毎年のように報告される「新卒社員が入社直後に退職してしまった」という企業の嘆き。大卒の若手社員の3割が3年以内に離職するという状況が近年も続いている。(厚生労働省発表「学歴別就職後3年以内離職率の推移」)
【画像】バリバリの体育会出身だったが……わずか1日で会社を辞めた愛川みさとさん(仮名) 就職活動を乗り越え、望んで入ったはずの会社をなぜあっさりと辞めてしまうのか? 実際に、新卒で入社した会社をすぐ辞めてしまったという2人の女性に話を聞いた。※写真はイメージです AFLO

◆ ◆ ◆バリバリの体育会出身だったが、わずか1日で退社 1人目は現在20代後半の愛川みさとさん(仮名)。関西の大学を卒業し、全国にチェーン展開をしている飲食店業界の企業に入社したが、その初日に「なんか違うな」と感じ、わずか1日で退社してしまったという。「初日に入社式と新人研修があったのですが、この1日目で、『あ、違うわ』と思ってしまったんです。その日にすぐ、辞めることを決めました」 いったい何が引っかかったのか?「新入社員が集められると、偉そうな中年の男性社員が現れて、『起立!』と大声で号令をかけはじめたんです。私たちが立つと、『反応が遅い』とか『姿勢が悪い』とか怒られて、何回も何回も起立と着席を繰り返しさせられました。私は大学までずっと体育会系だったので理不尽な指導っていうのは何となく分かるんですけど、それでも研修という名目で意味の分からないことをやらされている気がして、すごく嫌でした」“ダメ出し”を受けて「ちょっと無理かな」 いわゆる「軍隊式研修」「圧迫研修」と呼ばれる類の研修だったのだろう。話を聞く限り、そこまで極端にブラックなものではなかったようにも思えるが、その後の研修も愛川さんにとっては苦痛な時間だったという。「いくつかのグループに分かれてレクリエーションのような伝言ゲームや、プレゼン大会がありました。ここでも男性の担当社員が、『チームワークをもっと大事にしてやれ!』『声が小さい!』とかいちいち厳しく言ってくるし、プレゼンの講評も偉そうなダメ出しばかり。同期入社は100人弱くらいだったと思いますけど、周りの子たちもびっくりしていましたね。それでもう、ちょっと無理かな、と」 愛川さんは大学ではバリバリの名門体育会出身で、一時は本気で実業団チームに行くことも考えたレベル。その経験から、ある程度打たれ強い性格だと思っていたが、会社の指導方法への違和感は拭えなかったという。「よくわからないし、いきなり偉そうにされても」「体育会で出会った監督やコーチの中には、選手に対して偉そうにする人もいましたが、そこにはちゃんと“競技で記録を伸ばす”という目的や理由があるわけです。その監督に今までどんな経歴があってどんな実績があるというのもはっきりしている。だから『この人の言うことを信用してついていけばなんとかなる』と思って、厳しい指導も頑張れました。 でも、入社間もない会社では上司の実績も人柄もよくわからないし、いきなり偉そうにされても、それはただの理不尽な叱責としか思えませんでした」 就職活動中は、こうした企業の空気や体質が見えることはなく、「会社にいい印象を持っていた」という愛川さん。「新卒採用の選考は4次面接までありましたが、最初のグループ面接では人当たりのいい若手の社員さんが担当だったし、最終の役員面接も体育会系な印象はなかったですね。 内定をもらった後に就活サイトとかで企業の評判も調べたので、それなりに上下関係が厳しい会社であることは予想していました。それでも行ってみなければ分からないし、どんな企業だってプラスもマイナスもあるだろうから、まず3年間くらいは頑張ってみようかという気持ちだったんですが……」入社前には気づけなかったこと だが――。出社初日の夜には、もう辞める決意を固めていたという。「全国チェーンを展開している企業なので、配属次第では家族も友人もいない土地で、こんな雰囲気の上司と一緒に働くことになるかもしれない……。そう思ったらもう無理でした。『入社前から分かることじゃないか』と言われればその通りですけど、私は会社や上司の雰囲気まで完全に掴むことはできませんでした。とにかく、辞めることに迷いはなかったです」 翌日、愛川さんは会社に電話をして退職の意向を伝えた。「本当は何も連絡せずに音信不通になってしまおうかなと思ったけど、さすがにしませんでした。人事の方は驚いた様子で引き留めて、『とりあえず一度会って話をしよう』と言われたので、後日、面談する約束だけはしました。でも、辞める決心は固かったので話をしても意味がないと思っていましたね」 数日後に本社まで出向いて話を聞いたものの、その面談でも、本音を伝えることはなかったという。