メンズアイドルとしてステージで輝きを放つ(撮影:松原大輔)
5月17日は「LGBT嫌悪に反対する国際デー」(International Day Against Homophobia, Transphobia and Biphobia)。日本では「多様な性にYESの日」として、さまざまな性に関する情報発信がなされている。
最近では、LGBT理解増進法案の法整備検討など、改めて議論が活発になってきた。実際、「LGBT」という言葉を耳にする機会も増えている。
ではその当事者たちは、いったいどういった想いで生きてきたのか。
今回はトランスジェンダーとして悩み続け、現在はメンズ地下アイドル(以下、メン地下)として活動している芸名「死に戻り、らいち。」の生き方に迫った。
自分が女性であったことは、今回メンバー以外では初めてのカミングアウトとなる。
宮城県仙台市。JR仙台駅から徒歩10分ほどの繁華街にあるライブハウス「スペースゼロ」。
キャパシティ150名ほどのこのライブハウスを拠点に、パフォーマンスを繰り広げるメンズアイドルがいる。グループ名は「僕のアイドルストーリー」(以下、僕ドル)。
メン地下としては、初めて仙台を拠点としたグループだ。
グループを立ち上げたのはメンバーの「死に戻り、らいち。」(以下、らいち)。メンズアイドルの芸名にしても、「死に戻り」とはあまりに禍々(まがまが)しい名前だろう。
この芸名は文字通り、らいちが死から戻ってきたことを意味しているものだ。しかしその実、中身はそれ以上に深く、それは彼、らいちが「女性である自分が死んで戻ってきた」ことに由来する。
1997年北海道北見市。オホーツク海に面し自然豊かな北見の地で、らいちは女の子として生を受けた。父は自営業、母は医療従事者という地元では裕福な家庭で生まれ育った。
「自分自身の性別に関する異変」を最初に感じたのは早く、小学校1年生の頃だった。
きっかけは当時、長く伸ばしていた髪をばっさりと切ったことだった。
すると周囲からは「男の子みたいだね」と言われ、完全に男の子と間違われるようになる。
当時、祖父母と通っていた銭湯でも「男の子はあっちだよ」と他の客に言われ、祖父と男風呂に入ることとなる。
そんなことが続き、幼いながらも「自分は男なんだ」と思い始めたという。
「今にして思えば、錯覚だったのかもしれません。だけど、ずっと男の子と周りから言われて、本当にそう思い込んできていました」
当時のことを、そう振り返る。これが、らいちにとって性別を初めて意識した出来事だった。
もともとサバサバとした性格で活発だったこともあり、小学校時代は男の子の友達とサッカーや野球などで遊んでいたという。この頃は、自分が女であることには特に不都合は感じず、楽しく過ごせていた。
一番左がらいちさん。この5月には新メンバーを迎え再スタートを切る(撮影:松原大輔)
変化があったのは中学時代からだ。
地元中学に進学したらいちは、学校指定の女子の制服が本当に嫌いだった。スカートを履くことに馴染めず、学校に着くなりすぐに指定のジャージに着替えるなどして対応していた。
そして成長期のこの頃、徐々に女性になってきた自分のカラダに、ひどく違和感を覚え始めたのだ。
「周りの男子とも違ってきて嫌でしたね」
膨らみ始めた胸は、らいちにとって本当にもどかしいカラダの一部となっていた。
中学時代、らいちは体操部に入り、女の子の友達と部活動に励んでいた。ショートカットも部活では違和感なく、さばけた性格も合っていた。
中学生時代は自身の感じる違和感を、らいちは誰にも相談することもなく隠して過ごしてきた。
そのまま地元の高校へと進学することになるが、ここでらいちは自身の境遇とは違う選択をする。あえて女子高に進学したのだ。
「女子高に進学したのは、自分の中では逃げですね。共学に行って、周りの男子と自分を比べて(体格などで)劣っているのが嫌だったんです。だから、あえて女子高にしました。そのほうがラクですしね」
比べるべきは女子ではなく男子。高校進学の頃、らいちの心は完全に男になっていたのだ。
けれども自分自身を「空気を読むのがうまい」と評するように、女子高では周りと合わせつつ、女子高なりのガールズトークで盛り上げてきたという。
そんならいちに転機が訪れたのは、高校2年の春だった。あるとき、性転換手術のシステムを知ることになる。
「それまで手術や性転換ができるっていうことを本当に知らなくて。それで高2の頃にネットでそれができるんだって知って、衝撃を受けました」
自分も本当に男になれるかもしれない。そう思ったらいちは、すぐに札幌のクリニックに電話し、カウンセリングの予約を入れた。この段階では周囲には内緒にして進めてきた。
手術には最低でも300万円かかることを知り、高校でも続けていた部活を辞め、学校には内緒で飲食店でアルバイトを始める。毎日、授業が終わるとバイトに行き、「少しでも費用の足しになれば」とお金を貯めてきたのだ。
カウンセリングは2カ月に1度。北見市から高速バスを利用して約1年間、札幌の病院に通い続けた。
そして、いよいよ診断書がとれるという段階になり、保護者の承諾が必要となる。つまり、これまで隠していたことを、両親に話さねばならなくなったのだ。
バイトを多いときで3つ掛け持ちしていたという(撮影:松原大輔)
診断書というのは、性別適合手術における医師の診断書である。
