲しいのです」
このような松永さんの心情に対し、被告代理人は取材にこう答えた。
「訴訟継続中なのでコメントは差し控えたい」
松永さんが副代表理事を務める「関東交通犯罪遺族の会(あいの会)」は昨年7月、損害保険会社側からの心ない対応や暴言などの二次被害を防止するため、指導の徹底やガイドライン策定などを求める意見書を金融庁に提出した。これを受けて日本損害保険協会は同年12月、交通事故被害者や家族の心情を解説した36ページの冊子を作り、会員企業に配布した。松永さんたちの活動が、早速芽を出し始めた。
「金融庁と損保協会は前向きに取り組んでいると聞いています。飯塚氏はもう正せないので、僕は業界の改善をこれからも訴えていきたいです。真菜と莉子の命を無駄にしないために」
松永さんは6月上旬、民事訴訟の法廷で証言台に立つ。
水谷竹秀(みずたにたけひで)ノンフィクション・ライター。1975年生まれ。上智大学外国語学部卒。2011年、『日本を捨てた男たち』で第9回開高健ノンフィクション賞を受賞。10年超のフィリピン滞在歴をもとに「アジアと日本人」について、また事件を含めた現代の世相に関しても幅広く取材。昨年5月上旬までウクライナに滞在していた。
デイリー新潮編集部