会社には伝えなかった“本音”「引き留めるためなのか、人事の方はいろいろ話してくれました。『まだ研修期間中だけど現場に出たらもっと勉強になる』とか、『もっと違う面白さややりがいがあるよ』みたいなことを言われました。けど、私としてはもう辞めるって決めていたので、何も響きませんでしたね。 理由も聞かれましたが、『雰囲気が合わないと思いました』とか、フワッと答えたと思います。『研修の上司が嫌すぎて』とも言いづらいし、言っても何かが変わるわけでもないしなあ、と」 入社した企業にそれほど執着が無かったことも、すぐ辞める決断をした一因だったかもしれないという。「私は就活でそんなに苦労しなかったんです。4年生になって部活と同時進行で就職活動をしたんですが、体育会に所属していたことは営業系で印象がいいんですよね。 夏頃に資料を集め始め就活サイトに登録して、いくつかの企業にエントリーしましたが、志望動機に『この競技を何年間続けて、これだけ頑張ってこんな実績を残しました。その経験をこの企業でも活かしたいです』みたいなことを話せば十分で、複数の内定をもらいました。その中から希望の業種を選んだという感じです」両親や友人たち、周囲の反応は? 入社初日の“スピード退社”について両親や友人たちからは何も言われなかったのか。「両親からはそんなに強くは言われませんでしたね。母は『あんた、辞めてどうするの? ニートはだめよ』くらい。父からは『何のために大学へ行かせたと思ってんねん』とは言われましたが、私が人の話をあまり聞かない性格だと知っているので、とりあえず言うだけは言っておいたという感じでした。友達はもっと緩くて『あー、そう』と驚かれもしなかった。 大学の同期でも入った会社をすぐ辞めた子がいたし、ハローワークに行った時にも私と同じような若い人が結構来ていましたね」 愛川さんは退職後すぐに、学生時代にバイトをしていたネット回線事業の仕事を再開した。その後、いくつかの仕事を経験する中で興味を持った映像系の仕事を始め、現在は東京で暮らしている。「辞めたことはまったく後悔していません。今の仕事はまだ何とか食べていけるくらいですが、それでも最初の会社で我慢しながらやるよりずっと楽しいと思う。辞めて正解だったと思っています。 大学の時って、みんな『自分に何が向いているか』『何がやりたいか』とか色々考えるじゃないですか。けど結局、やってないから実際のところは分からないし、やってみてはじめて分かることも多い。入った会社が自分に合わないと思うのなら、決断は早い方がいいですよね」新聞社を2週間で“スピード退社”した 2人目は、とある新聞社に入社したものの、わずか2週間で退社したという藤谷葉月さん(仮名)。 地方から東京の大学に進学し、文章を書く仕事を志して就職活動を行った。その結果、地元のブロック紙から内定をもらったのだが、卒業前にはすっかり就職する気を失っていたという。「内定をもらえたことは嬉しかったですし、両親もとても喜んでくれました。でもいざ地元に戻ることを考えた時に、やっぱり東京にいたくなったんです。あまり地元にいい思い出はなかったし、東京でいろんな人に出会えたことはすごく刺激的だったので、まだ帰りたくはないなと思ってしまって」 藤谷さんは大学の先輩から紹介してもらった編集プロダクションからも内定を得て、新聞社の内定を辞退する気持ちを固めていった。最大の問題は、両親からの理解を得られなかったことだった。両親に内定辞退を伝えると…「あんたバカじゃないの?」「両親にはなかなか本音を言い出せなくて……。入社まで1ヶ月を切ったときにようやく、『やっぱり内定は辞退する。地元には帰らない』と伝えると『あんたバカじゃないの?』と。全く受け入れてもらえませんでした」 実は藤谷さんはこの時期、就職へのストレスが爆発して、精神的に不安定になっていたという。「リストカットに走ったり、飲み歩いては下剤を飲んだり吐いたりを繰り返すという生活をしていました。卑怯だとは思いながら、両親にリスカの跡を見せて『地元に帰るのは不安』『今の環境から離れたくない』と必死に説得しました」 両親は、「死ぬくらいなら何でもいい。けど、せっかく地元のいい企業に受かったのに1回も出社しないのはもったいない。せめて研修期間だけでも行ってくれ」と言い始めたという。「はじめは『そんな失礼なことはできない』と拒否しましたが、両親はなかなか引いてくれませんでした。そのうち『おばあちゃんが、せっかくあんたが地元に戻ってくると思っていたのに、来ないって聞いて泣いてるよ』とか、『お父さんはあなたの現状を聞いて具合が悪くなり、仕事を休んでいます』といった連絡が来るようになった。