1年近くカウンセリングを定期的に行い、2名以上の医師により性同一性障害の診断を受け、身体的治療が妥当であると判断する診断書である。つまり、この診断書がないことには、手術は行えない。
未成年であるらいちは当然、親の承諾が必要であり、診断書をもらい手術に同意してもらうための最終確認だったのだ。
「親に話したときは、どうだったかな~。記憶が曖昧で……。母親はさらっと『男になっちゃうね』って感じで伝えて理解を得て。その後に父親に話したら、ほんと激怒されましたね」
らいち曰く、母親は薄々気がついていたというが、父は本当に怒っていたという。
長女として大切に育ててきたわけだから、行き場のない怒りだったのかもしれない。そんな父だったが「自分を納得させられる資料をもってきなさい」と答えたそうだ。
その後、母と札幌の病院にカウンセリングに向かい、診断書を無事、発行してもらえることになった。それに付随する資料を持ち帰り、父に見せるとあまりにもあっさりと納得したため、その落差に驚いた。
パフォーマンス向上のため日々レッスンで磨きをかけている(撮影:松原大輔)
そして、らいちは高校3年生の10月、胸の除去手術を受けることになる。最終的に、手術費用はバイトで貯めたお金だけでは足りず、親も負担してくれた。
手術日前夜、らいちはこれからなくなる胸を、鏡で見ていた。得も言われぬテンションになり、携帯で自分の胸の写真を撮る。とにかく「この胸がなくなる」と思うと、嬉しくて仕方なかった。
札幌の病院での手術は、母も同行し、行った。3時間ほどの手術を終え、2週間入院することとなる。なくなった自分の胸を見て本当に嬉しかった。
北見に戻り、教室に入ると、驚くほど周りの反応が何もなく、本当に以前と同じ日常が過ぎていく。誰も胸のことに関して冗談でも触れもしないし、反応もしない。
「今思うと、どう反応していいのか誰もわからなかったんだと思います。今ほど(トランスジェンダーに関する)情報もないですし、自分でもどうしていいかわからなかったので」
今からわずか9年前のこととはいえ、性同一性障害のことは話題に上がることは少なかった。だからこそ、誰も何も言わないという態度で日々を送ったのであろう。ましてや女子高だ。女子高に男性になりたい子がいるとは普通は思わないだろう。
かくして、らいちの見た目は完全に男になった。
駆け足となるがその後、らいちは札幌で専門学校を卒業。22歳の頃、名古屋の病院で下半身の手術を行い、完全に男となる。裁判所にて性別の変更も受理され、戸籍上も晴れて男性となったわけだ。
メンズアイドルのことを本当に何も知らずに飛び込んだ(撮影:松原大輔)
それから、らいちは男として青春を取り戻しにいくことになる。そこで思いついたのがメンズアイドルだった。
「男としてやりたいことを考えたときに『アイドルになれば全部できる』って思ったんです。そのときは、メン地下のこととか本当に何も知らなくて。たまたまやったら、それだと後から知りました(笑)」
「本当にたまたまですね。札幌から出たいと思って行った先が仙台だったんです」
何かに導かれるように辿り着いた仙台。当時はまだ、メンズアイドル未開の地であった。
正確には、らいちがグループを立ち上げた当時は、ライバルがいない状態だった。
この思いつきの仙台行きに、性別を変えたことが何か影響しているのかは、らいち本人すらわからない。不思議なこととしか言いようがないだろう。
そこからの展開は早かった。どこか既存の芸能事務所に所属するわけでもなく、自らアイドルグループを作るべく奔走。
まずはSNSなどでメンバーを募集。メンバーの選考を行いつつ、曲を作り、ダンスの先生を探す。メンバーが決まったところで、レッスンを始める。拠点となるライブハウスなども何のつてもないゼロからあたっていった。
「もうとにかく手探りの状態で始めたんですが、不思議とうまくいきましたね。もっとも、その後が大変だったのですが」
右往左往しながらも2021年11月1日、らいちの手掛ける「僕ドル」がデビュー。だが、現実は厳しく、10人にも満たないファンの前での公演が続く。
同時に、メンバーもモチベーションが低下し、一人抜け、また一人抜け、とらいちの元を去っていった。
残念ながら、真剣に「アイドルとして売れたい」という想いを共有できる者は少なかった。弟分となる新グループを立ち上げ、「僕ドル」の動員も増えたが、新グループのメンバーもまた、わずかの間に去っていった。
そしてこの5月に信頼できるメンバーとらいちで「僕ドル」が新たなスタートを切る。
はっきりいって彼らのステージは、まだまだ褒められるレベルではない。それは彼ら自身が一番よく知っている。
だからこそ、ここからのリスタートにらいちは男として、メンズアイドルとして、人生をかけて取り組んでいる。
「自分が女だった話をネタとしてできるようになるまで26年かかりました。苦しいこともあったけど、男になれて本当によかったって思います。今は男として、アイドルとして、もっと上を目指すことだけ考えてます」
まだ人には語れないことも多いだろう。それだけの苦悩を重ねてきた。だがそんな素振りは微塵も見せない。
今、らいちは遅れてきた青春を取り戻し、その先の景色を見るために走り続けている。
本気で残ったメンバーには信頼を寄せている(撮影:松原大輔)
(松原 大輔 : 編集者・ライター)