自宅の車庫前でうずくまりながら、覚悟した。「もう死ぬんだな」。腕で必死に頭を守っても、鋭い爪と牙が何度となく襲いかかる。一瞬の隙(すき)をついて逃げたが、相手はすぐ後ろまで迫ってきた――。周辺ではこの日、すでに4人がツキノワグマに襲われていた。その直後に「5人目」となってしまった男性が、一部始終を語った。
【写真まとめ】全身に痛々しい傷が残る湊屋さん 湊屋啓二さん(66)が街の異変を察知したのは、10月19日の朝だった。北秋田市は人口3万人ほどの市で、湊屋さんが営む秋田名物「バター餅」で有名な菓子店「鷹松堂(たかまつどう)」は、市役所や警察署が集まる街の中心部にある。

午前7時ごろ。店舗兼自宅の隣にある工場で餅を切っていた湊屋さんは、悲鳴を上げながら走る若い女性を見た。外に出ると、目の前の交差点では高齢の女性がうずくまり、人が集まっていた。 湊屋さんは後から知ることになるが、この2人が襲われる直前にも、2人の女性が被害に遭っていた。北秋田署によると、場所は約700メートル離れた住宅街。いずれも80代で、散歩中だった。湊屋さんが見た女子高校生(16)は3人目。バス停でバスを待っていたところ、左腕をかまれた。交差点でうずくまっていた女性(82)は4人目で、背後から襲われて肩に裂傷を負った。他のクマの目撃情報はなく、全て1匹が襲ったと考えられた。4人とも病院で手当てを受けたが、命に別条はないという。 工場に戻った後、自宅とは裏庭を挟んで反対側にある車庫が気になった。知人からは「パトカーは別の方に向かった」と聞き、「クマは離れたんだろう」と信じたが、「入られたら困るな」とシャッターを閉めた。 午前11時すぎ、会合に出かけようと車庫のシャッターを開けた。その瞬間、黒い大きなクマと目が合った。「でかい。ヤバい」。記憶では、クマの大きさは1.5メートルほど。お互いの距離は2メートルもなかった。 「目をそらさずにゆっくり後ずさり。10メートル以内に近づいてきたらスプレーを……」。出合ってしまった時の対処法は頭に入っていた。しかし、あまりに至近距離だった。4人を襲った後に閉じ込められ、人の気配に敏感になっていたクマと、無防備だった湊屋さん。40メートルほど離れた工場に戻ろうと走り出したが、気づくと後ろにいたはずのクマに前から倒されていた。 うつぶせになりきれず、右向きに横たわった。クマは片手で湊屋さんの顔や腰あたりを押さえながら、もう片方の手でひっかいたりかんだりと攻撃を繰り返してきた。耳元で、興奮した荒い声も聞こえた。 必死に頭をかばいながら耐えた。隙を見て工場に向かって走り、内側から戸を閉めた。クマは戸の前をしばらくうろうろした後、車庫の方へ戻って行った。 「クマに襲われた」。自ら携帯電話で110番するのと同時に、店にいた妻には救急車を呼んでもらった。ふと工場の小さな鏡で頭の傷を確認すると、皮膚が10センチほど裂け、頭蓋骨(ずがいこつ)が見えていた。ドクターヘリで秋田市の病院に搬送され、治療を受けた。8日後に退院できたが、全身の傷は今も痛々しい。 環境省によると、今年度のクマによる人身被害は164件(10月末現在)で、統計を取り始めた2006年度以降ですでに1年間の最多を更新した。背景には、冬眠前のクマにとって貴重なエサとなるブナやミズナラなどの木の実の不作があるとみられる。秋田県自然保護課は「今年は特に不作。少量の実を強いオスが独占し、他のクマが市街地まで降りてきてしまっているのでは」と分析する。【猪森万里夏】
湊屋啓二さん(66)が街の異変を察知したのは、10月19日の朝だった。北秋田市は人口3万人ほどの市で、湊屋さんが営む秋田名物「バター餅」で有名な菓子店「鷹松堂(たかまつどう)」は、市役所や警察署が集まる街の中心部にある。
午前7時ごろ。店舗兼自宅の隣にある工場で餅を切っていた湊屋さんは、悲鳴を上げながら走る若い女性を見た。外に出ると、目の前の交差点では高齢の女性がうずくまり、人が集まっていた。
湊屋さんは後から知ることになるが、この2人が襲われる直前にも、2人の女性が被害に遭っていた。北秋田署によると、場所は約700メートル離れた住宅街。いずれも80代で、散歩中だった。
湊屋さんが見た女子高校生(16)は3人目。バス停でバスを待っていたところ、左腕をかまれた。交差点でうずくまっていた女性(82)は4人目で、背後から襲われて肩に裂傷を負った。他のクマの目撃情報はなく、全て1匹が襲ったと考えられた。4人とも病院で手当てを受けたが、命に別条はないという。
工場に戻った後、自宅とは裏庭を挟んで反対側にある車庫が気になった。知人からは「パトカーは別の方に向かった」と聞き、「クマは離れたんだろう」と信じたが、「入られたら困るな」とシャッターを閉めた。
午前11時すぎ、会合に出かけようと車庫のシャッターを開けた。その瞬間、黒い大きなクマと目が合った。「でかい。ヤバい」。記憶では、クマの大きさは1.5メートルほど。お互いの距離は2メートルもなかった。
「目をそらさずにゆっくり後ずさり。10メートル以内に近づいてきたらスプレーを……」。出合ってしまった時の対処法は頭に入っていた。しかし、あまりに至近距離だった。4人を襲った後に閉じ込められ、人の気配に敏感になっていたクマと、無防備だった湊屋さん。40メートルほど離れた工場に戻ろうと走り出したが、気づくと後ろにいたはずのクマに前から倒されていた。
うつぶせになりきれず、右向きに横たわった。クマは片手で湊屋さんの顔や腰あたりを押さえながら、もう片方の手でひっかいたりかんだりと攻撃を繰り返してきた。耳元で、興奮した荒い声も聞こえた。
必死に頭をかばいながら耐えた。隙を見て工場に向かって走り、内側から戸を閉めた。クマは戸の前をしばらくうろうろした後、車庫の方へ戻って行った。
「クマに襲われた」。自ら携帯電話で110番するのと同時に、店にいた妻には救急車を呼んでもらった。ふと工場の小さな鏡で頭の傷を確認すると、皮膚が10センチほど裂け、頭蓋骨(ずがいこつ)が見えていた。ドクターヘリで秋田市の病院に搬送され、治療を受けた。8日後に退院できたが、全身の傷は今も痛々しい。
環境省によると、今年度のクマによる人身被害は164件(10月末現在)で、統計を取り始めた2006年度以降ですでに1年間の最多を更新した。背景には、冬眠前のクマにとって貴重なエサとなるブナやミズナラなどの木の実の不作があるとみられる。秋田県自然保護課は「今年は特に不作。少量の実を強いオスが独占し、他のクマが市街地まで降りてきてしまっているのでは」と分析する。【猪森万里夏】