仕方なく研修期間だけは行くことに同意しました」 地元への交通費や引っ越し費用はすべて両親が負担。藤谷さんは、働く予定だった編集プロダクションに入社時期を遅らせてもらうよう交渉し、新聞社の研修に参加した。「すぐに辞めるのに」と思いながら新人研修に参加「研修期間はおよそ2週間。4月の入社式からマナー講座、自動車研修、各部署への挨拶まわりなどで、あっという間に時間が経ちました」 困ったのは社員との関係だ。2週間後に辞めると決めていただけに、常に後ろめたさがあったという。「研修中には社長との会食もあったんですが、私は5回ほどインターンに参加していたので『あなたは絶対に来てくれると思ってました、うれしいです』と言われて気まずかったですね。5人ほどいた同期入社の人たちともそれなりに仲良くなってしまい、内心では『すぐ辞めるのに申し訳ないな』と思いながら付き合っていました」 東京にいた時のように、地元でも繁華街に繰り出して飲み明かしたりもしてみたが、考えが変わることはなかった。「どのお店に行っても知り合いと鉢合わせしてしまうことが多くて。わたしは『色々な人と出会いたい』という思いが強いんだなということを再認識しました。地元にいてもやりたいことが達成できないんじゃないかという不安に駆られるばかりで、やっぱり合ってないのかなと。 研修の最終日は打ち上げをすると言われていたので、気まずさから病欠しました。すると、同期全員から純粋に心配をする『体調は大丈夫?』というLINEが届いたりして罪悪感がさらに募りましたね」「デリヘルで働いていた」と告げてクビ扱いに 研修が終わった翌日は出勤日だったが、休みを取ったうえで人事部に行き辞表を提出した。当然のように理由を聞かれたが、本当の事情は言えなかった。「最初は『一身上の都合』で押し通そうとしたんですが、さすがに納得してもらえず問い質されて。仕方なく最後には、『実は研修期間中、副業としてデリヘルで働いていた』という嘘をでっちあげました。ここまで言わないと納得してもらえないと思ったんです。会社は副業禁止だったので、それでほぼクビ扱いになりました」 “スピード退社”について地元や会社の人たちにどう思われているかは、「全く気にならない」という藤谷さん。退社から1年経った現在、藤谷さんは東京で忙しく働く日々を送っている。(清談社)
就職活動を乗り越え、望んで入ったはずの会社をなぜあっさりと辞めてしまうのか? 実際に、新卒で入社した会社をすぐ辞めてしまったという2人の女性に話を聞いた。
※写真はイメージです AFLO
◆ ◆ ◆
1人目は現在20代後半の愛川みさとさん(仮名)。関西の大学を卒業し、全国にチェーン展開をしている飲食店業界の企業に入社したが、その初日に「なんか違うな」と感じ、わずか1日で退社してしまったという。
「初日に入社式と新人研修があったのですが、この1日目で、『あ、違うわ』と思ってしまったんです。その日にすぐ、辞めることを決めました」
いったい何が引っかかったのか?
「新入社員が集められると、偉そうな中年の男性社員が現れて、『起立!』と大声で号令をかけはじめたんです。私たちが立つと、『反応が遅い』とか『姿勢が悪い』とか怒られて、何回も何回も起立と着席を繰り返しさせられました。私は大学までずっと体育会系だったので理不尽な指導っていうのは何となく分かるんですけど、それでも研修という名目で意味の分からないことをやらされている気がして、すごく嫌でした」
いわゆる「軍隊式研修」「圧迫研修」と呼ばれる類の研修だったのだろう。話を聞く限り、そこまで極端にブラックなものではなかったようにも思えるが、その後の研修も愛川さんにとっては苦痛な時間だったという。
「いくつかのグループに分かれてレクリエーションのような伝言ゲームや、プレゼン大会がありました。ここでも男性の担当社員が、『チームワークをもっと大事にしてやれ!』『声が小さい!』とかいちいち厳しく言ってくるし、プレゼンの講評も偉そうなダメ出しばかり。同期入社は100人弱くらいだったと思いますけど、周りの子たちもびっくりしていましたね。それでもう、ちょっと無理かな、と」
愛川さんは大学ではバリバリの名門体育会出身で、一時は本気で実業団チームに行くことも考えたレベル。その経験から、ある程度打たれ強い性格だと思っていたが、会社の指導方法への違和感は拭えなかったという。
