コロナ禍の長いトンネルの出口が、皇室にも訪れようとしている。天皇皇后両陛下は、10月22・23日に、1泊2日の日程で沖縄県に足を運ばれる。1日、2年8か月ぶりの地方訪問で、栃木県を訪れたのをきっかけに、遠方での活動を本格的に再開された。
【写真】上下、帽子のリボンもブルーの雅子さま。他、ボーダーワンピ姿の愛子さま、お揃いでの登校など 両陛下のお出ましが活発になればなるほど、長女・愛子さまのご活動にも期待が膨らむ。2020年4月の学習院大学入学以降、愛子さまは数えるほどしかキャンパスに足を運ばれていない。加えて、皇族としてのお出ましを望む声もある。

「イギリスのチャールズ新国王の戴冠式のため、海外訪問の可能性が囁かれています」(皇室記者) 昨年12月に成年皇族となられた愛子さまの存在感は、今後、より増していくだろう。同時に、愛子さまの「私」の部分への世間の関心も高まっていく。「それは、愛子さまのご結婚に関することです。昨今の社会情勢から言えば、20代前半は“まだ早い”とさえ感じられますが、女性皇族の場合、本格的に公務などを担われるようになると、団体の名誉職などを務めるケースも多く、フルタイムで働きに出るというわけにはいかない。そうなると、“出会いの場”が極端に限られるのです。そのため、早い段階からお相手候補を見つけておくべきとの意見があります」(前出・皇室記者) 宮内庁関係者が声を落として明かす。「実は、その候補のひとりが、愛子さまと学習院初等科時代からのご学友・Aさんだといわれています。初等科時代に同じクラスになったことがあり、学習院の中高では男女別学でしたが、野球部のエース選手として活躍するAさんの出場する試合を、愛子さまが観戦に訪れたこともある。愛子さまは持参されたメガホンを握りしめて、双眼鏡を覗きながら、神宮第二球場のスタンドから、終始大きな声援を送られていました。 Aさんがバッターボックスに立った瞬間、愛子さまははしゃいだ様子を見せ、バッグからデジカメを取り出され、パシャパシャとシャッターを切られていました。愛子さまの思いが通じたのか、Aさんがヒットで出塁し、続くバッターのヒットでホームに還ると、愛子さまはこらえきれずに歓声を上げて大喜び。何度も笑顔でうなずかれ、拍手を送られていました。 現在、Aさんは学習院大学ではなく、都内にある私立大学の医学部に通っています。父親も開業医で、家柄や将来性も申し分ないというのです。しかも両陛下とも面識があるといいます」 だが、愛子さまのご結婚には、いくつもの大きな障壁が横たわっている──。お見合いから自由恋愛へ 皇族の結婚事情は、時代とともに変化してきた。「昭和初期は男女問わず20才になる前に宮内庁が候補をリストアップし、そこから結婚相手が決められるのがスタンダードでした。いわゆるお見合い結婚で、さまざまな思惑が渦巻いていました。 大きく変わり始めたのは、1960年頃から。上皇陛下は、軽井沢の“テニスコートの恋”を成就させ、1959年に美智子さまと結婚されました。宮内庁や旧華族の親睦団体が揃えた候補からはお相手を選ばれませんでした」(皇室ジャーナリスト) 上皇陛下の妹の島津貴子さんは、1960年に一般男性と結婚した。婚約発表直前の誕生日会見での「わたくしの選んだ人を見ていただきます」という発言は、皇室の変化を強く印象づけるものだった。 天皇陛下は、1986年のスペイン王女の歓迎レセプションの場で雅子さまと出会われた。秋篠宮さまと紀子さまが初めて顔を合わせられたのは、学習院大学のキャンパス内にある書店でのことだった。「愛子さまと同じ『天皇の娘』という立場で言えば、黒田清子さんは、兄・秋篠宮さまのご学友で、幼少から面識のあった黒田慶樹さんと結婚しました。皇室という特殊な世界においても、恋愛結婚がスタンダードになったのです」(前出・皇室ジャーナリスト) 大学へ通えず、キャンパスでの交流もなく、自然な出会いは極めて難しい状況に愛子さまはいらっしゃる。そうした意味では、前述したAさんは愛子さまのお相手として申し分ないと言えるだろう。だが、前出の宮内庁関係者はこう続ける。「Aさんの父親は、かねて“愛子さまとの結婚などとんでもない”と周囲に漏らし、固辞の姿勢を貫いているというのです」 その背景に、秋篠宮家の長女・眞子さんの結婚を巡る騒動があるのは明白だろう。「天皇家の長女である愛子さまの結婚相手は、世間の大きな関心事です。同じ内親王だったとはいえ、宮家の眞子さんとは比べものにならないでしょう。騒動が小室圭さんの母・佳代さんの金銭トラブルに端を発したともなれば、お相手候補の本人はもちろん、家族が難色を示すことは容易に想像できる」(前出・皇室ジャーナリスト) 現在、ニューヨークで暮らす眞子さんが自分自身の幸せのために貫いた小室さんとの結婚が、愛子さまの将来にまで飛び火しているのだ。「宮内庁は、小室さんが抱える問題を把握していなかったようです。秋篠宮さまからのご指示がなかったからというのがその理由のようですが、愛子さまのお相手ともなればなにか問題があることはあってはならない。それでなくとも、両陛下としては、愛子さまが幸せになるだけでなく、多くの国民に祝福される結婚をしてほしいとお考えでしょうからね。 Aさんの周辺は結婚相手として名前が出て世間から注目されること、実際に結婚することによって、本人だけでなく周囲の生活が大きく変わってしまうことを懸念していたのでしょう」(別の皇室ジャーナリスト)※女性セブン2022年10月27日号