「体育会で出会った監督やコーチの中には、選手に対して偉そうにする人もいましたが、そこにはちゃんと“競技で記録を伸ばす”という目的や理由があるわけです。その監督に今までどんな経歴があってどんな実績があるというのもはっきりしている。だから『この人の言うことを信用してついていけばなんとかなる』と思って、厳しい指導も頑張れました。
でも、入社間もない会社では上司の実績も人柄もよくわからないし、いきなり偉そうにされても、それはただの理不尽な叱責としか思えませんでした」
就職活動中は、こうした企業の空気や体質が見えることはなく、「会社にいい印象を持っていた」という愛川さん。「新卒採用の選考は4次面接までありましたが、最初のグループ面接では人当たりのいい若手の社員さんが担当だったし、最終の役員面接も体育会系な印象はなかったですね。 内定をもらった後に就活サイトとかで企業の評判も調べたので、それなりに上下関係が厳しい会社であることは予想していました。それでも行ってみなければ分からないし、どんな企業だってプラスもマイナスもあるだろうから、まず3年間くらいは頑張ってみようかという気持ちだったんですが……」入社前には気づけなかったこと だが――。出社初日の夜には、もう辞める決意を固めていたという。「全国チェーンを展開している企業なので、配属次第では家族も友人もいない土地で、こんな雰囲気の上司と一緒に働くことになるかもしれない……。そう思ったらもう無理でした。『入社前から分かることじゃないか』と言われればその通りですけど、私は会社や上司の雰囲気まで完全に掴むことはできませんでした。とにかく、辞めることに迷いはなかったです」 翌日、愛川さんは会社に電話をして退職の意向を伝えた。「本当は何も連絡せずに音信不通になってしまおうかなと思ったけど、さすがにしませんでした。人事の方は驚いた様子で引き留めて、『とりあえず一度会って話をしよう』と言われたので、後日、面談する約束だけはしました。でも、辞める決心は固かったので話をしても意味がないと思っていましたね」 数日後に本社まで出向いて話を聞いたものの、その面談でも、本音を伝えることはなかったという。会社には伝えなかった“本音”「引き留めるためなのか、人事の方はいろいろ話してくれました。『まだ研修期間中だけど現場に出たらもっと勉強になる』とか、『もっと違う面白さややりがいがあるよ』みたいなことを言われました。けど、私としてはもう辞めるって決めていたので、何も響きませんでしたね。 理由も聞かれましたが、『雰囲気が合わないと思いました』とか、フワッと答えたと思います。『研修の上司が嫌すぎて』とも言いづらいし、言っても何かが変わるわけでもないしなあ、と」 入社した企業にそれほど執着が無かったことも、すぐ辞める決断をした一因だったかもしれないという。「私は就活でそんなに苦労しなかったんです。4年生になって部活と同時進行で就職活動をしたんですが、体育会に所属していたことは営業系で印象がいいんですよね。 夏頃に資料を集め始め就活サイトに登録して、いくつかの企業にエントリーしましたが、志望動機に『この競技を何年間続けて、これだけ頑張ってこんな実績を残しました。その経験をこの企業でも活かしたいです』みたいなことを話せば十分で、複数の内定をもらいました。その中から希望の業種を選んだという感じです」両親や友人たち、周囲の反応は? 入社初日の“スピード退社”について両親や友人たちからは何も言われなかったのか。「両親からはそんなに強くは言われませんでしたね。母は『あんた、辞めてどうするの? ニートはだめよ』くらい。父からは『何のために大学へ行かせたと思ってんねん』とは言われましたが、私が人の話をあまり聞かない性格だと知っているので、とりあえず言うだけは言っておいたという感じでした。友達はもっと緩くて『あー、そう』と驚かれもしなかった。 大学の同期でも入った会社をすぐ辞めた子がいたし、ハローワークに行った時にも私と同じような若い人が結構来ていましたね」 愛川さんは退職後すぐに、学生時代にバイトをしていたネット回線事業の仕事を再開した。その後、いくつかの仕事を経験する中で興味を持った映像系の仕事を始め、現在は東京で暮らしている。「辞めたことはまったく後悔していません。今の仕事はまだ何とか食べていけるくらいですが、それでも最初の会社で我慢しながらやるよりずっと楽しいと思う。辞めて正解だったと思っています。 大学の時って、みんな『自分に何が向いているか』『何がやりたいか』とか色々考えるじゃないですか。けど結局、やってないから実際のところは分からないし、やってみてはじめて分かることも多い。入った会社が自分に合わないと思うのなら、決断は早い方がいいですよね」新聞社を2週間で“スピード退社”した 2人目は、とある新聞社に入社したものの、わずか2週間で退社したという藤谷葉月さん(仮名)。 地方から東京の大学に進学し、文章を書く仕事を志して就職活動を行った。その結果、地元のブロック紙から内定をもらったのだが、卒業前にはすっかり就職する気を失っていたという。「内定をもらえたことは嬉しかったですし、両親もとても喜んでくれました。でもいざ地元に戻ることを考えた時に、やっぱり東京にいたくなったんです。あまり地元にいい思い出はなかったし、東京でいろんな人に出会えたことはすごく刺激的だったので、まだ帰りたくはないなと思ってしまって」 藤谷さんは大学の先輩から紹介してもらった編集プロダクションからも内定を得て、新聞社の内定を辞退する気持ちを固めていった。最大の問題は、両親からの理解を得られなかったことだった。両親に内定辞退を伝えると…「あんたバカじゃないの?」「両親にはなかなか本音を言い出せなくて……。入社まで1ヶ月を切ったときにようやく、『やっぱり内定は辞退する。地元には帰らない』と伝えると『あんたバカじゃないの?』と。全く受け入れてもらえませんでした」 実は藤谷さんはこの時期、就職へのストレスが爆発して、精神的に不安定になっていたという。「リストカットに走ったり、飲み歩いては下剤を飲んだり吐いたりを繰り返すという生活をしていました。卑怯だとは思いながら、両親にリスカの跡を見せて『地元に帰るのは不安』『今の環境から離れたくない』と必死に説得しました」 両親は、「死ぬくらいなら何でもいい。けど、せっかく地元のいい企業に受かったのに1回も出社しないのはもったいない。せめて研修期間だけでも行ってくれ」と言い始めたという。「はじめは『そんな失礼なことはできない』と拒否しましたが、両親はなかなか引いてくれませんでした。そのうち『おばあちゃんが、せっかくあんたが地元に戻ってくると思っていたのに、来ないって聞いて泣いてるよ』とか、『お父さんはあなたの現状を聞いて具合が悪くなり、仕事を休んでいます』といった連絡が来るようになった。仕方なく研修期間だけは行くことに同意しました」 地元への交通費や引っ越し費用はすべて両親が負担。藤谷さんは、働く予定だった編集プロダクションに入社時期を遅らせてもらうよう交渉し、新聞社の研修に参加した。「すぐに辞めるのに」と思いながら新人研修に参加「研修期間はおよそ2週間。4月の入社式からマナー講座、自動車研修、各部署への挨拶まわりなどで、あっという間に時間が経ちました」 困ったのは社員との関係だ。2週間後に辞めると決めていただけに、常に後ろめたさがあったという。「研修中には社長との会食もあったんですが、私は5回ほどインターンに参加していたので『あなたは絶対に来てくれると思ってました、うれしいです』と言われて気まずかったですね。5人ほどいた同期入社の人たちともそれなりに仲良くなってしまい、内心では『すぐ辞めるのに申し訳ないな』と思いながら付き合っていました」 東京にいた時のように、地元でも繁華街に繰り出して飲み明かしたりもしてみたが、考えが変わることはなかった。「どのお店に行っても知り合いと鉢合わせしてしまうことが多くて。わたしは『色々な人と出会いたい』という思いが強いんだなということを再認識しました。地元にいてもやりたいことが達成できないんじゃないかという不安に駆られるばかりで、やっぱり合ってないのかなと。 研修の最終日は打ち上げをすると言われていたので、気まずさから病欠しました。すると、同期全員から純粋に心配をする『体調は大丈夫?』というLINEが届いたりして罪悪感がさらに募りましたね」「デリヘルで働いていた」と告げてクビ扱いに 研修が終わった翌日は出勤日だったが、休みを取ったうえで人事部に行き辞表を提出した。当然のように理由を聞かれたが、本当の事情は言えなかった。「最初は『一身上の都合』で押し通そうとしたんですが、さすがに納得してもらえず問い質されて。仕方なく最後には、『実は研修期間中、副業としてデリヘルで働いていた』という嘘をでっちあげました。ここまで言わないと納得してもらえないと思ったんです。会社は副業禁止だったので、それでほぼクビ扱いになりました」 “スピード退社”について地元や会社の人たちにどう思われているかは、「全く気にならない」という藤谷さん。退社から1年経った現在、藤谷さんは東京で忙しく働く日々を送っている。(清談社)
就職活動中は、こうした企業の空気や体質が見えることはなく、「会社にいい印象を持っていた」という愛川さん。
「新卒採用の選考は4次面接までありましたが、最初のグループ面接では人当たりのいい若手の社員さんが担当だったし、最終の役員面接も体育会系な印象はなかったですね。