両陛下のお出ましが活発になればなるほど、長女・愛子さまのご活動にも期待が膨らむ。2020年4月の学習院大学入学以降、愛子さまは数えるほどしかキャンパスに足を運ばれていない。加えて、皇族としてのお出ましを望む声もある。
「イギリスのチャールズ新国王の戴冠式のため、海外訪問の可能性が囁かれています」(皇室記者)
昨年12月に成年皇族となられた愛子さまの存在感は、今後、より増していくだろう。同時に、愛子さまの「私」の部分への世間の関心も高まっていく。
「それは、愛子さまのご結婚に関することです。昨今の社会情勢から言えば、20代前半は“まだ早い”とさえ感じられますが、女性皇族の場合、本格的に公務などを担われるようになると、団体の名誉職などを務めるケースも多く、フルタイムで働きに出るというわけにはいかない。そうなると、“出会いの場”が極端に限られるのです。そのため、早い段階からお相手候補を見つけておくべきとの意見があります」(前出・皇室記者)
宮内庁関係者が声を落として明かす。
「実は、その候補のひとりが、愛子さまと学習院初等科時代からのご学友・Aさんだといわれています。初等科時代に同じクラスになったことがあり、学習院の中高では男女別学でしたが、野球部のエース選手として活躍するAさんの出場する試合を、愛子さまが観戦に訪れたこともある。愛子さまは持参されたメガホンを握りしめて、双眼鏡を覗きながら、神宮第二球場のスタンドから、終始大きな声援を送られていました。
Aさんがバッターボックスに立った瞬間、愛子さまははしゃいだ様子を見せ、バッグからデジカメを取り出され、パシャパシャとシャッターを切られていました。愛子さまの思いが通じたのか、Aさんがヒットで出塁し、続くバッターのヒットでホームに還ると、愛子さまはこらえきれずに歓声を上げて大喜び。何度も笑顔でうなずかれ、拍手を送られていました。
現在、Aさんは学習院大学ではなく、都内にある私立大学の医学部に通っています。父親も開業医で、家柄や将来性も申し分ないというのです。しかも両陛下とも面識があるといいます」
だが、愛子さまのご結婚には、いくつもの大きな障壁が横たわっている──。
皇族の結婚事情は、時代とともに変化してきた。
「昭和初期は男女問わず20才になる前に宮内庁が候補をリストアップし、そこから結婚相手が決められるのがスタンダードでした。いわゆるお見合い結婚で、さまざまな思惑が渦巻いていました。
大きく変わり始めたのは、1960年頃から。上皇陛下は、軽井沢の“テニスコートの恋”を成就させ、1959年に美智子さまと結婚されました。宮内庁や旧華族の親睦団体が揃えた候補からはお相手を選ばれませんでした」(皇室ジャーナリスト)
上皇陛下の妹の島津貴子さんは、1960年に一般男性と結婚した。婚約発表直前の誕生日会見での「わたくしの選んだ人を見ていただきます」という発言は、皇室の変化を強く印象づけるものだった。
天皇陛下は、1986年のスペイン王女の歓迎レセプションの場で雅子さまと出会われた。秋篠宮さまと紀子さまが初めて顔を合わせられたのは、学習院大学のキャンパス内にある書店でのことだった。
「愛子さまと同じ『天皇の娘』という立場で言えば、黒田清子さんは、兄・秋篠宮さまのご学友で、幼少から面識のあった黒田慶樹さんと結婚しました。皇室という特殊な世界においても、恋愛結婚がスタンダードになったのです」(前出・皇室ジャーナリスト)
大学へ通えず、キャンパスでの交流もなく、自然な出会いは極めて難しい状況に愛子さまはいらっしゃる。そうした意味では、前述したAさんは愛子さまのお相手として申し分ないと言えるだろう。だが、前出の宮内庁関係者はこう続ける。
「Aさんの父親は、かねて“愛子さまとの結婚などとんでもない”と周囲に漏らし、固辞の姿勢を貫いているというのです」
その背景に、秋篠宮家の長女・眞子さんの結婚を巡る騒動があるのは明白だろう。
「天皇家の長女である愛子さまの結婚相手は、世間の大きな関心事です。同じ内親王だったとはいえ、宮家の眞子さんとは比べものにならないでしょう。騒動が小室圭さんの母・佳代さんの金銭トラブルに端を発したともなれば、お相手候補の本人はもちろん、家族が難色を示すことは容易に想像できる」(前出・皇室ジャーナリスト)
現在、ニューヨークで暮らす眞子さんが自分自身の幸せのために貫いた小室さんとの結婚が、愛子さまの将来にまで飛び火しているのだ。
「宮内庁は、小室さんが抱える問題を把握していなかったようです。秋篠宮さまからのご指示がなかったからというのがその理由のようですが、愛子さまのお相手ともなればなにか問題があることはあってはならない。それでなくとも、両陛下としては、愛子さまが幸せになるだけでなく、多くの国民に祝福される結婚をしてほしいとお考えでしょうからね。
Aさんの周辺は結婚相手として名前が出て世間から注目されること、実際に結婚することによって、本人だけでなく周囲の生活が大きく変わってしまうことを懸念していたのでしょう」(別の皇室ジャーナリスト)
※女性セブン2022年10月27日号