内定をもらった後に就活サイトとかで企業の評判も調べたので、それなりに上下関係が厳しい会社であることは予想していました。それでも行ってみなければ分からないし、どんな企業だってプラスもマイナスもあるだろうから、まず3年間くらいは頑張ってみようかという気持ちだったんですが……」
だが――。出社初日の夜には、もう辞める決意を固めていたという。
「全国チェーンを展開している企業なので、配属次第では家族も友人もいない土地で、こんな雰囲気の上司と一緒に働くことになるかもしれない……。そう思ったらもう無理でした。『入社前から分かることじゃないか』と言われればその通りですけど、私は会社や上司の雰囲気まで完全に掴むことはできませんでした。とにかく、辞めることに迷いはなかったです」
翌日、愛川さんは会社に電話をして退職の意向を伝えた。
「本当は何も連絡せずに音信不通になってしまおうかなと思ったけど、さすがにしませんでした。人事の方は驚いた様子で引き留めて、『とりあえず一度会って話をしよう』と言われたので、後日、面談する約束だけはしました。でも、辞める決心は固かったので話をしても意味がないと思っていましたね」
数日後に本社まで出向いて話を聞いたものの、その面談でも、本音を伝えることはなかったという。
「引き留めるためなのか、人事の方はいろいろ話してくれました。『まだ研修期間中だけど現場に出たらもっと勉強になる』とか、『もっと違う面白さややりがいがあるよ』みたいなことを言われました。けど、私としてはもう辞めるって決めていたので、何も響きませんでしたね。
理由も聞かれましたが、『雰囲気が合わないと思いました』とか、フワッと答えたと思います。『研修の上司が嫌すぎて』とも言いづらいし、言っても何かが変わるわけでもないしなあ、と」
入社した企業にそれほど執着が無かったことも、すぐ辞める決断をした一因だったかもしれないという。
「私は就活でそんなに苦労しなかったんです。4年生になって部活と同時進行で就職活動をしたんですが、体育会に所属していたことは営業系で印象がいいんですよね。
夏頃に資料を集め始め就活サイトに登録して、いくつかの企業にエントリーしましたが、志望動機に『この競技を何年間続けて、これだけ頑張ってこんな実績を残しました。その経験をこの企業でも活かしたいです』みたいなことを話せば十分で、複数の内定をもらいました。その中から希望の業種を選んだという感じです」
両親や友人たち、周囲の反応は? 入社初日の“スピード退社”について両親や友人たちからは何も言われなかったのか。「両親からはそんなに強くは言われませんでしたね。母は『あんた、辞めてどうするの? ニートはだめよ』くらい。父からは『何のために大学へ行かせたと思ってんねん』とは言われましたが、私が人の話をあまり聞かない性格だと知っているので、とりあえず言うだけは言っておいたという感じでした。友達はもっと緩くて『あー、そう』と驚かれもしなかった。 大学の同期でも入った会社をすぐ辞めた子がいたし、ハローワークに行った時にも私と同じような若い人が結構来ていましたね」 愛川さんは退職後すぐに、学生時代にバイトをしていたネット回線事業の仕事を再開した。その後、いくつかの仕事を経験する中で興味を持った映像系の仕事を始め、現在は東京で暮らしている。「辞めたことはまったく後悔していません。今の仕事はまだ何とか食べていけるくらいですが、それでも最初の会社で我慢しながらやるよりずっと楽しいと思う。辞めて正解だったと思っています。 大学の時って、みんな『自分に何が向いているか』『何がやりたいか』とか色々考えるじゃないですか。けど結局、やってないから実際のところは分からないし、やってみてはじめて分かることも多い。入った会社が自分に合わないと思うのなら、決断は早い方がいいですよね」新聞社を2週間で“スピード退社”した 2人目は、とある新聞社に入社したものの、わずか2週間で退社したという藤谷葉月さん(仮名)。 地方から東京の大学に進学し、文章を書く仕事を志して就職活動を行った。その結果、地元のブロック紙から内定をもらったのだが、卒業前にはすっかり就職する気を失っていたという。「内定をもらえたことは嬉しかったですし、両親もとても喜んでくれました。でもいざ地元に戻ることを考えた時に、やっぱり東京にいたくなったんです。あまり地元にいい思い出はなかったし、東京でいろんな人に出会えたことはすごく刺激的だったので、まだ帰りたくはないなと思ってしまって」 藤谷さんは大学の先輩から紹介してもらった編集プロダクションからも内定を得て、新聞社の内定を辞退する気持ちを固めていった。最大の問題は、両親からの理解を得られなかったことだった。両親に内定辞退を伝えると…「あんたバカじゃないの?」「両親にはなかなか本音を言い出せなくて……。入社まで1ヶ月を切ったときにようやく、『やっぱり内定は辞退する。地元には帰らない』と伝えると『あんたバカじゃないの?』と。全く受け入れてもらえませんでした」 実は藤谷さんはこの時期、就職へのストレスが爆発して、精神的に不安定になっていたという。「リストカットに走ったり、飲み歩いては下剤を飲んだり吐いたりを繰り返すという生活をしていました。卑怯だとは思いながら、両親にリスカの跡を見せて『地元に帰るのは不安』『今の環境から離れたくない』と必死に説得しました」 両親は、「死ぬくらいなら何でもいい。けど、せっかく地元のいい企業に受かったのに1回も出社しないのはもったいない。せめて研修期間だけでも行ってくれ」と言い始めたという。「はじめは『そんな失礼なことはできない』と拒否しましたが、両親はなかなか引いてくれませんでした。そのうち『おばあちゃんが、せっかくあんたが地元に戻ってくると思っていたのに、来ないって聞いて泣いてるよ』とか、『お父さんはあなたの現状を聞いて具合が悪くなり、仕事を休んでいます』といった連絡が来るようになった。仕方なく研修期間だけは行くことに同意しました」 地元への交通費や引っ越し費用はすべて両親が負担。藤谷さんは、働く予定だった編集プロダクションに入社時期を遅らせてもらうよう交渉し、新聞社の研修に参加した。「すぐに辞めるのに」と思いながら新人研修に参加「研修期間はおよそ2週間。4月の入社式からマナー講座、自動車研修、各部署への挨拶まわりなどで、あっという間に時間が経ちました」 困ったのは社員との関係だ。2週間後に辞めると決めていただけに、常に後ろめたさがあったという。「研修中には社長との会食もあったんですが、私は5回ほどインターンに参加していたので『あなたは絶対に来てくれると思ってました、うれしいです』と言われて気まずかったですね。5人ほどいた同期入社の人たちともそれなりに仲良くなってしまい、内心では『すぐ辞めるのに申し訳ないな』と思いながら付き合っていました」 東京にいた時のように、地元でも繁華街に繰り出して飲み明かしたりもしてみたが、考えが変わることはなかった。「どのお店に行っても知り合いと鉢合わせしてしまうことが多くて。わたしは『色々な人と出会いたい』という思いが強いんだなということを再認識しました。地元にいてもやりたいことが達成できないんじゃないかという不安に駆られるばかりで、やっぱり合ってないのかなと。 研修の最終日は打ち上げをすると言われていたので、気まずさから病欠しました。すると、同期全員から純粋に心配をする『体調は大丈夫?』というLINEが届いたりして罪悪感がさらに募りましたね」「デリヘルで働いていた」と告げてクビ扱いに 研修が終わった翌日は出勤日だったが、休みを取ったうえで人事部に行き辞表を提出した。当然のように理由を聞かれたが、本当の事情は言えなかった。「最初は『一身上の都合』で押し通そうとしたんですが、さすがに納得してもらえず問い質されて。仕方なく最後には、『実は研修期間中、副業としてデリヘルで働いていた』という嘘をでっちあげました。ここまで言わないと納得してもらえないと思ったんです。会社は副業禁止だったので、それでほぼクビ扱いになりました」 “スピード退社”について地元や会社の人たちにどう思われているかは、「全く気にならない」という藤谷さん。退社から1年経った現在、藤谷さんは東京で忙しく働く日々を送っている。(清談社)
入社初日の“スピード退社”について両親や友人たちからは何も言われなかったのか。
「両親からはそんなに強くは言われませんでしたね。母は『あんた、辞めてどうするの? ニートはだめよ』くらい。父からは『何のために大学へ行かせたと思ってんねん』とは言われましたが、私が人の話をあまり聞かない性格だと知っているので、とりあえず言うだけは言っておいたという感じでした。友達はもっと緩くて『あー、そう』と驚かれもしなかった。
大学の同期でも入った会社をすぐ辞めた子がいたし、ハローワークに行った時にも私と同じような若い人が結構来ていましたね」
愛川さんは退職後すぐに、学生時代にバイトをしていたネット回線事業の仕事を再開した。その後、いくつかの仕事を経験する中で興味を持った映像系の仕事を始め、現在は東京で暮らしている。
「辞めたことはまったく後悔していません。今の仕事はまだ何とか食べていけるくらいですが、それでも最初の会社で我慢しながらやるよりずっと楽しいと思う。辞めて正解だったと思っています。
大学の時って、みんな『自分に何が向いているか』『何がやりたいか』とか色々考えるじゃないですか。けど結局、やってないから実際のところは分からないし、やってみてはじめて分かることも多い。入った会社が自分に合わないと思うのなら、決断は早い方がいいですよね」
2人目は、とある新聞社に入社したものの、わずか2週間で退社したという藤谷葉月さん(仮名)。
地方から東京の大学に進学し、文章を書く仕事を志して就職活動を行った。その結果、地元のブロック紙から内定をもらったのだが、卒業前にはすっかり就職する気を失っていたという。
「内定をもらえたことは嬉しかったですし、両親もとても喜んでくれました。でもいざ地元に戻ることを考えた時に、やっぱり東京にいたくなったんです。あまり地元にいい思い出はなかったし、東京でいろんな人に出会えたことはすごく刺激的だったので、まだ帰りたくはないなと思ってしまって」
藤谷さんは大学の先輩から紹介してもらった編集プロダクションからも内定を得て、新聞社の内定を辞退する気持ちを固めていった。最大の問題は、両親からの理解を得られなかったことだった。
「両親にはなかなか本音を言い出せなくて……。入社まで1ヶ月を切ったときにようやく、『やっぱり内定は辞退する。地元には帰らない』と伝えると『あんたバカじゃないの?』と。全く受け入れてもらえませんでした」
実は藤谷さんはこの時期、就職へのストレスが爆発して、精神的に不安定になっていたという。
「リストカットに走ったり、飲み歩いては下剤を飲んだり吐いたりを繰り返すという生活をしていました。卑怯だとは思いながら、両親にリスカの跡を見せて『地元に帰るのは不安』『今の環境から離れたくない』と必死に説得しました」
両親は、「死ぬくらいなら何でもいい。けど、せっかく地元のいい企業に受かったのに1回も出社しないのはもったいない。せめて研修期間だけでも行ってくれ」と言い始めたという。
「はじめは『そんな失礼なことはできない』と拒否しましたが、両親はなかなか引いてくれませんでした。そのうち『おばあちゃんが、せっかくあんたが地元に戻ってくると思っていたのに、来ないって聞いて泣いてるよ』とか、『お父さんはあなたの現状を聞いて具合が悪くなり、仕事を休んでいます』といった連絡が来るようになった。仕方なく研修期間だけは行くことに同意しました」
地元への交通費や引っ越し費用はすべて両親が負担。藤谷さんは、働く予定だった編集プロダクションに入社時期を遅らせてもらうよう交渉し、新聞社の研修に参加した。
「研修期間はおよそ2週間。4月の入社式からマナー講座、自動車研修、各部署への挨拶まわりなどで、あっという間に時間が経ちました」
困ったのは社員との関係だ。2週間後に辞めると決めていただけに、常に後ろめたさがあったという。
「研修中には社長との会食もあったんですが、私は5回ほどインターンに参加していたので『あなたは絶対に来てくれると思ってました、うれしいです』と言われて気まずかったですね。5人ほどいた同期入社の人たちともそれなりに仲良くなってしまい、内心では『すぐ辞めるのに申し訳ないな』と思いながら付き合っていました」
東京にいた時のように、地元でも繁華街に繰り出して飲み明かしたりもしてみたが、考えが変わることはなかった。
「どのお店に行っても知り合いと鉢合わせしてしまうことが多くて。わたしは『色々な人と出会いたい』という思いが強いんだなということを再認識しました。地元にいてもやりたいことが達成できないんじゃないかという不安に駆られるばかりで、やっぱり合ってないのかなと。
研修の最終日は打ち上げをすると言われていたので、気まずさから病欠しました。すると、同期全員から純粋に心配をする『体調は大丈夫?』というLINEが届いたりして罪悪感がさらに募りましたね」
研修が終わった翌日は出勤日だったが、休みを取ったうえで人事部に行き辞表を提出した。当然のように理由を聞かれたが、本当の事情は言えなかった。
「最初は『一身上の都合』で押し通そうとしたんですが、さすがに納得してもらえず問い質されて。仕方なく最後には、『実は研修期間中、副業としてデリヘルで働いていた』という嘘をでっちあげました。ここまで言わないと納得してもらえないと思ったんです。会社は副業禁止だったので、それでほぼクビ扱いになりました」
“スピード退社”について地元や会社の人たちにどう思われているかは、「全く気にならない」という藤谷さん。退社から1年経った現在、藤谷さんは東京で忙しく働く日々を送っている。
(清談社)